◆第23話 隻海

 消火器が転がる金属音と振動が床を伝う。


 彼女の冷えた手がそっと銀花の頬を撫でる。銀花は唾を呑み込んだ。

 眼を閉じて寝転んだままで銀花は祈る。

 何か何かを。思い付かないけども――神様でも誰でもいい、隻海ひとみに何かを与えて。

 

「殺しちゃってごめんね、銀花のお父さんなのに」

 

 隻海が謝ることは何一つない。


「合宿が大事だって、そう思ったわ。こんなふうに倒れてて、大事にしてあげないといけない子より自分の願い事のことを考えたの、私は」

 

 隻海はいつも優しかったよ。助けてくれてありがとう。

 気を失っている【銀花】は動くことはできず、涙は頬を横切って伝い、床に滴ってゆく。 

 違う、と声に出して否定したいのを堪えている。


「合宿で願い事ができなかったら、ずっとできないだろうって思って、私は合宿に参加したの。今思えば変な考え。死体をどこかに隠さなきゃって思って、でも、消火器よりずっと重くて引きずって動かすことしかできなかった、ごめんね」


【お父さん】が悪い。重たいのも何もかも。埃にまみれてるぐらいがお似合いだ。

 引きずるしかできない隻海を想像して銀花は床で苦しむ。

 隻海は【お父さん】の腕を綱引きの綱みたいに腰にかかえるようにして移動させる。

 やがて放送室の扉はバタンと閉じた。彼女はもう行ってしまう。銀花はもう眼を開けて彼女を見つめる――まだ行かないで。

 銀花は何か何かを、と祈っている。まだ何かが残っているんじゃないのか。急激な思考が耳鳴りを起こす。頬を床に付けたままで銀花は叫ぶ――。

「殺してない! お父さんは生きてる」

 銀花は希望を言う。はっきりした嘘だ。

「ありがとう、ね、銀花」

 行かないで。まだ行かないで。今、ありったけの嘘を言っても隻海が去ってしまうのを止めたい。このまま彼女を行かせてはダメだ。

 寝そべったままの体勢で精一杯声を張って。


「ルーシーロケット、ポケット失くした。

 キティフィッシャー、それを見つけた。

 1ペニーもないのに、リボンだけ巻かれてた」


 なんで歌うのかよく分からない。滅茶苦茶だ。

 だけど、メロディに乗って。

 

「ルーシーロケット、ポケット失くした。

 キティフィッシャー、それを見つけた。

 1ペニーもないのに、リボンだけ巻かれてた」


 右手のパペタ氏も力強く歌いはじめる。ふふっと笑う隻海が声を重ねる。

 一緒に歌う。何の意味はない。意味はないけども。


「銀花、ありがとね、じゃあね」


 隻海は別れを告げた――。

 銀花にできることは何もない――。

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