5-1.誕生 -anti bliss-
最上階、最奥の一室。もともとは空き室なのか、デスクやロッカーといった類のものはなく、そこはただの広い空間だった。
この部屋へと至る廊下では、何人か職員と思しき人物が倒れていた。おそらくは殺されたのだろう。もしかしたら運良く生きているかもしれない。
だが、一人一人に声をかけて確かめていく余裕はなかった。
この部屋の外側に面した部分の窓は全面ガラス張りで、ブラインドもカーテンも日差しを遮るものは何も無い。今この時間帯においては夕陽が差し込むように入ってきており、逆光を受けた中の人物が黒々として見える。
中央で簡素なパイプ椅子に座らせられ、縛り上げられているのは、先日俺と戦った真柴だ。
体中には “賢者の契約書” がいたるところに突き刺さっている。その数は数十本になるだろうか。
その椅子のすぐ背後に立つ村瀬さんは、手に無数の賢者の契約書を持っている。前を向いてはいるものの、半眼状態の彼女の目は開いているようにも閉じているようにも見える。それぐらい顔に力が入っていない。
彼女の表情からその感情を読み取ることはできなかった。
「あ……ぁぅ…………ぉうぉ…ぁぇ……」
契約アイテムが体中に大量に突き刺さった真柴は顔全体がまるで伸びきったゴムのように弛緩しており、何やら言葉らしきものは発しているものの、ごにょごにょとしており、まったくわからなかった。
よだれを垂らしている様子からも既に正気ではないだろう。
突き刺さった契約アイテムからはブスブスと黒いモヤが現れており、真柴の身体の周りを、まるで空に漂う芋虫のように醜悪に蠢いている。
一瞬その部屋に足を踏み入れることを躊躇った。だが、ここまで来て引き返せない。俺は意を決して言葉をかけた。
「ふぅ……見つけましたよ」
「はぁ……はぁ……村瀬さん」
ここに至るまでにビルの中を走り回ったせいで、俺も陽菜も肩で息をしていた。
陽菜が村瀬さんの名前を呼んで呼びかけても、村瀬さんは無反応だ。
「……」
ザクッ。
村瀬さんが手に持った契約アイテムを更に一本、真柴へ突き刺した。
突き刺さった箇所がボコッと奇妙に腫れあがり、そこから眼球のような何かがギョロリと出て来る。契約アイテムの負荷に耐えきれなくなった人体が、人外のものへと変質しようとしている。
噂で聞いたことはあったが、初めて目にする光景に正直身の毛がよだつ。
俺も陽菜も、凄惨なシーンをある程度覚悟していたにも関わらず、部屋の中心で行われているグロテスクな光景に息を呑む。
特に陽菜は既に半分人外化しかかっている真柴の姿に生理的嫌悪感を覚えたのか「う……」と手で口を抑えた。
臆しちゃ駄目だ。
俺の背後にはアラガミ、陽菜の肩にはバエルが乗っている。俺たちはすでに臨戦態勢だ。だが、最後の最後に言葉だけは交わしておきたい。
「所長も依原も……覆面共の襲撃も……全部アンタがやったってことでいいんだな?」
「……」
村瀬さんからは相変わらず返事はない。
俺は構わず続ける。
「なんで……なんでこんな事したんだっ!」
「……」
「答えろ」
「……」
「なぁ……答えてくれよ……」
「……」
段々と自分の声が尻すぼみになっていくのを感じた。
一体、なんでこんな事になっているんだ。どんな事情があるにせよ、せめて理由だけは知りたかった。
「頼むよ……小夜ねぇ」
絞り出すように声を出す。
その言葉に目を見開いたのは陽菜だった。陽菜は、この襲撃が眼の前にいる村瀬さんのものだと思っていたようだ。
そんなわけない。村瀬さんは契約者ではないのだから。
こんな常識外れの襲撃を一人でやってのける事ができる人を、俺は小夜ねぇ以外には知らない。
「やっぱり最初に気づくのはモモちゃん、か……まぁ、そんな気はしてたよねぇ」
夕陽によって色濃く映る村瀬さんの影から、小夜ねぇが静かに現れた。
口調こそいつもの柔らかさがあったが、その表情は無表情で、普段自分たちと接する時の姉の顔ではなく、犯罪者と対峙する時の表情である。
俺は自分が小夜ねぇに追い詰められた犯罪者にでもなったような気持ちになり冷や汗が流れた。
「ねぇ……さん?」
「せめて真柴(コイツ)を私が喰らい終わるまでは待っててくれないかなぁ?」
「喰らうって、何だよ……。 それが目的なのか?」
小夜ねぇはコツコツと歩くと少しだけ村瀬さんと縛られた真柴から距離を取り、その場に三角座りをした。まるで、いたずらを咎められた子どものような仕草だが、彼女の口から出た「喰らう」という言葉とその仕草にあまりにギャップがあり、かえって狂気を感じる。
「二人とも何言っているの……どういうこと」
陽菜はまだ状況が飲み込めていないようだ。いや、本当は薄々感づいていたはずだ。でも感情が認められないのかもしれない。
「……黒尽くめの襲撃者は建物内からやってきた。いや、 “やってきた” んじゃなくて、はじめからこのビルに隠してあったんだ。人形(マネキン)を」
小夜ねぇは何も言わなかった。それが先を促しているように見え、俺は言葉を続けた。
「真柴を捕まえた時、真柴の腕を小夜姉の悪魔イズレエルが支配していた。同じ要領で、黒尽くめの人形達や村瀬さんを操った……そうだろ?」
かつて真柴と戦った時、真柴は自分の腕が意思とは無関係に動いていることに動揺していた。あれは、紐状に形を変えたイズレエルが真柴の関節や筋肉に巻き付き、外側から無理やり動かしていたのだ。つまり、マリオネットのような状態だ。
足元にイズレエルが忍び込めるだけのわずかな影さえあれば、今回の黒尽くめの男たちも同じ理屈で動かせるはずだ。
イズレエルのマリオネットは小夜ねぇが犯罪者相手によく使う技だが、今回はそれが桁違いの規模で、一人の人間によって引き起こせるレベルを遥かに越えていたためにすぐには思い至らなかった。
「当たり。……私の悪魔イズレエルは影に潜み引きずり込むだけが能力じゃないのは知ってるよね。イズレエルは形を持たない不定形の悪魔。紐状にして影を伝って対象の体に巻き付けば……ホラ、こんな風に操るのも簡単」
言葉に合わせて小夜ねぇが左手の指をクイと曲げると、連動するように村瀬さんの腕が上がった。
それは本当に人形劇で見るようなマリオネットそのものだ。
「そしてイズレエルは百体程度までなら体を分割できるの。村瀬さんには、所長が戦いに夢中になっている間に私自身が潜り込んだ」
「それじゃあ……本当に姉さんが……」
この惨劇を起こしたのか? そう聞きたかったはずだが、陽菜はそれ以上言葉を発することができなかった。
「モモちゃんはなんで私が犯人だって気づいたの?」
小夜ねぇが俺に視線を向ける。
「エントランスでの戦いが……あきらかに時間稼ぎを狙ったものだったから」
本来、今日この場に俺たちはいないはずだった。俺が提出する書類を忘れていたことが原因で、そうでなければ普段通りの休日だったはずだ。
小夜ねぇが計画的に今日という日を迎えたのであれば、今このタイミングでD-PAINのエージェントが誰もいないのは偶然ではない。出払って誰もいないタイミングを狙ったのだ。
いくらD-PAINのエースと呼ばれる小夜ねぇといえども、他のエージェントにも強い戦闘能力を持つ契約者はいる。それら全てを相手にすることはできないと考えたのだろう。
だからこそ、小夜ねぇにとって俺たちは想定外のイレギュラーだったはずで、本来所長だけ相手にすればよかったはずが、俺たちの相手までする必要が出てしまった。だから小夜ねぇは所長をどうにかするまで、俺たちを隔離して時間を稼ぎたかったのではないだろうか。
「時間稼ぎというか、あの場にいて動いてほしくなかったんだよねぇ。これからこのビルで起こることを見聞きしてほしくないなぁ〜っていうお姉ちゃん心だったんだけど」
小夜ねぇは三角座りを崩さぬまま、独り言のように呟く。
「マネキンに契約犯罪者のフリをさせてあの場を膠着させるっていうのは我ながらとっさに思いついたにしては良いアイデアだと思ったんだけどなぁ……まさかあんなに早く、倒しちゃうなんてね」
言葉には少し残念がっているような響きがある。その理由は、俺たちを見誤ったことに対して残念がっているのか、あるいは、俺たちとこうして対峙することになってしまったことに残念がっているのか。
「そんな……なんで!? なんでこんなことできるの!? この建物には契約者じゃない人だっていっぱいいるんだよ!? あの黒尽くめの人形のせいで、大怪我した人だっている! し、死んだ人だって──」
世間話でもするかのようにあまりに淡々と告げる小夜ねぇに陽菜がついに感情を爆発させた。目には大粒の涙が溜まっている。
いつもの冷静で穏やかな陽菜ではなく、姉にすがりつく妹だった。
「当然だよ。全員殺すつもりでやったんだもの」
しかし返ってきた返答はぬくもりも優しさも含まない言葉だ。
「なんで……なんでなんだよ……」
「……なんで、ね。逆に聞きたいんだけど、モモちゃんは何故戦うの? 答えは見つかった?」
「え?」
──俺は、何を理由に戦うんだろう。
それは、いつかの俺の、自分に向けた問いだった。
「ん〜……いや、この聞き方は少し違うかも。私が聞きたいのは動機じゃなくて結果の部分。モモちゃんは何を目指して戦うの?」
結果? 戦いの結果ってなんだ? 戦う理由はここ最近ずっと俺の頭を悩ませていた問題だ。でもその戦いがもたらす先について、俺は考えたことがあっただろうか?
「そりゃ、契約者犯罪を少しでも減らすために……」
パッと頭に浮かんだ言葉を口にする。でも、この言葉は本当に俺の本心なのだろうか? 言いながら考えてしまう。
「そうだね。悪魔との契約者による犯罪の撲滅。きっとD-PAINに入った人は動機はそれぞれでも、結果的にみんなそれを求めて戦うんじゃないかなぁって私は思うんだよね」
意外にも肯定の言葉が返ってきた。一瞬、そう思ったが……
「そんなものは永遠に来ないのにね」
それは世界にある全てを拒絶するかのような言葉だった。顔もまた、言葉を体現するように憎悪に歪んでいる。
「!!」
「断言できるよ。どんなに私たちが力を尽くしても、命をかけて戦っても、契約者による犯罪は決してなくなったりはしない。だから……」
今まで一度も見たことのない小夜ねぇの表情に、たじろく。
ふいに、俺の肩を誰かが掴み、どかすように前に割り込んでくる。
「だから私がすべてを変える── 魔人 ──になる事で。……そんなところかな」
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