2-3.日常 -an ordinary day-

 それはハンドメイド系というかクラフト系というか、そういったモノづくり系のお店や個人制作者が集まるフリマだった。

 テントはモール側が貸し出しているのか、並ぶお店の屋根部だけは画一的だが、そこに並べられた商品は各店かなり自由でバリエーションに富んでいる。

 レジンで作られた綺麗なキーホルダーやパンキッシュなレザーチョーカー、カラフルなアロマキャンドルに、手作り地ビールなんて出店もあって、一つ一つ丁寧に見て歩いたら時間が足りなさそうだ。

 小夜ねぇはその中でも、海岸や大きな湖の湖畔で見つかるガラス片、いわゆるシーグラスを使って作るアクセサリーのお店が気になったらしく、豆粒サイズに丸く加工された小さいシーグラスがついたピンキーリングを手に取って夕陽にかざしていた。

「キレイ」

 広場全体に差し込む鋭い夕陽が、曇りガラスのような風合いのシーグラスにあたることで角が取れたような柔らかい光となって反射する。

 小夜ねぇはシーグラスをうっとりと眺めながら呟くようにポツッと声を漏らしたが、俺からするとシーグラスなんかよりも小夜ねぇの方がずっと綺麗で儚いモノのように感じられた。

 その人形のように無駄なく整った横顔に見惚れる。

 今がチャンスだ。

「……」

 ──好きだ。俺の彼女になってほしい。

 ずっと前から言おうとしているその一言が、今日も今日とてどうしても口から出なかった。

 頭を駆け巡るのは、失敗続きの俺だ。

 契約犯罪者に負けそうになる俺。

 契約アイテムを買おうとした客の存在をすっかり忘れる俺。

 アラガミのせいにしようとして逆に論破される俺。

 寝相が悪い俺。

 しいたけが嫌いな俺。

 背もたれのないイスはもっと嫌いな俺。俺。俺。

 眼の前の女性と、その隣にいる俺はどう考えても釣り合っていない。その釣り合ってない奴が小夜ねぇの彼氏になるなんて、俺自身が認められない。

 いつか自分自身に自信が持てたら。自分を認められたら。その時こそは小夜ねぇにでっかい声で「好き!!」と言えるのだろうか。

 せめてそれまでは、この気持ちをいつでも思い出せるように、今この景色を心に焼き付けておこうと思った。

「ね? これ、可愛くない?」

 俺の気持ちなど知る由もない小夜ねぇがこちらに振り向いて同意を求めてくる。

「柔らかい感じが小夜ねぇっぽいねぇ」

 俺は平静を取り繕い、返事をしながらリングについた値札を見る。

 シーグラス自体は言ってしまえば海洋ゴミの一種だ。だが曇り方が均一で形の良いものを探し出すのにそれなりに手間暇はかかっているだろう。また、リング部自体はピンクシルバーでできているようで、割と立派な値段だった。

 でも、買えない値段じゃないな。

「小夜ねぇ。俺、このリングを小夜ねぇにプレゼントしたい」

「え!? な、なんで?」

 想定外の俺の発言に珍しく動揺している。

「だって今日はデートなんでしょ? ダメ?」

「そ、そんな言い方されたら断れなぃ」

 その言葉を同意の返事とみなし、俺は小夜ねぇが手に持つピンキーリングを受け取るとそのまま会計を済ませた。

 好きと言えなくても、せめてこれくらいはいいだろう。

「はい。俺からのプレゼント」

「ぁ……ぁりがとぅ」

 嬉しそうにもじもじする小夜ねぇは新鮮だった。

 可愛すぎる。

「さっそく今付けていい?」

「もちろん」

 いそいそと手渡したリングを小指にはめる小夜ねぇ。しばらく無言で自分の小指を眺めていたかと思うと視線はそのままゆっくりと口を開いた。

「モモちゃんの悩みは解決したのかな?」

「ぬ?」

「戦う理由。モモちゃんが命をかける、その理由」

 そうだった。そのヒントを求めて小夜ねぇを頼ったのが今日の発端だった。

 ヤバい。デートが楽しくて忘れてた。とか言ったら流石に怒られるかな?

「……うーん、まぁ、ぼちぼち、ね」

 曖昧な返事でお茶を濁す俺。

「嘘つきぃ」

 しっかりとバレていた。

 途端、白い目でこちらを見る小夜ねぇ。いかん、せっかく良い雰囲気だったのに!

 でもこのタイミングで聞いてくるってことは、直前のやり取りにヒントになりえるものがあったのだろうか。

 あるいは、今日一日のデートの中で小夜ねぇはしっかりと俺にヒントを渡してくれていたのかな……。

 だとしたら、舞い上がってすっかり忘れて楽しんでしまっていた自分が腹立たしいし、申し訳ない。

 どうしようと焦って頭の中で言葉を探していると、小夜ねぇは俺に向かって人差し指をピッと突きつけ、言った。

「罰として同じものを陽菜にも買っていくこと」

「はぇ?」

「こ、れ!」

 何のことを言っているのかと首をかしげる俺に自分の右小指を見せる小夜ねぇ。そこには今買って渡したばかりのシーグラスのピンキーリングが嵌まっている。

「ええ〜。このリングを陽菜にも?」

「そ」

「なんで!?」

「なんでも!」

 う〜ん、俺は小夜ねぇに似合うと思ったからこそ買ったんだが。

 陽菜に何かプレゼントを渡す。それ自体は別に構わないがそもそも陽菜はピンキーリングを欲しがるだろうか?

 それに、同じリングを女の子二人に渡すのって人としてどうなんだろう。

 男心としては好きな女の子にだけ特別なプレゼントをあげたいわけで。そう考えると、小夜ねぇにプレゼントしたものと全く同じものを陽菜にも買っていく、というのもちょっと抵抗あるんだけど……。

 あれこれ考える俺に追い打ちをかけるように小夜ねぇが言った。

「お願い」

 それはさっきまでのじゃれ合いの延長ではなく、どこか切実な呟きのようだった。

 ただの思いつきじゃない、しっかりとした理由あるお願い。

 そこに込められた意味を汲み取れないのは、俺が未熟だからなのか。

 返す言葉が出せなくなった俺は、返事の代わりにシーグラスのアクセサリーが並ぶ台の中からリング以外の商品を物色する。

「陽菜、金属アレルギーだから」

 ピアスやバングルなど様々なアクセサリーの中からヘアゴムを手に取る。ヘアゴムの装飾には、他の商品と同じく小さなシーグラスがついているがこのヘアゴムのシーグラスはハワイ風の亀の形に加工されている。ホヌってやつだ。

 陽菜は家事をするときなんかはヘアゴムで髪をまとめている。いつもは黒い飾り気のないものだが、たまにはこういう可愛らしいものでもいいかもしれない。

「これとか、どうかな」

「うん。素敵! えへへ、モモちゃんありがとう」

 俺は先ほどリングを買ったのと同じ店員に商品を手渡し、会計を済ます。

 小さな紙袋に入ったそれを無造作にポケットに捩じ込んだ。

「陽菜が喜ぶかはわかんないけどね」

「絶対喜ぶよ〜。わかってるくせに〜」

 うん、まぁ確かに。

 我ながら陽菜が好きそうなアクセサリーをチョイスできたような気がする。いつも無表情がちなクールな陽菜がほんのりとした笑顔を浮かべる姿が想像できた。

 よく考えてみたら、女の子にプレゼントするのは初めてだ。今の俺はちょっとだけ浮かれているかもしれない。

「……きっと、このプレゼントがモモちゃんの理由になるんだよ」

 だからなのか、小夜ねぇの呟きは俺の耳には届かなかった。


 あらかた見て回ったし、もう既に日も沈み始めている。

 フリマは各店のテントがライトアップされ、まだまだこれからという感じで人が減る様子を見せないが、俺たちは流石に帰る時間だ。

 気づいたのはそんなタイミングだった。

 俺たちのいる通りの少し先に、目深にかぶったくたびれたハンチング帽子の男がいた。

 丸まった背中と浮ついた目。一言で言うなら挙動不審。

 何より視線がフリマの商品ではなく、“商品を見る人” を見ている。

 しばらく目で追っていると、やはりと言うべきか。流木アートを眺め、店員との会話に夢中な中年女性のカバンから、スッと財布を抜き取って自分の上着の内ポケットに入れるとそのまま踵を返して人混みから抜け出す。

 さて、どうするか。

 ここは人が多いし、向こうはこちらに気づいていない。静かに近づいて人気のいないところで声掛けが無難かな。

 そこまで考えた時──

「そこのハンチング帽の男! 止まりなさい!」

 大きな声を出しズンズンと男へ向かっていく小夜ねぇ。周囲の人々もざわつき、視線が一斉にこちらへ集まる。

「ッ!」

 男はこちらを振り返ることなく広場を抜け、モールの敷地外へ向けて走り出す。

「待ちなさい!」

「ちょ! 小夜ねぇ!」

小夜ねぇがサンダルとは思えない力強さで男を追いかけ同じく駆け出す。俺もまたスリの男を追いかける小夜ねぇを更に追いかける形で地面を蹴った。


 追いかけっこはすぐに終わった。

 俺も小夜ねぇもこれでも日々訓練を積んでる人間だ。あっという間にスリに追いつき、スリの男は人気のない方へ逃げるうちにモールとモールから連結する立体駐車場の間の袋小路に追い詰められていた。

 肩で息をしながらこちらに振り向くと、男はなぜか安堵したような顔をした。

「んだよ。ガキかよ……ビビらせやがって」

 なるほど、確かに。警察には見えんわな。

 実際、俺はまだ高校生だし、四つ上の小夜ねぇも就職してなければ大学生の年齢だ。

「カップルが正義感ぶって警察ごっこかぁ?」

 逃げ走っている時の切羽詰まった雰囲気は既になく、随分とこちらを馬鹿にしたような目つきだ。

「大人しく盗んだものを返して捕まりなさい」

 小夜ねぇはスリの男と無駄な会話をするつもりはないのか淡々と告げたが、その冷たい言い方が男の感情を逆撫でしたようだった。

「ガキが舐めたクチきいてんじゃねーぞ!」

 懐に手を入れ、何かを取り出す。折りたたみ式の小さいナイフだ。

 これは良くない。

 D-PAINでは武器を持った相手への対峙も一通り訓練済みだ。それは小夜ねぇも同じ。だが、相手が契約犯罪者でない以上こちらも悪魔を出すことはできない。

 そうなると、向こうは男で小夜ねぇは女。どう考えてもフィジカルの差が出る。自分自身が刃傷沙汰に巻き込まれるのはどうでもいいが、万が一にも小夜ねぇに傷ついて欲しくなかった。

「あの、落ち着きましょ。ナイフなんかしまって。財布さえ返してくれればそれでいいんで」

 本当は見逃してはいけないのだが、穏便に済ませようとなだめるような手つきをしながら相手に優しく声をかけた。

「モモちゃん、見逃すようなことはしちゃダメ。こういう奴らは甘やかせば何度でも繰り返すんだよ」

 ピシャリと小夜ねぇに咎められた。

「何様だぁテメェ?」

「あなたこそ何様? クズは人間以下だから私たち人間相手には敬語を使って欲しいわ」

「ちょっと小夜ねぇ、やめなって!」

 さすがに刺激しすぎだ。

 小夜ねぇは犯罪者が嫌いだ。憎んでいると言ってもいい。

 もともと悪事や道義に反することに対して潔癖気味な性格ではあったが、おじさんとおばさんが契約犯罪者に殺されてからはより顕著になった。

 犯罪者と相対する時、普段の朗らかで優しい彼女はなりをひそめ、冷たいD-PAINのエージェントが顔を出す。

 それは契約犯罪者に対してのみだと思っていたが、こそ泥も例外ではないのか。あるいはナイフという暴力をチラつかせたことが彼女の逆鱗に触れたのか。

「てめぇブッ殺すぞ!」

 男のこめかみがピクピクと揺れている。

 いよいよまずいな。もはや穏便に済む空気ではなくなってしまった。

 俺はいつでも飛び出せるように踵を浮かせ、相手の様子を伺う。

「盗みがバレれば居直ってナイフで脅す、絵に描いたようなクズ。暴力を振るわれる側の気持ちをわからせてあげるからかかってきなさい」

 それが合図だった。

「〜〜〜〜〜〜!」

 男が何かを喚いてこちらに突っ込んで来る。コラァ! とかテメェ! とかそんな感じの奇声なんだろうが、言葉として認識している余裕はない。

 相手が振りかぶった右手のナイフに意識を集中し、小夜ねぇと男の間に体を滑るこませる──

 ……までもなく、一瞬で決着した。

 俺が体を動かすより早く、踏み出そうとした瞬間に足をつっかけ盛大にすっ転ぶ男。

 転んだ拍子に手からすっぽ抜けたナイフがひゅるんと回転して空を舞い、地に伏した自分の尻に突き刺さる。

「い、いでぇぇぇっ!」

 大の男が絶叫するが、小夜ねぇはその声がまったく耳に入っていないかのような落ち着いた動作で突っ伏した男へ近づき、右手を容赦なく捻り上げる。

「あっあっあっ! ああっ! いでぇえええええっ!」

 響くさらなる絶叫。

「確保」

 小夜ねぇはトートバッグから100均に売っているようなどこにでもある結束バンドを一つ取り出すと、無理やり捻り上げた腕ごと男を引きずり、すぐ近くのフェンスに器用にくくりつけた。

 ついでに、両足と反対の腕も結束し一切の身動きが取れないようにする。

 男の騒ぎを聞きつけ、モールの方から警備員が走ってやってくる。

「はい、おしまい」

 小夜ねぇはまるで汚いものをさわったかのようにトートバッグからアルコールティッシュを取り出し、自分の手を拭いて駆けつけた警備員に事情を話した。

 俺はというと、今見た光景に呆気にとられ小夜ねぇを呆然と眺めているだけだった。

「おまたせ。さ、帰ろモモちゃん」

 事情を説明し終えた小夜ねぇは、後は警備員に任せたと俺の方へ向きなおった。

 その顔はさっきまでの冷たいエージェントではなく、優しい姉の顔だった。

「小夜ねぇ……」

「モモちゃん、私をかばうために前に出ようとしてくれたよね。カッコよかったよ! ありがと〜」

 小夜ねぇはいつもどおりの朗らかさでにこにこと俺の頭を撫でた。

 俺は言葉に詰まる。褒められたことに照れたからではない。

 今見た光景がどうしても引っかかった。

 それはスリの男が転ぶ瞬間。ほんの一瞬だ。小夜ねぇの悪魔、イズレエルが男の足元の影から姿を現したように見えたのだ。

 気のせいかもしれない。でも気のせいじゃないとしたら、あまりに不自然な転び方をしたのにも、まるで男が転ぶことがわかっていたかのような小夜ねぇの落ち着き払った動きにも説明がつく。

 でも本当にそんなことあるだろうか。

 業務外の場面で悪魔を出すこと、あまつさえ悪魔を行使することは重大な職務規定違反だ。それはそうだろう。悪魔の能力によっては簡単に人を殺傷することができるのだから。

 俺たち契約者は、契約した時点で四六時中武装しているようなものだ。

 法やモラルを重んじる小夜ねぇがまさかこそ泥相手にそんなことをするはずはない。

 理屈ではわかっているが、目の端に見えたような気がする黒い影がどうしても気になってしまう。

 ──小夜ねぇ、イズレエルを出した?

 その一言が聞けず、俺はいつもどおりの小夜ねぇとは対象的に沈んだ気持ちで家への帰路についた。

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