1-1.契約者たち -covenanter-

 今から15年ほど前、それまで妄想・空想・あるいはラノベの産物だと思われてきた “悪魔” の存在と、それと契約し “悪魔の能力” を行使する手法が確立された。

 悪魔と契約した物は “契約者” と呼ばれ、物理法則を越えた能力を行使することができるようになる。

 その性質から、犯罪に用いられることが多く、世界全体で急速に “悪魔” に関する様々な法や組織が整備された。しかし、悪魔との契約が厳罰化された今なお、秘密裏に売買される粗悪な契約道具による違法契約者は生まれ続け、それによる犯罪もまた増える一方であった。

 増え続ける契約者犯罪への対応として、国連は契約者犯罪専用の警察組織、Demonized Phenomenon Abatement INstitution(悪魔化現象減殺機構)通称『D-PAIN(ディー・ペイン)』を編成した。

 D-PAINは『毒を持って毒を制す』という理念によって結成された戦闘部隊であり、故にそこに所属する実働戦闘員(エージェント)もまた、悪魔との契約能力者である。

 それが俺の所属する組織である、というわけだ。


 ビルが立ち並ぶ東京の街並み、その一角、人気の少ない立体駐車場。その中層階の隅で、二人の男がコソコソと会話をしている。片方はスーツを着たチンピラ、もう片方はうだつのあがらないサラリーマンという感じ。

 どう見ても接点のなさそうな組み合わせだが、だからこそビンゴだ。

 その二人を少し離れたところに駐車された車の物陰から見張る俺と陽菜はお互い目を合わせ、コクンと小さく頷いた。

 頷きに陽菜のミディアムヘアが揺れ、ふわりと柑橘系の良い香りが漂った。切れ長の目と筋の通った鼻ときれいな桜色をした唇。

 ぼんやりすると今目の前にいるのは幼馴染兼妹ではなく刑事ドラマを撮影している売出し中の女優なのかも、という錯覚をしそうになる。

 しかしこれは当然撮影ではない。

 間違いなく、違法の契約アイテムを法外な値段で売りつける売人とそれを買いに来た客だ。

「これが、悪魔との契約アイテム」

「そう、賢者の契約書(ソロモンのゆびわ) 」

 離れた位置にいるため、会話までは聞き取れないが動作を見ればやりとりは想像できる。

 スーツを着た売人は仰々しいジュラルミンケースをそっと開け、中にズラリと並ぶ契約アイテムである “賢者の契約書” 、通称 “指輪” を客に見せる。

 “指輪” と呼ばれているが、実際には小型の注射器のようなサイズ感で細長い四角錐をしている。あれを体にぶっ刺すことで悪魔と契約を行うのだ。

 しかも指輪の側面にはいかにも呪術アイテムといったような謎の文字なのか記号なのかよくわからない模様がビッシリと刻まれており、それが細かく走る血管のようにも見える。

 その日常では見かけることのない異様なデザインに、客もまたゴクリと生唾を飲み込む。

「これで俺も悪魔との “契約者” に……。へへ……へっへへ」

契約者になれる嬉しさからか、妄想の世界に入り込んでいるようだ。

「ようやく、これであいつをぶっ殺してやれる……」

 そろそろ頃合い、か。

 客が売人におそらく札束が入っているであろう封筒を渡し、代わりに契約アイテムを受け取ろうとしたそのタイミング。

「そこまでだ! 賢者の契約書の売人!」

 体を隠していた車体の影からスッと出た俺は大きな声で乱入する。その背後では眉を下げた陽菜が小さくため息をついた。

 あ、あれ? 陽菜の反応が俺が思っていた反応と違うぞ?

「ちっ! D-PAINか!」

「け、けけけ警察ッ!?」

 腰を抜かす客と、慣れた手つきでジュラルミンケースを閉じ、さっと逃げ出そうとする売人。こちらの二人の反応は俺の想像通りだ。

「むむ。逃がすか」

 俺も負けじと売人の方へ駆け出す。

 その後ろを同じく追従する陽菜がぼやいた。

「桃也……。なんでこんな離れた場所で名乗り上げちゃうの」

「え、だって、刑事ドラマって大概こんな距離感じゃない?」

「もっとこっそり近づけば追いかけなくてすんだんだよ」

「あ、そっか。すいません」

 陽菜は再度ため息をつくと、今度は右手を前方に突き出し手のひらを空に向けた。

「出ておいで、“バエル”!」

 陽菜の掛け声とともに掲げた手のひらの上に、不思議な生き物がバシュッという音を立てて出現する。

 それは一見すると手のひらサイズの白いオコジョだ。

 だが、通常のオコジョと違うのは尻尾の部分。体全体の白い毛並みは尻尾にはなく、代わりに甲殻類のような硬そうな質感をしている。また一定の太さではなく、丸が連なったような節くれだったメリハリの有る形状をしており、末端は大きく膨らんで先端は注射針のようになっている。

 そう、つまり体はオコジョだが尻尾だけサソリなのだ。

 これが陽菜が契約し、陽菜だけが使役する悪魔 = バエルだ。

 陽菜の手のひらに現れたバエルは、肘、肩、頭とトントンと勢いよく陽菜の体を駆け上っていく。

 そして陽菜と俺の目線の先にいる売人の方に体を向けると、キシャーと威嚇するような声を挙げて尻尾を向け、先端の針部分から弾丸のように透明の液体を発射した。

 ビッビッ!という空を切るような小さい噴出音とともに弾丸のように飛んでいく液体は売人──ではなく、売人の数メートル先の足元に着弾する。

 着弾した液体は何かの化学反応でも起きたかのようにぷくぷく丸いドーム上に膨らんでいく。

 まるで地面に落ちたシャボン玉だ。

 しかし、走ることに必死な売人は膨らんだシャボン玉?の存在に気づかない。

 そのまままっすぐ走り込み──

「グゥアバッッッ!!」

シャボン玉の一つを踏んづけ盛大にずっこけた。

 シャボン玉の弾力に足を滑らせ失敗した前宙のような形で顔面を地面に打ち付け、謎の奇声を上げて気絶。

 抱えていた契約アイテムの入ったジュラルミンケースは売人の手から離れ、滑るように数メートル先へ転がっていった。

 大の大人が踏んづけても決して割れないシャボン玉。それが陽菜が契約した悪魔、バエルの能力だ。

「……」

 追いついた俺たちは白目を剥いて沈黙する売人の覗き込む。

「確保」

 淡々と陽菜がそう言い、売人に手錠をかける。

「今日もまた難事件だった」

「桃也は何もしていない」

「真実はいつも一つ!!」

「……」

 ふぅ。勢いでどうにかごまかせたか(ごまかせてない)。

 でも、今日もまた何もできないまま終わってしまったな。

 陽菜は俺に冷ややかな目を向けながら売人が落としたジュラルミンケースを拾おうとそちらへ向かう。

 しかしその側面、滑っていったジュラルミンケースのすぐ近くに駐車されていた大きいワンボックスカーのスライドドアが音を立てて開き、中から謎の大男がぬっと顔をだす。

 大男は、何を言うでもなく右手を肩の高さまで振りかぶり、いきなり殴りかかって来た。

「陽菜ッ!」

「──ッ!」 

 俺はとっさに駆け出し、間一髪で陽菜を抱きかかえて横に飛び退く。

 大男が振りかぶった拳は空を切り、コンクリートの地面を殴りつける。

 パァァァンッ!

 破裂音とともに炸裂する駐車場の地面。

 いきなりの展開に俺も陽菜も目を見開いた。

 筋肉質で大柄の男の右腕はまだ地面に垂直に突き立てたままだが、地面はその男の右腕を中心に、指でつつけば今にも崩れ落ち、大穴が空きそうな大きな亀裂が入っていた。

 拳と地面の間からはプスプスと煙が上がっている。

 大男がゆらりと泰然たる仕草で拳を地面からあげ、体勢を正して顔をこちらに向ける。

 その背後には、ぎょろりとした目玉のついたムカデのような悪魔が漂っている。

 大男の悪魔だからなのかムカデのような悪魔も悪魔にしてはまぁまぁ大きい。

「ちっ、避ぉけられちまったかぁ」

「あ〜、売人さんのお仲間っすか?」

「お前らぁD-PAINとかいうケーサツだろぉ? 最近お前らの取締が厳しいもんでぇよ、俺みたいな用心棒がこいつみたいな売人に雇われるんだわ」

 大男はそう言いながら俺たちに背を向け、気絶した売人の方に歩いていく。

 はっきり言って隙だらけの背中だったが、だからこそ迂闊に飛び込んでは行けない気がした。

 この大男はかなり手練れ感ある雰囲気を醸し出している。

 そう考えたのは多分俺だけなく、陽菜もだ。

「ほら、おい起きろよぉ」

「う、うぅ……」

 コンコン、と足で気絶した売人を小突く。

 しかし売人が起きる気配はない。

「しゃあねぇなぁ」 

 足で小突いても売人が起きる気配を見せないので、再びこちらに戻って来る大男。

 目線は俺たちではなく、俺たちのすぐ近くに転がっているジュラルミンケースだ。

 気だるそうに売人のジュラルミンケースを拾おうとする。

 ──が、大男はそれを拾うことができなかった。

「おおぅ? なんだぁこりゃぁ?」

 ジュラルミンケースはシャボン玉に包まれている。

 男が俺達に背を向けて売人へと歩いている間に陽菜がバエルにシャボン玉で包ませたのだ。

 大男は両手で力任せにシャボン玉をグニグニするも、形が変わるだけで割れる気配はない。

「私のシャボン玉は私以外に割ることはできない。あなたは、そのケースに決して触れない。だから大人しく──」

「投降しろってかぁ? 冗談だろぉ? 面白くなってきたじゃんよぉ。お前をぉ、殺す理由ができたじゃねぇのぉ」

 陽菜が言い終わる前に言葉を被せてくる。

 嬉しそうな口ぶりとは裏腹に目は血走り、身体は怒気に満ちている。明らかに狂人のそれである表情に、気負される陽菜。

「──!」

「陽菜は下がって」

「桃也」

「ここからは俺が相手っすわ」

 かばうように陽菜の前に立ち、大男の視線を真正面から受ける。

 そう、ここからは俺の出番だ。

「なら出しなぁ、テメェの悪魔を! 俺の悪魔 “ムシュマッヘ” は右腕を中心に爆発を起こす能力よ。どっちが強いかタイマン勝負と洒落込もうやぁ」

「──!?」

 ムシュマッヘ!? コイツ、ムシュマッヘの真柴か!

 ムシュマッヘの真柴と言えば、ここ最近、契約犯罪者や売人の間で名前を聞くようになった契約者の指名手配犯だ。

 やたら好戦的で契約者同士の勝負をしたがると聞いている。

 確か、現状わかっているだけで四人の殺人に関わっているはずだ。

 関わっているはず。という認識だったがこの人となりを見るに真柴が殺したということで間違いなさそうだ。

 とんだ大物が釣れてしまった。

 じわりと額に冷や汗が滲む。

 心臓が高鳴る。

 三ヶ月前に陽菜とD-PAINに入ってから毎日戦闘訓練はしている。

 例え初めて戦う契約犯罪者がこんな大物でも怯んではいられない。

 大丈夫。俺と俺の悪魔は戦える。

 ぎり、と音がするまで握り込んだ両拳を胸元まで上げ、戦闘態勢をとる。

 俺の戦闘態勢に反応するように、ゆらぁりと右腕を胸の前に掲げ構える真柴。

 さながら西部劇のガンマンが決闘するような緊張感だ。

「来い……。アラガミッ!」

 俺の掛け声とともに、俺の背後の空間が歪み、飛び出てくる一つの影。

 対峙する真柴も、ただならぬ緊張感にゴクリと唾を飲んだ。

「は〜い、なのダ!」

 満を持して姿を現す、俺の契約した悪魔 “アラガミ”。

 勢い良く出てきたその悪魔は、もったいぶった予想に反してゆるキャラのような出で立ちをしている不思議生物だった。

 悪魔です、と言わんばかりの黒い角こそ生えているものの、まんまるの頭に点のようなつぶらな黒いひとみとポッカリと空いた間抜けな口。鼻はない。

 そして、なによりも二頭身のぽってりボディにちょこんと生える短い手足が、悪魔としての緊張感を限りなくゼロにしている。

 どう見てもただのしゃべるぬいぐるみ。

「「「……」」」

 パタパタ ←宙を浮く羽音

「ふぅははっ! かわいい悪魔だなぁおい。なでてやるぜぇ!」

 言葉と相反する殺意を漲らせる真柴がズンと一歩こちらに踏み出してくる。

 真柴の悪魔、ムシュマッヘは真柴の右腕にとぐろを巻いて絡みついており、ちょうど殴ったときに拳が当たる箇所を覆うようにムシュマッヘの頭部が張り付いている。

 なるほど、インパクトの瞬間にムシュマッヘ自身が起爆する、というのが能力ようだ。

「来るぞっ!」

「はいナ! んんん〜〜〜ッ!」

 アラガミが身体を縮こませ、力を蓄えるような素振りを見せると、それに共鳴するように俺の右腕の肘から先がメキメキと音を立てて変形していく。

 鋭い爪に大粒の黒い鱗のような硬い装甲が幾重に重なり俺の右手を覆う。

「それがてめぇの能力か。俺のムシュマッヘと似てるなぁ!」

 そう、俺も真柴も奇しくも同じく右手への “憑依型” の契約能力だ。

「オラァっ!」

 振りかぶった拳を俺の顔面めがけて叩き込もうとする真柴。俺もまたそれを受け止めるべく、装甲に覆われた右腕を前へ突き出す。

 パァアアン!

 インパクトの瞬間、先ほど地面が爆ぜた時と同じ激しい音がなる。

「──ッつ!」

 真柴の突き出した正面からの一撃を眼前で受け止める。

 アラガミの能力によって装甲をまとい、強化された俺の右腕は、駐車場のコンクリートをクッキーのように粉々にするムシュマッヘの一撃に耐えている。

「俺のムシュマッヘの爆発に耐えるなんてやるじゃあねぇのぉ」

 真柴は感心した様子だ。

「打たれ強いのが、売りなんですわ」

 だが、アラガミの能力はただ腕を頑丈にする、というだけではない。

 俺は真柴の拳を掴んだまま、右腕を眼前から胸元までおろし、万力の様に静かに力を込めてていく。

 みしみしと真柴の拳が軋む音がする。

「おっ? おっ? なるほどねぇ力自慢かぁ」

 アラガミによって強化された俺の右腕は真柴の様に起爆するわけではないが、その代わり、硬く力強い。

 この腕で殴ればどんな屈強な男とて一撃で気絶するだろうし、そうでなくても真柴の腕をつかめれば、二度と拳を握れなくなるように捻り潰す程度はわけない。

 真柴の腕は太い。おそらく、契約犯罪者になる前からつねづね身体を鍛え上げていたのだろう。

 そんな筋骨隆々な真柴ですら、俺の強化された右腕には赤子のようなものだ。

 ムシュマッヘの能力が殴った瞬間に起爆することなら、もう殴らせなければ良い。

 このまま、真柴の拳を握りつぶしてや──

「ぐがっっ!」

 瞬間、眼の前で火花が散ったような鋭い光を感じ、おでこから鼻先にかけて激痛が走る。

 頭突きだ。

「桃也!」

 背後の陽菜の声で我に返る。ハッと眼前を見れば真柴が次の一撃を繰り出そうと再び振りかぶっていた。

 どうやら、不意に真柴の頭突きを食らったせいで掴んでいた拳を離してしまったらしい。

「くっ!」

 呼吸を吐き出すとともに体を捻って真柴の一撃をかわし、自分も殴り返し、それをまた真柴が避け、さらなる追撃を繰り出す。

 お互い、一撃が致命傷にいたる。

 初手の攻撃でそれがわかったことで俺と真柴は今度はいかに相手の拳を躱すか、という動きになっていく。

 お互い致命傷になりうるのは右腕だけだが、攻撃は左腕や足も含めた全身だ。それらは右腕だけに意識を割かせないための囮。

 それがわかっているだけに、右腕に注力し、それ以外の攻撃はある程度被弾しながら肉弾戦を続ける。

 そうなってくると、お互い契約能力ではなく単純なフィジカルが物を言う構図になってしまう。

 百八十センチを越える身長と頑丈な体は俺の数少ない自慢の一つだが、そんな俺と比較しても真柴は二回りほど体が大きい。

 右腕以外の攻撃も極力躱し、捌ききれない攻撃はせめて致命傷を避けるように被弾する。が、体格差により形勢が傾いてきている。

 まずい。だんだん捌ききれなくなってきた。

「うぐッ!」

 真柴の左腕が俺のみぞおちに突き刺さる。

 しまった、良い一撃をもらってしまった。

 こらえきれずによろめき、後ろへ数歩下がる。

 すると、ドンと背中に無機質な冷たく硬い感触を感じる。

 それは駐車場に点在するコンクリートの支柱だった。

「おら……よっ!」

 俺が背後の柱に気を取られた一瞬。真柴は会心の一撃を放つ。

 大きな爆裂音とともに粉砕されるコンクリートの柱。

 既のところで腰を落とし、尻もちのような体制になることで躱すことができたが、同時に体制を崩してしまった。

「そろそろ本気を出してみようかぁ!」

 言うやいなや、真柴はここが勝機と言わんばかりに一度身を引き、スゥと息を大きく吸い込んで再度殴り掛かる。今度は右腕のみの連撃である。

「ほらほらほらぁ! もっと頑張れよぉっ!」

「とっ……とと!」

 繰り出される右手の爆発は先程よりも大きくなっていき、あたり一面に破裂音がこだまする。

 まさかまだ余力を残していたとは……。

 一方で俺は体制を崩してしまって、なんとか避けるのに精一杯だ。

 そしてこれ以上躱し続けるのは難しい。次の一撃は受け止めるしかない。

 しかしそれは反面チャンスでもあるはずだ。その一撃の刹那、やつの拳を掴むことができればそのまま一瞬で握りつぶしてやる。

 真柴が再び息を大きく吸い込む。

 直感で感じる。これが本当の全力だ。

 俺のこの右腕の装甲は本当に耐えられるだろうか。いや、四の五の考えずにやるしかない。

「フルパワーの爆発だぁ、耐えられるかぁ?」

「…………ッ!」

 お互いの拳同士がぶつかり、今日一番の轟音が駐車場に響く。

「ぐあぃっッ!」

 醜い悲鳴をあげたのは俺だった。

 真柴とムシュマッヘが放つ最大の爆発に、受け止めた俺の右腕の装甲がまるでガラスが砕けるような甲高い音を立てて粉々に砕け散った。

 装甲が剥がれ落ち、本来の俺の右腕が丸見えになる。

 手のひらはところどころ裂傷や火傷ができている。

 どうやら装甲を破壊してなお、衝撃を殺しきれなかったらしい。

 むき出しになった右腕に先程までの力強さはなく、だらりと垂れ下がった。

 装甲が破壊されたからではない。俺の右腕がもとの不自由な状態に戻っただけだ。

「ふははぁ! どっちの矛が強いか勝負は俺の勝ちだなぁ?」

「くっ」

 心底うれしそうにねっとりとした笑顔を向ける真柴。

「そしてこれでぇ、ゲームオーバーだ」

 笑顔から一点、氷のように冷たい目の色をして右腕に力を込める。

 蜃気楼のように周囲が歪んで見えるほど禍々しい雰囲気を右腕と、そこに巻き付いたムシュマッヘが放つ。

「死ね」

 最後の一撃を振りかぶったその瞬間、ズルリと音がして大きく体勢を崩す真柴。足元を見れば、真柴の膝から下が自分の影の中に沈んでいる。

「なっ、なんだぁこりゃぁ!? か、影が俺の足をッ!」

 沼のように影の中に体が沈んでいく光景に、焦りながらじたばたと真柴がもがく。

 駐車場の柱の影から、ぬめり気のある静かな音を立てて影が盛り上がり、人が出てくる。

「確かに、ゲームオーバーだね」

 黒髪のロングヘアをたなびかせて現れたのは、俺たちと同じくD-PAINから支給される制服を羽織った女性だった。

 俺や陽菜の制服はジャケットタイプだが、眼の前の女性はロングコートタイプだ。ロングコートの下に着込んだ戦闘服はぴっちりと肌に張り付くような形状をしているため、彼女の人並み外れて整ったボディラインを強調している。

 そしてその顔立ちは陽菜そっくりだ。

 いや、陽菜がこの人に似ている、というのが正しいんだろうけど。

「小夜ねぇ!」

「姉さん」

「やほー二人とも」

 声の主は陽菜の実の姉、小夜だった。

 そして俺にとっても血の繋がらない姉であり、俺たちD-PAIN見習いコンビの先輩にして上司でもある。

「仲間がいたのかよぉ」

 誰だか知らない人物の登場に置いてけぼりを食らった真柴がうんざりした声で呟く。

「指名手配犯の真柴篤実。そこで伸びてる売人と合わせて逮捕します」

 小夜ねぇはコツコツと余裕の感じられる足取りで真柴の方へと歩いていく。

「くっ……逮捕の前に一つ良いかぁ?」

「はい、なにかな」

 緊張感なく喋りながらロングコートの内ポケットから対契約者専用の手錠を取り出し、指に引っ掛けてくるくると遊ばせ始める小夜ねぇ。

 言外に、時間の無駄だから早くしてね、という仕草だ。

「油断して近づきすぎだぜ! お嬢ちゃんよぉ!」

 言うやいなや、すでに腰辺りまで沈んだ真柴の眼前に立つ小夜ねぇの足を左手でつかむ。

 そのままムシュマッヘの巻き付いた右腕で殴って形勢逆転!というのが真柴が思い描いた筋書きだろう。

 ただ、小夜ねぇはそんな手が通じる相手ではないのは俺も陽菜もわかっていたので、何も言わず傍観モードだった。

「はっはぁ! このまま足から下全部吹き飛ばして──」

「イズレエル」

「や……る……っる? あ、ああん? なんだ? この……くそっ……手が……」

 小夜ねぇの足を掴んでいたはずの真柴の左腕は、ブルブルと震えながらゆっくりと開いていき、捻り上げられるように自分の肩方向へ戻っていく。

「てめぇが……やってるのか……これはぁ!」

 真柴の肘関節には触手のように伸びた黒い影がぐるぐると巻きついている。

 どうやら小夜ねぇの悪魔 “イズレエル” が真柴の腕に絡みつき、無理矢理支配している様だ。

 真柴の影の中で単眼の黒い何かが蠢いている。影に潜伏し、人やモノを影の中に引きずり込む。それがこの黒い泥、あるいは黒い靄のような形を持たない悪魔の能力だった。

「くそぅ……やめろっ……ッ!」

 振りほどこうと全力を込めて抗っているのだろう。額や腕に血管を浮かばせているが、それでも全く逆らえておらず、外側からの圧力で自由を奪われるさまはタコの触手によって絡め取られるカニのようだった。

 真柴の右腕はイズレエルに操られ緩やかに、しかしブルブルと震えながら自分自身の頭に拳を向けた。

「おい! やめ──」

 パチン。

 指パッチンの合図とともに、シュルンと右腕に絡ませていたイズレエルの拘束を解く小夜ねぇ。

 目一杯まで引き絞ったゴムが解き放たれるように真柴の右腕は込めた力の分だけ勢いよく自身の頭を殴りつける。

 ボムン!と小さい爆発音を上げて炸裂する真柴の頭。

「ごはっ」

 まるで古のコントの様に口から煙を吐き出して倒れ込む。

 頭はこれまたお約束のようにチリチリのアフロヘアになっていた。

 いや、爆発って本当にこんなになんの?

「ふぅ! 二人ともお疲れさま〜」

 ため息をついて髪をかきあげながらこちらに向き直り、ねぎらいの言葉をかける小夜ねぇ。

「姉さん……うん、ありがとう」

 ねぎらいの言葉に素直に感謝をのべる陽菜。

 一方、俺はというと少しだけ複雑な気持ちだった。

「小夜ねぇ、どうしてここに?」

「最近は売人自身が契約者のケースも増えてきたから。お目付け役にって所長がねぇ〜。まさか指名手配犯を用心棒にしてるとは思わなかったけど」

「ぬぅ」

 自分の不甲斐ない結果と、それを見透かされた上で小夜ねぇをお目付け役にされていたのかと思うと、しょっぱい気持ちになる。

 戦闘特化の能力を持つ自分が苦労して戦っていた相手を、後から入ってきた小夜ねぇが鼻歌交じりに無力化したのも俺の心にトゲとして突き刺さる。

 俺の好きな人は、こんなにも遠い。

「モモちゃんも陽菜もまだ見習いなんだから当然だよ〜。むしろ指名手配犯相手によくやったと思うよ。だから腐らないでね」

「……あい」

 やさしく微笑んでフォローしてくれる小夜ねぇ。

 言いながら俺の頬を拭う。どうやら戦っている最中に爆発の煤を顔につけていたらしい。

 いくら家族同然の距離感とはいえ、こんなことされたら恥ずかしい。

 顔を赤くして照れる俺と、そんな俺をジト目で見る陽菜。

「それで? どうするの?」

「え? 何が?」

 唐突な話の切り替わりについていけず、首をかしげる俺。

 陽菜もまたきょとんとしている。

「指輪を買おうとしていたお客。逃げちゃったよ? もしかして戦いに夢中で忘れちゃってた?」

「「あ!!!」」

 俺と陽菜が同時に声を上げる。

 わ、忘れてた!

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