窓割ったのだあれ

香久山 ゆみ

窓割ったのだあれ

 ガシャン!

 すぐ近くで音がした。あ、と思ったけれど、ソウタは動くことができなかった。非常階段の隅で小さくなったまま息を潜めていると、パタパタと足音は遠ざかっていった。


「多目的室の窓ガラスが割れていました。あそこはほとんど三年生しか使いません。誰が割ったのかしら」

 昼休みのあとの授業始めに、先生が言った。

「割ってしまった人は、正直に手を上げてください」

 低い声で言うが、教室はしんとしている。

 ソウタはちらっとクラスメイトの様子を見たが、皆いちように俯いている。ソウタも慌てて俯いて、机の木目をじっと見つめる。

 はあ、と先生は大きな溜め息をつく。

「誰か、どうして窓ガラスが割れたのか原因を知っている人はいませんか? 昼休み、誰か割れたところを見なかった?」

 しーん。

 はあ。静かな教室に、溜め息が響く。国語の授業はまだ始まりそうにない。

 ソウタは絶対に先生と目が合わないように、下を向く。両手は机の下の膝の上に置いて、息を止めて、まるで石像みたいに固くなる。

「あのね、先生は怒っているんじゃないのよ。ええと、いや、もし誰かが知ってて黙っているなら少し怒っていますけれど。窓ガラスを割ってしまった子がいるなら、ケガしていないかって心配しているのよ」

 あっと思って、斜め前の席のふくらはぎをそっと見つめる。さいわい、半ズボンから見える素足に傷はないし、白い靴下にも血のあとはない。半ズボンのタケトは先程からじっと俯いたままだ。

「わかりました、誰も知らないのね。それでは国語の授業を始めます」

 ほかの学年にも聞いてみます。けど、わからなければ、帰りの会でまた皆に聞きます。

 先生がそう言って、授業が始まった。けれど、いつもと違って何となく不気味に静かで、鉛筆を落とした音さえ教室中に響いてドキドキした。その日は、ソウタもタケトも本読みが当たらなくてよかったと思った。


 昼休み、いつものメンバーでかくれんぼした。

 ソウタは三年生の教室の廊下を曲がった先にある、特別棟の方へ逃げた。

 十秒数えてから、教室の方で鬼に見つかってわあわあ騒ぐ声が聞こえた。ソウタは非常階段の陰で息を潜めた。

 しばらくして、鬼のタケトがこっちに向かってきた。どうやら、あと見つかっていないのは、ソウタとヒロシだけのようだ。

 多目的室の前まで来たタケトが、靴箱の上に乗った。そこからなら、教室の中も覗けるし、中庭の様子も一望できるから。

「ちぇっ」、誰も見つけられなかったのか、タケトの舌打ちが聞こえ、ザッと靴箱から飛び下りる音が聞こえた。瞬間、「ガシャン!」とガラスの割れる音が響き、すぐあとにタケトの靴が廊下に着地した音が聞こえた。

 飛び下りる拍子に、教室の窓ガラスを割っちゃったんだ!

 すぐにそう思ったが、ソウタはそこから動くことができなかった。出ていって、一緒に怒られたらどうしよう。そう思っている間に、タケトの足音は遠ざかり、そのままソウタは何も聞かなかったことにしたのだった。


「誰か、どうして窓ガラスが割れたのか知りませんか?」

 帰りの会で、先生はまた言った。ほかの先生に確認してもらったけれど、どの学年も割れた窓のことを知っている子はいなかった。

 ちらと視線を上げると、タケトは下を向いて無反応のままだ。

「勝手に窓ガラスは割れません」

 先生は言った。

 多目的室は中にも廊下にもほとんど何も置いていないし、窓も閉まっているから風で何か飛んでくることもない。防火扉は点検中のため、別の階から三年生の教室の前を通らずに多目的室まで行くことはできない。

 教室がしんとする。

 先生も何も言わない。誰かが正直に言わないと終わらない。ひしひしそう伝わってくる。

 ぐすっ。

 教室のどこかで、女子の誰かが泣き出した。空気がいっそう重くなる。いたたまれない。

「ねえ、誰かは事情を知っているはずです。先生はそれを聞きたいだけ」

 斜め前のタケトはぴくりとも動かない。

 すっ。

 静かな教室に、一本手が挙がる。

 クラス中がその手に注目する。ソウタは顔が真っ赤になる。

「あの、昼休みにかくれんぼをしていた時に、割れてしまいました。ごめんなさい」

 先生の眼鏡がじっとソウタを見つめる。

「ソウタくんが割ったの?」

「いえ、あの、ぼくじゃないけど……」

 おろおろしてしまう。

「じゃあ誰が割ったのかしら」

「……」

 さすがにそれは言えない。

「なら、一緒にかくれんぼしていたのは誰?」

「ええと、タケトと……」

「おれは知らねえ!」

 ソウタが言うより先に、タケトが声を上げる。そんなあ!

 絶望していると、もう一本手が挙がった。ヒロシだ。

「ぼくも、一緒に遊んでいました。かくれんぼで走り回っている時に、たまたま何かに当たったのか窓ガラスが割れてしまいました。ごめんなさい。夢中で逃げたから、何で割れたのかはよく分かりません」

 なあ? とヒロシがソウタに同意を求める。

「う、うん。そうです」

 とソウタも答える。

「分かりました。それじゃあ、ソウタくんとヒロシくんは帰りの会のあと、先生と一緒に窓ガラスの片付けを手伝ってください」

 それでようやく終わりの挨拶になった。


 皆が帰ったあと、ソウタはヒロシと多目的室に向かった。先生は一度職員室へ戻った。

「タケト、帰っちまったぜ。ひどいよなあ」

 ヒロシが言った。

「えっ」

「ソウタも見てたんだろ。タケトが割ったの」

 多目的室の前に到着すると、すでに割れたガラスの破片はすっかり片付けられていた。

 厚紙とガムテープを持って先生が戻ってきたので、二人の話はいったん中断になった。

「二人とも、厚紙おさえててくれる?」

 先生が厚紙を窓枠に当てる。ソウタとヒロシは背伸びしてそれをおさえる。先生が手際よくガムテープで厚紙を止める。

「これでよし」

 昼休みに無惨に粉々になっていた窓ガラスは、あっという間にふさがれた。

「ありがとうね。二人とも帰っていいよ」

 先生があっさり言う。

「えっ、帰っていいの」

 思わず聞き返す。てっきり、こってり叱られると思っていたから。

「先生一人じゃ上手く窓をふさげないから、手伝いがほしかったのよ。二人ともさっきごめんなさいって謝っていたじゃない」

 だからもういいのだと先生は笑った。

「ただ、次はすぐ報告しなさいよ。ケガしていないか心配だし、割れたガラスを放ったらかしてほかの子がケガしたら困るでしょ」

「はい」

 と返事すると、先生は校門まで送ってくれて、本当にそれでおしまいだった。手伝ったお礼にと、飴玉までもらった。

「もっと叱られると思ったのに……」

 帰り道、ソウタは気が抜けたように呟いた。

 家に帰ってから食べましょうと言われた飴玉を、二人ともぽいと口に入れた。ソーダ味の飴は口の中でシュワシュワして、ソウタは目を細めた。

「先生はわかってるんだよ。本当は誰が窓ガラスを割ったのか」

「えっ」

「ぼくも、タケトが窓ガラス割ったの見てたって言ったろ。どこから見てたと思う?」

「ええと」

 校舎の地図を思い浮かべる。非常階段はソウタしかいなかった。多目的室は廊下の奥だから、教室からは見えない。だとすると……。

「ぼくは、中庭を挟んだ向かいの校舎に逃げていたんだ。そこから見てた」

「なるほど」と言ってから、ソウタは「あっ!」と声を上げた。

 向かいの校舎に、あまり誰も逃げないし、鬼も探しに行かないのには理由がある。職員室があるからだ。

 ヒロシは職員室の横のトイレに隠れていたらしいが、先生だってきっと職員室から教室の方を見ていたはずだという。昼休み終わりのチャイムが鳴る少し前の出来事だったから。

「そっか……」

 先生が本当のことを知っているはずだと思うと、安心してふっと肩が軽くなる。

「そんなら、明日タケト怒られちゃうかな。ちゃんと一緒に謝ろうって誘ってあげればよかったな」

 ソウタが言うと、ヒロシが驚いたみたいに目を丸くしている。

「どうしたの?」

「いや……。お前、いい奴だな」

 そう言ってヒロシはソウタに飴玉をくれた。

 明日は皆でドッジボールしよう。と約束して、「また明日」と手を振り合って家に帰った。

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