第2話 通り魔殺人
時代というのは、想像以上に長かったり、短かったりする。実際に、本当の時間の長さがその時々で違うのか、それとも、人それぞれに感じ方が違うのか?
いろいろな考え方もあるが、しょせん、人のことが分かるわけもなく、あくまでも感じているその人一人一人で違っているのだ。
だから、
「長かったり短かったり」
と時間を曖昧に感じるのであれば、それは、感じているその人が、
「精神状態によって、感じ方が変わってくる」
ということに違いない。
そんなことを考えながら、島崎みゆきは、閑静な住宅街を自宅に向かっての、帰宅途中だった。
彼女は、今年25歳になる。短大を卒業して、OLとなってから五年目という、女性事務員の中では、
「中心的存在」
といってもいいが、まだまだベテランというところまではなかった。
特に今の時代、
「寿退社」
などというのが珍しくなり、
「結婚して退職する」
という人はほとんどおらず、子供ができた時、
「出産と育児に休暇をもらう」
というのが、一般的になってきた。
しかも、最近では、
「旦那の方にも、育児休暇を認めないといけない」
などという法律もできる時代になってきたのだ。
確かに、今までのように、
「育児や家事は女がするというのは昔の悪しき伝統」
ということが言われるようになってきたが、果たしてそうなのだろうか?
昭和の頃のような、
「バブルが崩壊する前」
というと、
「旦那が表で働いてきて、奥さんが専業主婦」
というのが当たり前だった。
だから、女性は結婚適齢期に結婚して、しかるべき年齢で子供を産むのが当たり前で、生むのが遅れると、高齢出産ということになり大変だと言われていた。
だから、男性も女性も、結婚適齢期には、
「結婚しないといけない」
という気持ちが大きいからなのか、結婚を焦る人が多かった。
ただ、実際には、本人たちよりも、親の方がその気持ちが強かったかも知れない。
「子供には、ちゃんと結婚して、普通に人並みの結婚生活を送って幸せになってほしい」
と考えていたのだろう。
要するに、
「普通に人並みであれば、それが幸せなのだ」
という、今からでは考えられないような、凝り固まった考えだったといってもいいだろう。
そういう意味で、親は子供に自分の考えを押し付ける。
そうなると、
「まったく正反対」
というものを考えている親がいる家庭も中にはある。
子供が、会社に入社してから、一年目か二年目くらいで、
「結婚したい人がいるから、今度連れていく」
と言った。
その子供は男の子で、大学を卒業してからの、まだ新入社員といってもいい年であったが、年齢としては、25歳であり、
「結婚適齢期と言えば結婚適齢期だ」
といってもいいだろう。
しかも、父親からは、
「結婚したいと思う人がいれば、連れてきなさい」
と前から言われていたので、自分が結婚したいと思った相手を連れていけば、
「おお、この娘が」
といって、喜んでくれると、勝手に思い込んでいたのである。
彼は、入った会社で赴任先が、家から通えるところではなかったので、会社が、
「借り上げ社宅」
のような形をとってもらって、そのアパートに住んでいた。
だから、
「親に彼女を遭わせる」
ということになると、
「簡単にちょっと行ってくる」
というわけにもいかず、会社の休みを利用して、お互いにコンタクトを取ってということになるだろう。
息子として、自分が中心になって、段取りを組み立てていたつもりだったが、親が、なかなか折り合いをつけずに、なかなか会おうとしない。
自分に、
「気に入った子がいれば、連れてこい」
といっていたのだから、まさか、曖昧にごまかそうとしているなどとは思いもしないので、ビックリしていたのだ。
だが、父親は、あくまでも、
「会うことを拒否している」
と感じるようになると、息子は自分の今の立場に焦ってくるのであった。
彼女に対しては、
「うちの父親は、頭が柔らかいので、分かってくれる」
といっていただけに、この仕打ちは、息子にも分からない。
「一体、どういうことなんだ。遭ってくれる気があるんじゃないのか?」
と、文句をいうと、
「お前はまだ入社してすぐに新入社員じゃないか。そんなお前が今は仕事のことだけを考えないといけないんじゃないか?」
と言い出すではないか。
「それとこれとは別だ」
と当然のごとくいうと、
「だから、わしは、彼女に会うわけにはいかない。本来なら、会社で仕事に集中しないといけないお前は自分の立場を分かっていない」
と頭ごなしだった。
「いやいや、仕事は一生懸命にやっているじゃないか。それこそ、お門違いというものだ」
といって、喧嘩になってしまった。
息子としては、それでも、
「彼女に、すぐに理解してくれる父親」
ということで話をしている手前、
「ここで喧嘩をしてしまうと、元も子もない」
と考え、
「今度は彼女を孤立させてしまう」
ということになり、それだけは避けなければいけなかった。
結局、交渉決裂状態となり、彼自身が、孤立してしまい、ジレンマに陥ってしまうということになった。
二人の交際は、会社の上司の公認ということであったが、それは、会社が、
「彼女の幸せ」
ということを考えてのことだったのだろうが、やはり、それは後から考えれば、
「深いりすぎだった」
ということかも知れない。
その男性社員に対しては、
「父親一人説得できない」
ということで、あまりいいイメージを持たず、しかも、彼がそのことで悩んでしまうと、仕事が明らかに手につかない状態になると、
「いくら新入社員といっても、情けない」
というレッテルを貼られてしまったのだ。
父親とすれば、
「今は結婚など考えずに、仕事に集中しないといけない」
という目論見は、まったく崩壊したのである。
そもそも、そんな昔の考えを引きずっているのだから、うまくいくはずもない。
「父子の確執は決定的なものになった」
といってもいいだろう。
結局、会社の中で、まわりを巻き込む形で、引っ掻き回すことになってしまったことで、その男の人は、支店内では完全に浮いてしまって、転勤させられることになった。
完全に支店長が手をまわしたということであろう。
何といっても、父親とすれば、
「このようになってはいけない」
ということで、
「結婚なんて考えずに、仕事に集中しろ」
と言ったのだろうが、結果としては、正反対の、
「最悪の結果」
となったわけである。
それで、
「ああ、俺が甘かったんだ」
といって、反省すればまだしも、まったく反省するふしはなかった。
その頃の時代というと、世の中もいろいろ変わっていて、
「離婚なんて当たり前」
という時代になってきた。
結局、若い二人は、遠距離恋愛をするようになったのだが、急に、女の方から、
「もうあなたとは付き合えない」
という最後通牒を受けて、別れることになった。
しかし、男もここまで頑張ってきて、
「別れたい」
と言われ、
「はい、そうですね」
と言わるわけもない。
そもそも、女の方からも、
「しっかりしてよ」
と、尻を叩かれていた状態なのに、なんで男ばかりがこんな目に合わないといけないのかということでもあったのだ。
完全に、
「掛けられた梯子に昇ったはいいが、その梯子を外された気分だった」
ということである。
結局別れることになったのだが、何と、風のうわさに、その彼女が、男と別れてから、半年もしないうちに、婚約をしたという話が漏れ聞こえてきたのだ。
男とすれば、
「裏切られた」
と思ったことだろう。
そもそも、最初の付き合いは、男よりも、女の方が積極的だった。
男も、彼女と付き合いたいとは思っていたが、そこまで真剣ではなかったし、むしろ、
「結婚なんて、まだまだ先でいい」
と思っていたほどだ。
しかし、彼女の方から、
「結婚を前提に付き合いたい」
と言われたり、
「あなたじゃないと嫌なの」
と言われたことで、男の方も、
「冥利に尽きる」
と思ったことと、
「よし、俺が何とかしよう」
と思ったことで、舞台に強引に上がらされて、結局、踊らされただけになってしまったのだ。
男は自分が主人公であると勝手に思い込んでいたが、しょせんは、
「よそ者」
その土地自体が、
「よそ者を受け付けない」
というところがあったのだが、最初は田舎町特有の、人懐っこさに完全に騙されて。
「都会の人だ」
ということで、うらやましく見られていたと思っていたのに、実際には、品定めをされていただけで、
「ああ、やられた」
と思っても、後の祭りだったのだ。
それが、
「田舎と都会の違い」
ということであり、だから、
「別れてから半年もしないうちに、誰かと婚約」
などということになるのだろう。
その婚約が、
「恋愛によるものなのか?」
それとも、
「見合いによってできた関係なのか?」
ということは分からない。
しかし、そのどちらもあり得ることであり、どちらであっても、男にとっては、その女による、
「裏切り行為だ」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「親にしても、その田舎の連中にしても、板挟みに遭ってしまえば、結局は、どうすることもできない」
ということになるのだった。
だから、親を恨み、田舎の連中を恨み、その男は、生きていくことになった。
その時の女性の子供が、今回の被害者である、
「島崎みゆき」
の母親である、
「島崎里美」
だったのだ。
被害者である、娘のみゆきが、自分の母親にそんな過去があったということを知っていただろうか?
みゆきは、子供の頃から、
「少し他の子とは違っている」
と親から思われていた。
父親は、あまり、里美のことを好きではなかったようだ。お互いに、田舎育ちということで、結婚も親が知り合いということでの、
「お見合いだった」
ということであった。
里美も、それまでの経験から、ある程度、
「男性との恋愛には、もう疲れた」
と思っていて、
「結婚できるなら誰でもいい」
というくらいに思っていたのだった。
そもそも、相手に、結婚を煽るだけ煽っておいて、結局、
「梯子を外す」
などということをしておきながら、自分だけ、
「疲れた」
というのは、何とも虫が良すぎるといってもいいだろう。
「結婚なんて、何が嬉しいというのか、結婚することで、幸せになれたのか?」
と結婚してから、ずっと里美は考えるのであった。
確かに、
「結婚してからというのは、自由がなかった」
しかも、今まで言われてきたように、
「結婚すれば、子供を産んで、その子供を立派に育て、伴侶とは、一生添い遂げる」
というのが当たり前だと思ってきたことが、
「世の中、まったく変わってしまった」
ということになる。
というのも、
「成田離婚」
と言われる時代がくると、
「離婚なんて、別に痛くもかゆくもない」
といってもいいくらいになっていたのだ。
「初めて、結婚して夫婦として二人きりになったことで見えてきたこと」
というのがかなりあり、それが、
「すでに結婚してしまっているので、取り返しがつかない」
と普通であれば、思うのだろうが、その頃から、
「いやいや。いまだったら、いくらでもやり直しがきく」
ということで、逆に、
「どうして今までの夫婦は、こんな簡単なことに気づかなかったのか?」
と思うようになる。
「我慢して寄り添っているつもりでも、次第に自分たちを追い込んでいき、最終的に取り返しのつかないところまで追い込む」
という理屈が分かっていないということになる、
しかも、まわりが、
「離婚なんていうのは、お互いに我慢が足りなかっただけで。世間様に対して、どう申し開きをするか?」
ということになるだけであった。
それを考えると、
「離婚ありきで結婚すればいい」
という気持ちになる人も出てくるくらいであった。
となると、
「結婚適齢期だから、結婚しないといけない」
という考えもなくなってくるだろう。
そもそも、結婚適齢期に、
「結婚したい」
と思うのは、本当に、
「結婚への願望なのだろうか?」
と思えてくる。
あくまでも、男女の関係、いわゆる、
「アバンチュール」
を楽しみたいだけと考えるようになると、
「身体だけの関係でいい」
と考える人もいるだろう、
そうなると、今度は、
「独身の方がフットワークが軽くていい」
と思う人も出てくるわけだ。
そこで、
「出会い系」
などというものが出てきて、パソコンやケイタイなどを使って、簡単に知り合って、
「あとくされのない関係」
ということになる。
しかも、そこには、
「出会い系」
という知り合うためのソフトに、
「課金」
というものが絡んでくると、これが、
「悪徳業種」
ということになってくる。
「メールを見るだけで1円、相手に返事をするのに5円、」
という形で、
「これくらいなら大したことがない」
と相手に思わせておいて、実際に相手の顔が見えないのをいいことに、
「実は、その相手がサクラだった」
ということを知らずに、メールのやり取りを繰り返す。
相手のサクラも、
「相手にたくさん課金させることで、余計にバイト代が増える」
ということになると、いくらでも相手をその気にさせて、メールを送らせる。
「会いましょう」
などというメールが返ってくると、完全に有頂天になり、
「相手がサクラだ」
などということはまったく意識しないで、
「課金されている」
という意識もほとんどなくなり、どんどんお金を使うことになるのだ。
そのうちに、
「数日で、万単位の金が出ていき、気が付けば、貯金を使い果たしていた」
などということが当たり前の人が出てくる。
そうなれば、
「出会い系」
というのは、丸儲けということになるだろう。
さすがに、ここまで大ぴらになると、社会問題にもなってくる。。
頭のいい連中は、
「この辺りが潮時」
ということで、引き際を間違えずに、うまく逃げる道を知っていて、警察が捜査に乗り出すと、すでに、証拠も何もかも消えていたといってもいいかも知れない。
それこそ、
「サイバー詐欺商法」
というものの、走りのようなものだといってもいいだろう。
ただ、実際に、その時代には、テレクラなどが全盛だったこともあり、
「出会い系」
というのが、実際に社会問題になっていたというのも、事実であろう。
だから、そんな時代に、
「結婚なんて、どうせ離婚するんだったらしない方がいい」
と思うのも当たり前のことだった。
昔だったら、
「子供がほしい」
と思う人もいて、
「結婚はしなくてもいいから、子供だけほしい」
という人もいたが、それも、時代の変化が、
「そんな考えを許さない」
ということであった。
というのも、
「バブルの崩壊」
からこっち、
「母親も仕事をしないとやっていけない」
ということで、夫婦共稼ぎというのが当たり前の時代になった。
そんな時、子供を産むとどうなるかというと、
「おばあちゃんが見てくれる」
という時代であればいいのだが、
「離れて住んでいる」
ということもあったりして、子供を預けに行くのが不可能な人がどうするかというと、
「保育所に預ける」
ということになる。
すると、そんな親が急激に増えると、保育所の数にも保母さんの数にも限りがあるので、
「子供の数に比べて、全然対応が遅れている」
ということになるのだ。
そうなってしまうと、
「待機児童」
という問題が起こり、
「認可されていないモグリの保育所」
というのも出てくる。
その時はそこまで問題にはならなかったが、今の時代になると、その、
「無認可の保育園」
というのが、
「バスの中に幼児を忘れて、脱水症状で死なせてしまった」
などという事件を引き起こすことになり、そんな事態の種をその時に蒔いてしまったということになるのだろう。
だから、
「子供を作っても育てられない」
ということで、子供を作るという人が減ってきた。
となると、
「結婚なんて必要ない」
ということになるだろう。
だから、それが今の、
(いや、昔から言われてきた)という。
「少子高齢化問題」
に直結してくるということになるのだった。
「一人の老人を昔は五人くらいでっ冴えている」
と言われていたが、今の時代は、
「二人でも支えられない」
という時代になってきたのだ。
そうなると、昭和の頃は、
「定年退職を迎えると、めでたく、悠々自適の生活」
ということで、
「夫婦で世界一周」
などといっている人もいるくらいだった。
今の時代は、
「もらえるはずの年金が、働いていた頃の半分ももらえない」
ということで、
「年金だけでは到底暮らしていけない」
という時代になってきたのだ。
しかも、今ではその年金制度というのも、崩壊しているということで、
「老後はいくら今、厚生年金として納めても、年金がもらえない」
という時代が確実にやってくる。
ということである。
今でも、こんな状況なのに、将来は、完全に、
「定年退職後は、姥捨て山だ」
といってもいいだろう。
「今の政府だけが悪い」
というわけではない。
昔からの累積で、将来を考えない政治家ばかりだったということになるのだろう。
かといって、今の政治家に罪はないとはいえない。
「政治献金問題」
「裏金問題」
ニュースを賑わしているのは、そんな話題ばかりではないか?
そんな時代になり、
「実に生きにくい時代になった」
と言われるが、悪いことが減るというわけでもなく、犯罪というのは、
「決してなくなることはない」
という。
考えてみれば、
「新聞に書くことがない」
というほど、事件のなかった日などあっただろうか?
今日も今日とて、犯罪はどこかしこで起こっているということである。
今回の、
「通り魔殺人事件」
というのも、まさにそれであり、島崎みゆきが殺されたといっても、世間では、
「ああ、また通り魔殺人か、怖いわね」
とは言ってみたり、思ったりしても、結局は、
「他人事」
というだけのことである。
この辺りは、田舎というわけではない。平成の頃に、
「郊外型大型ショッピングセンター」
であったり、
「流通団地」
などというものが、郊外に作られるようになって、その近くを開発し、住宅街や、学校、病院などを作り、一つの街として、いわゆる、
「ドーナツ化現象」
と言われた時代を彷彿させるものであった。
要するに、
「都心部や、駅前というのは、家賃が高い」
ということだったのだ。
確かに、大きなターミナルの前というと、
「オフィス街」
というものが広がっていた。
しかし、バブル経済の時期、バブル崩壊後には、
「負の遺産」
と言われた、
「テーマパーク」
であったり、
「博覧会ラッシュ」
と呼ばれた時代があった。
博覧会などは、砂浜を埋め立てたりして、そこにパビリオンや遊園地などを作って、博覧会を盛り上げたというものだが、博覧会も、ほとんどが、半年ほどのことであり、問題は、
「その跡地をどうするか?」
ということであった。
つまりは、
「博覧会というものが終われば、そこを、住宅として使うか?」
と考えられたが、ちょうどその頃企業は、
「高騰してきた都心部の家賃に対して閉口していたので、郊外に、本部機能を移す方がいいだろう」
と考えていたので、博覧会跡地問題と、この、家賃問題というものを考えると、企業側と、博覧会委員会側の利害が一致したということで、
「郊外に本社機能を移す」
ということが主流になってきた。
しかし、今度は、
「物流の観点」
ということで、
「高速道路のインター近く」
というのが、一番便利がいいのではないか?
ということで、インターまわりの土地が、開発されるようになってきたのだ。
そこに、
「郊外型の大型スーパー」
ができたり、
「住宅地ができることで、学校。病院というものが移転してくる」
彼らにしても、家賃の問題が解消できるわけなので、ありがたいというものだ。
問題なのは、駅前も商店街の人たちで、中には、
「郊外型スーパーの中で、テナントとして営業している」
という人もいただろうが、しょせんは、
「昭和の時代の、商店街」
ということで商売が成り立っていた。
つまりは、
「ご近所での買い物」
ということであったが、これが、大型スーパー施設ということであれば、
「完全に場違い」
ということで、すぐに、閉店という憂き目にあったことだろう。
かといって、駅前で頑張っていても、しょせんは経営が成り立たないのは目に見えている。
彼らがその後どうなったのか。
人によって違っているから、明確には分からないが、今から思えば、
「分からないという方が幸せなのかも知れない」
今回の通り魔事件の起こったところは、
「閑静な住宅街」
ということであるが、そんな歴史によって作られた街ということで、ただ、
「通り魔殺人」
という昔からの犯罪が起こったということは、ある意味、
「皮肉なことだ」
といえるのかも知れない。
実際に、このあたりで、通り魔殺人がしばらく続いたということがあったというが、殺された、みゆきには、
「覚えのない」
ということだったのだ。
時代としては、
「みゆきが小さかった頃」
ということで、すでに、二十世紀が終わった時代であり、世の中では、
「凶悪犯罪」
というものが結構あり、昔から言われてきた
「神話というのは、まったく当てにならない」
ということがある程度確定したといってもいい時代だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます