第5話:見ていた者、見られていた者

 「人を殺してしまったんです」

 男は、その一言だけを呟いて、警察署のドアをくぐった。


 


 ――夜が明けたばかりの空。


 ライブニュースの画面が映し出すのは、男のアパート。

 数人の警察官に囲まれ、手錠をかけられた男がパトカーへと連行されていく。


 容疑は殺人および死体損壊・遺棄。

 ニュースの下部に、名前と年齢がテロップとして流れる。


 


 その画面を見つめるひとつの瞳があった。


 向かいのアパートの窓辺――

 看護師の女が、カーテン越しに顔を出し、何かを確認するように目を細めていた。


 心配そうな表情。

 だが、その目の奥には、何か別の感情が潜んでいた。


 


 * * * 


 看護師の女の部屋。


 照明はついていない。

 スマートフォンの光だけが、部屋の中をぼんやり照らしている。


 女は、その光を異常なほど近くに顔を寄せて、じっと画面を見つめている。


 何かを観察しているように――いや、記録しているように。


 


 ――その画面には、監視カメラの映像。


 警察が検証している、男の部屋の内部が映っていた。


 部屋の隅、血に染まった布団。

 押し入れの天井板。

 崩れかけた浴室。


 


 女は、血走った目を細めて、微かに口元を緩めた。


 微笑んでいた。


 


 * * * 


 ――回想。


 あの日。

 女は部屋の中で、確かに“何か”を感じ取っていた。


 自分の部屋に漂う、香水の匂いの違和感。

 ゴミ箱の中に見つけた化粧水のボトル。

 使用済みのコンドーム。つけまつげ。女物の入浴剤のパッケージ。


 それらすべてが、“自分ではない誰か”の存在を雄弁に語っていた。


 女は、何も言わずにアパートを出た。

 その様子を――向かいの部屋から見ていた、看護師の女がいた。


 


 ずっと、見ていた。

 あの女が、男の部屋に入るところも。

 出ていくところも。

 戻らなかった夜も。


 


 そして――

 あの夜の、悲鳴と“バキッ”という音も。


 


 看護師の女の部屋。

 誰もいないはずの背後に、ふっと揺れる影がひとつ。


 その気配に気づいたように、女がスマホを伏せる。

 振り返っても、そこには誰もいない。


 ……しかし。


 その目には、映っていた。

 何かが。

 誰かが。

 “今もまだ、そこにいる何か”が。


 


 彼女は、笑った。


 薄く、ゆっくりと、何かに**“応えるように”。**


 


 * * * 


 男のアパート。

 警察の規制線が張られ、事件現場として封鎖されている。


 しかし、ふと出窓を見ると――


 あの植木鉢の花だけが、静かに咲いていた。


 まるでそこに、まだ誰かが水を与えているかのように。


 


 そしてその後――。


 監視カメラが捉えた最後の映像。


 夜、男の部屋の前に、白衣姿の女性が立っていた。

 手には、新しい植木鉢を抱えている。


 


 玄関のドアを開ける。

 鍵はかかっていなかった。


 女は、躊躇うことなく中に入っていった――


 


 ――カチャッ。


 静かに、玄関の鍵が閉まる音が響いた。


 


【END】

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惜し活 馬子まこ @uneko

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