7 豚の尻尾
ゲンノウは汗にまみれた顔をタオルでぬぐってから、大柄な身体で小型車に乗り込み、悲鳴に似たエンジン音を鳴らした。車は勢いよく走り出して、斜面を下っていった。
イサミは一人になってからも、一心不乱に麻抜きを続けた。水筒の麦茶を飲んで一息入れているとき、大麻畑に近づいてくる人影が見えて目を細めた。トイタだった。
「よう」ゆっくりとイサミの前まで歩いてくると、トイタは汗に濡れた野球帽をかぶり直して言った。「精が出るな」
「繁忙期だからな。毎朝三時から日が暮れるまでこれだ」イサミはタオルで汗をぬぐう。「おまえ、うちの父親がここにいたら、ぶちのめされてるぞ」
「寄り合いだろ? おまえの父親は衛生委員で、うちの親父は災害委員」
「よく知ってるな」
「ヤムイの母親は葬儀委員で、カシグネの父親は防犯委員。しかし、定期的に集まって、いったいなにを話してるんだか。いや、ろくに議題なんてありゃしないだろう」
「人口おおよそ一五〇人、六〇世帯——」記憶を辿りイサミは言った。「議題の一つくらいありそうなもんじゃないか?」
「面積の九〇パーセント以上が森林で、標高一〇〇〇メートル近い山に囲まれた、この陸の孤島に?」
「そう言われると、自信がなくなるな」イサミはトイタの目を覗き込んで言った。「で、なんかあるんだろ?」
「カシグネが学校に来るようになった」
「それは良かった」イサミは麦わら帽子を脱いで、頭に巻いたタオルをほどいた。癖のある黒々とした太い髪から汗が滴る。
「あいつ、近親相姦で生まれてやがったんだよ」
一陣の風が吹き抜けた。同時に大麻畑が揺れて、葉が擦れる音がした。
「豚の尻尾だぜ」
「ガルシア=マルケスの『百年の孤独』か」イサミは腕を組む。「どうしてそんなことが急にわかったんだ?」
「ちょっと前に、カシグネんちの爺さんが死んだだろ?」トイタは額の汗を手の甲でぬぐった。「死に際に錯乱して、いきなり白状したんだ。カシグネは、嫁に出した実の娘と自分の間にできた子どもだってな。それで、爺さんの娘というか、カシグネの母親も間違いないって認めちまったのさ」
イサミは眉をひそめる。「どうしておまえが知ってるんだ?」
「うちの親父がカシグネの爺さんを看取ったんだ。三日三晩くらい、危篤が続いてな。カシグネんちに泊まり込むはめになった親父に、俺が着替えを届けに行ったんだ。で、玄関まで誰も出てこなかったから、仕方なく部屋にあがったんだよ。そしたらちょうどカシグネの爺さんが、うわ言で懺悔してたとこだったってわけだ。布団に横になったまま、涙をぼろぼろ流してな。そっからはもう、どうしようもない修羅場だったぜ」
「なるほど」イサミは腕を組んだ。「なあ、この話はあんまりしないほうがいいと思うぜ。おまえの口から広がったってなると、親父さんにも迷惑がかかるんじゃないのか?」
「問題ないよ」トイタは左頬を吊り上げた。「この話、もうそこいら中に出回ってるから」
イサミは目を細めた。
「町内の連中も、その場に何人か集まってたからな。まあ、みんな知ってるって気がついたのは、つい昨日なんだが」
「どうしてわかったんだ?」
「年がら年中暇そうにしてる、年寄りどもが井戸端会議で喋ってるのが聞こえたんだ。品のない大声だったからな」
トイタはかぶっていた野球帽を脱いで、細く真っすぐな髪をかきあげた。飛び散った汗の粒が陽光で光る。
「ここに来ると酔うな」かぶり直した帽子のつばを掴み、左右に動かしながらトイタは言った。「麻酔いだ」
「そういうのじゃない」
「テトラヒドロカンナビノール」トイタの左口角が微かに動いた。「大麻に含まれる有害物質」
「さすが医者の子だ、なんでも知ってるな。だが、うちのこれはキまるやつじゃないぜ」
「どうだろうな」トイタは踵を返して歩き出した。「そろそろ帰るよ。おまえの親父さんが戻ってきて、痛い目にあわされる前に」
強い日射しを浴びて、大麻畑から遠ざかるトイタの後ろ姿をイサミは眺めた。汗に濡れた紺色の野球帽、半袖の黒いTシャツ、まだ色の濃いジーンズ。彼の細い身体は斜面に吸い込まれて、すぐに見えなくなった。
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