第5話 何なのよ!この男は
その時だった、今日の主役でもあるサフィーロン公爵家の令息がやって来たのだ。その瞬間、皆が一斉に公爵令息に注目する。
令嬢たちに至っては、キャーキャー声を上げている者もいる。これはチャンスだ。今あの男に皆釘付け。この間に、そっとお料理のところに近づき、お菓子を頂こう。
すっと立ち上がり、何食わぬ顔でお料理ゾーンに近づいた。これが公爵家のお料理なのね。どれもとても美味しそうだわ。それに見た事のない食材も使われているし。お父様の言っていたお菓子も気になるが、お料理も気になる。
こうなったら、気になるお料理全部頂いてやるわ。
そっとお皿に料理をとりわけつつ、周りを確認しつつつまみ食いをする。なんて美味しいお料理なの?これがこの国で一番権力を持った大貴族の実力なのね。こんな美味しいお料理、初めて食べたわ。
次はこっち。あら?このお料理は何かしら?よくわからないが、とても美味しいわ。こっちも美味しいわね。こんなにも美味しいお料理が並ぶ夜会、早々に帰るだなんて勿体ない。
あら?このお菓子、もしかしてお父様が言っていたお菓子かしら?見るからに柔らかそうな、白い丸いお菓子が並んでいた。
そっとそのお菓子に手を延ばそうとした時だった。
「やっと見つけた!僕の“イリ”!!!」
何やら男が騒いでいると思った瞬間、誰かに抱きしめられたのだ。その瞬間、うっかりお皿の上に乗っていた大切なお料理を落としてしまったのだ。
私ったら、なんて事を…あのほっぺたが落ちるほどの美味しいお料理を落としてしまうだなんて…ショックでその場に倒れそうになるのを、必死に耐えた。
そもそも、この男が急に抱き着いて来たから悪いのよ。大体何なのよ、この男は。どうして私に抱き着いているのかしら?鬱陶しいわね。
スルリと抜けようと思ったのだが…
あら?抜けないわ。何なの、こいつ。おかしいわね、どうなっているの?何度も何度も抜け出そうとするが、全くうまく行かない。どうやらこの男が私を離すまいとうまくかわしている様だ。
この男、中々のやり手だわ。
て、感心している場合ではない。
「あの…苦しいですわ。どうか話していただけますか?」
か細い声で訴えた。すると
「そんな可愛い声を出して、もしかして演技をしているのかい?君は昔から、演技派だったからね。あの日以来、ずっと君の事を探していたのだよ。貴族という事は分かっていたけれど、中々見つけられなくて。でも、やっと見つけたよ!僕の可愛いイリ」
再び訳の分からない事を呟くこの男。周りもざわつき始めた。そもそも、私はこんな夜会で目立ちたくはないのだ。
さっさとこの場を抜け出さないと。でも…
この美味しいお料理を堪能できないまま、この場を去るのは心苦しい。お父様がおっしゃっていたあのお菓子すら口にできていたのだ。
私の頭の中で、面倒ごとから抜け出したいという思いと、美味しい料理が天秤に掛かる。激しく揺れ動く両者、さて、どちらが勝つのか?何度も何度も揺れ動きながら、最後に勝利したのは…
予想通り、お菓子だ。
「あなた様は、サフィーロン公爵家のアドレア様ですね。お初にお目にかかります、モーレンス伯爵家の娘、レイリスと申します。どうぞお見知りおきを。私、あまり体が強くなくて…申し訳ございませんが、あちらで少し休ませていただきますわ」
ウルウルとした瞳で、男を見つめた後、すっと男から離れた。
“レイリス嬢は動作の一つ一つが、とっても美しいな…あれで体が弱くなければ、僕のお嫁さんにしたいくらいだ…”
“レイリス様は令嬢の鏡ですわ。あれほどまで洗練された動き、初めて見ましたわ。やはり完璧な令嬢は、儚いものなのですね”
何を思ったのか、周りが私を絶賛しだしたのだ。昔から私は、普通に動いているだけなのに、なぜか絶賛され注目される。それ自体、煩わしい。そっとしておいてくれたら、私もそれなりに社交界に出てやってもよいのだが、変に注目されるから面倒なのだ。
そもそも今日はこの男のせいで、完全に注目の的になってしまった。このままでは、人目を盗んでお料理を頂くのは、至難の業かもしれない。ここはやっぱり、いいや、あんな美味しい料理を諦めるだなんて、死ぬより辛い事だわ。
こうなったらいっその事…
チラリと料理の方を向いた。私の評判など、元々どうでもいい事。そもそも、どうして私ががつがつ食事をする姿を、皆に見られてはいけないと思ったのかしら?こうなったら、がつがつ食べてやるわ。
そんな思いで、お料理に近づこうとした時だった。
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