第3話 魔王の実力

 先ほどまで犬のように懐っこい表情を見せていたアイリスの雰囲気が変わる。

 ユタの肌に鳥肌が走り、恐れと興奮が混じった奇妙な感情が湧く。


「お客さん? 俺は外そうか?」

「いや、ちょうどいい。私が魔王に相応しいか、その目で確かめてもらおう」


 アイリスは立ち上がり、ツカツカと確かな足取りで城を出ていく。


 ユタは慌てて彼女の後を追い外に出ると、100人はくだらない兵士たちがこちらに行軍してくるのが目に飛び込んでくる。


 兵士たちは一様に耳が尖っており、大きな牙が口からはみ出している者や、肌の色が緑や青の者も混じっている。

 全員が殺気立ち、踏み鳴らす足音がズンズンと響く。


「反逆者アイリス・ネイティブ・テイタンに、ゴーヨーク王からのお言葉を告げる! 投降し、王にひれ伏せば命だけは許してやる!」


 100人の兵士に守られるように中央に配置された神輿のような指揮台から、一人の男が叫ぶ。


 仮初と言われようと戦争とは距離のある平和な生活を送っていたユタは、初めて眼にする本気で人を殺めようとする集団の放つ殺意に押しつぶされそうになっていた。


 自分の世界ではブラック企業と言えども流石に直接的に命までは取られなかったが、ブラック魔王は本気で命を奪うつもりでいるようだ。


「アイリス……俺は君と新しい国づくりをしてみたかったよ。でもあんなの勝てっこない。投降すべきだ」


 震える声をなんとか抑えてユタは言う。先ほどまでの酔いは一気に覚めてしまった。


「心配するな。私の力を見せる、そう言っただろう?」


 いつの間にか剣を手にしていたアイリスは、ゆっくりとした歩みで軍勢へと向かって行く。


 彼女は武芸に自信があるようだが、100対1はいくらなんでも多勢に無勢だ。

 しかし、先ほどのアイリスの言葉には過信もおごりも感じられなかった。


「アイリス! 武器を捨ててひざまずけ! このワシの顔に何度も泥を塗ったお前の顔も汚してやろう!」


 重そうな鎧を着た屈強な兵士に守られた指揮台の上で、再度男が声を張り上げる。


「クチダーケ殿ではないですか。ちょこちょこと送ってきた刺客が返り討ちにされて、いよいよご自身でお越しになりましたか。このゴーヨークの腰巾着め!」


「生意気な娘だ! そもそもワシはお前のような小娘が軍でのさばるのは我慢ならんかったのだ! その外見で男をたぶらかし、出世しただけの分際で!」


 この短いやり取りを聞いただけで、このクチダーケという男が女性蔑視のクソ野郎だとユタにも分かる。典型的な前時代的老害だ。


「ではその小娘に敗れるあなたは本当の無能だな」


 アイリスの周囲の空気が震え、青い髪がぶわりと広がる。ユタは彼女から発せられた突風を受け、顔には小石が当たる。それでもアイリスから目が離せない。


 アイリスの髪は先端から徐々に赤みをおびる。まるで炎が駆け登っていくように、アイリスの青い髪は赤く染まっていく。


 ほのかに赤いオーラのような空気の揺らめきが立ち昇り、彼女の体を包んでいく。

 

「ええい、かかれ、かかれっ!!」


 大群が一斉にアイリスを目掛けて駆け出す。地鳴りと雄叫びがユタの心臓を掴み、鼓動を強制的に速める。


 誰か助けてくれ……! ユタは心の中で呟くが、ふと我に返る。本来なら彼女を助けるのは自分の使命のはずじゃないか。


 何か特別な力に目覚めてはいないか!? 例えば魔法とか。

 ユタは精神を集中させる。しかし何も起こらない。自身の体にも一切の変化もない。


 魔神マリアーナ様はやっぱり人選を間違ったんだよ……こんな何の力もないただの人間が魔王の補佐なんて出来るわけがない……。


「数を揃えれば私をやれると思ったのなら、はやりお前は無能だクチダーケ!」


 アイリスを包む赤いオーラが、両手で構えた剣に伝わっていく。

 西洋の騎士が使っていたような両刃の大剣は非常に重そうな見た目をしているが、彼女は木の棒を扱うかのように軽々と高く掲げる。


「はああああっっ!!」


 アイリスが大剣を振り下ろすと、巨大な衝撃波が敵兵へと放たれる。衝撃波は地面をえぐりながら高速で突き進み、敵兵に襲いかかる。


 先頭を走っていたクチダーケ兵の集団は衝撃波に触れた瞬間、数十メートルは打ち上げられ方々に吹き飛んでいく。


「ぎゃあああ!!」

「ぐわあああ!!」

 

 衝撃波は勢いを落とすことなく真っすぐ敵陣を突き抜け、進行方向の敵兵をなぎ倒していく。


「わ、ワシを守れっ! 逃げたものは死刑だ!」


 指揮台の上でわめくクチダーケに衝撃波が迫る。逃げ出そうとしていた兵士たちも諦めたように盾を構え、クチダーケの前を固める。


 ユタの耳に衝撃音が響き、土煙が広く舞い上がるのが見える。


 やったのか!? しかし砂埃が晴れていくと、重装備の兵士たちはいなくなっているものの、指揮台は無事で男も健在だった。


「ふはははは! しのいだ、しのいだぞ!」


 部下に体を張らせて自らを守らせた下衆な男の高笑いが、ユタに嫌悪と絶望感を与える。男は勝ち誇ったように続ける。


「あれだけの攻撃、もう奴の力は残っていまい。総員、とつげ……」


「舐めるなっ、魔王の力をとくと味わえっ!」


 アイリスが振り下ろした大剣を、今度は下から上へと切り上げる。

 生み出された衝撃波は先ほどよりも速く、ユタの目では追えないスピードで男へと飛翔していく。


「なんだとおおおっっ…!? おわあああっっ!」


 はるか後方へと吹き飛んでいく男。指揮台は粉々になり、破片がバラバラと地面に舞い落ちる。


「クチダーケ、討ち取ったり! 命が惜しいものはさっさと逃げ帰れっ!」


 アイリスの雄叫びに残っていた敵兵たちは恐慌をきたし、我先にと逃げ出していく。


 すごい……たった二発であれだけの軍勢を退けてみせた。

 この世界の力のバランスが分からないユタでさえ、アイリスの戦闘力が並外れたものであることだけはよく分かる。


 アイリスは倒れている敵兵の間を縫って男の方へ歩いて行く。

 ユタはできるだけ周囲を見ないようにして、恐る恐る後をついていく。惨状に足が震えるのをこらえるのでやっとだ。


「小娘が……くそっ、くそっ……」

「ひれ伏すのはそちらだったな。しぶとさだけは褒めてやろう」


 クチダーケと呼ばれた指揮官の男は、刺繍があしらわれた高級そうな服をボロボロにして地面に転がり呪詛の言葉を呟いている。


「命だけは助けてやる。ゴーヨーク王に報告しろ。二度と私にちょっかいをかけるなと。次があれば直接、お前の首をもらいに行くとな」


「誰かっ、誰かワシを運べっ……!」


 クチダーケの呼びかけに撤退をしていた兵士の一部が、渋々といった様子で肩を貸し、逃げ出していく。


 無言で見送ったアイリスは、ふうとため息を大きくついてから剣を鞘に収める。


「元同僚を切るのは気が引けたが、奴の部下たちは一般市民でもおかまいなく殺し、略奪する下衆な連中。何をされても文句は言えまい」


 そこら中から呻き声が聞こえ、血生臭さがユタに吐き気をもたらす。

 膝がガクガクと笑い、何かを言うこともできない。


「さあ、戻ろう。息がある者は勝手に逃げていくだろう。これでしばらくはゴーヨークも手を出してこないはずだ」


 いたって冷静なアイリスを呆然と眺めるしかないユタ。

 これが魔王……アイリスの圧倒的な力を見せつけられたユタは、畏怖の念と同時に高揚感を抱く。


「どうした? 怪我をしたのか!?」


 動けないでいるユタにアイリスが駆け寄る。情けないことに未だ足の震えが止まらず、棒立ちになってしまっている。


「大事ないか!? すぐに手当をしてやろう」


 そう言うとアイリスは軽々とユタを持ち上げ、城へと走り出す。

 いわゆるお姫様抱っこの状態で運ばれていくユタ。美しいアイリスの顔が間近に迫り、彼女の息遣いすら聞こえてくる。


 あれだけの戦いの後なのにアイリスは汗ひとつかいておらず、青色に戻った長い髪からは石鹸のような良い匂いがかすかに香ってくる。


 30の男が歳下の女性に抱っこされているのを見られたら恥ずかしさで爆発しそうだが、ユタはアイリスの顔から目が離せなかった。

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