田舎令嬢は本気の口説きに気づかない

 それから一ヶ月後。

 寝る前に恋物語を熟読してきた成果か、仲のよい婚約者アピールはだいぶ板についてきた。最先端の流行に詳しくないヴィオラのために、オペラの王族専用ボックス席に招待したローレンスは王都の店も案内してくれた。従者と護衛を引き連れながら。

 王族御用達の老舗洋菓子店は宝石のように輝くチョコレートが並び、いくつかお土産用に買ってもらって顔がゆるみっぱなしだった。だが次の貴族街の宝飾店はおそろしい金額とわかるほどの大粒のダイヤモンドやピンクサファイアが惜しげもなく並び、場違い感が半端なかった。半泣きでローレンスの服の裾をつかみ、店を後にした。

 立派な時計台から景色を見下ろしたり、可愛い雑貨店を見たりしていると夕刻の鐘が鳴り響いた。帰りの馬車まで歩く途中、食欲をそそる串焼きの屋台を名残惜しげに見ていたら「君はお菓子以外も食欲が旺盛だったな……」とため息をつき、おごってくれた。大変美味だった。

 それからも熱愛アピールは続いた。物理的距離も近づき、東屋で並んで座って耳に手を当て内緒話もした。実際はしりとりだったり、幼少期の恥ずかしい暴露話だったり、恋愛とは関係ない内容だったが。それでも周囲には仲睦まじい光景に見えたらしい。

 そんなわけで一緒に過ごす時間が長くなるにつれて緊張することもなくなり、一日のご褒美のデザートをヴィオラは恍惚の表情で堪能していた。毎日幸せだ。


「君はときどき、口調が崩れるな。そちらが素か?」


 向かいの席に座るローレンスが呆れ気味に肘をつき、ヴィオラは背筋を正した。


「へあっ……う、すみません。完全に無意識でした。これでもボロを出さないようにしているのですが、気を抜くと出てしまうようです。ですが、殿下に聞かせる言葉ではありませんでしたね。以後気をつけます……」

「いや、別に不快に思っているわけではないが。まあ、貴族社会でうっかり出さないように注意したほうがいいな。君が侮られる」

「うう、そうですよね。猫かぶりが続けられるように頑張ります」

「猫かぶり」

「大きな猫さんなら大丈夫でしょうか。なんか強そうですし、簡単に剥がれないかもしれません。こういうのは気合いとイメージが大事だと乳母が申しておりました」


 真剣に言ったのに、ローレンスはパッとうつむき肩を震わせた。

 彼はめったに笑わない。冷静沈着の王子と噂される程度には感情を抑制しており、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 しかしそう見せかけているだけで、実は笑いの沸点が低いのだろうか。必死に声を抑える様子は普段と印象が異なる。いつもの威厳もすっかり消え去っている。

 完璧に見える王族でも中身は同じ人間なのだと思うと、親近感が湧いてきた。


「そういえば、ローレンスさまは甘いものを食べるのも平気そうですよね」

「ん? 脳の疲労回復に糖分補給は最適だからな」

「父も兄も甘いものが得意ではないので、男性は苦手なのかと思っていました」

「好みは人それぞれだ。っと、そんなに急いで食べるな。別に誰も取ったりしない。口の周りについているぞ」

「え、どこですか?」


 口の周りをペタペタと触っていると、ローレンスが顔をしかめた。


「違う。そこじゃない。……ああもう、じっとしてろ」

「すみません。ありがとうございます。ローレンスさまはお優しいですね」

「ぐっ……。き、君の行動が幼いんだ。もっと淑女らしさを意識したほうがいい」

「淑女らしさ、ですか。難しいですね」

「難しくない。君の年齢ならできて当然だ。優雅に美しくをだな……」


 長くなりそうなお小言を聞き流し、ヴィオラは次の狙いをフォンダンショコラに定めた。優しくフォークを突き立てると、中から溶けたチョコレートがとろりとあふれ出す。視線が釘付けになるのは自然の摂理だと思う。

 欲望のままパクリと一口頬張り、息を呑んだヴィオラは呻いた。


「ううう。どれもとっても美味しいです! 王都のパティシエは皆さん、一流の腕をお持ちなんですね。ほっぺたが落ちちゃいそう〜」

「……君。俺の話を聞いていたか?」

「もちろん、聞いていますよ。淑女らしさは今度、マナー本で学び直してきます。さあさあ、ローレンスさまも召し上がってください。とんでもなく美味しいので、疲れがぱあっと吹き飛びますよ」


 満面の笑みでお菓子を勧めると、ローレンスはきょとんと目を瞬かせた。それから聞き取れないぐらいかすれた声で何かをつぶやいた。


「…………可愛い」

「今、何かおっしゃいまして?」

「んんっ! いや、何も」

「そうですか」


 その日を境に、ローレンスが婚約者に向ける目は優しくなっていった。


 ◇◆◇


 正直、ローレンスの演技力は大したものだった。

 他人が見ていない場所でもヴィオラを一番に考え、恋人のように丁重に扱ってくれる。いつの間にか二人きりのときの口調も棘がなくなり、優しいものに変わっていた。しかも回数を重ねるほど、その糖度は高くなっていく。演技力にも磨きがかかり、彼の溺愛っぷりは日に日にレベルアップした。

 もはや熱愛中であることを疑う者がいなくなるほどに。

 夜会に誘われたときも「そのぅ。我が家は懐が寒く、地味なドレスしか持ち合わせていませんが恥をかかないでしょうか?」と涙ながらに辞退を申し出たら、王子の婚約者にふさわしいドレスと宝飾品と靴が贈られた。もちろん、エスコートも完璧だった。

 おかげでヴィオラは毎日、翻弄されっぱなしだ。


(おかしい。……こんなはずでは)


 演技と頭でわかっていても、本当に愛されているように錯覚してしまう。彼が甘い声とともに笑いかけてくれると心臓が高鳴る。ダメだとわかっていても、彼の挙動一つにときめいてしまう。優しくされるたび、好きがあふれそうになる。偽者の婚約者なのに。

 あくまで、ローレンスは恋人のふりをしているに過ぎない。

 ヴィオラが彼を好きになっても、この想いが実ることは万に一つもない。偽装婚約という契約が終われば彼のそばにはいられない。そもそも自分は第二王子の妃にはふさわしくない。

 いつかは離れる運命なのだ。一緒にいられるタイムリミットはまだわからない。どれだけの時間が残されているのかは神のみぞ知る。

 けれども、もしそのときが来たら。

 ちゃんと笑って彼の幸せを祈ろう。今までの感謝を伝えて彼のもとを去ろう。ぶっつけ本番だと泣き笑いになってしまいそうだから、今夜から寝る前に鏡の前で練習しよう。自然と微笑んで別れを切り出せるように。

 彼の幸せを願うなら、乙女の涙の出番は必要ないのだから。

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