鬼の礼物

日八日夜八夜

第1話

てるっ、娘はどこだ?! 奥よ?」

ずれた烏帽子を気にかける余裕もなく、男は草の生い茂る庭を月を頼りに横切った。勝手知ったる屋敷に転がるように上がり込む。


明りのついていた妻の部屋に飛び込んだ。

「奥っ、娘の一大事じゃ」

が、無人だった。

鼻先になじみのある奥床しい薫物たきものの香。先ほどまではこの香の主がいたに違いない。

もしや、先回りされて何かがあったのではないかと、悪い想像に肝が冷え目眩がするようだ。


「誰ぞ、誰ぞいないのか」

夜目にも屋敷も庭もさびれて手入れが行き届いていないようなのが分かる。

さらなる明りを見つけて対の屋へ渡り部屋にかけ込むと年寄りの女房と女童が突然のことにひい、とお互いにすがりあって声をあげる。

「おお、生きている者がおったか。妻と娘はどこだ」


几帳きちょうの奥から声がした。

「あら、おなつかしゅう。その声は父上ではありませんか。幼いころは下賎げせんの如く走り回るなと口酸っぱくわたくしに仰っておいでなのに何事ですの。案内あないも乞わずにそのように乱れた有り様で現れるとは。急な方違かたたがえでもありましたか」


てるか!? 無事でおったか。 鬼じゃ、鬼が出た」

「鬼?」

「我の牛車に突如つむじ風のように乗り込んできてお前に礼をしたいから取り次ぎしろと、そうすると牛車が勝手にこちらに門付けを。舎人とねりどもはまるで固まって我の声が聞こえぬようじゃ」


「あら、まあ。殿上へあがる身分のお方が自ら娘への鬼の取り次ぎのお役目を?」

面白がっている声がする。


「それは大儀たいぎなこと。久しくお顔を見せたことのない父上が突然何事かと思いましたわ。母上の元へ出入りしている怪しげな法師やら呪い女やらの祈祷きとうおびき寄せられたかと心配してしまいました」


久方ぶりの娘の声はすっかり大人びたものに変わっている。

「知っております? 吉野の狐の化身に、赤蔵ヶあぞが池の水と冥府の井戸水の混合水売り、それに都の路地裏で夢を買うという占い婆やら、世間様にはそれはそれはよくわからない名乗りをして奇態な品を商いするものがおりましてね」


相変わらず女子らしくないものにも興味を向けているのかよく分からない卑俗のことを上げ、吐息をつく。

「母上が訪ねてくるそれらにいちいち話を聞くものですから。それで娘には見せられない大層はしたない祈祷などもいたしておるようですのよ。そんなものに父上なら呼び寄せられかねないとも思っていましたの。でも今宵もどこぞかの女人を訪ねているようないつも通りの父上でしたのね。安心、安心」


「なにを悠長に世間話なぞ。奥はどこにいった、部屋におらなんだ」

「お部屋におられませんでしたの? それでは方々に浮き名を流す父上の名を今宵も追いかけて行ってしまわれたのかも」

久方ぶりに会う娘のこすりは、彼の通う女たちが次々せたり、儚くなっているのを説明するようで気分が悪くなったが今は差し迫った問題がある。


「だからのんびり皮肉っている場合ではないのだ、話を聞いていたのか。鬼だ。鬼がお前に会いに来たのだぞ!? 人を出して助けを呼ばねば。それとも鬼がお前に礼をすると言っていたが、まさかと思うがやんごとなき深窓の姫が鬼との関わる心当たりでもあるのか!?」


鬼を傍らにした 恐怖が思い起こされて、大きな声を出してしまう。

その最中、ひゅううっと吹き込んだ風に燭火しょくかが消された。

訪れた暗闇とともに一気にヒヤリと温度が下がる。


──みしぃぃ、ぎしぃぃ。


なにか重たい重量のものが床を踏みしめ自分の横を通りすぎていくのを感じる。

体が固まる。

鬼だ。

牛車に乗り込んできたあの鬼に違いない。


動けない。

目玉のみがギョロギョロ動き、それでも何も見えずに冷や汗がたらりと顔を滑っていく。

(娘が食われてしまう)

そうは思っても手足の一指も動かないのだ。


唐突に灯りが戻る。

「照ッ」

強張りを無理に動かして几帳きちょうをはらいのけ、御簾みすを乱暴に取り払い娘の元に駆け寄った。

少々とうのたった年頃とはいえ幼い頃のままの面影を宿した娘が、膝に絵物語をひろげたまま顔をしかめてこちらを見つめ返した。

落ち着き払ったさまである。


「ぶ、無事だったか……?」

「ご自分で鬼の取り次ぎ役をしておいて無事もなにもないでしょうに。ああ八春やはる、平気よ、そのままで」


見たところ、かどわかされた者はないようだった。そそくさと主人への視線を遮るのに几帳を置き直そうとする老女房に娘が袖を振る。


「久方ぶりの来訪の上、次などあるか分からない親子の再会ですもの。見納めになるかもしれぬし、几帳の内で構わないわ。扇をくれる?」

「まだ鬼がおるかも知れぬ。誰ぞ家人けにんを走らせて、武者どもを、」

「もうおりませんわ。用も済んだし帰ったのでしょう」

「用?」

「そちらに」

「こ、これは」


自分と娘の間にひどく不吉を発する固くいましめられた黒い黒いひつが置いてあった。



「これが父上に先触れさせた鬼の礼物れいもつですわね。律儀なこと。一言もなく部屋に入って置いて帰りましたね」

「呑気過ぎるぞ!鬼だぞ、鬼! 先程からそなた、まるで鬼に礼をされる心覚えがあるような振る舞いではないか! こんな何が入っているのかわけのわからぬ不気味なものを、ただの反物か野菜かのように平気な素振りで。これは鬼が置いていったのだぞ!?」


父親が騒ぐのを横目にばさりと娘はうるさそうに老女房から受け取った扇を広げ、思案する顔で黒い櫃をとっくりと眺めた。

「心覚えならありますし、中身の見当がまるきりつかないでもありません。わたしの言葉通りのものを用意できていたとしたら……、ですけれど。そうだとしたら、中身は首、ですわね」

「首!? 人の首か!?」

「人の首ですわね、わたしが要求した通りのものが中身なら」


男がおののく。





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