06話 "WORK-NUL"

「僕は元々掃除の派遣スタッフをやってたんだけどね。自分の部屋は掃除する気にならなくってさあ。まあ元って言ってもまだ清掃会社には登録したままだから会社から借りた道具は一通りあるんだよね。もちろん使ってくれてもいいよ」

 ヤマネの早口に圧倒されながら、少女と四角頭はアパートの一室に足を踏み入れる。瞬間「なんか酸っぱいにおいがする」と、カケルの背後にいたモネがちいさくつぶやいた。そういうことは本人のいないところで言いなさいよー。


 汚れたドア、小さな玄関スペースには脱ぎたての靴とサンダル。生活感の少ないベニエ1の管理棟と比べると「ひとが長年住んでる」という感じだ。当たり前だけど。

 細い廊下にもゴミ袋が並んでいて、少し進んでお菓子の空き箱に車輪がひっかかった。カケルは車輪を固定して、上下に動かす「歩行モード」に切り替えた。歩くたびに「トトト」と小気味いい音がする。クモになった気分だ。

 古い記憶にあるワンルームアパートとは違ってキッチンはなく、トイレとシャワールーム、10畳ほどの居室兼寝室があるだけ。デビューしたときにあてがわれる部屋がこんなもんだと言っていたので、これが一般的なひとり用の広さなのかもしれない。元が研究室だったらしいカラマリテの広い部屋に住んでいると感覚が狂う。


 ゴミを踏まないように居室兼寝室に入ると、散らかった視界の隅に幅1mくらいありそうな緑色の大きな亀が赤い瞳でこちらを見ていた。その異様な視線にモネも気づいてちいさく悲鳴をあげる。

「あ、驚いた? これでも動画生成AIなんだよね。物語を作り続ける "万年亀" 。給料の半年分くらいはコイツに使ったかな。コロネにはそういうクラウドサービスがないからスタンドアローンで動くものを探したらこれしかなかったんだよね」

「何しているひと、なんですか」

 驚きに押されてモネが訊ねるが、それは職務質問のトーンだ。

「こう見えてAIアニメ作家なんだよね。自称だけど。でもなかなかそれだけじゃ食えなくて。ここってほら公認じゃない娯楽は基本禁止されてるからコンテンツを伝える方法も限られるし広告を出そうと思っても条例で申請が必要だし出しても正式な職業として認められないとだしなんといってもーー」

 喋り出したら止まらないヤマネ氏をよそに、モネは途中で足元のパウチゴミを汚そうにつまんでゴミ袋にいれはじめている。


 思考停止しても仕事を忘れないなんて、成長したな。


 カケルも床面が見えた部分を優先して掃除機モードをスタート。回転ブラシが細かな埃を集め、モーターで一気に吸い取っていく。

「ん――だから、亀に食わせるネタが足りないから面白い物が作れないんだと思い至って、ふたりに声をかけたというわけだったんだよね」

「服は全部ベッドに載せますね」


「う、うん、それでね?」

「あと床、水拭きしたいのでお風呂場から水もらっていいですか」

「いいけどなに、本当に掃除しているので?」

「それしか役に立てそうにないので」

「あ、うーん、とりあえずはね、そうね」

 雇い主はモネの揺るがない意思にほだされるように風呂場を案内する。業務用と思われるバケツを借りて水を溜め、カケルも補助をしながら部屋に運んだ。化学繊維の雑巾に水を含ませて、カケルが埃を吸った床面から順にモネが拭き清めていく。こういうこともあるなら水拭きモードも今度つけてもらおう。


 先行して部屋を縦断したカケルはゴミ袋を掴んで外の収集ステーションへ。1個ずつ掴んでは運ぶ。5往復しすべてのゴミ袋が持ち出されるころには、モネの水拭きも玄関まで至り、散らかり放題だったヤマネ邸には輝く床面が戻っていた。


「よし…っと」

 最後にバケツを洗ってやりきった表情のモネ。ひたいには小粒の汗が輝いている。

「掃除終わったしちょうど1時間たったので帰ります。お金ください」


「あ!ちょっとまって。掃除はそう、ありがとう、でももうちょっとまって」

「なんです? 掃除以外はあまりやったことないので上手にできないです」

 ヤマネ氏はよほど言いにくいことがあるのかモジモジしながら言葉を選ぶ。

「そうじゃないんだ。できたら僕の作品を観てほしいなって」


(( は? ))


 思わずカケルも一緒に声を出してしまった。





「僕が22歳のときにデビュー制度がはじまってさ。悪夢の日曜日の翌年だったかな。君は知らない? 人がたくさん死んで。それまで清掃の職場にめちゃくちゃむかつく現場リーダーがいたんだけど、デビューを境にぜんぜん気にならなくなったんだよね。それまでそいつへの呪いを生きる糧にして生きてきたのに、誰も嫌いになれなくなった。良いことなのかもしれないけど何かそれが気持ち悪くてさ。自分が。それから、副業でやってたアニメ制作を本格的にやるようになったというわけ。これなら誰にも会わなくていいし」

 ヤマネ氏はしゃべり続けながら端末の電源を入れて緑亀と通信を試みはじめた。緑亀の瞳が怪しく光る。

「コロネは娯楽が少ないでしょ? だから自分で作ってやろうと思ったんだ。今はそれを知り合いに買ってもらってなんとか日銭を稼いでる。でも全然新しい客が増えないんだよなー。いや、一定数売れてはいるんだけど義理というか、ウケていないのがわかるというかさ。なにがだめなんだと思う?」


「そんなのわかりません」

 モネは正直すぎる。


「だよね・・それで、無関係なひとの率直な意見が欲しくなったんだよね。あーでも意見といってもできたらソフト目に言って欲しいというか。指摘とかそういうのじゃなくてもいいんだ。ちょっとした感想、みたいな」


 わかる。

 気持ちわかりすぎる。カケルは思わず3本指を握ったり開いたりした。


 かつてカケルがマンガを描き始めたときもネットの友人は誉めてくれたがそれはどこか表面的で、本当は気を使って言ってくれているだけなんじゃないかとずっと不安だったことがあるから。どうしても客観的な意見が欲しくなるときがあるんだよな。カケルはごく自然な感情でスピーカーから声を出す。

「ヤマネ・チヒロさん」

「ヤマネでいいよ。下の名前はあんまり好きじゃない」

「俺らでよければ作品見せてください。素人の感想でよければ」

「え?ほんと?? 助かるー。 つか、さっきからすごい普通にしゃべってないこの掃除機?」

「ソンナコトないでス」

「まあいいけどさ、AIの意見すら欲しいよ僕は。それならの作品なんてどうかな?比較的尺が短いし。取材にも行った自信作なんだけどさ」

 ヤマネは端末の画面をふたりにむけて再生ボタンを押す。どれどれ、未来の創作ってやつがどれほどのものか見せてもらおうか。



 薄暗い画面に火花が散るシーンから始まる。ちいさなビルほどもある巨大な設備から赤く滲んだ金属の塊が押し出されてくる。続いて棒状のそれを上下から押し叩くような別の機械があり、金属を叩く度に火花が散る。ここはコロネの中層にある広大な工場のようだ。そこで働く人々は一様に分厚い防護服を着て作業をしている。

 1日の仕事を終えた主人公の男は更衣室で防護服を脱ぐと大量の汗が中で滴っている。


「よっ、がんばってるな」

「はいっ」

 上司と思われる年配が声をかけた。


 そこから場面が移り変わり、主人公がなんやかんや努力を重ねるシーン。同僚と助け合うシーンがあり、やがて昇進。現場のオペーレータから事務方になり、給料も増えて家族も増えた。トントン拍子の出世だ。


「お父さんいってらっさい!」

 自宅の玄関で舌足らずな娘が見送ってくれる引きの

「いろいろあったけど、がんばってきて良かったな」


 "Fin"


 突如、黒抜きに映し出される物語終了のお知らせにカケルは目を丸くした。

「な・・んだ、この交通安全週間みたいなアニメ?」

「どうだったかな!」ヤマネの鼻息は荒い。

「なんでいきなり終わったの?」

「えっおもしろくない? がんばって報われて金持ちになるんだよ? 男の夢では??」

「つまんない」

 モネまで口を挟む始末。そりゃそうだ。

「つまらないというか娯楽として成立していないというか。地球のアニメの数十倍おもしろくない」

「えっ、そんなアニメをどこで?」

 秘密だった。秘密です。

「これは工場にも取材にいって動画をいっぱい取らせてもらってようやく作ることのできたアニメなんだ。それが面白くないんじゃ、いったい僕はどうすれば・・・」

「もっと夢のある話は作れないのカ? 空を飛んだり魔法を使ったり剣で戦ったり、サ」

「そんなのどうやってAIに学習させればいいんだい? 緑亀こいつにデータを食べさせなきゃアニメは作れないんだぞ」

 んー。どうやら動画やら写真やらをAIにインプットしないと生成してくれないみたいだ。

「じゃあネットで適当に地球の写真とか拾ってくれバ。あそうか公共サービスしかないんだったカ」

「そう。歴史の教科書に地球の写真はあるけど」

 ヤマネはタブレット端末を操作して見せてくれる。画面には歴代の名武将たちの戦歴解説が並んでいる。

「まーた戦国時代の話」

「違ったこれじゃない。こっちだった」


「なんだこれ・・!」

 カケルは絶句した。空は一面雲に被われ、海は紫色。動物たちは死に絶え地面に横たわっている。画面には「核戦争の末、汚染された地球」と解説が表示されている。カケルの知らない未来の地球、いや、もはや過去となった地球の姿だった。

ヤマネは続ける。

「僕は高校に上がるくらいまで地球にいたけど、まともに人の住める場所なんてなかった。日本は直接的な被害は免れたけど、防毒マスク無しに外を出歩くことはできなかったし食事も配給制だったな。南極付近は少しマシらしいけどね」


 もはや自分の知っている地球の姿ではない。カケルの心は揺らいだ。これじゃあモネが地球に行けたとしてもちゃんと暮らしていけるのだろうか。

「あたしの住んでいたところも似たようなものだったと思う。もうあまり覚えてはいないけど」

「それでも、モネは帰りたいのか?」

 カケルが問うと、モネは小さく、それでも固い眼差しで「うん」と言った。それなら俺が迷っているべきじゃないよな。


 カケルはヤマネのタブレットをお絵かきモードにするよう言った。ヤマネは半信半疑ながらそれに従い床面に置く。カケルは足をロックしてアームをタブレットに伸ばす。ちいさくモータ音が唸り多段階のメロディーを奏で始めた。三本指の先端でタブレットの表面をなぞっていく。描き始めてすぐにヤマネが息を飲む気配がした。


「これを食べさせテ」

 タブレットに描かれているのは金属製と思われる刀身に柄が付いてる一振りの日本刀だった。

「これは・・もしかして日本刀? 上手いな! 掃除ロボにこんな機能がなぜ?」

 返事をしない代わりに次々に絵を描き続けるカケル。


 小高い丘に建つ一軒の家  インプット

 青空に浮かぶ白い雲    インプット

 典型的な悪者のシルエット インプット


「おお!すごいデザインだ。これはアニメ素材に使えるぞ」

 ヤマネは端末を操作してさっそく素材を使ったアニメを生成するように緑亀に司令を送った。亀は目を何回か点滅させたかと思うと口から煙を吐いてフリーズする。


「エラー?なぜだ。今までこんなことなかったのに」

 もう一度、とヤマネは手順を確認しながら同じように指令を送信する。エラー。送信、エラー。3回繰り返したところで押し黙ってしまった。

 その様子を見ていたモネは少し考え込んだ末にそっと緑亀に触れて言った。

「ちょっとあたしが聞いてみてもいい?」

「どういうこト? 壊すなヨ」

 モネは手のひらを亀の頭の上において微動だにしなくなった。時折り首を少しかしげた入り、声は出さずに口だけが言葉を形作った。それは音を介さずに直接亀と会話をしているようだった。すると、緑亀の赤い瞳はしだいに紫色となり、ほどなくして青色に点灯しはじめた。


「ふぅ。はじめて手描きの絵を食べさせたから戸惑ってるだけだったみたい。説明したから今度は大丈夫だと思うよ」


 ヤマネの口は半開きになったままだ。その間にもミドリガメの背中にあるふたつの排気ファンはフル回転し新しい物語を生成し始めていた。


 薄暗い画面に火花が散るシーンから始まる。棒状の金属を上から金槌で叩くたびに火花が散っている。ここはコロネの中層にある広大な工場のようだ。そこで働く人々は一様に分厚い防護服を着ている。鍛造のオペレーターである主人公は、工場で刀を作り、磨き上げる。

 場面は一転して小高い家の前で主人公が家族に別れを告げている。

「あなた、気をつけて」

「パパ頑張って」

「ああ、魔王を倒し世界を救ってみせる」

 腰には見事に作られた刀が据えられ、空には雲が流れている。遠く赤い山脈には怪しげな魔王のシルエットが浮かび上がっている。


 "Fin"


「すごい!これはすごいことですよ!革命だ」

 ヤマネが椅子から飛び上がる。

「俺の知っているアニメには遠くおよばないけどちょっとマシになったナ。これを何回も繰り返せば精度が上がるはズ。基本的なストーリー軸やパターンもインプットすればもっと面白くなるんじゃないカ」

「定期的に仕事をお願いするから、これからもぜひその掃除ロボに素材を描いて欲しい!お願いします」

 大騒ぎしているヤマネを尻目に、カケルとモネは目配せをして頷き合った。


 帰り道、心地よい疲労を抱えながら波乱の1日を振り返る。

「そんなことよりモネ、あれは何をやったんだ?」

「なんのこと?」

「亀を撫でたらエラーが治っただろう。それに、"AIに説明した" とかなんとか」

「んーなんとなくAI《きかい》がなぜ困っているかわかっただけ。昔からこういうことあるんだ。こっちから気持ちを入れすぎると壊れちゃうこともあるけどね。だから秘密だよ?」

 んーそれって本当にすごいことじゃないのか? というか大人達にバレたら研究対象になったり大変なことになりそう。たしかに秘密にしておいたほうが良さそうだ。

「お前、凶暴なだけじゃなかったんだな」

 モネが無言でカケルの後頭部?を蹴る。もう少し頑丈な体躯にしてもらわないといつか壊れるかもしれない。栄養アンプルも残り少なくなってきたし、明日は久しぶりに診療所にでも顔を出すか。薄暗くなるベニエ4を歩きながらカケルはこんな毎日も悪くないなと思った。





 その日、安娜アンナはいつも通り診療所の扉の電子表示を「クローズ」に変えた。光量が下がりつつある夕方の時間帯は、街の輪郭が曖昧になってどこか現実味を失って見える。このわずかな時間が安娜は好きだった。

 受付脇を通ってバックヤードへ。診察室でモニターをじっと見つめるドクの表情はどこか深刻でただならぬ雰囲気を漂わせている。


 このところドクはヘンだ。と、安娜は思った。


 雇い主のドク、トマス先生はとても立派な方だ。元々は脳外科が専門で、みんなが仲良く暮らせるための技術「デビュー」を開発されたコロネにはなくてはならないひと。詳しい内容は教えてくれないが、「デビュー」後にコロネ内で起きる犯罪は限りなくゼロになったと聞いた。

 ただ、急にコールドスリープ患者の管理事業を買い取ったり、高価な脳波解析装置を購入したり。そんなお金、このちいさな診療所のどこにあったのか。診療費やコロネからの補助では説明がつかない額だ。なにか自分の知らない秘密を抱えているように感じてしまう。

 そういえば先日も、アマノ・カケルさんの脳移植手術から私を遠ざけた。大まかな体躯の仕様だけ指示をして、細かな部分は自分でやると。「機械の方は安娜に頼ってばかりだからたまには自分ひとりで挑戦してみなければね」と言い訳のように笑った。

 「心配だ」と思えばこそ意識できても「疑わしい」と感じるとその感情は霧のように日常へ散ってしまう。これもデビュー手術を受けたからなのだろうか。胸の中心にはいつも風が通っていてわたしの感情は一カ所に留まることができない。


 唯一気が紛れた時間は、カケルさんが連れてきた娘さんと接したときだ。ちょっと引っ込み思案で、その様子がとっても可愛い。でも身体を触られるのが苦手だったみたいで、ちょっとベタベタしてしまったのを後で反省した。過去に嫌な思い出があったのかもしれない。嫌われていなければいいけど。

 また今度カケルさんの定期検査があるので、モネちゃん用に私が小さいときに着ていた服でも用意しておこうと思った。もっと仲良くなれたら嬉しいな。もちろんカケルさんの体躯からだを魔改造するのも楽しみでならない。いまから色んなアタッチメントを作っておかなくちゃ。

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