第45話 理と裏と、真の牙

拳が火を噴いたのは、次の瞬間だった。


影山の鋭いジャブが空気を切る。


それを圭吾は、頭を傾けてギリギリで避けた。


「……速ぇ」


影山の身体は見た目以上にしなやかだった。 細身に見える体格の下には、相当な筋肉の質量が隠れている。


影山は距離を取りつつ、また一撃。


今度は中段への蹴り。


圭吾はそれを膝で受け止める。


「へぇ、冷静だな」


「そっちこそ」


ふたりは最初、まるでルールのあるリングの上にいるかのような、“正々堂々とした”構えだった。


拳と拳。 足と足。


組み技に持ち込む素振りも見せず、お互いのフィジカルを純粋にぶつけ合う。


「……やっぱり、格闘技上がりか」


影山が距離を取りながら観察する。


「動きに無駄がない。 間合いと読み……理に適ってる」


「分析はいいから、かかってこいよ」


圭吾が一歩踏み込んだ。


瞬間、正拳。


影山は手で受け止めるも、衝撃で一歩後退。


続けざまにローキック。


それもガードしたが、影山の身体がわずかに傾ぐ。


「……やるじゃないか」


「まだまだ」


圭吾が身体を沈め、再びフック。


影山の顔面スレスレをかすめた拳が、空を裂く。


影山はすぐにカウンターを返すが、それすらも読んでいたかのように後退する圭吾。


汗が額を伝う。


少しずつ、だが確実に。


圭吾が押し始めていた。


(思ったより……冷静じゃねぇな、あいつ)


影山の目が細くなる。 そして、右目だけで圭吾の動きを追う。


次の一手――胴への踏み込み。


圭吾は読んでいた。


膝蹴りを出す。


影山の体が浮く。


ゴッ!!


まともに入った。


「くっ……!」


影山が一瞬、身体を引いた。


「悪いな……本気出さないと、死ぬぞ」


圭吾の声は冷静だった。


影山は笑った。


「……そうか。 なら、少し“手段”を変えるか」


その瞬間、影山の腰元がわずかに動いた。


シュッ……


音がした。


次の瞬間、圭吾の頬を細く切る閃き。


「……ナイフかよ」


影山の手には、小さく光る刃物。 手のひらに隠れるように持たれた、スイッチ式の小型ナイフだった。


「理に適った選択だよ。 勝つためには、使えるものはすべて使う。 お前、まだ若いな」


「……アンフェアだな」


「フェアで戦って勝てるなら、それが一番いいさ。 でも、負けるくらいなら……フェアなんて捨ててしまえ」


影山が襲いかかる。


ナイフを振るいながら、フェイント混じりの蹴り。


圭吾は後退しながら避ける。


「くそ……っ」


相手の間合いが変わった。


迂闊に攻めれば、ナイフが刺さる。


距離を取り、体勢を整える圭吾。


影山はゆっくりと歩み寄る。


「どうした。 さっきまでの勢いは?」


「……その刃、必要なかったんじゃねぇのか」


「口だけじゃ、勝てないよ」


影山の目に光が戻っていた。


それは獲物を追い詰める捕食者の眼だった。


圭吾の左腕にかすり傷。


ナイフの刃が袖を裂く。


一歩、二歩と後退するたびに、追い込まれていく。


「一撃で終わらせる」


影山が踏み込む。


右のフェイント、左手で肘を突き――ナイフを腹に滑らせる動き。


だが。


「……見えた」


圭吾の目が鋭く光った。


次の瞬間、影山の腕を掴み、関節を逆に捻る。


「っ、くそっ……!」


「こっちも“理”はある」


ナイフが手から落ちる。


だが、影山はすぐに膝蹴り。


圭吾の肋骨に命中。


「……ぐっ……!」


ふたりの距離が、一瞬開く。


肩で息をする圭吾。 唇から血が垂れていた。


影山は拾ったナイフを構える。


「死にたくなきゃ、引け」


「……引かねぇよ。 これは、俺のケジメだ」


「なら、死ね」


そして再び――刃が閃く。


地面を滑るようにして、影山が迫る。


圭吾の右手が、わずかに動く。


ナイフを受け止めた。


鋭い金属音。


「ぅああああっ!!」


全身の力を込めて、影山を投げ飛ばす。


影山が床を滑り、壁に背中を打ちつける。


「……っ、がはっ……」


血を吐く。


ナイフは飛び、床を滑った。


圭吾は、その場で膝をつき、深く息を吐いた。


「……終わりにしようぜ、影山」


その声は、もう“若者”ではなく、ひとりの“男”の声だった。

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背中で語る、ってやつだ おさるの @sinnzannjp

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