第5話 新たな仲間

「もう大丈夫だよ」

わたしは、安心させるようにぎゅっと抱きしめてあげると、ピクリとホワイトタイガーの肩が震えた。

お清め、できてよかった……。襲われてた女の人は逃げちゃったみたいだけど、後から通報されて大事にならないかが心配だな。

「……スバル」

「イチくん、言うこと聞いてくれて、ありがとね」

「あ、あぁ」

人間姿に戻ったイチくんは、わたしの背後で驚いたような表情をしている。

……ん?てっきり、怒った顔をしているのかと思ったけど。なんだか……拍子抜けしたような。

「どうしたの……?」

イチくんの目線の先は、わたし……じゃなくて、ホワイトタイガー……?それに気づいた時、わたしが抱きしめているはずのふわふわの白い毛並みが、どこにもないことに気づいた。

……えっ?

背中に回していたはずの腕を慌ててどけて、離れる。手に残った感触は、ふわふわな毛でも、ヒゲでもない。


「わ、悪かったな……」


イチくんでも、わたしでもない声の主は、さっきまでホワイトタイガーがいた場所から。でも、そこにホワイトタイガーはいない。

かわりに、いたのは——


「に、にに、ニンゲンーッ!?」


夕日が暮れかけた境内に、わたしのマヌケな叫び声が響いたのだった。


「ちょ、ちょっと待って。……ど、どういうこと……?」

目の前の光景が理解できなくて、思わずイチくんと見比べる。

たしかに、ここにホワイトタイガーがいたよね?それで、わたしが抱きしめて。でも、実際に抱きしめていたのはこの人で……。

……って、んん?ちょっと待てよ……。

わたしは、そこでバツが悪そうに頭を掻く男の子を、まじまじと見つめた。


白い髪に、黒色のメッシュ。切れ長の目から覗く瞳は、深みのかかった水色——アイスブルー。

見覚えのあるその姿に、わたしはある答えへと辿り着く。

も、もしかして、この男の子は……。

「イチくんと、同じ……?」

人間になることができる動物、なの……?

「……自分のやったこと、覚えてるか」

隣にいたイチくんが、冷静な声色で、わたしの前に立った。いまだ、さっきの怒りがおさまっていないのか、人間の姿になってもオオカミの耳だけが残って、しかもその耳はピンと立っている。オオカミの警戒しているサインだ。

「覚えてねぇんだ、それが」

「……そうか」

今にも殴りかかりそうなほど怒りの雰囲気を纏っているイチくんの肩をポンとたたいた。

きっとイチくん、わたしのために怒ってるんだ。わたしが不用心だったことが理由で、ケガしちゃったから。

「イチくん、わたしは大丈夫だから。ね?」

たしかに、引っ掻かれた腕はジンジンと痛むけど、すごく深い傷なわけでもないんだから。

わたしは、振り向いたイチくんにめいっぱいの笑顔を作った。

「帰ろう」

とたん、そっとピンと立っていた耳が外側を向いて、リラックス状態に入ったのがわかった。ふふ、猫科の動物は、耳の動きで感情がわかるって、本当だったんだ。

「あなたも、詳しくはわたしの家で話そう」

ホワイトタイガーの彼は、わたしの腕の傷をチラリと見た後、コクリと頷いた。



「——ふぅん。神山昴、ね」



神社の鳥居から見下ろす、黒い人影にも気づかずに……。


***


「頼むから、無茶なことをしないでくれ……」

「うぅ、ごめんなさい……」

消毒液が、傷口にツンと染みる。

わああ、こんなに痛いなら、無理して触ろうとなんてするんじゃなかったよぉ……っ。

イチくんも、あんなことをしたわたしに少々お怒りの様子……。

「だってだって、できるかなって思ったんだもん……」

あの時、わたしはホワイトタイガーに意思が残ってるって、直感で感じた。まあ、それが原因でケガもしちゃったんだけど。

「……スバル」

「……は、はい……」

イチくんは、消毒液の染み込んだコットンを置くと、わたしの名前を呼んだ。低くて真剣な声色。や、ヤバい、怒られる……気がするっ。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ!……と心の中で何度も叫びながら、ぎゅっと目を閉じる。

きっと数分後には、イチくんからのお叱りで撃沈しているんだろうな……なんて想像を始めた時。

予想もできないくらい、優しい声がわたしを包んだ。


「オレにとってのご主人様は、ひとりだけなんだよ」

「え……」

きゅっ、と、弱々しい力でわたしの手をイチくんの両手が包む。

イチくんの声は、消え入りそうなくらいにか細かった。

「もっと自分のこと、大事にして欲しいんだ」

その言葉を聞いた瞬間、さっきのわたしの行動の危険さを実感した。野生も同然、しかも、凶暴化していることに代わりのない猛獣に、丸腰まるごしで触ろうとするなんて。

そっか……。わたし、自分の体をかえりみないことをしたんだ……。

「ごめん、イチくん……」

「頼むから……」

気を抜くと、すぐにオオカミの姿に戻ってしまうのか、耳に加えて、大きくてフサフサなシッポまでが出現してしまった。

そのシッポは、わたしを包むようにして巻きついてくる。……やっぱりイチくんのシッポ、好きだなぁ。

「あのさ、傷つけたのは悪いと思ってるけど、イチャイチャするのは後にしてくれねえ?」

「へっ!?」

全く意識もしていなかった背後から、気だるげな声が聞こえてきて、慌ててイチくんから離れた。

い、いいい、イチャイチャ!?そ、そんなはしたないこと、してませんっ!

かぁぁ、と顔が燃えるみたいに熱くなっていくのを感じて、手でパタパタと顔を仰ぐ。

「ご主人様とイチャイチャして何が悪いんだよ」

「い、イチくん!?何言ってるのっ!?」

バッと見れば、なんでもないふうな顔をして首を傾げているイチくん。そんな整った顔で言わないでっ。っていうか、その発言、誤解を生んじゃうからやめてよぉ……っ!

もう、全身から湯気が出ちゃいそう……っ。

「はあ……」

や、やばい。完全に、彼の存在のこと、忘れちゃってた。


ため息をついた彼——しま泰雅たいがことタイガくんは、どうやら本当に、イチくんと同じように、人間に化けることができる体質らしかった。

本人は「生まれた時からそうだったから、詳しくはわからない」らしいんだけど……。イチくんとの共通点でも、あるのかな?

「つーか、オレ、思い出したことがあんだけど」

顔の火照りが冷めた頃、タイガくんはふとそんなことを言った。

もしかして、魔物の正体の手がかりになるコト!?

「教えてくれ」

イチくんも、目の色が真剣になる。

「……呪いにかかる前のことだ」


タイガくんは、基本的に人間の姿で生活していたらしい。それも、誰にも見つからないような山奥で。

そして、ある日の夜。タイガくんは魔物の呪いにかけられた。どうしてかはわからないけど、呪いにかけられても自我はあったみたい。そのかわり、体が勝手に動いてしまう、人を襲おうとしてしまう。そしていつのまにか体は、人里——私たちの街へ、ということだった。


「でも、呪いにかけられる前。何か人影を見たんだよ」

「人影?」

タイガくんの言葉を聞いて、イチくんがいぶかしげに眉をひそめた。

あれ……?イチくんの話によるなら、呪いをかけてるのって、魔物じゃないの……?

「あぁ、暗くて顔までは見えなかった。でも、オマエたちが言ってるような"魔物"らしきものは、いなかったな」

"まあ、その人影が呪いをかけたのかどうかもわからないけどな"、とタイガくんは投げやりにそう言った。

じゃあ、呪いをかけているのは魔物じゃないの……?

「……それだけじゃまだ、わからないな」

「そうだね……」

でも、魔物の正体を突き止める一歩にはなったんじゃないかな。これからも、また情報を持っているような動物や人と出会えるかもしれないんだし。初めてのパトロールでの、じゅうぶんな収穫だよ!

「それに、タイガくんの呪いをお清めできて、本当によかった!」

「っ……」

「タイガくんが呪いに負けずにがんばってくれたおかげで、タイガくんを守れたんだから」

わたしがそう言うと、みるみるうちに顔と耳を真っ赤にさせていくタイガくん。……あれ、何かおかしいことでも言ったかな。

「……ケガさせて、悪かったな」

そう言うと、タイガくんはそれっきりそっぽを向いてしまった。

「これからは、オレもオマエに協力してやる」

「!いいの?」

「……まあ、オマエのためなら」

思いもよらない展開に、わたしは目を輝かせた。

まさか、タイガくんが協力してくれるなんて!「ありがとう!」そう言おうと口を開いたその時。

「……スバルはオレのご主人様だ」

グイッ、と肩ごと横にいるイチくんに引き寄せられた。かと思えば、バランスを崩したわたしの体は、ぽすっとイチくんに受け止められる。

「へっ」

ちょ、ちょちょ、ちょっと待って。何この状況……!?

「はあ?カンケーねえし。別にイチロウのものって決まってるわけじゃないだろ」

「舐めるな。結びを交わしてんだよ、バーカ」

イチくんとタイガくんが、なにやら二人で言い争いをしているけれど、今のわたしにはそれどころじゃない。

か、か、肩にイチくんの腕が……っ。

まるで抱きしめられているようなその体勢に、わたしの心臓は、ドキドキと太鼓を打っているみたいに鳴っている。

「へえ?たかがオオカミが守れるワケ?オレならトラだし。しかもホワイトタイガーだぜ?」

「知るか」

「結び相手なら、オレの方がいいんじゃねえ?」

「絶対譲らない」

もう、二人とも、何をそんなにケンカしてるの……っ。

肩に回されたイチくんの腕にしか意識がいかなくて、もう、パンクしちゃいそう!

生まれてこの方、男の子と縁のない生活のせいで、男の子に対する免疫なんて、わたしに一ミリもない。


「とにかく、オレのご主人様は誰にもやらない」


なんでそんな甘いセリフが、さらっと吐けちゃうのーーーっ!?

玄関から、「ただいまー」と、お母さんの声が聞こえた。

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