アニマルミッションズ!
太門空多
第1話 満月の夜
【今、日本国内で、凶暴化した動物たちが人を襲う事件が多発しています。夜はできるだけ外出を控え——】
リビングのダイニングテーブルの前に置かれたテレビから、緊迫した様子のアナウンサーの声が聞こえた。
わたし——
「……何があったのかしらねぇ」
むかいに座るお母さんが、妙に真剣な顔つきでそう言った。
動物が、凶暴化……か。
「動物にもきっと、何か理由があるんだよ」
中学1年生のわたしにはまだ、専門的なコトとか、動物の心理とか、そういうのはわからない。それでも、大人になったら獣医さんになって、動物の心の声が聞けるようになりたいって、そう思ってるの。
だからこそ、今のニュースを聞いて、少し不思議に思ったんだ。
動物は、理由もなく人を襲ったりしないはずだよ。きっと何か、理由があるんだよ。って。
……肝心な理由はわからないけど。
「……そうね」
わたしの言葉に、お母さんは微笑んで頷いてくれた。
わたしのお母さんは、わたしと同じように、動物が好き。だから、私が将来獣医さんになりたいという夢も、全力で応援してくれてるんだ。
だからわたしは、そんなお母さんが大好きなの。
「スバル、悪いけど、お風呂を沸かしてきてくれる?」
「はあい」
夜ごはんを食べ終わった後、お母さんは食器を洗いながら私にそう言った。
ゲ、お風呂場まで行かなきゃいけないのか……。と、思わずこぼしてしまいそうになったのを、すんでのところで喉の奥へと引っ込める。
どうしてわたしが、こんなにもお風呂場へ行くことを渋るのか、それは……。
「うぅ……く、暗いよ……」
天井についた小さな電球は、もうすぐ力を失ってしまいそうなほど弱い光で廊下を照らしている。でも、そんな光の量だけでは、もちろん少なすぎる。わたしの家の廊下は夜になると、いつも薄暗くて、今にもオバケが出そうな雰囲気をまとっていた。
ペタペタと、裸足で廊下を歩く音と、木の床がギシギシときしむ音だけが、私の耳に入ってくる。
怖いよぉ……オバケが出てきたら、どうしよう。……っていうか、どうして私の家はこんなに無駄に広いのっ。
お母さんと二人で暮らすのに、こんなに広いお家は広すぎるよ。
——そう、わたしの家、神山家は、どうしてかとっても大きい。……といっても、テレビやコマーシャルに出てくるような、現代風の小綺麗なお家じゃない。雨の日は、傷んだ箇所から雨漏りがしてくるような、木材で建てられた古いお家。きっと大昔に建てられたのだろう。このお家の床には、たくさん畳が使われていて、しかも部屋を区切るのはふすまと障子。
そして、極め付けは——……。
ガサッ……ガサガサ……
「ひっ」
突如、右にある障子の向こうから、葉っぱが擦れ合うような、それでもって、地面の小枝が折れるような音がした。
びっくりしたわたしは、思わずマヌケな声をもらしてしまった。
い、今、ガサガサって、いったよね……?
——そう、神山家は、唯一のご近所さんが、ここから一キロ以上離れたところというような、山奥にあるの。上から見るとわかる、山を登って開けた場所に、ポツンと、一軒。
「だ……誰か、いるの……?」
だからこそ、誰もいないはずの外から、不自然な音が聞こえてしまった時は、心臓が止まってしまうくらい怖いんだ。そしてまさに、今がこの状況で。
わたしは、凍りついたように硬直した背中をガクガクと震わせながら、障子の向こうに向かって声をかけた。
わたしったら、何をしてるんだろう。ここにわたしがいること、バレちゃったじゃない。もし何かがいたとして、それがわたしを狙う何かだったら——……。そこまで考えて、ぶるりと身震いした。
でもわたしは、何か気になることが一つでもあったら、自分の目で確認せずにはいられないタイプで。
ごくりと唾を飲み込んだわたしは、震える指先で障子に手をかけていた。
もしも障子を開けた先に、オバケがいたならきっとわたしは、あの世へと連れて行かれちゃう……。逃げる準備はしておかなきゃ……っ。
なんて思いつつも、わたしはいつも危険な方へと突っ込んでしまう。
それが今回、本当に危険な目に遭うなんて——。
「……へ……?」
ズズ……と、長年使っていたせいですべりの悪くなった障子を、ゆっくりと開けた。
そして、その先にある、大きくて、真っ黒な影。それを見た瞬間、わたしの口からは、息でもない、声でもないような音が漏れた。
硬直していた背中からは、カクンと力が抜けて。
——体が、動かなくなった。
だって、だってだって、そこには……。
「ツキノワグマ……」
立ち上がったその姿は、きっと一メートル五十センチ以上。そして、胸元に三日月型の白い模様。
間違いない、日本の森林に生息する、ツキノワグマだった。
ツキノワグマは、ギラリと光らせた赤い目でわたしの姿を捉えると、グフゥ……という大きな息を吐く音とともに、ボタボタボタっとヨダレを垂らした。
わたしのことを食べようとしているんだ、そう悟った瞬間、まるで凍ってしまったように微塵も動かなかった私の体は、ブルブルと震え出した。
どうして……?ツキノワグマは、タケノコやドングリを主食にしているはずで、人間を自ら食べようとはしないはずで……っ。
"今、日本国内で、凶暴化した動物たちが人を襲う事件が多発しています"
じゃあ、どうして……。と、そこまで考えたところで、頭の中に、さっきのニュースがフラッシュバックした。
動物が凶暴化……してるんだ。
どうせ人を襲う前に、人が動物に何か刺激を与えているんだ。なんて、わたしは思っていたけれど。
違う……。
まるで、何かに取り憑かれてしまったような赤い目が、どんどんと私に近づいてくる。
ダメ、このままじゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ、襲われる。逃げなきゃ……!
心ではそう思っているのに。頭の中で、危険を知らせるアラートが鳴り響いているというのに、私の体はそれと反対に、動こうとしない。
なんでっ……!
はっ、はっ、はっ……と、浅い呼吸を繰り返す私に、目の前のツキノワグマが、唸るような低い声を上げた。
もう、ダメだ……。
ぎゅっと目をつむった、その時だった。
「グォォッ」
まるで、私の目の前をナニカが猛スピードで駆け抜けたような風圧が、ブォンと巻き起こった。それと同時に、苦しむようなクマのうめき声が聞こえる。
そして、鼻先にまで感じていたクマの息も気配も、今は感じない。
……何が、起こったの……?
つむっていた目を、おそるおそる開ける。ドクドクと早鐘を打つ心臓は、今にも爆発しそうだった。
「っ!」
そんななか、目を開けたその先に映ったものに、わたしは息をのんだ。
だって、だってだって。そこにいたのは——……。
「ウォォォォォン!」
満月の夜。
家から見える、まんまるな月の前に佇む銀色の影。紺色の空を見上げた金色の瞳は、月と同じ輝きを放っていた。
そのすぐそばには、さっきまで私を襲おうとしていたクマが、力をなくしたように項垂れている。
「オオ……カミ……」
ポツリとそう呟いた私の声にピクリと耳を反応させたオオカミの、つやめく銀色の毛並みが夜風に吹かれてはらりと揺れた。
きれい……。
そう思った、次の瞬間。
ぽぅっ……と、オオカミの体の周りが、白くまばゆい光で包まれたかと思うと、瞬きをしたその時には、そこにオオカミの影はなくて。
「え……?」
人影があった。
さっき見たオオカミのように銀色のその髪は、月の光を反射していた。
そして、その人影がわたしにゆっくりと近づいてくる。
それなのに、私の心臓は、さっきとは比べ物にならないくらい落ち着いていて。不思議と、「怖い」とは思わなかった。
わたしのことを助けてくれたから?それとも、感覚がマヒしちゃってるから?
……いや、違う。
「やっと見つけた」
廊下から漏れる少しの光に照らされて、その人影の姿がぼんやりと浮かび上がるようにして、わたしの目に映った。
安堵したようなその声は、掠れ気味で、少しハスキー。
「——ご主人様」
どこかで会ったことがあるのかどうか、疑いたくなるくらいに。
胸の内側が、ふわりと懐かしい感覚にさらされたから。
初めて会ったはずなのに、どうして……。
それに、ご主人様って……。
「ど、どど、どういうコトーーーっ!?」
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