【短編】ホットマン

お茶の間ぽんこ

ホットマン

「今日は外出しよう! 花見だ!」


 冬がすっかり終わってわずかに暑さを感じる春の日、彼はそう言った。テレビでは今日の最高気温が二十二度であることを告げていた。中継先の街を歩く人々は半袖姿だった。


「ついに」


 私は子どものようにウキウキしている彼の様子を見て思わず笑った。


 ついに、彼は長い冬眠から復活したのだ。


 彼は極度の寒がりで、また暑さにとても強い人間だった。



 川沿いに咲き乱れる桜を眺めながらあてもなく散歩する。


 薄着のブラウスを着た私の横で、重装備のコートとマフラーを身にまとう彼は、まるで雪が降る真冬の寒さに耐えているみたいだ。


「花見の時期に外に出られてよかったね」


「まあこれでも耐えてるんだけどな」


 彼は体を震わせた。本当に寒いようだ。横を通り過ぎる人が不思議そうに私たちを見る。傍から見たら風邪でも引いている人を連れているように見えるのだろうか。

だけど、彼へ向ける異様な視線にはもう慣れっこだ。五年も一緒に過ごしているとさすがに彼の普通に順応していた。


「外に出るのいつぶりだっけ?」


 彼は指で数える。


「半年ぶり。去年は寒くなるの早かった気がする」


「それはまた、長い冬眠で」


「早く地球温暖化が進まないかな」


「そりゃ不謹慎だよ」


「俺みたいに皆『ホットマン』になれば良い話さ」


「そうしたら少しでも寒くなったら誰も外に出ないよ」


「そんときはそんときさ」


 彼は笑う。私も笑う。


 頭上で満開に咲く桜の木が、風に吹かれてひらひらと花びらを落とした。





 彼とは真夏の砂浜で出会った。燦々と降り注ぐ日差しが肌を焼きつける。


 私は江の島近くの砂浜で、女友達と一緒にビールを飲んで涼んでいた。彼もまた男友達と一緒に来ていて私たちをナンパした。


 彼はとても活気があって、初対面の私の手を握って海へと連れ出した。ひんやりと冷たい海水が全身を伝って心地よかった。今になって思えば、彼は寒がりだけど多少の冷水には耐性があるのだろうか。もしくはやせ我慢をしていたのか。とにかく彼と一緒に水をかけあって良い雰囲気になった。


 彼たちと別れる頃にはお互い連絡先を交換しあって、また会う約束をした。


 彼が『ホットマン』だと気づくのには時間がかからなかった。

 

 最初のデートは箱根ドライブだった。彼が持っている車に乗せられたが、冷房が全く効いていない、というよりかは冷房をつけていなかった。車に入った途端、むわっと暑さがたちこめて、まるでサウナに入っているみたいに汗がダラダラと流れ出た。


 彼は一切汗をかいていなかった。むしろ心地よさそうな顔をして、車内で流れる陽気なBGMにあわせて鼻歌を歌っていた。私はそのBGMも相まって余計気分が悪くなった。「冷房をつけて」私が窓を開けて言うと「この暑さが良いんだよ」とゲラゲラ笑いだした。


 私はしばらく窓の風にあてられて耐えていたが、やはり車内の暑さにやられてしまって、「もういい。ここでおろして」とイライラしながら言った。彼はどうして私が不機嫌なのかが不思議そうな顔で、仕方なさそうに近くの駅に私をおろした。


 その夜、彼から「ごめん。俺極端に暑いのが好きなんだよね。友達に相談したらお前が異常すぎるんだって言われて。今度お詫びしたいからどこかで会えないか」と言われた。


 私は彼がとても変わっていて気づかいもできない嫌な奴だと思ったので、断ろうとした。だけど、その「極端に暑いのが好き」というワードに可笑しさを感じて、もう一回ぐらい会ってみても良いかなと思い直して会うことにした。


 そうしてまた、彼とご飯に行くと真夏なのにおでん屋さんをセレクトするものだから、いよいよこの人はふざけてるんじゃなくて本当にそういう人なんだなと思わされた。その驚異的な暑さ好きが面白くて、この人と居たらどうなるのかが気になっていった。


 「あと一回だけ会おう」を何度も繰り返して、気がつけば付き合っていた。


 人々が冬仕様のファッションを着始める頃には、彼は一切の外出をしなくなった。クリスマスなどといった冬イベントは外に出ることはなく、私が彼の家に行って一緒に過ごした。


 何か必要なものがあったときは、彼は通販で仕入れるか、私に買い物をお願いした。彼の家に行くといつでも暖房が三十度に設定されていたし、それは同棲をしている今でも同じだ。それでも私に対してかなり譲歩しているらしく、家で私は半袖になるけれど、彼は厚着で過ごす。


「あなたはどうしてそう、暑いのが好きなの?」


 私は呆れたときにいつも彼にそう聞く。


「地球温暖化の影響で突然変異したのさ。君もいずれ『ホットマン』になる」


「ホットマン」


 彼が『ホットマン』と自称するのが可笑しかったけど、確かに彼は『ホットマン』なのだ。





「今日の夕飯どうしようか」


 彼は花見の帰路でたずねてきた。少しは私にあわせようとしてくれているのだろう。


「おでんにする?」


「おでん? 君たちの普通だと、もう旬が過ぎている頃だけど」


「私がもう、あなたの普通に順応しちゃってるみたい」


「君も『ホットマン』の仲間入りだね」


 私は笑う。彼も笑う。


 もしかしたら、彼が言う通り、彼は本当に突然変異で『ホットマン』になっていて、今普通の体感気温の私たちもいずれはそうなるのかもしれない。あるいは、私は彼に感染してそうなっているのかもしれない。


 私はそう思いながら、暖かい風に吹かれて少しだけ体を震わせた。

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