第11話

 私は、所謂学友と呼ばれる間柄の者に明かし、万が一稀有な趣味だと怪訝な眼を向けられたとしても、自分にはそれすらも好機に出来るという確信がありましたから、重要視をしていませんでした。私が懸命に隠そうとしていたのは、ひとえに両親(特に父親の、厳格な態度が頭の隅にちらついて、想像を膨らませては怯え、あまりの恐怖に身震いし、その日は勉強も、勿論執筆活動も、何一つ身に入らないような有様だったのです)に話が行くことを防ぐために過ぎなかったのです。

 上京しても尚、両親の顔色を窺っている自分が情けないと、自分自身が良く分かっているのですけれど、植え付けられた恐怖とは恐ろしいものなのです。もう二度と、死を覚悟するような折檻は、経験したくありませんし、見て見ぬふりをする使用人に絶望することも、嫌でした。ですから、私は、父にとって都合の良い、従順で素直な私で居なければならなかったのです。

 思惑通り、佐倉は私の憐憫にも似た同情心によって、今まで感じていた疎外感を忘れ去ってしまって、声を弾ませて、

「読んでみたい」

 と強請りました。彼女が私の目の前に腰を掛け、彼女の視線が時折、私の手元にこっそりと向いていることに気が付いた時点で、こうなってしまうことは、私にも想像出来ていました。ですから、不快感や、今までのような出し惜しみも、もうしませんでした。

 何より、ここで、彼女を拒否する事は、私にはできません。練度も、舞台の大きさも違えど、私と彼女は同じ道化であると分かった時点で、単純にも、うっすらと仲間意識のようなものが芽生え始めていたのです。拒否されることが、酷く悲しく、道化を助長させ、孤独が加速することを、私は良く知っています。

「今書いているものが出来たら、是非」

 リップサービスなどでは、決してありませんでした。

 一作目こそ、誰にも知られまいと隠して、私だけが覚えていればいいとすら思っていたのですが、文筆家という生き物は我儘で、一作、また一作と生み出す度に、読まれ、それが万が一批評であったとしても、その感想を欲してしまうものなのです。喉が渇いたら駱駝らくだのように、ゆらゆらと歩き、やっと水にありつけたと言わんばかりに水瓶に顔を突っ込み、余すこなく飲み干そうとするのです。作家という存在は、何時でも口渇に喘いでいます。

 彼女の目が肥えていることを知って、喉の渇きを癒して貰う事を画策しました。その為には、私が今抱えている無知を解決しなければなりません。

 井の頭の明大前で降りていく彼女を見送り、私はそのまま電車に乗り続け、吉祥寺で降りました。その間の手持ち部分な数十分も、持ち歩いている文庫を開いてみたり、はたまた、車内に居る男女の恋人にそれとなく視線を向けましたが、確信に至ることはありませんでした。

 知るには、体験することが一番であると分かっているのですが、恋というものは、意志であるという、かの大作家の言葉を信じていましたから、一朝一夕で解決するなどという夢物語は、現実的ではありません。今、一番身近な佐倉をだまして、恋愛を始めてみても、それは「意志」ではありませんから、価値のない、全くの徒労なのです。


 吉祥寺の本屋で、数冊の恋愛小説と、啓発本を手に取り会計を済ませました。経験することが難しいのであれば、恋に悩む人々の心を分析すれば、ある程度は書き上げることが出来るだろうという、安直な考えでした。

 この日以降も、お決まりの四人組という関係は続いていましたが、佐倉とは時折、放課後の図書室で逢瀬を重ねるようになりました。佐倉から、文学に関しても、はたまた勉強に関してでも、何かを学ぶようなことはありませんでしたが、隠し事を共有している間柄は私にとっても心地良く、誘われて断る理由もありませんでした。

 時間を共にすればするほど、相手に入れ込んでしまう癖は、私の悪い癖でした。宮木の時と同様に、私は佐倉に、どうにも安堵というものを覚えていたのです。私は彼女を、自分の代弁者を手に入れたとばかりに思っていました。

 私は、道化の仮面を被っていても、万が一被っていなくても、人前で意志を紡ぐことに抵抗がありました。例えば、ひとりで買い物に行ったとき。私は店員の前でまごつき、上手く声も出せず、誤魔化そうとして口を開くのですが、乾燥した喉に皮膚が張り付いたようで、声は裏返り、そんな私に奇異の目を向ける店員が恐ろしくてたまりません。まるで、目の前の人間が、いまにも自分を怒鳴りつけ、攻撃するのではないかしら。そう思ってしまって、もうだめなのです。今までは、それとなく同行者に任せていて、その度に、どう頼めば自然か、頭を悩ませていたのですが、佐倉と行動を共にするようになってからは、そのような心配をすることはとんとなくなりました。

 明朗快活が服を着たような佐倉は、まるで異世界の生物でしたが、同時に都合が良かったのです。私と関わるうちに、私と世間の乖離に勘付いてしまったのでしょうか。佐倉と共に街に出ると、私の表情が曇るよりも先に、

「これでいい?」

 とメニューを指さし、頷く様を見届けることもなく店の中に入って行ってしまって、さっさと用事を終わらせて戻ってきてくれるのです。これは、私が判断を委ねられると途端に言葉に詰まり、何分も、はたまた何十分も時間を無駄にしてしまうと知っているからこその、彼女なりの気遣いであって、私はこの強引さに感謝すらしていたのです。

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