第7話

 順調な学校生活を送り、最高学年に上がっても、私と宮木の関係は続いていました。とは言っても、二年続けて同じ教室を共にしたというだけで、校内で会話を交えていたに過ぎない関係に過ぎない。校内では四六時中と言っても良いほど密接に関わっているというのに、放課後は存外あっさりと別れ、また翌日に挨拶を交わして、他愛もない、中身のない会話を繰り広げるだけの、希薄な空気を纏った学友でした。

 その中でも、私と宮木は確かに友情を育んでいました。放課後直ぐに解散してしまうとは言っても、時折、夏の頃でしょう。日の入りが遅い時期は、教室に残って取り留め話をしていました。内容などは本当に、記憶を抜き取られているのではないかと思うほど覚えていないのですが、ひとつ、鮮やかに覚えているのは、彼が私に小説家を勧めた時です。

 私はそれまで、創作者というものは神聖な存在であり、自分のような若輩者がその冠に手を伸ばすことなどという、烏滸がましい希望を持つ事はありませんでした。幼少からの読書の習慣は長く続いていましたが、あくまでも私は読者に徹し、流れるままに父の意向に沿って生きていくことを、ぼんやりと決意していたのです。

 しかし、心の奥底では、あの日文学に感銘を受けた瞬間から、私の魂は文筆家に浸食されていたのでしょう。その野望に蓋をして、鍵をかけていたのやもしれません。そういった私の臆病な心持を、宮木が知っていたのか、はたまた気紛れだったのか、私には分かりません。

 現代国語の授業では度々、短篇の小説を書かされることがありました。屡々私の作品は、優秀なものとして取り上げられることが多く、貼り出された作品を教師が音読し「皇を見習うように」と締め括るたび、私の心臓は締め上げられたように痛んでいました。私の作品には、基礎などなにもなく、先人の積み上げた文学の模倣品に過ぎなかったがゆえの、罪悪感でした。

その日も、例に漏れず私の作品が絶賛され、歓声を貰い、私は羞恥に苛まれて俯き、意味もなく制服の袖を引っ張り、髪を整える振りをして、居心地の悪さを払拭しました。終礼が終わり、各々が帰途に就くのに反し、私と宮木は机を寄せて、雑談に耽ることにしたのです。

 「桜痴は、小説家になれると思うよ」

 「世辞が上手いですね。そんな大層なものでもありませんよ」

 授業の直後でしたから、謙遜などではなく、本当に、話題に困ったがゆえの世辞だと思ってしまって、かえって困らせられたものです。私の返答に首を振った宮木が、器用にシャープペンシルを指の上で躍らせながら口を開き、次第に饒舌になりました。

「本気だよ。いつも思ってたけど、機会がなかったから。今日のやつが一番好きだな」

「そうですか。ありがとうございます」

 分かりやすい愛想笑いだったと思います。実際私は、見せつけるように肩を竦めました。

「乗り気じゃなさそうだな」

「うちでそんな世迷言、言えませんよ」

 極めて冷静に、淡泊な返答を心掛けたのですが、お察しの方もいるでしょう。ここまで鮮明に覚えているのですから、それは私にとって甘美な言葉でした。

 大人の紡ぐ私への甘い言葉は、全てが嘘に見えて仕方がなく、例えばこの言葉を教師から貰ったとしても、

「ああ、またか」

 と落胆し、肩を落としていたことでしょう。

 然し、 宮木には大きな信頼を寄せていましたので、そのような無粋な世辞を、まさか私に言うなんてことは考えられず、彼の心からの声援だと信じ、密かに小説家への希望が頭を擡げました。

 素直ながらも、変なところで意固地な私は、宮木に隠れて執筆に精を出すようになりました。安価な原稿用紙に筆を走らせ、ひとつ、またひとつと短いものを生み出していくうちに、私は執筆活動にのめり込んでいったのです。

 宮木は、よもや私があの時の戯言を本気にして筆を取ったなどと夢にも思っていなかったのか、はたまた、私が家系を盾にして断ってしまったことが災いしたのか、それ以降小説家の道を勧めるようなことはしませんでした。

 私は宮木と同じ、五所川原の高等学校に進学するつもりだったのですが、父は東京の学校に入学させたかったようです。勿論、父は故郷を愛していましたが、家業を継がせるには、閉鎖的な田舎の小さな学校教育では足りないと考え、私を東京の別荘か、遠縁の親戚の家に厄介にさせるつもりでした。私は、「小説家」という漠然とした夢を胸の内に秘めてはいましたが、両親にそのような夢物語を打ち明けることなど、臆病者の私にできるはずもなく、従順な息子を演じました。

 滞りなく高校受験を突破し、春から、晴れて東京に移り住むことが決定しました。私は、集団行動というものに並々ならぬ嫌悪感を持っていたので、父の別荘に一人の使用人と住むことを懇願し、了承を得ることに成功しました。

 全く新しい土地での生活にも、得意の道化で難なく馴染むことに成功し、特筆すべきことのない、平凡な日常を謳歌していました。学生でありながら、連絡先の交換に頓着のない私と宮木は、互いの進学を契機に、完全に疎遠になってしまいました。不思議と、私はこの件に関して、惜しいことをしたという後悔のようなものはなく、思い返しても、私は他者と縁が切れたことに心を深く痛めたような経験はなかったように感じます。

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