【2-5k】国家に感情を収容されそうになったヒロインを救うため、“私掠”したら、まさかの合法だった。

 転送が終わった。


ぼくは異世界へ転送された。 そして異世界の異世界転送の受付室から、転送された。早口言葉みたいだ。


 ……あれ、服、着てる……?


 白くてふわふわした布が、ぼくの身体を包んでいた。さらさらの手ざわりで、なぜか落ち着く。

 まるで高級ホテルのシーツをぐるぐる巻きにしたみたいな。けど、どこか不安定で、ゆるゆる。


(これ……昔のギリシャとかの哲学者とかが着ていそうな…トーガだっけ?)


 そんな名前の服。だけど、どうして着ているのか――思い出せなかった。


 


 吹き込む風。光の中。目の前には彼女がいた。


 


「リドリー……」


「うん。わたしがあなたの案内人。――あらためて、ようこそトロイメイアへ、よろしくね、ケン」


「それにしても、そのトーガ……サイズ、ぜんぜん合ってないわね。ちょっと待ってて」


 リドリーはポーチからホッチキスのような器具を取り出すと、器用にトーガの余った布をつまんで、カチン、カチンと留め始めた。裾、肩口、腰――たしかに、ずいぶん動きやすくなった。


「ほら、これで見えないし、めくれない。よし、これでとりあえず外歩けるわね」


「……ありがと」


 ぺこりと頭を下げると、リドリーは「どういたしまして」と笑い――そのとき、ふと、表情を変えた。


「……裏地、ちょっと見せて。んー、やっぱり……これ」


 リドリーはぼくを子猫のように首の布をもちあげる。 布の裏、刺繍のあいだから、かすかに覗いていた――金色の太陽の紋。黄金の花のような記号。


「……女王の紋章、ね。まさか、ね? でも、この質感、仕立て方……んん~ん??」


 リドリーは少しだけ黙って、それから意識を切り替えるようにパンッと手を叩いた。


「さて、それはさておき。あなたが転送されたばかりの転生者さんであること、転生の手続き、居住登録、世界のルール、魔法と感情の扱い、それから――」


「えっ、全部教えてくれるの?」


「……本当は、放っておいてもそのうち順応するから、何も言わずに帰っていいんだけど」


「ええ……」


「でも、特別に! わたしが! 特別に! 教えてあげようと思ったの!」


「ありがとう、語気が強い!」


「まずはですね、この世界では“願い”が魔法の根源であり――」


 


 ブウウウウウウ――ン!


 そこへ、唐突に鳴り響く警告音。


 空間が赤く染まり、足元からウィンドウが浮かび上がった。


【警告:思想犯該当項目を検出】

【該当人格:ID_リドリー7310】


【関連資源『わたしのばしょ』、収容処理開始】


「は!?」


 リドリーの顔から一気に血の気が引いた。


「え、なに!? えっ!? わたし!? 思想犯!? わたしが!?」


「いや、ぼくに言われても……」


「いやいやいや、思い当たることなんてない! 朝だって“バターとジャム”って思っただけなのに!? もちろん口に出してない!!」


「いま、言っちゃってるね…」


【収容開始まで:残り231カウント】


「やばいやばいやばいやばい!!」


彼女の目の前の赤いウィンドウがカウントダウンを始めていた。だいたい1カウント1秒くらいかな?


 警告ウィンドウが赤く点滅していた。

 カウントダウンが、彼女の名前の横で無慈悲に進んでいく。


 【該当人格:ID_リドリー7310】

 【感情人格収容プロセスを開始】

 【収容までの猶予:196カウント】


「まずい……! これ、ほんとにわたし自身が“収容”されちゃう……!」


 リドリーが顔色を変えて振り返る。

 さっきまでの理知的で余裕ある案内人の姿はもうない。

 代わりにそこにいるのは、追い詰められたひとりの人間だった。


 赤く点滅する警告ウィンドウ。

 カウントダウンの数字が、彼女の名前の横で無情に進み続けていた。


 【該当人格:ID_リドリー・オースティン】

 【感情資源保持者が不在のため、人格資源処理プロセスを開始】

 【収容までの猶予:131カウント】


「……やばい、やばいやばいっ!!」


 リドリーが焦りながら頭を両手で抱え、ぼくに早口で説明を始めた。


「感情連結コードが未登録状態で接続不能。

 人格保護には何らかの関係属性が必要――具体的にはA分類の“感情的生活共同体”、

 もしくはB分類の“私的所有対象”。C分類の官製保護は……間に合わない。現場裁量ゼロだから」


「……ごめん、今のってつまり?」


「“恋人になる”って届け出るか、“あなたのものにしてもらう”しかないってことよ!」


 ぼくは呆然とした。

 恋人? 所有?


「Aは“恋愛”!!制度上、“感情的暫定接続関係”って呼ばれてる。

 そのうえ、保護効力は弱いし、不安定。接続失効までの猶予も短い、いますぐ私に恋しなさい!ってこと! あとでしつこい程にテストあるわよ!わたしの好きなところを100個言ってとか、3カウントごとに存在証明して!とか感情ポリグラフを維持してとか! 間違えると刺されるわよ。国と …私に。」


「(うわこわい)じゃあ、B分類って……?」


「“人格ごと所有”されること。……つまり、わたしを“奪う”ってことよ。

 元々は貴族たちの奴隷制度の再利用――本来なら忌避されるやり方。でも、合法よ。感情じゃなく、手続きで守れるから」


 その言葉を聞いたとき、ぼくの頭の中に、ひとつの“資格”がよみがえった。


「――そうだ……! ぼく、私掠免状を持ってる!」


 思わず声が出た。

 リドリーが、少しだけ目を見開いて笑う。


「そう!! それよ!!」


 その笑みに、どこか試すような色が混じっていた。


「でも、どうする? “私があなたのものになる”のは、それなりの覚悟がいるのよ?」


「うっ……」


 ぼくは口ごもる。だが――時間はもう、ない。


「なにその顔。いくじなしぃ〜」


 リドリーがからかうように笑った。


「異世界から来た勇者さんって聞いたけど……どうする?」


 言葉の槍が、深く突き刺さった。

 でも、不思議と腹は立たなかった。悔しかったけど、それより――


 守りたいと思った。


「……わかった。じゃあ、僕が――君を“所有”するよ」


 そう言って、ぼくは彼女の手に触れた。


「国家に奪われるくらいなら、僕が――君を、奪う」


 ウィンドウが、静かに更新された。


 【対象:ID_リドリー・オースティン】

 【私掠宣言受理/所有権:一時的移譲完了】

 【収容プロセス:凍結】


 ……冷たい赤が、消えた。


「やった……成功した……!」


 リドリーは少しだけほっとして、それでもどこか寂しげに笑った。


「ありがとう、ケン。ほんとに……救われたの。

 ――でもね、この国は、感情じゃなくて証明でしか人を繋げない。

 “好き”じゃなく、“書類”で。……あなたが“奪ってくれた”って、その事実が、今のわたしを守ってるの」


 その言葉を聞きながら、ぼくは心の奥で思っていた。


(この世界は、感情を否定しながら、

 でもなぜか――誰かを好きになることを、そっと、強制してくるような気がした)


 

「ケン……ありがとう。た、たすかったぁ……」


「すぐ返すからね! 本当に一時的だから! やばい意味とかじゃなくて! 信じて!!」


 それから、ぽつりと呟く。


「……この国って、不思議よね。

 “好き”とか“特別”とか、そんな感情に名前をつけないと、人と人の関係が許されないなんて。

 言葉にしないと、守れない。証明できない。繋がれない」


 その言葉に、ぼくは答えられなかった。


(“恋”とか“好き”とか――そんなの、まだよく分からない。

 でも、君がここからいなくなるのは嫌だって、思った)


(……この世界は、まるで。

 「誰かを好きになれ」って、優しく命令してくるみたいだ)



 警告音が、まだ止んでいなかった。

 リドリーがふと息を呑んだ瞬間、空中に新たなウィンドウが浮かび上がる。


 【関連資源:「わたしのばしょ」】

 【所有者IDと感情接続が断たれたため、感情拠点再分類プロセスを開始】

 【収容までの猶予:62カウント】


「っ……!」


 リドリーの肩が、びくりと震える。


「今度は……《わたしのばしょ》が、狙われてる」


「わたしの、ばしょ?」


「わたしの暮らし。記憶。帰る場所。……なんというか…まぁ見たらわかるはず!」


「それって……じゃあ、君の家…とか?」


「社宅よ。2層の平和省のエリアにある“指定居住区”。でも今、わたしが収容フラグに入ってるから、居住権も剥奪される」


「そんな……!」


 リドリーは震える指で、目の前のウィンドウを操作している。


「待って、まだ……! もし立ち合い確認ができれば、資源分類は保留されるはず……っ。すくなくとも、数少ない私物を分解されずに済む… 

 第三者認証と、感情接続者の臨場、あとは――」


「まずはなんとしても収容前にたどり着かないと… そのためには時間をつくらなければ…」


 彼女は申請画面に向かってブツブツを言葉を放っている。


「“時間給休憩申請”、部署コード……平和省 戦略室…理由欄は――」


 一瞬、迷って。


「……“当該所有者との適正な感情接続のため”っと」


 決して冗談ではなかった。けれど、少しだけ照れていた。


 ウィンドウに表示された処理結果は、すぐに返ってくる。


 【承認:感情優先コードに基づく短期離席】

 【有効時間:900カウント】


 「すくなっ!! 申請理由の追加”さらに必要に応じた人口再生産行為のため」


 【承認:社会福祉コードに基づく中期離席】

 【有効時間:+1周期+900カウント】


 リドリーは深く息を吐いた。そして、ケンの腕を掴む。

「ん?再生産?」

「よし……間に合うかもしれない。行くわよ、ケン!」


「どこへ!?」


「わたしのばしょ。取り戻しに行くの。今ならまだ、誰にも触られてない……!」

 床を蹴り、リドリーが廊下を駆ける。

 制服の裾が風に舞い、ケンの手を引くその手は、驚くほど強かった。


 重厚な自動扉をすり抜け、二人は平和省の建物を飛び出す。

 外の光に目を細めた瞬間、リドリーは空を見上げてひとこと。


「……間に合え……!」


 建物の外、連結チャリ置き場には魔法通信で予約された飛行具が、既に起動待機状態。

 銀のフレームに魔法回路のエングレーブに沿ってほのかに光る箒――《チャリ》が、ふたりを迎えていた。

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