【2-4a】絡まり。
タスクが、ない。
調和庁の神託予言を三度リクエストしてみたが、オーグは“割り当てなし”を繰り返すばかり。
今日という日は、空白だった。
──いや、そんなはずはない。
愛情省において、いや、この国の仕事について「なにもない日」など存在しない。
秒刻みで感情が処理され、秒刻みで祈りが整列されていく世界。
そんな中でぽっかりと空いた時間は、むしろ不穏だった。
「……既定余暇消費フェーズか?」
統合庁から“余暇消化勧告”が来るのだろうと身構えていた。
が、現れたのは、赤いタイトルバーの通知ウィンドウ。
【臨時業務案件 - KPスコア加算対象 / 志願枠】
《Secure, Protect, Contain.》
任務内容:収容
対象:詩
補足:《思想犯罪者の居住空間の確保》
対象の「わたしのばしょ」の制圧、および確保
分類:深層願意変換・一次修正フェーズ
拘束:10周期(予測精度 7.6)
支給装備:標準近接戦闘群一式〈3.5世代/個人補正済み〉
追加装備:(8周期後)深層型エテル防護スーツ
:【推奨】持ち込み「ポケットドラゴン」(受諾後持ち出し制限解除)
報酬見積:KP+5.0/エテル還元特典/家族付与枠増加(一次選考)
アタラは画面を見つめたまま、言葉を失っていた。
“詩の修正”にしては──重すぎる。
戦闘装備。それも3.5世代の最新モデル。
兵役時代に使用していた二刀の仕様が、そのまま“個人補正済み”としてリストにあった。
懐かしさよりも先に、ぞっとするものが背中を走る。
「……何が、来る?」
補足任務は、ただ一行。
《思想犯罪者の居住空間の確保》
──これだけ。
しかし、付随ファイルのタイトルが違っていた。
【氏名:リドリー(保護制限あり)】
思想犯罪者の「処置」をしないどころか、保護?しかし「わたしのばしょ」は制圧と確保? まったく見当がつかない。
そして収容内容が
詩。
ただの、詩だ。
だが、愛情省で思想を扱っていたオレの直感が告げていた。
これは、ただものじゃない。
アタラは視線でウィンドウを操作し、対象詩文の冒頭を展開する。
> わたしの絆が 世界を縛る
> 【受諾後に詳細は表示されます】
> 【受諾後に詳細は表示されます】
「感情濃度:測定不能」
「分類タグ:制度外祈祷・構造保持型」
「警告:文意が祈祷構造に干渉する可能性があります」
読んだ瞬間、背中が冷えた。
これは感情ではない──接続だ。
まるで、この詩文そのものが、何か大きなものの“端子”になっているような。
受諾ボタンを押すのに、時間はかからなかった。
これは仕事だ。KPが加算される。それでいい。
だが指先は、なぜか少し湿っていた。
セルは“帰還待機”から、“戦闘補正モード”に切り替わる。
装備チェストがいつのまにかそこには届いていた、それを静かに開くと、個人コードに応じて調整された兵装が展開されていく。
久しく見ていなかった、自分だけの形をした刃──
チェストを閉じ、取っ手と、車輪を出し転がしながら運ぶ。
持ち出し許可があったポケットドラゴンを乗せ。
退勤ゲートへ向かう通路。
白と黒の机の間をすり抜けながら、ふと思い出す。
【生活補充リマインダ】
> 「帰りにミルク、忘れないでね」──妻・5時間前
それに続くオーグの自動応答:
【現在:戦闘補正モード】
→ 「了解しました、愛しています。」
アタラは小さく鼻で笑い、そのウィンドウを閉じた。
その一文には、“自分”は何もいなかった。
デッキに出ると、目の前にそびえるのは聖樹の幹。
至近距離で見れば、それはもう壁だ。
そして、その足元──
ぽっかりと開いた、深く、暗い穴。
その底から、白い根が幾重にも絡み合い、
光を帯びながらとぐろを巻いていた。
まるで、何かを封じ込めているかのように。
──追加装備:深層型エテル防護スーツ。
そこに行くのだ。間違いない。
背後でオムニバスの駆動音が鳴る。
複数人乗り、だが乗客はアタラひとりだけだった。
ゲートが開き、乗り込もうとしたその時、
ふと、空間に浮かんでいた詩の続きを、無意識に読み上げてしまった。
> わたしの絆が 世界を縛る
> ほどけないようにと 誰かが願った
> この指を伝って いまも
> 祈りは ほどかれずに残っている
その瞬間、オーグの奥に微かな“名前”が点滅した。
【リドリー】
その横には証明写真のような顔画像が表示されている。
「整っているが愛嬌のある」と普段なら評するが、相手は思想犯罪者と認定されているいま、適正敵性憎悪言語が使える。
「どこか甘さが残る、まぬけヅラ」 それがオレの感想だった。
乗り込む。
扉が閉まる。
オムニバスが、深く沈んでいく。
地上の光が遠ざかり、世界がわずかに軋む。
──誰かの“居場所”が、祈りのかたちで、この国を縛っている。
それをほどくのか、守るのか、それすらまだ知らないまま。
アタラは、ただ静かに目を閉じた。
オムニバスが沈んでいく。
光のない下層へ。
この国の地盤に埋もれた、誰かの“願い”の残骸へ。
「……すごいね!おでかけ!おでカけ!?オオシゴト!でも」
ぽてん、と膝の上に乗っていたポケットドラゴンがはしゃいでいる。
備品を、それもネットワークから独立して動ける人工精霊を持ち出せるとはこいつも破格だ。しかも、オレのユーザーデータやログまで引き継いでる。とてもじゃないが、個人が持てる(借りものだが)ものじゃねぇ。
そのぬいぐるみじみた作りものの目に、どこか“演算を超えた感情”のようなものが映った気がして、アタラは息を吐く。
「でも〜、“KP報酬+5”って、バグ扱いされる数値ダヨ〜」
「だったら、バグみてぇな依頼なんだろ。……“PK”が混ざっててもおかしくねぇさ」
「うわ〜、こわ〜い。そろそろ“再教育プロトコル”の時間だったりして?」
「やめろ。縁起でもねぇ」
ドラゴンがふにゃ、と笑う。
だがその音声のログには、通常の“感情擬態”よりもわずかに遅延があった。
思考が、ほんの一拍、足りなかったような──迷いのような“間”。なにかのアルゴリズムを咀嚼したような“間”。
アタラは、椅子に身を預け、空間に投影された詩文をもう一度、そっと見上げる。
その文に触れたとき、なぜだか昔の祈祷術の構文が脳裏をかすめた。
呪文に似ている。
でも、もっと素朴だ。
誰かが、誰かと一緒にいたかっただけの言葉。
それが、この国を縛っている──?
ポケットドラゴンが、また口を開く。
「ねぇアタラ、もしもこの先、あの詩の“先”が開いたとしたら……さ、どうする?」
「……何があるって言うんだよ?」
車内に浮かぶ任務概要ウィンドウの片隅に、ひとつだけ見慣れぬラベルが点滅していた。
《予備選抜:R.P.G.枠(条件付き応召)》
その略称に、アタラは一瞬だけ目を見開く。
──ロイヤル・プリンセス・ガード。
それは、不確かな、しかし確かに存在する、だれもたどり着いたことのない伝説のような存在、
“女王直属の白い騎士”
“祈りの剣”
“最後の盾”
“恐怖を克服した命”
“最後の願いを託される場所”
今の世界に、もう存在しているのかさえわからない。
ただ、その名前だけが──憧れとしてアタラの心に残っていた。
「……バカか、オレは」
鼻で笑い、通知を消す。
でも、その一瞬の光だけは、胸に残ったままだった。
何にせよ、この詩を“触って”しまった時点で、元の生活には戻れない気がしていた。
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