第3話 最初の任務

 翌日、再び訓練場に立つ俺はすでに全身が悲鳴を上げていた。昨日の訓練の筋肉痛がまだ引いていない。


「リリス……今日は休みにしない?」


「ならぬ。実戦は待ってくれぬと言ったはずだ」


 俺の弱音を無慈悲に切り捨て、リリスは冷たい瞳を向ける。


「今日の任務は魔物退治だ。勇者としての初仕事になる」


「……魔物退治って、俺、剣もまともに握れないんだけど」


「お前の腕では期待はしていない。だが、実戦経験は必要だ。私が守る、心配はするな」


 その言葉は安心感よりもむしろ俺をさらに不安にさせた。



 任務地へは馬車で移動した。馬車の窓からはアルテミシアの街並みが流れていく。石畳の街道を進むにつれ、次第に風景は自然豊かな田園へと変わった。


「ねぇ、リリスはなんで騎士になったんだ?」


 沈黙に耐えきれず、俺は問いかけた。


「……私の家は代々騎士の家系だ。選択肢などなかった」


「選択肢がなかったって、辛くないか?」


 俺の言葉に、リリスはしばらく沈黙を続ける。馬車の車輪の軋む音だけが響いていた。


「辛くはない。騎士として仕えることが私の誇りだ」


 彼女の声には迷いがないように聞こえたが、その瞳の奥には何かを隠しているようにも見えた。



 任務地の村に到着すると、村人たちは恐怖に怯えていた。家畜が襲われ、畑が荒らされたという。


「心配するな。我々が魔物を討伐する」


 リリスは毅然とした態度で村人を安心させる。その姿には本物の騎士の気高さがあった。


 その夜、俺たちは村の外れで見張りをすることになった。焚き火が揺れる中、リリスの横顔がその炎に照らされ、幻想的な美しさを放っている。


「リリス、怖くないの?」


「恐怖はない。騎士に恐れは不要だ」


 だが、彼女の握る剣の柄には微かな震えが見えた。


「本当に?」


 俺の問いにリリスは僅かに眉をひそめた。


「……怖くないと言えば、嘘になる。だが私は騎士だ。恐れを見せるわけにはいかない」


 その瞬間、彼女が初めて人間らしく見えた気がした。


「大丈夫だ。俺もいる」


 何の根拠もない言葉だったが、リリスは意外にも小さく頷いた。



 深夜、魔物が現れた。獰猛な牙と爪を持つ狼のような姿だった。


「下がっていろ!」


 リリスが俺を庇うように前に出る。だが、魔物の数は予想より多く、彼女の背後からも襲撃が迫った。


「リリス、後ろ!」


 俺は咄嗟に彼女を庇い、背中に鋭い痛みを感じた。


「勇者様!」


 リリスの瞳に初めて動揺が浮かぶ。彼女の表情に、俺はなぜか安心感を覚えた。


「大丈夫……ちょっと油断しただけだ」


「……すまない。私の不覚だ」


 リリスの剣が舞い、魔物たちは次々と倒れていった。



 戦いが終わり、村人たちが感謝を述べる中、俺は背中の傷を治療されていた。


「お前は、なぜ私を庇った?」


 リリスが静かな声で問いかける。


「騎士だって人間だろ。たまには守られてもいいじゃん」


 俺の言葉にリリスは驚いたように目を見開き、そして――その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。


 その笑顔は、昨日の微かなものではなく、はっきりとした、確かな笑顔だった。


 だが、そのときの俺はまだ気づかなかった。


 彼女の揺らいだ忠誠が、俺たちの運命を予想もしない方向へと導いていくことを。

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