第一章

第1話 女神の朝はだいたい詰んでる。

目覚ましを止めて上体を起こす。昨日のあの強烈な転生者対応で残業して、帰ってそのまま沈没。体が重い。


あくびをひとつしてカーテンを開けると、朝日が街を照らしていた。

洗面台で寝ぐせのついた黒髪を整え、保湿して軽くメイクを入れる。最後に支部勤務用の女神ワンピースに着替えれば、仕事モードの完成だ。


「今日8:00から面談。朝イチはなるべくやめてって言ってるんだけどなぁ」

そうぼやいてる間も身だしなみは進む。


男だった頃はそういうことに無頓着だったが、「転生者と向き合う役目なんだから、ちゃんとしなさい」とみっちり仕込まれてからは、これも業務の一環になった。

素材がいいおかげで、さっとやればそれなりに仕上がる。気持ち的にはめんどくさいけど。


「素材がいいのは助かるんだけど、鏡の前で毎朝これをやってる時点で、人生めちゃくちゃだよ。もはや人生なのかも怪しいし」


身だしなみが完了し立ち上がる。


「よし、こんなもんでいっか。そろそろ出発しますか。遅刻したら、支部長の威厳が死ぬからね」


鍵とバッグを手に取り、自宅のエントランスを出て、自分の車へ向かう。

駐車スペースで待っているのは、地球時代からの愛車、軽自動車の丸目ヘッドライトのオープンカーだ。


キュルルルル……ブォォン!


スターターを回すと、軽快なエンジン音が返ってくる。


家を出ると、街の景色が飛び込んでくる。どの家も二階建てまでの低い建物で、外観だけ見れば中世ヨーロッパ風だ。


けれど店先には、空中に浮かぶホログラム看板がきらきら回転している。パン屋のマーク、カフェのロゴ、よく見るとコンビニじみた印まである。

「いつ見ても中世なんだかSFなんだかよくわからない景色だよね」


道行く住民も、顔を見ればほぼ全員が支部関係者かその家族だ。車を走らせているだけで、何人かと目が合って軽く会釈を交わす。

「生活圏が狭いのは良いんだけど、街を歩くと知り合いしかいない田舎感があって少し嫌」


そうぼやいているうちに、集落の外れにぽつんとそびえる白い建物が見えてくる。

ここが、あゆみの職場、天界異世界管理局・天野支部だ。

荘厳な神殿風の神殿棟と、事務所ビルのような執行棟が並んで建っているのが、いつもの朝の光景だ。


支部は神殿棟と執行棟で役割が分かれている。

神殿棟は転生などの儀式を行う場所。昨日、転生業務を行ったのもあそこだ。


所定の位置に車を停めて降りると、執行棟のエントランスから一人の天使が出てきた。


「あら、シルヴィ。おはよう。今日も相変わらず早いのね」


執行棟のエントランス前で待っていたシルヴィは、背筋を伸ばしてきれいに一礼した。

朝の身だしなみを叩き込んだのは、まさにこの人だ。もう一人共犯がいるのだが、その人はこの支部にはいない。


「主人より遅く出勤するなど、ありえませんから」


いつもの調子で、さらりと返してくる。

言い方はきっぱりしているのに、目元だけは柔らかいからずるい。


「あゆみさま、今日は朝イチから転属者面談ですね。ミーティングルームは予約しておきました」


「うわー助かる! マジ神」

「神はあなたです」

即答。こういうところだけはブレない。


「人のことをちゃんと考えられる人は、みんな等しく神なんだよ」

そんな、若干ポエムじみた冗談を口にしてみる。

自分で言っておいてなんだが、朝から何を言っているんだろう。


「仕事には、だいぶ慣れてこられましたか?」

「いろんなことが立て続けに起きすぎてさ。振り回されっぱなしだよ、もう。もはやこの状態に慣れ始めてる自分が怖い」


言いながら、ここ数日の転生案件ラッシュが頭をよぎる。


「それは良い傾向ですね」

「いや、良くはないでしょそれは」


軽くツッコミを入れると、シルヴィは小さく笑った。

この笑い方を見ると、とりあえず今日も平常運転なんだなと少しほっとする。


「それじゃあ、端末を取ってきたらミーティングルームに向かいますね」

「了解。私は先に入ってるわ」


そう言って私は、胸ポケットの身分証を軽く指で叩きながら、ミーティングルームへと歩き出した。


ミーティングルームに入り、支給された端末をテーブルに置き、今回配属される天使の事前情報を開く。


 性別:女性

 年齢:16歳

 所属:天界本庁 雑務課

 役職:清掃・物資整理担当

 種族:天使(下位階級)


ざっと目を通す限り、特に怪しいところはなさそうだ。

経歴を確認していると、窓の外に本部所属のポーター、こちらの世界仕様の社用車が支部の駐車場に滑り込んでくるのが見えた。


降りてきたのは、背の低い青髪の少女天使。

……なのだが、様子がおかしい。


私の車を見つけた瞬間、目をランランと輝かせて、食い入るように眺め始めたのだ。


「あ、これ厄介事だわ」


確実に変なことが起こると悟り、私は朝から深いため息をついた。

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