南雲の事件簿 -日本沈黙-
米酔うび
第一話「国会占拠・前編」
海上コンテナが小刻みに揺れる。
戦士たちは鉄の箱の中に身を潜め、黙々と作業を続けていた。
外界から遮断されたその空間で、静かに、しかし確実に何かを準備していた。
小師は浅い眠りから目を覚まし、部下に挨拶をする。
同じ顔の戦士が作業を止め、敬礼した。
小師は思わず戦慄したが、すぐに心臓の鼓動は落ち着いた。
教祖の顔を型取ったマスクを装着しているだけだと思い出せば、
怖がる理由はなかった。
小師は少し赤面し、三日分の汗を吸った服を脱ぎ捨てる。
小師の体には無数の傷跡があった。
刃による傷だけではない。銃創も点在している。
その体を見た数人の戦士は、小師を神の子だと言った。
傷跡を見られまいと、小師は急ぎ足で戦闘服に袖を通した。
戦士たちは皆、過剰なほどの武装をしていた。
防弾ベストにチェストリグを重ね着し、体格は一回り大きく見える。
頭部には最新式のバリスティックヘルメット。
軍用だが、もはや正規・非正規を問わず戦闘員の標準装備だ。
唯一の違和感は、手にした古参のAK。
だが、それも消耗品としてなら納得の選択だった。
小師が運転手に尋ねた。
「日本のどこを走ってる?」
中東から仕入れた中古のハンディ型無線機での質問だったが、返答はない。
「……」
「まだ海上ってことはないだろ? おい、返事しろよ」
「すいません。緊張して、喉が詰まっていて、レインボーブリッジ」
音質はちと悪いが、使えそうだな。
レインボーブリッジから目的地までは十分を少し超すくらいのはずだ。
小師がバーボンの瓶を傾け、コルクを一息に引き抜いた。
「今日で最後になる奴もいるだろうな。酒を飲むラストチャンスだ」
小師は氷も水も使わず、バーボンをくいっとあおった。
それを見た戦士の一人が、思わず眉をひそめる。
「喉が焼けるんじゃ?」
「女と酒を飲みかわすわけでもないんだぞ。景気づけのバーボンを割って飲む奴は男じゃないだろ。腹がちと燃えるくらいがちょうどいいんだ」
「そんなことはないと思いますけど、ね」
小師からバーボンを受け取った、ハタチの
「ごほごほ」
せき込む佐々木の背中を小師がさする。
「かわいいところもあるんだな」
「まだ社会になじめていない証拠ですね」
「バーには行ったりするんだろ?」
「雰囲気を楽しむだけですよ。九割は水ですから」
「それは酒じゃない。ただの水だろ!」
「教団にいたころに飲んだ酒はもっと優しかったんですよ。乱暴じゃなかった」
「飲んだことがあるんだな……どんな味がするんだ?」
確か教団の理念は「自然のために」だ。
人工物を悪とする考えで、原始的に生き、自然を食したと雑誌に書いてあった。
他には、インフラも店舗も利用しない環境では酒は貴重だった。
自分たちでも大量に作れる米や野菜と違い、美しい信者が噛み容器に移し発酵させる神聖なる酒は幹部に納めるものの一つだった。や手段のために理念をおろそかにする矛盾はどうでもいい。
今、大事なのは口噛み酒だ。
「とにかく甘い、ですよ。僕はちょっと苦手な味でしたけど、父は幸せそうに飲んでいたので、甘いのが好きな人にはたまらない酒だと思います」
「あー変態だったんだな」
「え?」
海上コンテナが、ガタンと大きく揺れた。
「衝撃にそなえてください!」
車体が大きくバウンドし、戦士の肩が壁にぶつかった。
運転席の戦士の声は焦っていた。
ピーーーーッ外から鋭い警笛が鳴り響いた。
怒号も混ざる。「止まってください! ここは立入禁止区域です、すぐに車両を停止してください!」壁越しとは思えないほど近い。
カーブに差しかかったのか、戦士の体が右に流された。
息をのむ暇もない。
外の様子が見えない不安が、戦士たちを煽り、鼓動をじわじわと速めていく。
小師と、その横にいる二人の戦士だけが、動じる気配もなく雑談に興じていた。
「もう着いたのか。はやいな」
「時計の針はけっこう進んでますよ。小師の話が長くて、俺たち飲めなかったんですけど! 作戦中は飲酒禁止を撤回求めます」
戦士は皆、腕章を巻いている。
腕章には番号が書かれていた。
01から50まで、数字を割り振っている。
撤回を求めた戦士の数字は06だ。
「悪いな。撤回はできない」
「えぇー」
「高揚したおまえらほど厄介な存在はないからな。酒で思考が鈍ってるのに、やる気だけはある。あれだ。無能な働き者」
03の戦士が言った。
「恐怖を忘れたバーサーカーの方がよくないっすか?」
「時と場合によるな。おまえらは死ぬつもりないだろ」
「小師。どういうことですか? 亡き教祖のために死ぬのが我々の使命です!」
佐々木が小師に迫るが、とがめる時間はない。
外から声が響いてくる。
「止まってください! 止まれ!」
衛視の怒号がうるさい。
でも佐々木の気をそらしたことは褒めてもいい。
「なんだこいつ! 突っ込んでくるぞ!」
そらそうでしょ。テロなんだから。海上コンテナに衝撃が走る。
作戦開始だ。
「俺も死ぬつもりないぞ」
「降りてください!」
海上コンテナの鉄扉が開かれた瞬間、強烈な陽光が瞳を刺した。
視界がぶれる。
だが、すぐに目の前の光景が脳に焼きついた。
ねじ曲がった鉄製のゲートが、根元からえぐられるように倒れている。
土煙と警報。
ざわめきと怒号。
静寂とはほど遠い、完全なる戦場のような喧噪。
ここが日本の中枢だ、なんて信じられないな。
「今はケンカしてる暇はないだろ。行くぞ」
小師がAKのコッキングレバーを引いて、薬室に弾を収める。
AKは世界でもっとも有名な自動小銃だ。
動作不良もめったにないタフな銃ではある。
違法コピーじゃなければだけどな。
タフな奴でも死ぬのと同じで、壊れることもあるが、構造が単純だから素人でもわりと直せちゃったりする。
定期的な整備面倒くさいぜ! 壊れるまで使い込むぜってめんどくさがりの奴がそこそこ使える銃を求める場合ならぐっとな相棒になるんだろうけど、
西側の銃の方が好き。
彼女よりも大切に扱わないとすぐ壊れるけど、
性能はAKがすっぽんなら月だから命を預ける相棒としては最高の相手だ。
そこそこかわいい女と付き合うかめっちゃかわいい女と付き合うかの違いだな。
「な、なんだこれ……地獄じゃん……」
「どこが、地獄なんだよ」
国会議事堂の正門にいつも通りの光景が広がっている。
頭部が破裂して、木々に彩りを加える衛視を見た佐々木の足がすくむ。
圧倒的な暴力に抗えず木々に入って、中途半端な使命感を捨てきれずに右往左往するだけの衛視を撃つだけの簡単な仕事で、佐々木を含む日本人は棒立ち。
銃を未所持ならとりあえず自分の命を優先して、みっともなく縮こまるべきだ。
警棒を持って、佐々木たちを威嚇しても意味ないだろ。
「僕たちにとっては初めての殺し、じゃないか! びびってなにが悪い!」
「そうだな。俺も初めはそんなだったよ。お! 開かずの扉を解放してくれるなんてお優しいな。前進しろ!」
石畳が敷き詰められた広々とした正面広場には、
手入れの行き届いた緑が広がっていた。
中央には真っ直ぐなアプローチロード。
左右対称に芝生と低木が配置され、歩道は白線で区切られ、手入れの行き届いた植え込みが視界の端を彩る。
その先に開かずの扉があった。
各国の大統領や政治家でも特別な日以外は入ることができない正面玄関に続く階段をその日、踏み締めたのは戦士のブーツだった。
階段の中央に銀色の壁が見えた。
密集するジュラルミン製の盾がゆらゆらと一つの生き物みたいに、
進み侵入を拒もうとする。
ジュラルミン製の盾は視界の九割を遮る。
恐怖を和らげるメリットはあるが、段ボールの盾と同じく柔い。
銃弾が沈むように入って、衛視の制服を血で染める。
木の葉を掃くように、AKを左右に振って、前進すれば衛視の腕や脚がふわりとまい、肉のかけらが辺りに飛散だ。
階段を転げ落ちるおそらく部下を見た、上司らしき衛視が駆け出す。
「まだ閉めるな!」
小師がいい判断と褒めつつ背中を撃った。
佐々木が「警察だ!」と叫んだ。
正門の外に警ら用緊急自動車の遮蔽を作って、警察が応戦する。
誰かの許可がないと入れないとネットで読んだことを思い出した。
「ほんとうに入れないんだな。その距離から撃っても不利だろ」
二百メートルは離れている。
特殊部隊でも拳銃で、狙える距離じゃない。
佐々木の声がとどろいた。
「うあああああああ」
「バカ。弾の無駄だ。興奮するな」
「撃たないとやられる! 返してください!」
小師に取られたAKを取り戻そうと佐々木が躍起になっている。
瞳孔ががばっと開いて、体もひんやり冷たい佐々木を小師が組み伏せる。
「だまってたーまや! って言ってればいいんだよ」
小師がコンテナ専用トラックの運転手に合図を送った。
運転席に座っていた、若い男がガラパゴス携帯の発信ボタンをかちっとした。
「自然万歳」
海上コンテナの内側に対戦車地雷と榴弾をリード線で繋ぎ、作ったIED。
即席爆発装置があった。
リード線を辿った先にあるガラパゴス携帯が着信し、
電気が流れた瞬間に爆発する仕組みだ。
海上コンテナが一瞬で、消失する。
炎上するコンテナ専用トラックと警ら用緊急自動車。
そして人がそこにいた証拠の血だけが残った。
腹に響く音と熱風が遅れて、小師と戦士を包み込んだ。
03が仲間を木の棒で、つんつんする。
「つまんねぇ死に方してるっすよ。こいつ」
「舌がなくなってる。耳を塞いであーってやらないから、死んだんだな」
「それって鼓膜を守るための方法っすよね?」
「そうだが、舌を噛むまぬけもいるからな。こいつみたいに」
両耳を塞いで、口をあんぐり開けた小師を見た佐々木が怒った。
「先に言ってください! 訓練でそうしろと言われていません」
「二百メートルも離れたところの爆発にびびって噛むなんて思わないだろ」
小師が佐々木を引きずって、歩きづらそうに階段を下る。
衛視の屍が累々と階段を埋め尽くす。
足の踏み場がほとんどない。
使える武器はないかと戦士が注意深く見るが、
穴だらけの盾と刺股だけが転がっていた。
中央玄関の扉に刻まれた丸い文様がここから先は聖域であると意識に訴えてきた。
扉をくぐった03がうなる。
「天井の彫りがいいっすね」
「いいかげんだな。もっとマシな感想を言えよ」
小師を御影石が出迎えた。
踏みしめるたび、ブーツの音がこだまする。
両脇には大理石の円柱が並び、天井は高く、まるで教会のような厳かな造りだ。天井の彫刻はまるで歴史を刻んだ歌詞のようだった。
文様や幾何学的な枠線が、優雅に天井を縁取り、現代とクラシックの交差点に立っているような視覚的インパクトをもたらす。
ここが一時的とはいえ家になる喜びを小師が嚙み締めた。
「人がいないっすね」
中央まで進んでも衛視が現れない。
中央には、衆議院と参議院へと通じる廊下が左右に分かれて伸びている。
衛視にとってはここが最終の防衛ラインのはずだ。
鑑賞を楽しめることを不気味に思いつつも小師が見上げた。
ステンドグラスから差し込む淡い光が幻想的だ。
四季を描いた油彩画が壁の四隅を彩り、春は吉野山、夏は十和田湖、秋は日光、冬は日本アルプスが描かれていた。
「銅像を置く台が四隅にあるが、銅像は三つしかないぞ」
教科書で見た顔があった。
北西の銅像は伊藤博文だな。ってことは英雄が置かれる台ってことか。
じゃあ日本には三人の英雄しかいないんだな。
「教祖の像を置くために空白になっていると父が言っていました」
「おまえも冗談を言うんだな」
「え?」
真っすぐ進んだ先にあるアーチ型の入り口を縁取る、太い柱。
左右にある柱の影からこんもりとした刺股の先がちらちらと見え隠れしていた。
小師が柱を銃弾でボコボコ凹ませると、
色とりどりの衛視の半身が出ては引っ込む。
衛視の制服は返り血で、汚れていた。
同じ赤色でも光の加減や粘着性を帯びたかけらが混ざり合って、
異なる色合いになっていた。
柱に大勢が隠れているらしい。
「撃たないで」
押し合いに負けた衛視が身体を晒す。
まだ若い。
若い命が先に散るのは、どこの戦場も同じってわけか。
小師が目を細めた。
その刹那の陰りもすぐに消え、いつもの顔に戻った。
一部の戦士は見逃すように目で訴えかけた。
「仕事だからしょうがないよな? お給料もらっているんだろ」
小師がAKを構える。
「撃たないで」
衛視が再度、懇願するが心の揺れ動きで生死が変わる戦場はお遊びだ。
仕事に本気で取り組んでいない証拠だな。
銃弾が衛視のチョッキを貫く。
ソフトアーマーらしい。
スポンジに水が浸透するように、自然に奥まで進み衛視の筋繊維を切り裂く。
腹部の主要な臓器を瞬間的に痛めつけ衛視の体内にトンネルを掘った銃弾はおそらく体外に出たはずだ。
「貫通したなら助かる可能性はあるぞ。最新の医療は魔法だからな」
息も絶え絶えな衛視を救おうと初老の男が柱からひょっこり顔を出す。
「わ、わたしは衛視長だ! 降伏する!」
熱血だったら考えてもよかったんだが、へっぴり腰は好きになれないな。
定年まじかの衛視長には申し訳ないが、トリガーを引き絞る。
「さすがの腕前っすね」
衛視長の頭部の一部が吹き飛ぶ。
額のど真ん中を狙ったんだが、少し右寄りになった。
長年連れ添ってきた狙撃銃が恋しい。
戦士が骨董品のグレネードを投げた。
F1手榴弾。レモンみたいだってことで、レモンと呼ばれていたグレネードが柱にこつんとぶつかり、大理石の歩くだけでも緊張する床を転がる。
「せっかくだし、記念撮影でもするか?」
「余裕ありすぎです! もっと真剣にやってください!」
どか、んとびみょうに火薬が劣化していた音が反響する。
中央広場って音の響きがいい。
コンサートホールとしても使えるのかもしれない。
「シャッターチャンスを逃した。血の爆炎とテロリストって映えってのになるだろ」
柱の陰からドデカいバケツをひっくり返したかのように、血が広がった。
「なりませんよ! そんな写真を欲しがるのはマスコミだけです! あぁ!」
「イライラするな大丈夫だって。SPは政治家の近くにいるはずだからさ」
「……」
「じゃあ赤じゅうたんがある階段で集合写真でもパシャってするか?」
「ダメです!」
「わかったよ。佐々木はゆうずうがきかないな」
「悠長にやってたら首相が逃げますよ!」
「まっさきにとんずらしてるだろ。SPもバカじゃないからな」
「え?」
「そのほかのモブ政治家が釣れればいいの。秘密の通路があるんだから首相は最初からがんちゅうにないぞ」
小師がタブレット端末で、衆議院の議場を確認する。
首相だけいない。
襲撃する前のテレビ中継には予算について白熱していた政治家の恫喝にも似た、模様が映っていたが、
今は困惑と疑惑の渦中にある政治家の行動を楽しむ番組になっていた。
「動物園っすね」
「ああ。なかなかおもしろいな。おっさんがかわいく見える」
小太りの男がおろおろと年少の子供のように、SPに助けを求めるが、邪魔ですとのけ者にされている姿を見た、小師がほっこりする。
「自然万歳!」
一人の戦士が衆議院に続く扉を蹴破った。と思ったら間髪入れずに走った。
自爆するにもタイミングがあるだろ。こっちまで驚くわ。
SPの声が聞こえた。
「突っ込んでくるぞ!」
「警告せずに撃ってますね。逮捕する気ないっすよ」
発砲音が響き、どんとプラスチック爆弾の爆発音が続いた。
オレンジ色の閃光が廊下から中央広場に漏れている。まぶしい。
「まぁテロだからな」
SPの動きが鈍っている間にとっとと突入だ。
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