第3話 悪夢と悪戯


―――


 シロネコさんは なきそうなかおで いいました。

「クロネコさん ネズミさんがあらしにまきこまれて くものうえへいっちゃったよ。どうしよう

 クロネコさんは むねをはって こたえます。

「ならぼくが じゅうたんにへんしんしよう いつものじゅもん たのんだよ」

 クロネコさんはからだをまるめ ちかくにおちていたほうせきを ごっくんとのみこみました。


―――


 そして先生は、皆へと呼びかける。


「はい、一緒に言いましょう。せーの」


 園児たちは、クロネコさんの呪文を唱える。大人の私が、保育園児の子達が無邪気に呪文を口にするなか、三角座りで身体をこれでもかと縮めて耐えていた。



  バリバリ パリパリ ああ おいしい

  ルビーはからい サファイアはあまい

  タイガーアイはキャラメルのあじ

  バリバリ パリパリ キャンディよりも

  ぼくは ほうせき だいすきなのさ



 金色の目をした先生が、私を指さして笑っている。


「さあ、あの子だよ、いけないことをした子は」


 園児たちは、私を見た。針のような太い三本ひげを生やし、右目から、何かが流れ出ている。


 乾いた左目はこれでもかと見開かれ、私を凝視する。


 持ち上がった口角から、とがった牙が光るのが見えた。


 園児たちは、今度は別の内容を合唱した。



  花澄ちゃん ねえ花澄ちゃん

  どうしてあんなことしたの?

  教えてよ ねえ花澄ちゃん



 円周を狭めるように、私に向かって近づいてくる。どんどん猫に化けていく園児たち。


 寒気と吐き気で耐えられなかった。


「やめて……来ないで!!」


 立ち上がり、何とか小さな人垣を突破して走り出した。歩幅の小さな化け猫たちが追いかけてくる。



  花澄ちゃん ねえ花澄ちゃん

  クロネコさんに何をしたの?

  あんなことしちゃあ いけないよ

  あれは 君のモノじゃないのに

  忘れたなんて 言わせないよ



 幼い声が奏でる、怖気のするわらべ歌が、私の耳を突き抜けて頭を掻きまわした。


 ひく、と喉が空気を求める。発作の前のように。


 脳のシナプスが一斉に発火し、蒸気機関車のような汽笛が頭蓋骨の中で鳴り響く。

 走る力さえ無くなって、私は両膝と手のひらを地面についた。


 気づけば化け猫も先生も、もういない。わびしい夕闇のような空間だけがあった。


 私の目の前に、誰かが立った。


「だから、気をつけてくださいと言ったじゃないですか。なのに、また来たんですか?」


 顔をあげると、たしかえびらと名乗っていた彼がいた。


 その目は――白目は、金色に光っていた。






 顔を上げて世界を認識した瞬間、喉から出かかっていた悲鳴はしぼんだ。


 悪夢から現実へと戻ってきたのだ。穏やかな午後の光。幽霊のように大地を陣取っている、彼方の山脈。


 そうだ、ここはいつもの、図書館の自習室だ。


 額に手を当て、ため息をはく。物音がして即座に後ろを振り返ったら、見覚えのある女の子が、強張った顔でこっちを見ていた。


 私はもう一度前に向きなおり、机に突っ伏した。髪の根元も背中も、汗びっしょりだ。


 しばらく、動けそうにない。放心状態でいると、さっきの女の子が私を伺うように視線を寄越しながら、自習室からそそくさと出ていった。





「はあー、手荒れちゃう。終わったらハンドクリーム塗らないと」

「お疲れ様。今日は日曜だしどんどん本が返却されるから、閉館まで頑張ってね」

「これ、手が荒れやすい人は辛い作業ですよね。本に水分奪われちゃいますもん……あの、質問してもいいですか?」

「なあに?」

「例の、貼り紙でお知らせするまでの騒ぎになった……」

「ああ、資料の破損の件ね。この間、偶然にも犯人が見つかったの」

「はい、今朝他の人から聞いたんですけど。その女の子、猫が嫌いだったんでしょうか?」

「どうして?」

「だって、その人がイタズラした本って、全部猫に関係してましたよね。『宝石をたべたクロネコさん』と、動物のイラスト集と、猫の写真集と、あとは……猫が大好きな陰陽師が主人公の小説、とか」

「そのことだけど、犯人の子が言うには、絵本に二回鉛筆で穴を空けただけで、他は知らないそうよ?」

「穴を空けただけ……最低ですよ。信じられません。公共のものにイタズラするってだけでもあり得ないのに、ましてや本ですよ? 本を傷つける奴は絶対に許せません」

「みんな、あなたみたいな人だったらいいんだけどね。いろーんな利用者の人がいるから。誰かを拒んだりできないのが図書館だし」

「じゃあ事件は解決、ってわけじゃないんですか?」

「でもあの貼り紙以来、新たな資料の破損は確認できてないし、効果はあったと思うけどね」

「抑止にはなったけど、犯人は逃げ得ってことですか? それも納得出来ないです!」

「ふふ。あんまり熱くなると、フロアのお客さんに聞こえるよ」

「あっ!……す、すみません」

「とりあえず、あの件についての現状はそんな感じ。さて、仕事に戻ろうか?」

「はーい、あとちょっと、頑張ります」

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