第17話 “首接ぎの木《バステル》”

 ハルが店の外へ出ると、すぐにチユとビョークが出てくる。


「今度はどこへ行くつもりですか」

「どこだっていいだろ」

「ええ、構いませんよ。しかし日記は置いていってもらいます」


 ハルはにやりと笑みを浮かべて走った。

 角と瞳孔以外は人間であるというのに、ハルの足はヘルデのようだった。

 ブランクがあるが、チユは潜り業でヘルデの動きについていけるほど俊敏だった。ビョークの場合、チユよりも遥かにブランクがある。運動不足が祟った。


「チユさん、彼を……彼を捕まえてください」


 汗だくになり、走りながらビョークが言った。

 頷き、涼し気な表情でチユは駆けてゆく。


 畳通りのど真ん中で追いつき、彼女はハルの背中にのしかかった。ハルは顔からスライディングするようにずっこけた。

 チユは彼の背中に全体重を乗せ、逃げられないようにした。


「日記」


 チユが言い放った。

 ハルは日記だけは手放さなかった。


 突然、二人の傍の地面が盛り上がった。間もなく地面からつるが隆起し、それは根っこだったとチユはすぐに気づいた。

 根っこはあっという間に成長した。目の前に巨大な樹木が生えていた。

 完全に大きくなる前に退いていたチユは、樹木を見上げた。ハルが樹冠に立っている。悪戯な笑みを浮かべ、チユを見下ろしていた。


「お姉ちゃん、僕に言ったよね」


 馬車、通行人が立ち止まり二人を見ている。

 チユは違和感があった。通行人が静かだ。大通りのど真ん中に、自殺山にもないような巨大な樹木が生えたというのに反応を見せない。


「この教典は種を生み出すものだって。そのうち苗木を生やしたって。ねえ、これが苗木に見える?」


 見えるわけもない。立派な樹木だ。


「いや、無理か。この樹が今生えたものだということすら、もうお姉ちゃんには認識できないもんな。ここにいる人たちと一緒で」

「どういうこと? これ、やっぱりあなたが生やしたの?」


 チユが訊くと、にやついていたハルの顔から表情が消えた。


「……なんで、なんで気づけてるの」

「さっきから何を言ってるの」

「お姉ちゃん、この樹を僕が生やしたものだって思ってる?」

「そうなんでしょ?」


 ビョークの言う通りなのだろう。ハルには最初から教典の知識があったのだ。日記が教典であるということも、チユが浮遊島で見せたときから知っていたのかもしれない。


「まあいいや。僕ね、お姉ちゃんにはがっかりしたんだ。イカルガと同じ顔をしているから、てっきりイカルガなんだと、嘘をつかれてるんだと思ってた。しばらくずっと思ってた。でもこれを読んだはずのお姉ちゃんが、種を植えるとか苗木を生やすとか言ったときに気づいたんだ。ああ、この人、僕のこと全然理解してないって」


 ハルはクリーム色の本を前に突き出した。


「教典っていうのはね、読んだ人の理解度に応じて題名が変わるんだ。種を植えるなんてのは理解度三〇パーセントくらいの話なんだよ。でもお姉ちゃんの場合違うのは、題名すら得ていないってことだ」


 ハルは日記を持っていない右手で鉄砲の形を作り、人差し指の先を適当な通行人へ向けた。


「“死の種フォルティシマ”──」


 ハルが叫んだ瞬間、人差し指の先から何かが飛んだ。

 それは通行人の女性の脳天を通過し、開いた穴から血がびゅっと飛んだ。女性はその場に倒れ、動かなくなった。

 そこでやっと通行人から悲鳴が上がった。アーケード下の路地はパニックになった。人々が構わず道路に飛び出て逃げてゆく。馬車に轢かれる姿もあった。

 その惨状に、チユの表情が強張る。


「これが、お姉ちゃんのアパートの鉢にあった種さ。ほらね、全然違うでしょ? お姉ちゃんはこの本を全然理解できてない。僕のことも、ハルタって人のことも」


 ハルが別人に見えた。


「次は苗木だ。これも違う」


 彼は今しがた撃ち殺した女性を指差した。見ろと言っているのだとチユは理解した。


「“校庭緑化アウレデリカ”──」


 倒れている女性の脳天に空いた穴から、大量の蔓が飛び出した。女性を巻き込み、それは見る見る成長してゆく。すぐに巨大な樹木となった。


「これが苗木だ。理解度六〇パーセント。アパートで見たのと違うでしょう? そうだ、お姉ちゃんには特別に、もっと面白いものを見せてあげるよ。読解力はないくせに、なんだかこの樹木が認識できてるみたいだしね」


 この樹木、と言ったときハルが自分が立っている樹冠を指差した。


「何するつもり」


 ハルが応えるように、にちゃーっと笑った。

 やめて、とチユが叫ぼうとしたとき、ハルがまた何か言った。


「“首接ぎの木バステル”──」


 ハルの立つ樹木から蔓が無数に伸び、踊り出した。

 逃げ惑う通行人の首へ蔓が巻き付き、一人、二人、三人と捕縛していった。それらは樹冠から首吊り自殺のように吊るされた。

 吊るされた人たちは足をばたつかせ、痙攣を始め、顔をそのうち真っ赤にして動きをぴたりと止めた。目が白目を剥いている。


「こんなところか」


 ハルは顎を撫でながら、それらを観察しているようだった。

 ややあって樹冠を飛び降りてきた。樹木がその後も通行人の首を絡めとってゆく。


「これがこの日記の一〇〇パーセントの力さ。色々と準備が必要だけど、見事なもんでしょ?」


 チユは両膝から崩れ落ちた。視線はまだハルを捉えている。

 自分が誰を見ているのかわからなかった。彼は、本当にハルなのか。今はもう、ハルだとは思えない。


「チユさん」


 背後にビョークが追いついた。


「これは、一体何の騒ぎですか……」


 ビョークは逃げる通行人と目の前の首吊りの樹を見て言葉を失っていた。無理もない、とチユは思った。


「何でみんな自殺してるんです?」


 違和感を覚えた。チユの眉間に皺が寄る。


「自殺?」


 ビョークは“自殺”と言った。これが自殺に見えたらしい。

 

「自殺じゃない、ハルがやったの」

「やった?」

「あの教典で」

「どういうことです?」

「この樹にみんなを吊るしたの」


 ビョークが顎を撫でた。しばらく黙ったあとに口を開いた。


「吊るした?……すみません、意味がわかりません。ひとりずつ手作業で樹に吊るしていったってことですか?」

「違う、蔓が動いたの」

「蔓が動いた?」

「蔓を動かして、みんなの首を縛って吊るし上げたの」


 ビョークが難しい顔した。


「蔓が動くわけなくないですか? 植物ですよ」


 ビョークは半笑いだった。

 チユは苛立ちすら浮かばなかった。何故だかビョークに話が通じない。

 そのときビョークが黒い本を素早く出した。アメーバが飛び出し、巨大な文化包丁が何かを弾いた。彼の警戒する鋭い視線の先をチユは追った。ハルが人差し指をビョークへ向けていた。


「お見事」


 それだけ言ってハルは走り去った。


「くそ、逃げ足の速い……行きましょう、チユさん」


 チユは立ち上がる気力をなくしていた。


「チユさん?」

「無駄だった」

「無駄?」

「全部無駄だった。ハルは、初めからわたしを利用していただけだった。あの教典をたくさんの人に読ませて、力を得ることが目的だった。ビョークの言うとおりだった」

「言わずと知れたことじゃないですか。行きましょう、本がなければ彼は何もできない。取り返せばいいだけのことです」

「日記を取り返しても、ハルは戻ってこない。ビョーク、言ったじゃない、彼はハルじゃないって」

「ものの例えですよ。あの山羊が誰なのか僕にはわかりません」

「ハルがこんなことする?」

「しませんね。あの人は勢いに任せて行動する人でしたけど、思いやりのある人でした。僕に何か変なものを飛ばしたりしませんでしたし。今のあれ、まともに当たっていたら死んでたでしょうね、多分」

「さっきそれで女の人が死んだ」

「そうですか」

「ねえ、誰なの?」

「はい?」

「あれは誰なの?」

「わかりません。わからないから、だからひとまず追いかけましょう。日記を取り返して、彼を捕まえましょうよ。話はそのあとです」


 チユは立ち上がる気になれなかった。

 空を見上げた。

 あのとき、グラウンドでハルの手を離さなければ、とまたいつものように考えてしまう。


「いいんですか、あんな山羊にハルタさんの大事な日記を悪用されたままで?」


 しばらくして立ち上がったチユの足は重かった。

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