第9話 “タイムリープ”
ここに連れてくれば、ハルが何か思い出すのではないか。
チユはそう考えた。
「イカルガに会いたい」
ようやくチユがイカルガではないことを理解したらしい。
村へ入るなりハルがそう言うと、チユはみぞおちの辺りがもやもやした。
そんな感情に苛まれている場合ではない。彼は一人なのだ。群れを追い出された山羊である。
親に殺されて沈鬱になっていた彼女を、生前のハルが慰め守ったように、いまのハルを守ってあげなければいけない。
「ここは?」
チユはハルに確認した。
ハルがある駐車場の前で立ち止まっていた。
「ない……」
ハルが呟いた。
「家がない」
「誰の家?」
「僕の家」
「ここに、ハルの家があったの?」
ハルは応えなかった。
山羊の横顔が固まっている。
しばらく時間が止まったように彼は動かなかった。
「イカルガは小学校三年生の頃、いまの家に引っ越してきた。展示場が当たったんだ」
歩き出したハルは、自宅前での硬直がなかったかのように揚々と話しはじめた。
「展示場?」
「住宅展示場のことだよ。それをそのままプレゼントするっていうキャンペーン。たまにやってるでしょ、あれだよ」
同じ外観の住宅が八棟あった。
外壁に木目があり、木のぬくもりを感じさせる。
左右四棟に分かれ、向かい合っている。間の路地は砂利で舗装され、一部緑地になっていた。植栽があり、樹木が生えており傍にベンチがある。
ここ、とハルがそのうち一つの住宅前で止まった。
「ここがイカルガさんの家?」
ハルは頷かなった。さきほど駐車場を眺めていたときのように、じっと固まった。
「お姉ちゃん」
ハルが呼んだ。
「ん?」
「もし僕に記憶があったとして……ときどきお姉ちゃんとビョークの会話に出てくる、そのハルタって人が僕なんだとして、僕っていま、本当は何歳なの?」
最後に
数えで二〇歳。そのときチユは一二歳だった。
それから七年が過ぎ、あのときのハルと同じ一九歳になった。
「二六歳。数えで、二七歳かな」
ハルは黙りこんだ。
チユは振り返ってビョークを見た。彼は顎を撫でながら、いつものように考えごとをしているようだった。目が合うと、やや見開いた目が、どうかしましたか? と訊ねているようだった。チユは首を振った。
鍵が閉まっていて中へ入ることはできなかった。
しばらくすると、行こ、とハルが言った。
「あの坂の上にある中学校にヘルデが出たの」
住宅から離れ、
「ヘルデって、この小学校に出るんじゃないの?」
「最初の頃はそうだったんだけど、いまはどこにも出るんだよ」
「どこにでもって?」
「畳通りにも出る」
「ほんとに?」
「うん」
「だから人の気配が少ないのか」
「引っ越していっちゃった人は多いかな」
小学校の傍を通り、また別の住宅街へ入ってゆく。
分譲住宅やアパートに囲まれたある建物の前で、ビョークは足を止めた。
そこは公民館のようだった。
「ここは?」
ビョークが訊いた。
「図書館」
ハルが答えた。
「ちょっと寄って行きたいですね。
「えんかくし?」
チユが訊いた。
「村の成り立ちとか、この地域の歴史が書いてあるんです」
「ふうん」
チユは入口を探した。
玄関はガラス扉で、鍵がかかっていた。中が見えた。右手に靴箱、左手に窓口と、奥にリノリウムの床が見える。小さな小学校みたいだとチユは思った。
取っ手を掴み、ビョークがやや扉を揺らす。
「駄目か」
玄関前に漬物石のような石があった。
チユが止めようと声をかけた時には遅かった。ハルはそれを両手で持ち上げ、ガラス扉に向かって放り投げた。拡散する破砕音とともに、ガラスが割れた。
反射的に顔を腕で守りながら、ビョークは身をのけぞらせた。
彼が硬直するなか、ハルが傍の傘立てに刺さっていた傘を使って、扉の枠内に残ったガラス片を取り除いた。腕を入れ、内側から錠を解除した。
「開いたよ」
きょとんとする二人へ、ハルは言った。
「大丈夫だよ。この辺り、人の気配が少ないし。きっとこの図書館もしばらく使われてない」
「やるなら先に言ってください、あぶないじゃないですか」
そう言ってビョークは中へ入っていった。
図書室の扉も学校にあるものと同じだった。鍵は開いていた。
扉を開けるなり古い本のにおいがした。埃のにおいだ。カーテンが閉め切られている。
沿革史を探します、と言ってビョークは本棚へ向かった。
ダイニングテーブルのような大きな机が四つ。他に、部屋には黒板と教卓があった。ハルは教卓の椅子に駆け寄り、背もたれに深く座った。
ビョークが本棚からやや厚みある本を一冊抜き出す。テーブルに着いて本を開いた。チユは後ろから本を覗きこんだ。
「“八一年、|村立
あるページにあった記録をビョークが読み上げた。
「蓋ノ守学園?」
ビョークが顔半分振り返って訊いてきた。
「すぐそこにある小学校のこと」
「
「出ないと思う。聞いたことないし」
音読をやめ、ビョークは記録を指でなぞった。
チユは他の本棚を探した。
すると薄い冊子の詰め込まれた棚を見つけ、彼女は一冊引き抜いた。
こんなのあったよ、と言ってビョークに持って行った。
表紙には『ようこそ、
「なんですかこれ」
彼は中を開いてしばらく眺めた。
「ああ、
「そんせいようらん?」
「村のことを外部に紹介するためのものです。施設、人口、産業、文化、教育方針などが書いてあります……この村は、主に局地樹の林業によって成り立っていたみたいですね」
「東の植樹地のことね」
「自殺山でしょ」
教卓からハルがいった。
冊子の最後のページ下部に『担当者』と名前が記されていた。
「“開く”に“多い”と書いて……すみません、チユさん。これ、なんて読むのかわかりますか? 名がヤスリで、苗字が──」
「ハルタ」
ハルが言った。
「
「ハルのお父さん?」
チユが訊くと、ハルは頷いた。
名前の下に住所が記載されていた。事務所とある。
ハルに確認させるようビョークはチユに耳打ちする。
チユは冊子を教卓へ持っていって、ページ下部を指差しハルに見せた。
「おばあちゃん
住所に目を通すとハルはいった。
〇
昔ながらの和風家屋だった。
二階建ての大きな家で、縁側に松の木が見える。
門も玄関アプローチもなく、人通りの少ない細い路地に面していた。
引き戸を開けると、おばあちゃーん、と言ってハルは走り込んでいった。
ビョークはチユと顔を見合わせ、焦りを浮かべた。
玄関で靴を脱ぎながら、薄暗い廊下の突き当りに扉が見えた。室内の明かりが、扉に埋め込まれたガラス小窓から漏れている。ハルの横顔がその扉の中へ消えた。フードを取り、サングラスを外している。
すぐに悲鳴がきこえた。男性のしわがれた声だった。
ビョークは廊下を小走りに急いだ。床が軋む。
部屋を覗くと、灰皿を持ち上げた老人の姿が見えた。
遅れて部屋に顔を出すチユの姿に、老人が目を丸くしたのがわかった。
「あんた、イカルガさんとこの……」
老人は声を漏らした。
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