君が好きそうだから
くまのこ
本文
ようやく取れた夏季休暇を使い、俺は久々に実家へと帰省した。
東京の高層ビルの群れと人混みで息が詰まりそうな空間から、広々とした田舎に戻ると、どこかほっとする。
多少不便でも、生まれ育ったところが最も過ごしやすい――そう言うと、同僚は「お前の子供時代は幸せだったんだな」と言っていたっけ。
実家の居間で、母が出してくれた茶を飲みながら一服していると、ローテーブルに置いておいた俺のスマートフォンがメールの着信音を鳴らした。
まさか職場からではなかろうなと、片目で差出人の名を確かめた俺は、表示されている文字を見て安堵した。
メールの主は、幼馴染のOだった。
彼は幼稚園から高校まで一緒の腐れ縁とでもいうか、一緒に過ごすのが半ば当たり前になっていた友人だ。
俺は気にならなかったが、Oは周囲から変わっていると言われていて、友人と言える者は多くなかった。
そんなOは、どういう訳か俺のことを気に入ってくれたらしく、二人でつるんでは、色々と下らないことをしたものだ。
俺が都内の大学に進学して、そのまま向こうで就職してからも、彼とは年賀状代わりのメール程度ではあるが連絡を取り合っている。
――近所の人から、君が帰省していると聞いた。見せたいものがあるので、僕の家まで来てほしい。都合のいい時間があれば連絡してくれ――
まったく、昔のノリそのままだな――そう思いつつ、俺は返信のページを開いた。
もともと実家でダラダラするだけのつもりだったから、時間は十二分にあった。
翌日、余分に買っておいた東京土産の菓子を手に、俺はOの家を訪ねた。
住宅地のはずれにある、歴史のありそうな平屋の屋敷が、Oの家だ。
O家は、代々あちこちに不動産を持っていたらしいが、その一つから温泉が湧いたりといったことがあり、結構な資産家である。
数年前にOの両親が亡くなってから、彼は現在、この屋敷で一人暮らしをしている。
所有するマンションや駐車場などからの収入もあって、あくせく働く必要がないと聞いてはいるが、普段Oが何をしているのか、俺は知らない。知らなくとも、特に困らないので聞かないのだが。
門柱に設置されたインターフォンを押すと、短い返事から少し経って、走ってきたらしく息を弾ませたOが現れた。
「元気そうだな。まぁ、入ってよ」
そう言うOの笑顔は、子供の頃と変わらないものに思えた。
久しぶりに入ったOの家の広い玄関は、昔と同じ、お香に似た匂いがする。
持ってきた手土産を渡すと、Oは嬉しそうに言った。
「さすが、東京には
「東京に住んでると食べないけどな」
笑い合う俺たちの間の空気も、すっかり昔のものに戻っているように感じられた。
俺は、昔見たのと変わらぬ、掃除の行き届いた客間に案内された。
勧められたソファに腰かけて、俺は、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「そういや、まだ一人なのか? こんな広い家で、大変じゃないか?」
「家政婦さんに来てもらうから、家のことは心配ないんだ。そう言う君は、結婚とか、しないの? 昔なら、僕たちも『テキレーキ』って言われてた歳だよ」
紅茶のよい香りを漂わせるティ―カップを差し出しながら、Oが言った。
「付き合ってた子に振られたところだ。他に好きな奴ができたんだってさ」
脳裏に不愉快な記憶が蘇り、俺はティーカップを手にして苦笑いした。
「そうか、その子、君を振るなんて勿体ないことするな。見る目なさ過ぎだよ」
言って、Oは肩を
「そんなこと言ってくれるのは、Oだけだよ」
Oは余計な社交辞令や世辞は言わない。そこが他人から
「それで、見せたいものって何だ? 例のアニメの、でっかいガレージキットでも買ったのか?」
近況など他愛のない雑談をしている中、俺は本来の目的を思い出して言った。
「もちろん、あれは買ってガレキ部屋に飾ってある」
「まじか……ワンルーム暮らしだから、俺は置き場がなくて諦めたんだよなぁ」
「今回、手に入れたのは、いわゆる『オーパーツ』ってやつさ」
オーパーツ――その言葉は、俺を一気に昔へと引き戻した。
「場違いな人工遺物」……「out-of-place artifacts(アウトオブプレイスアーティファクツ)」を略したのが「
時代や場所にそぐわない人工物を指す、その言葉もまた、昔の俺の心をくすぐるものだった。
俺とOは、子供の頃、オカルト系の本や創作物に夢中になった時期があった。
かなり本気で悪魔召喚の儀式とか、天体望遠鏡を覗いて
多分に漏れず、俺も成人が近くなるにつれ、自分の人生がドラマティックなものなどである筈もなく、平凡な人間のまま生きて死ぬのだという諦めに
しかし、どうやらOは違ったようだ。
ついてこいと言うOの後に続いて、俺は一つの部屋に入った。
昼間なのに遮光カーテンが引かれた室内は薄暗いものの、サイドボードや棚が設置されているのは分かった。
Oが壁のスイッチを操作して照明を点けた時、俺は小さく声を上げた。
正面にあるサイドボードにはベルベットのような布地が敷かれており、その上には、透明な頭蓋骨――いや、水晶でできた
よく見ると下顎は取り外し可能になっているらしく、医学的な知識に乏しい俺にも、
更に、隣に置かれている素焼きの置物にも、俺は驚いた。一見、
「子供の頃、本物を見てみたいって言ってたから、君も喜ぶと思って」
俺が驚く様を見て、Oは少し得意そうな顔をした。
「こんなのもあるよ」
彼は戸棚の一つを開け、中から高さ10センチほど、直径3センチほどの小さな壺のようなものを取り出してみせた。
「まさか、バグダッド電池?」
「ご名答。さすがだね」
俺の言葉を聞いたOは、満足げに微笑んだ。
「実は、知り合いの
そう言いつつ、Oは次々と「オーパーツ」を取り出して俺に見せてくれた。
古代に作られたという黄金製の飛行機模型に、化石の中に
だが、昔の思い出とは裏腹に、俺は
水晶の
紀元前に作られたバグダッド電池と言われるものも、電気を起こすほどの性能は持たず、実際は単なる保存用の容器らしい。
飛行機模型は本当は
「なぁ、Oは、そいつに騙されてるんじゃないのか。変な宗教とかじゃないのか」
心配になった俺は、思わず言ってしまった。
「まぁ……そう思うよね、やっぱり」
俺の無礼とも言える言葉に怒るかと思われたOが、少し困ったような笑みを浮かべた。
「心配ないよ。彼は『本物』だから」
Oは、そう言って俺の目を正面から見た。
「この世界には、人間が観測できないものが、まだまだあるんだ。僕と一緒に、それらを見に行かないか。君だから、声をかけたんだよ」
言っていることは到底まともとは思えないが、Oの目には狂気など微塵もなく、ただ、その真剣さだけが伝わってきた。
「……悪い。俺には、まだ、そんな覚悟がない」
必死に当たり障りのない言葉を探していた俺は、ようやく言葉を絞り出した。
「いきなり、こんなことを言われても困るよね。分かった。君のこれからの人生が幸せであることを祈るよ」
今生の別れみたいなこと言うなよ……そんな言葉が喉まで出かかったが、少し寂しげに笑うOを見て、俺は口を
日が暮れる頃、俺はOの家を出て実家に戻った。
夕食と風呂を済ませ、床に就いた俺は、Oの家であったことを思い返していた。
この世界には、人間が観測できないものが、まだまだある――自分の中にも、この言葉で揺らぐ感性が残っていたのかと、俺は小さな驚きを覚えた。
――一緒に行こうと言われた時、もしもイエスと答えていたなら、何が起きていたんだろう。いや、やはりOは悪い奴に騙されているのかもしれない。明日になったら、もう一度、彼の家に行ってみよう。
そんなことを考えているうち、やがて俺は眠りに落ちていった。
翌日、俺は再びOの家へ向かった。
彼の家に近づくにつれ、俺は酷い違和感を覚えた。
何かがおかしい――首を捻りながら歩いていた俺は、Oの家があるべき場所に着いた。
しかし、目の前には、周囲と同じような住宅が並んでおり、Oが住んでいる筈の屋敷が見当たらない。
まさか番地を間違えたのかと、電柱のプレートを確認したが、ここは確かに俺の記憶にあるOの家の住所だ。
ちょうど通りかかった近隣の住人と思われる中年男性に、俺は声をかけた。
「あの、この辺りにOさんという家がありますよね? 結構大きな屋敷なんですけど」
「いや……俺は二十年ほど近くに住んでるけど、Oさんってのは聞いたことないな。そもそも、この辺に大きな屋敷なんてないと思うよ」
中年男は、俺に怪訝そうな目を向けると足早に歩き去った。
俺は、スマートフォンを取り出し、Oに電話をかけようとした。
しかし、住所録のどこを見てもOの電話番号もアドレスも見当たらず、受け取った筈のメールは文字化けして読めない状態になっている。
自分がOに送ったメールには「
俺は、訳のわからない状況に
「母さん、俺が子供の頃から仲良くしてたOって知ってるだろ?」
庭で洗濯物を干していた母に、俺は
「Oくん? ……そんな子、いたかしら?」
「俺、昨日はOの家に行くって言って出かけたのに?」
「何言ってるの、あんた昨日は一日家にいたじゃない」
「……ああ、俺の勘違いかもしれない。ごめん」
とにかく、今は一人になりたくて、俺は自室へ向かった。
俺は、恐ろしい可能性を思いついていた。俺自身が、Oの存在しない並行世界に迷い込んだ可能性、それとも、この世界からOが消えてしまった可能性……あるいは、Oの存在自体が自分の妄想の産物だった可能性。
――まるでオカルトじゃないか。他人事ならエンタテインメントかもしれないが、自分の身に降りかかるなんて冗談じゃない。
混乱と焦燥でどうにかなりそうだと思いつつ、俺は自室の扉を開けて驚愕した。
高校時代まで使っていた机の上に、あの水晶
よく見ると、その下には小さな紙片が挟んであった。
慌てて紙片を取り出して広げると、そこに書かれていたのは見覚えのあるOの字だ。
「僕は人間が観測できないものを見に行きます。自分の存在の痕跡を消していくのが条件だったけど、特別に、君からだけは痕跡を消さなくていいという許可をもらいました。水晶ドクロは君が好きそうだったのであげます。それは古代の人が現代では失われた技術で作ったものだそうです」
いつ、誰が水晶
ただ、これまでOは確かに存在していて、でも、もう会えないのだと悟った俺は、目の前の水晶
【了】
君が好きそうだから くまのこ @kumano-ko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます