平原の村④ 精霊たちへの葬送曲
今日は明確な意志を持って家を出ました。
まぁ普段はそうじゃないのかと言われるとそれも違う気がしますが、今日だけは特別です。
「フィーナ、どこか行くの?」
「森の方に少し。最近はまったく行けてなかったので」
元々私は毎日森へと足を運んでいました。それもこれも、あのルピナスの花畑で花を摘むためです。
あの場所は私が預かった場所で、だからこそいままではほとんど怠らずに通い続けていたのですが……公衆浴場だの密耕地だので最近はすっかりそのことが頭からすっぽ抜けて、アヴェリア様のお世話に忙殺されていたのでした。
「私も着いていってもいいかしら?」
「なにか用事でも?」
「密耕地の様子を見ておきたいのよ。一人では行かないって約束でしょう?」
あの少し農具に触っただけで残りの耕作を丸投げしていたアヴェリア様が、密耕地のことを気にかけているまでになったことにも感心ものなのですが、なにより私との約束を守ろうとしてくださっているのが成長を感じられて、心が揺れ動きました。
お互いに不慣れな状態で共同生活を送って、湯浴みのために水を組まされていたあの時期が懐かしくすら思えます。
「わかりました。行きましょうか」
アヴェリア様でしたら、きっと精霊たちも許してくださるでしょう。そう考えた私は今一度、アヴェリア様と一緒に森へと向かうことに決めました。
川から森に入ったあと、そこを沿って上っていくとエルフの集落跡へ辿り着きます。集落はやはり美しく、ここだけ時が止まってしまったかのような不可思議さが揺蕩っているのでした。
「――天地を司りし精霊たちよ。季節を運ぶ恵風の申し子たちよ。汝が力をゴーレムに宿し、大いなる自然の断片を行使することを許したまえ。ゴーレムよ、かたぐるましなさい!」
畑の状態を確認した後、アヴェリア様は試しにゴーレムに命令を下して遊んでいました。
農業用のゴーレムではありますが、どうやら無理な命令でなければ従ってくれるみたいです。
これが村に来てくれたら村をうろついている公騎士連隊も追い払えるかもしれませんが、そもそも古代遺物自体が大変な貴重品であるために出所を探られるのは目に見えています。
それで密耕地がバレてしまえばアヴェリア様も悲しんでしまうでしょう。
「私の用事は終わったわ! 次は花畑にれっつごー!」
ゴーレムから降りて、アヴェリア様は意気揚々と先陣を切りました。
◇ ◇ ◇
花畑は数日私がいなくなっても、いつもと変わらず風に吹かれていました。
碧い草の上に蒼い花が揺れ、青い空を仰いでいます。
「初めてここに来たときは必死だったから気が付かなかったけど、ここも綺麗な場所よね」
「ですね。私も初めて来たとき、言葉を失うくらい衝撃を受けてしまいました」
風と共にあの日の景色が重なって見えました。
夕景に沈み、緋色の闇に空が燃えていたあの時。彼女はこの花畑の中心で歌っていました。
「 『ひとつは おんに むくいるため』 」
「 『ひとつは かこを あがなうため』 」
「 『ひとつは ししゃを とむらうため』 」
そのときの私には、その詩の意味はわかりませんでした。ですがなにかが……なにもかもが、私の目を惹きつけて離しませんでした。
こんな世界があったんだと、ただ打ちひしがれていたのです。
『……きれい』
私はつぶやきました。
『でしょ』
彼女は笑いました。
古びたマントに付いたフードから、顔の下半分だけ覗かせています。口元の歪みがかろうじて彼女の表情を読み取るただ一つの方法でした。
『キミ、どうしてこんなところに来ちゃったの?』
『……』
『近くの村の子でしょ。森の外まで送ってあげるから、早く帰りな』
『……いやだ』
私は逃げ出してきていたのです。
病に伏せていた母は最期、ただひたすら父の名前を呼んで息絶えました。母は死のその瞬間まで父を愛し、父の帰りを信じていました。自分の体が蝕まれていてもお構いなしに、母はずっと父を愛していたのです。
でもそんな情熱的な愛も終わってしまえば呆気ないもの。残ったのは骸だけ。父の遺体も帰って来ず、死んでも母は父と一緒にはなれないのです。
そして私も、あばらやのなかで、独り、ふと死ぬことが怖くなりました。
『かえりたくない……いやだ……おとうさんもおかあさんもいない……あんないえに、かえりたくない……』
『……』
消え入るようなその声は、今にして思うとかなり悲痛に聞こえていたのでしょう。それが運良く彼女の心に傷をつけられたことは、私の人生でもっとも幸運なことだったかもしれません。彼女は私を抱きしめて、囁きました。
『ここはね、ボクたちの種族の秘密のお墓なのさ。エルフは死んだ人のために花を摘む。人は死ぬと魔の力に還って精霊になるんだ。精霊は花が好きだからね。精霊になった人のために花を捧げてやるんだよ』
『……せー、れー?』
『キミもそうするといい。そうすればキミのお父さんもお母さんも、精霊になってキミを見守ってくれる』
そう言って私の頭を撫でる彼女は、それからそっと立ち上がりました。下から覗いて見える彼女の耳は尖っていました。
私はルピナスの花を手折ります。二本、父と母の分を。
『ひとつは おんに むくいるため』
先ほどの歌を再び歌って見せる彼女。私もそれを真似て、一生懸命に歌いました。
『ひとつは かこを あがなうため』
夕焼けに染まっている世界のなかで、ほのかに精霊が灯って見えました。
風が吹きます。爽やかな空気を吸い込んで、私は花畑に立っていました。
「 『ひとつは ししゃを とむらうため』 」
最終段を歌い終えて目を開きます。
景色は青色。真上に上った太陽が私と、すぐ後ろで歌を聞いていたアヴェリア様を照らしていました。
「やっぱり、フィーナって歌上手よね」
「……茶化さないでください」
「本当よ!!」
お世辞を言うアヴェリア様のことは適当にあしらいつつ、私はルピナスの花を二本手折りました。
これが私のお墓参り。精霊になった両親へ送る葬別です。
「……」
「……あら?」
その日、珍しいことが起こりました。
ちいさなちいさな、とてもちいさな精霊二匹が、私の手折ったルピナスの先端にふわりと止まり、点滅していました。
精霊は実態のある生き物というより、光のみの、それこそ霊のような存在です。はっきりと見えるわけではありませんが、ほんのわずかに精霊が見えたのでした。
「あんた、ずいぶんと精霊に好かれてるのね」
「……そうですかね」
「精霊に好かれる人は心の清い人だって聞いたわ。さすがは私の従者ね!」
「……」
私たちはそのまま花を胸に抱いて、村へと帰りました。
二本のルピナスはクローゼットのなかにしまって、その後にアヴェリア様と公衆浴場へと向かいました。
今日は私の誕生日でした。
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