第2話 弟①

 僕はしあわせな家に生まれた。

 厳しいけど優しいお父さん。

 冬のコタツ布団みたいなお母さん。

 やさしいおばあちゃんと猫は何時だって微笑んでいるようなそんな家だった。

 あるときおばあちゃんの親戚の子供っていうお兄ちゃんが僕のお兄ちゃんになった。

 ひとりっ子だった僕は嬉しくてお兄ちゃんにたくさん甘えた。

 お兄ちゃんは優しく僕を甘やかす。

 お父さんが「あまり甘やかすな」と言えば、お兄ちゃんが「ごめんなさい」する。お兄ちゃんは悪くないのに。

 だから、僕はお兄ちゃんがごめんなさいしないでいいようにしっかりしなきゃいけないんだ。

 しあわせなおうち。

 僕はしあわせに育った。

 欠けてるものなんかない家族の中で。

 なんにも欠けてなかった。

 まんまるなビー玉みたいなキラキラなしあわせ。

 どうして、届かないんだろう。

 教えてもらって頑張ったのに。あと少しが届かないんだ。

 あのね、「頑張ったね」「スゴイね」「よくやった」って褒めてくれる。

 でも、お兄ちゃんは間違えなかったよ?

 お兄ちゃんは簡単にできるよ。

 知ってるよ。お兄ちゃんはひとつも間違えなかったって先生が「惜しかったな」って言ったよ?

 お兄ちゃんなら上手にできたって言ってるよ。嬉しいし、自慢なんだ。

 でも、「どうして、弟なのにできないの?」って「似てないね。兄弟なのに」って言われて胸が痛い。

 気がついちゃったんだ。

 どうやってもお兄ちゃんに届かないって。

 お兄ちゃんが褒めてくれるのは僕ができない可哀想な子だからって。

「どうかした?」

 お兄ちゃんがにこにこ覗き込んでくる。

 特別な学校に進学の決まったお兄ちゃんの制服はカッコいい。

「なんでもない」

 そう言って差し出された手をぎゅっと握る。

 お兄ちゃんの行く学校は寮生活。会えなくなるのが寂しいんだ。

「お兄ちゃん大好き」

 お兄ちゃんがふんわり笑ってくれる。

 知ってる。僕だけが特別じゃない。

 届かない僕は特別じゃない。お兄ちゃんみたいな特別になれない。

 お兄ちゃんが学校に行ってしまって勉強を教えてもらえなくて、運動のコツを教えてもらえなくて、ずるずるとダメな子になっていく。

 お兄ちゃんと一緒にしていたお手伝い。

 僕だけじゃ上手にできない。

 お母さんが「しかたないわねぇ」って笑ってる。

 僕じゃ上手になんかできない。

 わかってる。お兄ちゃんだから上手にできたんだ。

「お前のお兄ちゃんは」「あいつの弟なのに?」

 僕はなんにもできない。

 家の中で僕だけが欠けた存在だった。

 諦められていく。認められていく。

 できない可哀想な子だって。

「おまえにはおまえの良いところがあるんだよ」っておばあちゃんがまろく微笑む。

 僕のいいところってなぁに?

 気がついたら僕は特別なお兄ちゃんの弟。

 僕は誰かに呼ばれなくなった。

 お兄ちゃんもどんどん上に進んでいく。

「ただいま」

 たまに帰ってきたらダメな僕にすら優しい。

 やつあたりすら許されない。

 おかえりって視線をそらすと覗き込まれて、その瞳が不安そうに見えて「散歩に行こう」って差し出された手をとってしまうんだ。そしたらやわらかく笑ってくれる。

 お兄ちゃんの笑顔にうれしくてほっとする。

 お兄ちゃんに心配されて気遣われる度、僕の出来なさが際立つ。

 家出をしたのはしばらくしてから。

 何もできない僕は何もない。







 呼んだって届かない。








 学校に行くことをやめてぶらぶらと友人知人その場で知り合った相手の家と渡り歩く。

 できない俺でも短時間なら誤魔化した仕事が出来た。

 かわいそうに思った人がごはんをくれた。

 意外と生きていくだけなら出来たんだ。

 兄さんに最後に会ったのはおばあちゃんの葬儀。

 兄さんはどこまでも完ぺきでカッコいい。

 届かない。届かない。横にいられない。

 できない子でもかまわないって言ってくれたおばあちゃんが死んだ。

『できることが見つかるよ』って言ってくれたおばあちゃん。

 今の俺は一人だ。

 全部無駄でなにもないし、なにもできない。

 当然のように家族からも切り捨てられた。

 だってできないんだからしかたない。

 行くところはなくて、噂でしか聞いていなかった国の収容施設に収監された。

 渡された部屋の鍵。

 新しい俺の生きる世界。

 重犯罪者と同じ空間にいることになるのかと不安だった。

 俺が入れられた場所は、納税義務を怠った者の労働居住区だった。

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