パパ活かな?
デジャビュという言葉があるけど、それに近いのかな。
三沢さんとの会話は不思議なほどに滑らかにぼくの心を掴んだ。
言葉のやりとりだけじゃない。視線から手の動き、上半身の揺れまで、変にしっくりくるんだ。だから錯覚してしまう。昔どこかで彼女と暮らしたことがあるのではないかって。
ロビーの喫茶店、ローテーブルに載ったコーヒーにミルクを入れようとすると、ぼくがその欲求を感じる前に彼女の手が動く。
誓って言うけれど、職場でのぼくたちはそういう関係ではなかった。信じて欲しい。部下の秘書を部屋に連れ込んでお茶したりとか、そういう事実は全くない。あ、彼女が辞める前の二週間はときどきあった。でもあれ、ぼくが要求したわけじゃない。用事のついでに彼女が居残っただけ。
なのにぼくたち二人の呼吸は不気味なくらいに合う。
「それにしても、突然の退職で驚いたよ」
せっかくだから聞いてみた。彼女はもううちの従業員じゃないからね。いや、ひょっとしたら有休取得中で籍はまだあるのかな。
「申し訳ありません。ちょっと色々考えることがあったんです」
「そうか」
色々考えること。
これはつまり、うちの会社に勤め続ける未来に満足できなかったということなんだろうね。待遇は中小にしては悪くないと思うけど大手並とまではいかない。安定性だって違う。あと、恐らく致命的なのはキャリアプランだろう。
うちの会社、図体はそこそこ大きくなったものの中身はザ・昭和。業種の特性も相まって男性優位が強い。彼女は元々営業部志望だったらしいから総務は不満だったんだろう。もちろん営業と総務を比べたときに、どちらかがどちらかに優越しているなんてことはない。両者会社を動かすためには欠かすことのできない車輪だ。でも、仕事を取ってくる、人間で言えば手の役割を果たす営業部の方がなんとなく華やか。いや、エネルギッシュというべきだろうか。
加えて総務の中でも秘書課。さらに悪いことに
辞めたくもなるだろう。
未来へのワクワク感皆無。だってぼくの補佐だ。泣きたくなるけど現実を直視しなければならない。
「社長、よろしくないことを考えていらっしゃいますね?」
黙り込んだぼくを三沢さんの悪戯めいた瞳が捉える。
「多分こんな。——”この子は自分のことが嫌で辞めたんだろう”って。違いますから誤解なさらないでくださいね」
「まさか。ただ、どんな理由であれ少し悲しい気分になるのは事実だね。もちろん三沢さんの前途が素晴らしいものになることを願ってるよ」
心の中を見透かされたようでぎょっとする。でも、こういう発想が出てくるのも無理はない。多分秘書課の皆さんの間での共通認識なんだろうな。辛い。
「ところで、次も事務系の仕事を?」
「いいえ」
「吉永さんから聞いたけど、元々は営業志望だったんだね。それもいい。私も昔少しやったが、大変なりにやりがいがある仕事だ」
三沢さんはふわりと笑う。
「社長、一つお聞きしても?」
「なんだろう」
「社長は共働きをお望みですか?」
共働き……。
それで気づかされた。ぼくたちが何のためにここにいるのか。この状況で次の仕事について聞くとはつまり、結婚しても働くんだよね、という仄めかしに他ならない。
「ああ、そうか。いや、私はどちらでも……」
「わたしの言葉は嘘ではないって気づいていただけましたか」
大きく編み込んだ髪の先を軽く撫でながら彼女は囁いた。
なるほど。確かにそうだ。ぼくが釣書を見たのと同様に、彼女も今日の相手が誰か予め分かっていたはず。
会社を辞めたいくらい嫌っている相手とのお見合いなんてするわけがないよね。
じゃあなぜ辞めたんだろう。結婚願望? 最近の若い子は早いって聞くからその線かな。でも、なぜよりにもよってぼくなんだろう。
一瞬不思議に思ったものの、答えはすぐに思いつく。悲しいことに。
つまりお金。
ぼくは人並み以上にお金を持ってる。なにせ株式非公開の独立企業創業家出身の代表取締役なので。自由にできるお金は結構なものだ。ここだけの話、日本で一番羽振りがいいのはこのタイプのアレだからね。外資系のエリサーとか大企業の幹部とかが持てはやされるけど、まぁ、うん。これ以上は止めておこう。
いずれにしても、ぼくが人よりも恵まれていることは認めなければならない。
自分の努力の結果では全くない。ただそういう家に生まれただけ。
偶然の産物として。
「気づいたよ。私はいつも鈍いな」
さて、危うく勘違いしそうになったけど、ぼくは見事に窮地を脱することができた。冷静になってみれば当然のこと。三沢さんはまだ20代半ば。ぼくとは10近く年が離れている。付け加えるならばとても素晴らしい容姿をなさっている。これもぼくとはかけ離れている。性格もいい。少なくともぼくに見せる態度からはそう見える。
つまり、彼女がぼくに好意を向ける理由はお金以外にない。
それを不純だとは思わない。お金だってその人の属性の一部だ。背が高いとかそういうのと同じ。
あくまで見たところだけど、凄まじい浪費とかをするタイプには思われないから、もし奥さんになってくれるならこれ以上は望むべくもないね。
そんなことを考えてながらぼうっとしていると、不意に隣のテーブルに座る男女の姿が視界に飛び込んできた。
男性の方は恰幅のいい初老。年に似合わぬ若々しい格好をしている。60代で半ズボンって凄いな。Tシャツの胸元には某ブランドの巨大ロゴ。そして左腕には金無垢のデイデイト。あー。
女性の方はあれだね。女子大生っぽい。だけどバッグだけ超高そう。
なるほど。そういうのは外資系のところでやってほしい。ここは着物着た上品な老婦人とかがまったりたむろする場所では? それとも最近はここもそういうスポット化してるのか。
ん?
三沢さん、20代半ば。女子大生でも十分通る。
ぼく、30代半ば。どこからどう見ても中年のおじさん。
高級ホテル。ロビー。
ん?
パパ活かな?
「ああ、今日はお会いできてとてもうれしかった。何よりも三沢さんが元気でいてくれたことが。楽しいばかりにちょっと話し込んでしまったね。楽しい時間は過ぎるのが早い……」
ぼくは会計を済ませようと立ち上がる。
互いに求めるものは明確。彼女はお金、ぼくは家庭。
それが分かった以上、あとは双方の事情を追々詰めていこう。来月でも食事に誘ってみるか。
実はこの時、ぼくの心はすでに銀座時計店巡回ツアーへと傾きつつあった。時間は14時をちょうど回ったところ。これは久しぶりに行きたいお店制覇できるだろうか、って。
歩き出そうとしたぼくの背に声がかかる。
「社長、今日はいいお天気ですね」
「そうだね。梅雨明けしたらしい」
「せっかくですから、少しお散歩いたしましょう。ちょっとお腹も空いてきちゃいました」
優雅に、あまりにも優雅に立ち上がり、三沢さんはぼくに微笑みかける。
「これから?」
「はい。これから」
断ることができるだろうか。その可能性はあるだろうか。
ないよ。皆無。
◆
お散歩。
ホテル近くの巨大ショッピングモールをパスして、日曜の雑踏の中をぼくたちは銀座方面に歩き出す。日比谷とかその辺りは全く土地勘がない。喫茶店に入るにもご飯を食べるにも勝手知ったる土地の方がエスコートしやすい。
つまり銀座。
線路の高架下を抜けて数寄屋橋交差点を目指し歩く最中、ビルの壁に貼られた大きなポスターが目に入る。
闇から浮かび上がる若い男の顔を正面から描いたそれは、最近流行っているマンガのもの。もうすぐアニメ化されるらしい。
なんでそんなこと知ってるかっていうとね、なんかそのお話の中に出てくる時計ブランドが、ぼくの行きつけのブランドをモデルにしてるらしいんだ。店長さんがマンガと小説——原作は小説の方らしい——を見せてくれた。
銀座の一等地、超ムーディーかつ豪奢なブティックの奥で、ソファーに対面で腰掛けた中年の男が二人してマンガを読むというミスマッチ。内容はあまり覚えてない。シャンパンを飲み過ぎまして。
「まぁ、あれ!」
三沢さんが当のポスターを指さす。
「ご存じですか? あのお話、主人公の王様がちょっと社長に似ているんです」
「そうなのか。最近流行っているらしいね。三沢さんも読むのかな」
「はい。実は愛読していて。——だからこの間、つい”陛下”ってお呼びしてしまいました」
ああ、なるほど。
ちょっと意外な感はある。マンガとかアニメとかあまり彼女のイメージになかったけど、趣味があるのはいいことだね。
「なるほど。だからか。王様なんて縁遠いけど、光栄なことだよ」
「その王様が奥さん達の中で最も寵愛した女性が、実は私に似ているんです」
笑えばいいのか、あるいは背筋に汗をたらせばいいのか、まったく判断に困る台詞だった。
「奥さん達か。……そういうお話は女性にはあまり受けないのではないかな」
「たしかにそうかもしれません。——でも、そういう”物語”なんです」
ぼくは小さく肩をすくめる。彼女が好きだというお話を悪し様にいうのも失礼に当たる。王様というんだから昔の話なんだろう。中世とか。
右の二の腕に微かな感触を感じる。
ぼくの注意を引こうと彼女が軽く突いた感触が。
「ん?」
「ご覧下さいませ、陛下」
差し出されたスマホに表示されたイラストは驚くほど彼女と似ていた。
そして彼女の声色は、驚くほど堂に入ったものだった。
これは一度読んでみなければならないね。そのお話を。帰ったら通販でポチろう。
◆
お散歩は10,000歩を優に超えた。スマホの歩数計がぼくたちの歩みを教えてくれる。
正直足が棒のようだ。革靴のぼくですらこの様なんだからヒールの三沢さんはもっと大変だろうと想像して細かく休憩をとったんだけど、意外なことに彼女は体力ある。喫茶店の席から立ち上がる勢いからして違う。
これは年の差かな。
でもパパ活じゃないよ。
で、夕方はね、東銀座まで流れた。
最初ちょっと高めのところに行こうと思ったんだけど、彼女の希望は「ぼくの食べたいもの」。キリッとした顔で「好みを知りたい」と言われれば従うしかない。
なのでやってきました。
大好きなシチュー屋さん。
歌舞伎座の脇を抜けて路地を入ったところにあるこぢんまりとした店。
ここのシチューは和風でね。お茶碗に盛られたご飯。お新香。そして絶品のシチュー。小さな土鍋に入ってる。湯気を立てて。
注文を伝えたら、まずは流れるようにシャンパンが運ばれてくる。彼女もお酒はいけるようだから二人で軽く乾杯した。
なんだろうこのデート感。『東京カレンダー』かな。
美人OLと東銀座の隠れ家シチュー屋さんでディナー。
全国の中年の夢だね。凄い。ちなみにぼくは独身なので何一つ後ろ暗いところはないよ。そもそも今日の本題はお見合いだからね。
シャンパンを軽く口に含んでゆっくりと味わう三沢さんの艶姿を眺めていると、スマホのアプリにメッセージが届いた。
『ちょっとご相談したいことがあります。今度いつお会いできますか?』
「
『来週の土曜ならいつでも大丈夫』
予測変換が出してくれる「来週の」「土曜」「なら」をリズミカルにタップしていく。
返信を終えて顔を上げると三沢さんと目が合った。ばっちりと。
「お仕事ですか?」
「まさか。私に、それも日曜に仕事の連絡なんて来ないよ」
「まぁ!」
そう言ったきり無言。
でもテーブルに置いたスマホを時折チラッと見てる。気になるのかな。
なんといえばいいんだろうか。かわいい。
「ああ、これは遠い親戚の子からだ」
「子?」
「子」
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