ガチ恋勢のためのレクイエム

馬村 ありん

01 お前のアイドル

 笑いの絶えない居酒屋の店内で、これほど苦い顔をしている奴がいる場所はここだけだ。いつもなら一気飲みする生ビールを、宏樹はちびちびと飲んでいた。

「こんなに辛いなんて思わなかった。精神ココロの痛みが物理カラダの痛みと化している。痛い、心が」

 宏樹は言った。

「アイドルオタクってのは因果な商売だよな。推しが幸福の絶頂にいるときに、不幸のどん底におちいるんだから」

「今日は飲んで飲んで辛い気持ちを吐き出してしまえ。なんでも聞くぜ」

 俺は言った。

「うれしいよ。お前は一番の友人だよ、ケンスケ」

「大袈裟だよ」

 ひかえめな音を立てて重なり合うグラス。

 つい胸ポケットに手をあてた。その直後、嫌煙者がここにひとりいるのを思い出した。その子が顔をしかめるのを想像し、手を引っ込めた――そもそも禁煙席だ。


 宏樹がスマホの画面をかたむけると、ニュース記事が目に飛び込んできた。

 さらさらの長い髪。すらっとした手足。輪郭の小さな顔には無邪気な笑み。純白のワンピース。記者会見場にいるアイドル・青川凛。その薬指に光るのは、ダイヤモンドの結婚指輪だ。

「お前のいう通りだった……。若くて、かわいくて、声がよくて、出会いの機会が多い職種の女の子に彼氏がいないわけがないんだな」

 深く青いため息を宏樹はついた。

 青川凛ととなり合って写真に納まっているのは、人気ボクサー・赤木健太郎だ。スーツ姿だが、その下には鋼の肉体が潜んでいるのを俺たちは知っている。そのグッドルッキングな顔に笑みが浮かぶ。彼の薬指にも指輪が光っていた。


「『ガチ恋は必ず失恋に終わりぬ』ってお前は口酸っぱく言ってたけど、本当にその通りになったよ」

 足しげくライブに通い、握手会に通い、写真集のお渡し回に通い、青川凛から認知を受けるほど広樹は熱心なファンだった。

 いまや肩を落とし、うなだれている。

 店員が、春キャベツの野菜サラダと唐揚げを運んできた。六本の箸が群がった。俺たちは平らげた。

「でも、ガチ恋勢のおかげで得られたものもあるだろ」

「得られたものってなんだよ?」

 ふて腐れたような顔で宏樹が言った。

「『凛ちゃんに相応しい男になる』ってお前は自分にメチャクチャ磨きをかけた。身なりに気を使うようになったし、出っ張ってた腹を筋トレして引っ込めたし、ファン仲間ができて交友関係も広がった」

「凛ちゃんの隣にいてもおかしくない男にならなきゃって努力を重ねたんだ。まあ、これも全部ムダに終わったわけだが」

「そんなこと言うなよ。。なあ」

 俺は肩をゆすってやった。

 テーブルのグラスがすべてカラになったので、俺は店員に生中を三つ注文した。


「にしても、ケンスケには感謝しないとな。これでもダメージが少ないのは全部お前のおかげだから」

「俺なんかしたっけ?」

「お前は『Xデーに備えろ』って俺にアドバイスしたんだよ。覚えてないのか?」

 宏樹の言葉に、俺は曖昧な笑顔を返した。

「思い出させてやる。『急に恋人発覚とかなったらダメージ受けるから耐性つけとけ』ってお前は言ったんだよ。『忍者が、毎日毒を少しずつ飲んで耐毒性をつけるのと同じように、ちょっとずつ彼氏情報を集めるんだ』って。

「だから俺は、彼氏の存在を忍ばせる情報に耳を研ぎ澄ませた。親元から引っ越したとか、SNSに手料理の写真をアップするようになったとか、犬を飼いはじめたとか」

「犬?」

「猫と違って世話が大変で、ひとりで育てるのが難しいからだよ。つまり、恋人と暮らしている」

「お前、探偵みたいだな」

「ネットじゃよく言われてる説だ。まあ、そのおかげで『Xデーも近いな』と思って心構えができていたというわけなんだ」

「俺はお前を助けていたのか」


「お前、青川凛のCDとかBDとかいるか? 俺のやつ」宏樹は言った。「俺にはもう必要なくなったからな」

「そうだよな」

 ビールをごくりと飲み下した後、腕を組み考える。フリフリの衣装を着てCDのジャケットに納まった青川凛の姿を頭に思い描く。青川凛はにこりと前歯を見せて笑う。

「青川凛はすごいと思うよ。力強い歌声に、キレのいいダンス。お前と行ったライブ、圧巻だった。お前がファンになるのも分かる」

「分かってくれるか」宏樹は笑顔になった。「あおりん……青川凛のガチ恋勢になったのは、尊敬してるからなんだ。彼女はストイックなんだよ。歌にもダンスにも――」

 くぅくぅと安らかな寝息が聞こえてきた。

「とうとう寝たか」

 その子に目をやり、俺は言った。

「そっとしてやってくれ」

 宏樹は言った。

「さっきお前、俺が痩せたこととかを褒めてくれたよな。そうやって頑張れたのは、彼女みたいになりたいと思ったからなんだ。彼女はいつも苦悩して、壁にぶち当たってる。それを乗り越えた成果が、彼女のパフォーマンスなんだ。

「そのことに気がついた時に俺も頑張りたいと思えるようになった。そんで、苦悩したり、壁にぶち当たるたびに彼女を感じるようになった。だから、そういうものを歓迎することができたわけ」

「苦悩したり、壁にぶち当たったりするたびに、大喜びするってことか。お前、そうとうな変態ヘンタイだな」

「間違いない」


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