第10話
「気付いて、逃げて、消して」
私に触れる器用な指先に、私の名前を呼ぶ高くも低くも無い、どちらかと言えば中性的な声。言葉遣いは酷く優しく、絶やされる事の無い笑みは一体何の為に浮かべられていたのだろう。
言葉は必要無かった。
隣に居る事がいつしか当たり前となっていた。
そして、今も。
フランス語は特に好きではない。
ただ、レベルの高いこの大学でそれ以外に合格出来そうな学部は見当たらなかった。それだけだった。
いつでも一歩先を行く彼の背中を、もう何年間も追い掛けていた。
彼と一緒だと思えば、親に
必ず徒競走で一位をもぎ取る彼と同じ土俵に立ちたくて、放課後は毎日一人で練習した。
埋まる事の無い歳の差を何とか縮めたくて、せめてもの気休めにメイクをした。
彼と同じ大学に入りたくて、好きでもない勉強をした。
全ては彼の為だった。
しかしそれも、今ではもう分からない。
ベッドのスプリングが軋む音も。
眉根を寄せた何かに堪えるようなあの苦悶の表情も。
私を呼ぶ声すら。
理由は行き場所も無く、消えて行った。
自分の部屋から良く見える、隣の家の一つの窓。
幼い頃から変わらない、淡いブルーのそれが時折風に揺られ、姿を現す。
「何が、正しかったんだろうね」
自分の物では無い二つのシルエットが、乱れて、消える。
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