第二話 汎用決戦生物兵器TK2

SF映画は好きだ


だがそれは映像として観るから面白いわけで


実際に経験したら


そんな悠長なことは言ってられない







第二話


汎用決戦生物兵器TK2


SF episode







某国某所、とある地下研究所で数人の科学者がプレパラートに乗せられた皮膚細胞を電子顕微鏡で覗いてた。


地下空間には似つかないほどの広いスペース。まるで国の重鎮を守る核シェルターのように頑丈な構造になっている。


最先端の機材に囲まれたこの空間で一体なんの実験をしているのか? わざわざ地下に作ったのだ、地上に影響が出る危険なモノか、はたまた世間には公にできないものか……。


白衣を纏った一人の女性が、顕微鏡を覗いていた男性にUSBメモリーを渡す。


「プロトタイプとオリジナルの比較データです」


男性は適当に会釈をすると、手元にあった書類に皮膚細胞の様子を書き込む。


実験は順調であった。そう、あの事件が起きなければ。


突如鳴り始める警鐘。赤く点滅するランプ。緊張が支配し、科学者達には不安の表情が見受けられる。


「なにがあった! 報告しろ!」


内線を使い状況把握を試みる。内線から届けられた言葉は、焦りの色が帯びていた。


「オリジナルが……TK2が檻を破って逃げだしました!」


「なんてことだ……」


男はその場で崩れ落ちる。女はコンピュータのディスプレイに映る、オリジナル・TK2の姿を凝視していた。



制服のブレザーを着込み、テレビのお天気コーナーを見ながら七海はトーストにかじりついた。


両親はついさっき出て行った。家には七海ただ一人。


お天気コーナーが占いコーナーに変わると、リモコンを使ってテレビの電源を落とした。毎日このタイミングで学校に登校するのだ。


食器を片付けバックを担ぐ、ローファーを履き玄関の扉を開けた。


「なーなみちゃん、おっはよぅ」


扉の先には、セーラー服を着た魔女が待ち構えていた。


(…………)


扉を閉めよとしたが、すかさず魔女は足を扉に挟んで七海を逃がさない。


どうやらこの行為が七海の癪に触ったようで、


「は な れ ろ」


テンポよく扉を開け閉めし、魔女の足を攻め立てた。


「痛い痛い痛い! やめろって貴様!」


悲痛な叫びにようやく七海は手を止めた。


魔女はうめき声を上げ、腰を折って爪先を押さえる。七海はその光景を一瞥し、さっさと魔女を素通りして学校に向かった。


完全無視。懸命な判断だ。


「待って! せっかくコスプレしたんだから何か言ってよ!」


「全力でやめろ。気持ち悪いんだよクソババア」


感情など一切込めず、冷淡な口調で感想を述べた。


白いセーラー服に短めのスカート。髪もポニーテールにして若々しさをアピールする。


いくら見た目が若くとも、さすがにセーラー服は無理がある。オカルトだ。ホラーだ。


「にしても、最近のセーラー服には名札が縫い付けられてないのね。昔は大人も子供も皆付けてたのに」


「戦時中かよ」


「まあコスプレは一先ず置いといて」


「置くんじゃねえよ。さっさと脱げ」


「私のお願いを一つ叶えてもらうわよ」


七海の毒舌はシャットダウン。汚いウインクをかまして、魔女は不吉な笑みを浮かべた。


魔女の願い、おそらくそれは世界は救えという少年漫画の設定にありそうな願い。


以前七海はキッパリと断ったはずだが、この魔女まだ諦めていなかったらしい。


七海は苦虫を噛んだような渋い表情をし、チッと舌打ちした。


「なんの義理があって私があんたの茶番に付き合わなければならんのだ」


魔女は口元を器用に吊り上げると、人差し指と親指を立てて七海の眼前に突き付けた。


「ホワイティングバーロ-を助けてやったのは誰だったかしら~?」


「私」


「いい加減怒るわよマジで」


「頭がイカレてる奴に言われたくないね」


二人の間に火花が飛び散る。バチバチバチバチとても激しく。


互いに互いを威嚇し始め数分後、不意に魔女は視線を外しスカートのポケットから携帯電話を取り出した。


ピンクの折りたたみ式でフロント部分にはスワロフスキー製のクリスタルガラスが隙間なくちりばめられ、ハートの形を作っている。


ストラップも数えきれないほど付けられていて、携帯電話よりもボリュームがある。本体よりもストラップの方が重いだろう。携帯電話の意味がない。


魔女は片手でケータイを開く。まさか増援を呼ぶきか?


魔女の不可解な行動に目を光らせ、七海は魔女の第一声に神経を集中させた。


「とりあえず、メアド交換しない?」


「なんでそうなるんだよ。意味不明だよ。ていうかケータイも気持ち悪いんだよクソババア」


「だってぇ~嫌な雰囲気を乗り切りには、メアド交換しとけばなんとかなるって近所の山田さんが言ってたんだもん」


近所の山田さんって誰だよとか、その知識は確実に間違ってるからとか、ツッコミ所はまだまだあるが相手にすると日が暮れそうなので、大人な七海は目をつぶった。


ツッコミ役は魔女が相手じゃ大変だ。ご苦労お察しする。


「まあ、ここはメアド交換をして親睦を深め……あれ?」


言い忘れたが七海は陸上部の短距離選手である。前回同様魔女の一瞬の隙をつき、全力で逃げきった。


魔女もそれなりの身体能力の持ち主だが、姿がなければ追うこともできない。目標を完全に見失った。


「まっ、望もうと望もまいと逃れることはできないけどね」


魔女は独り言を呟く。


「サイはすでに投げられたのだから」


ほくそ笑む魔女。ふと視線を下ろすと、赤い携帯電話が地面に落ちていた。



教室に着く頃には朝のホームルームが始まっていて、担任の教師が本日の予定を淡々と生徒に報告していた。


遅刻した七海であったが、担任は特に咎めず席に着くよう促した。窓際後方二番目の席に着き、視線を窓の外へと向ける。


雲一つない透き通る蒼。まさかこの空の下で、遠い遠い北西の国では大変な事態に陥っていることなど露にも感じていないだろう。


ーーーとある北西の国・地下会議室ーーー


薄暗い会議室の壁に巨大なモニター、丸テーブルには人数分の書類と喉を潤すためのペットボトル。


口元にヒゲをたくわえた初老の男は書類に一通り目を通すと、溜め息を漏らしながら書類を手から離した。


バサッと紙独特の音を立てながら、一枚一枚テーブルや床に落ちる。


「事故原因の報告書などどうでもいい、私が欲しいのは今後の対策案とTK2の現在位置だけだ」


男の言葉に他の会議員は視線を伏せる。


「まず対策案ですが、その……」


言葉を濁す。だが男の威圧に二の句を続けた。


「プロトタイプとはいえ我が国が総力を上げて作ったリアル生物兵器です。他国に漏れぬように捕獲することは難しいかと」


「なるほど、惜しいが抹殺するしかほかないか……。現在位置の特定は?」


「TK2は持ち前の飛行能力で東南に向かっています。現在中国内陸部を航空中、最高速度及び最大滞空時間を計算すると予定着陸ポイントは……」


モニターには世界地図が映しだされている。中国大陸の中心に赤い点がついているが、それは彼らのターゲットを表している。


赤い点から矢印が伸び、ある大陸にぶつかり止まった。


「ジャパン(日本)か」


不幸の足音はちゃくちゃくと近付いて行く。背後に、ゆっくりと。


むろん七海は重大な会議が行われていることも、リアル生物兵器が日本に向かっていることも知らない。


リアル生物兵器とはなんなのか? 謎は意外にも早く解決する。


本物の登場によって。







危機が刻々と迫る中、学校では一時間目の数学の授業をやっていた。担当教諭はクラスの担任である。


黒板に次々と書かれる数式や公式、多くの生徒が頭を悩ませるが七海は平然とした面持ちで途中式と答えをスラスラノートに写す。


最後の問題を解こうとシャーペンの上部を押した瞬間、教室の扉が勢いよく開けられた。


そこにいたのは、


「……カマキリ?」


超巨大カマキリだった。


全長四メートル、高さ二メートル、鋭い鎌に長距離飛行。まさに生物兵器と言わんばかりのカマキリが、二つの鎌を構えて威嚇のポーズをとっている。


これこそが、とある国で極秘に開発されたリアル生物兵器、TK2(超カマキリ)なのである。


いきなり現れた化け物に、教室は悲鳴と恐怖に包まれた。あるものは気絶し、またあるものは窓から脱出を試みる(三階なのですぐに諦めたのだが)


TK2はさらに恐怖心を煽るように「キシャーッ」と叫び、鎌を振ります。波紋が広がるように悲鳴がさらに大きくなる。


恐怖が恐怖を支配する教室で、七海一人は異彩を放っていた。至って冷静で携帯電話で110番通報をしているのである。


この世のモノとは思えぬ化け物と遭遇したばかりで、すっかり抵抗がついているようだ。巨大カマキリなど許容範囲内。


コール音が数回流れて、男性の声が電話口から流れ出た。


「あ、もしもし警察ですか? 学校に巨大なカマキリが現れたので助けてください」


「はぁ? ふざけないでください、警察だって暇じゃないんですよ」


「それはこっちの台詞だよテメェ。か弱い国民が助けを求めてんだから四の五の言わずさっさと助けにこいよボケェ。根も葉も無い裏情報をマスコミに垂れ流すぞオラァ」


か弱い国民が国家権力に言う台詞ではない。完全な脅しだ。


どうやら七海は大変ご立腹のようだ。怒涛の言葉攻めに警察官は殺意を感じ、返事もせずに電話を切った。


(昨日のホワイティングバーローに続き今度はカマキリ。魔女のせいだ、あの疫病神め)


高ぶる感情は爆発寸前、七海の性格からして溜め込んだり静めたるすることはできず、怒りの矛先は目の前で一人の女子生徒に襲い掛かっているカマキリへ放たれた。


カマキリは腰が抜けて動けない女子生徒に狙いを定め、鋭利な鎌を眼前にちらつかせる。


女子生徒は声も出せずに涙を流すだけ。カマキリの鎌が首の後ろに回されたその時!


「苦しめ」


清涼スプレーがカマキリの目に吹き付けられた。


遺伝子操作で生み出されたカマキリは身体能力はもちろん頭脳の方も格段に向上しているわけでして、


「目がぁあああ! 目がぁあああ~!」


ジブリの某有名キャラクターの名言を喋るのです。


普通の人間なら驚くだろうが、カマキリが言葉を発する程度で動揺するほど七海の神経は細くはない。カマキリを駆除するべく清涼スプレーを吹き付け続ける。


「やめて~!」


「虫けらごときが、人間なめんな」


所狭しと大きい身体が逃げ回る。七海は自分の倍以上ある化け物を追いかけ優勢を保っていた。


これではどちらが教室に攻めてきたのか分からない。パニック状態だったクラスメイト達も、ポカーンと口を開けたまま間抜け面を披露していた。


「僕は悪い虫じゃないんです! 助けてください!」


泣き声混じりの「助けて」に、スプレーのプッシュボタンを押す指が離された。


カマキリは身体を限界まで丸めて(構造上不可能なので丸まってないのだが)頭を両手の鎌で押さえている。スプレーと七海に対する恐怖心で、小刻みに震えている。


会話が出来るのなら交渉も余地もあるか。そう思った七海はスプレーを放り投げ、怯えるカマキリに近付いた。


「話ぐらいなら聞いてやる。貴様の処分はそれから決める」


「あ、ありがとうございます」


カマキリはペコリとお辞儀をすると、頭を低くして目線を七海と合わせた。


TK2は汎用決戦生物兵器、通称リアル生物兵器である。


ウイルスを使った生物兵器とは異なり、文字通り本物の生物を兵器に利用できないかという考えの元で理論が構築されていた。


単独飛行で敵陣に奇襲をかけるという作戦を考慮し、初期段階としてカマキリが選ばれた。


遺伝子操作を繰り返し、多額の経費と人材、年月を経てTK2が生み出されたのだ。


強靭な肉体に言語能力が備わった頭脳、実験は成功しリアル生物兵器として極秘に地下実験室に隔離されていた。


TK2はロボットとは違い独自の意思を持っている。高度な頭脳によって生まれた副産物と言おうか、与えられた命令をこなすだけでなく、その場の状況によって判断を変えるという自己判断が出来る。


単体で敵陣に送り込むことを想定していただけに、思わぬ誤算が生じたと関係者は歓喜の声を漏らしていた。


だが、嬉しい誤算だけではなかった。


人間とさほど変わらない頭脳を持つTK2が、己の存在価値を知るのに時間はかからない。


生物学に解剖学、さらには心理学など闘いに必要とされる学問はシラミ潰しに植え付けられた。生物兵器としての自覚は、TK2を悩ませた。


自分は人間を殺すためだけに、人間によって生み出された。生に意味があるのなら、自分の生にはどんな意味が?


人を殺し続ける運命に、命に、意味などあるのか? そもそも闘いの知識しかない自分に、生を語る資格などあるのか?


元々存在しなかった命。人によって生み出された自然には存在しない人工的な生命体。


生きる希望も目標もない。喜びや楽しみも感じない。生物兵器の自分は、どうやって生きていけばいいのだ。


不安という渦は休むことなく廻り続ける。徐々に大きく、徐々に早く。


結論が出るのには、長い長い時間が必要だった。


悩みを断ち切るには自殺という手もあるだろう。だが二十四時間体制で監視され、手足に拘束具を付けられているTK2が自殺をはかることなど不可能。


それに自殺などという概念をTK2は持ち合わせていない。自殺をするのは最も高度な生き物で、最も愚かな人間だけなのだから……。


それに自ら命を絶った所でなんの解決にもならない、新たなリアル生物兵器が生まれるだけ。


ある日、いつものように血液サンプルを採取されたTK2は異変に気付いた。


檻には高電圧の電流が流れているが、研究者が檻に入る時には一時的に電流を止めている。今回サンプルを採取しにきた研究者は、檻を閉めた後電流を流し忘れて去ってしまった。


拘束具が取り付けられているが、TK2にとっては玩具も当然。その気になれば持ち前のパワーで無理矢理外すことも可能。


電流が流れていない檻など自慢の鎌の前では紙切れ同然、逃げるには今しかない!


「……で、なんとか日本に逃げてきたってわけか」


カマキリの身の上話を聞き終わり、軽く数回頷いた。


「それで? 生物兵器のアイデンティティを捜し求めるカマキリさんは、ここ日本で何をしようとしてるわけ?」


「僕を、リアル生物兵器の理論を解いた科学者を見つけます。その人にあって僕を元の姿に戻してもらう。そして研究の恒久的な凍結をお願いします」


「自分のような生物を二度と生み出さないため?」


「それもありますが、なにより人間を殺したくないんです。遺伝的には違いますが、人間は僕の母でもあり家族なんです。だから……」


「家族を殺したい人はいない……か」


カマキリは頷く。真っ直ぐな瞳は堅い決意を表している。


「それで、その研究者ってのは日本にいるのか?」


「間違いありません。ヘンデル博士はここ日本にいるはずです」


……ヘンデル博士?


七海の眉がピクリと動く。一気に怪訝な顔付きになり、カマキリは七海の変化を察してか、


「ヘンデル博士をご存知なんですか?」


地雷を踏んだ。


「ヘンデル? そうかそうか、諸悪の根源は全てアイツだったわけか」


「七海さん……?」


「ふふふふふふ、一話かぎりのゲストキャラだと思って手加減してたら、とんだしっぺ返しを喰らっちまったぜ」


ゴゴゴゴゴ……と地響きが鳴る。七海を包み込むかのように、どす黒いオーラが全身から溢れ出す。


七海とヘンデルは知り合いだと確信したカマキリだったが、あまりの変貌ぶりに二人の間で良からぬことがあったのだと感じ取った。さすがリアル生物兵器、空気が読める。


「おいカマキリ!」


「は、はい!」


「私がお前に手を貸す義理はないし、面倒なことに巻き込まれるのは厄介ゴメンだが、今回ばかりは手伝ってやるよ。感謝しな」


ヘンデルがこの世に存在する限り、私の元に謎の生物が送り込まれるハメになる。


二度あることは三度あると思った七海は、ヘンデルを消し去ることを決心したようだ。幅広ーい意味で。


手早く携帯電話を取り出しリダイアル。かけた先は、もう一人の主人公。


「遼希、今すぐ私の教室に来て。緊急事態だ」


「うん、わかった」


滅多に電話をかけない七海が僕にかけてきたってことは、大変な事が起きているに違いない。


遼希はこっそり携帯電話をブレザーのポケットにしまうと、どうやって教室から抜け出そうかと思慮深く耽った。


カマキリ騒ぎは七海のクラスだけらしく、遼希のクラスはもとい他のクラスもいつも通り授業を行っていた。


電話ぐらいなら教師に見付からず短時間の会話ならできるが、教室から抜け出すとなると簡単にはいかない。


どうしたもんかと唸っていると、ピコーン! と頭上に裸電球が燈った。


遼希は隣の席にいるユウ君を手招きする。ユウ君は椅子ごと近付く。


「ユウ君ユウ君、ちょっとお腹かして」


「腹?」


ドスッと鈍い音がした。遼希の拳がユウ君の腹部にめり込んでいる。みぞおちにクリーンヒット。


ユウ君の額からには脂汗が流れる。遼希は苦痛に歪むユウ君を確認すると、空いている左手を上げて、


「先生! ユウ君が腹痛でつらいみたいなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」


「そうなの? それじゃあ飯田君よろしくね」


「は~い」


見事ユウ君をダシにして教室から抜け出すことに成功した。


「ごめんねユウ君、理由は後で話すから。じゃっ」


「え、ちょ、待って!」


鈍痛で立つことさえできないユウ君を廊下に捨てて、遼希は七海の元へと駆けて行った。


「はぁ~るぅ~きぃ~」


苦しみで震えた声は、遼希の耳には届かなかった。


遼希の教室と七海の教室は同じ階にあり、走って数十秒しかかからない。


引き戸を勢いよく開けて、遼希はスピードを落とさず教室内に足を踏み入れた。


「ナナ……きゃんっ!」


で、こけた。アホ過ぎる。


顔を上げる。そこにはまたかという眼差しで見つめてくる七海と、緑色の巨体。奥の方では生徒達がハムスターのように隅で固まっている。


「ナナちゃん、今のこの状況は?」


「かくかくしかじかと言うわけだ。そこで遼希にヘンデルと連絡をとって欲しいんだけど」


「OK! まっかせなさーい」


状況を飲み込む早さは猟犬よりも早い。遼希は携帯電話をまた取り出すと、ヘンデルの研究所に電話をかけた。


ヘンデルから貰った名刺には、研究所の名前と電話番号が記されていた。


七海は貰ったそばから名刺を破り捨てたが、遼希は律儀にも携帯電話の電話帳機能に登録していた。何気なく登録したものが役に立つとは、おもや想像だにしていなかっただろう。


「でもナナちゃん、ヘンデル博士をどうやった呼び出す? 正直に話しても来てくれないかも知れないし……」


遼希の言うことはもっともだ。わざわざ自分が作り出した実験体を戻そうとは思わないだろうし、カマキリの居場所を通報されるのが関の山。ある意味賭けだ。


通話ボタンを押し悩む遼希に、七海は一定の口調でさらりと告げる。


「荷電粒子砲をぶっ放つハムスターを見つけたとでも言っとけ」


そんなのがいたら、カマキリ以上の戦闘能力を有するリアル生物兵器だ。


「七海さん、もう少し現実的な嘘の方が宜しいかと」


「黙れカマキリ。非現実的な貴様にだけは言われたくないわ」


おっしゃる通りで。巨大で会話ができるカマキリがいるのだから、荷電粒子砲を放つハムスターがいても……っていないわ!


思わず口走りそうになったカマキリだが、なんとかお口をチャックして堪えた。動物的本能が七海に逆らってはならないと告げたのだ。


遼希も遼希で七海の言うことを鵜呑みにするもんだから、カマキリは渋々二人の動向を見守ることにした。


「ナナちゃん、すぐそちらに向かうって」


「飛んで火にいる夏の科学者ってな」


指をポキポキと鳴らす。ヘンデルの到着を心待ちにしていた七海だったが、期待は見事裏切られた。


到着したのは、


「あのぅ、荷電粒子砲を放つハムスターはここでしょうか?」


白衣を着た欧米風の少女だった。


七海とさほど変わらない幼い顔付きに、茶色髪をポニーテールにしている。走ってきたのか頬をほんのり赤らめ、肩を上下に震わしていた。


「誰だお前、用があるのはヘンデルだけど」


「わ、私はヘンデル博士の助手で妹でもあるヤンデルです。お兄ちゃんはどうしても抜け出せない用事があったので、代わりに私が来ました」


「妹? 変態、気味悪、軟弱、気違い、童●野郎の妹なのか?」


可哀相に。


最後に哀れみの言葉を付け加え、ヤンデルに対する先制攻撃が終わった。部外者とはいえないが、初登場で悪口コンボはあまりにも酷い。


ヤンデルもカンに障ったようだ。


「お、お兄ちゃんのこと悪く言うな! お兄ちゃんは変態でもないし、気味だって悪くないし、軟弱でも気違いでも童●……ではあって欲しいけど、お兄ちゃんは凄いんだから!

お兄ちゃんの悪口は許さない。お兄ちゃんが許しても、私は絶対絶対許さないんだから!」


「は? まあいいや、このカマキリを元のカマキリに戻せ。助手ならできんだろ」


「七海さん、死亡フラグがすさまじい勢いで立てられてるので、発言を多少自重した方が……」


「大丈夫、ナナちゃんはフラグブレイカーだからこれくらいなら問題ないよ」


問題なくはないが、カマキリという単語に反応したようだ。ヤンデルは冷静を取り戻し、視線をカマキリへと向ける。


「なんでここにTK2が……!」


やっとこさ気付いたようだ。ハムスターとヘンデルのことしか頭になかったようである。


みるみる顔から血の気が引き青白くなっている。この状況がどれだけ重大な失態であり危機なのかを理解しているからこその反応だ。


「かくかくしかじかというわけだ。あの科学者の妹で助手のお前なら、なにかしら分かるだろ」


ヤンデルは視線を伏せて口を閉ざす。脳裏にはあの時の光景が鮮明に浮かぶ。


ヘンデルはリアル生物兵器を作る気など毛頭なかった。ヘンデルは提唱したのは『細胞分裂の増加による食物の巨大化』であった。


食料不足が問題視されるこの時代、食物を量産できないのならば食物自体を大きくしてしまえば良いのではないかと考えたのだ。


巨大化させるのに一番手っ取り早いのは、細胞分裂を増加させること。ヘンデルは細胞分裂の増加をさせることに成功した。


しかし、必ずしも本来の目的に使われることはない。


「お兄ちゃんの技術はある組織に持っていかれた。生物兵器を作るなんて頑なに拒み続けたけど、私のことを交渉のカードに使った。


お兄ちゃんは人間と動物が共存していける世界を作るために生物学者なったんだ! 人殺しの道具を作りたくてなったんじゃない!


お兄ちゃんは、お兄ちゃんは悪くないんだもん! 希代の悪はあいつらなんだ!」


「いや、だから、結果論は聞きたくねーんだよ」


「だから七海さん、死亡フラグを……」


「ナナちゃんはフラグキャンセラーを持ってるから大丈夫」


真面目な話をしているのか、くだらない話をしているのか分からない。いずれにせよ、ヘンデルに悪意がないことは分かった。


七海はこう見えて優秀だ。なにかの薬で巨大化したのなら解毒剤があると践んでいたが、細胞レベルでの実験なら話は違う。


「残念だがカマキリ、君を戻すことは……」


七海の言葉に肩を落とす。肩などないが。


「何となく分かってはいたんです。分かっていたし覚悟はしていたんですけどね」


「カマキリさん……」


いたたまれなくなったのか、カマキリの前足に抱き着く遼希。遼希はカマキリを見上げ、


「なんなら僕の家に住ーーー」


「それだけはマジで止めろ」


七海に全力で止められた。後始末は自分に降り懸かるのが見えたからだ。


この期に及んでまだ拾い癖が発動する遼希に七海は溜め息を一つ。カマキリも微笑して、僅かだが空気が和んだ。


ヤンデルは小首を傾げてキョトンとしている。


「あの、今すぐ元に戻せますよ」


「「「え?」」」


まさかの発言に一同はヤンデルにと顔を振り向く。


「細胞分裂の増加、『無限細胞』にはちょっとしたカラクリがあるんです。」


ヤンデルはしゃがみ、両手を左足首へやる。なにやら足首についているモノを取り外しているようだ。


身体を起こし手にしている物を見せ付ける。それは金色に輝くアンクレット。


「このアンクレットには不思議なパワーがあるんです」


ニッコリ微笑むヤンデルに、七海は悪寒が走った。


「病んでるわね。遼希、精神科に連れてくぞ」


「イエッサー!」


「あれは、お兄ちゃんが実験に息詰まっている頃だったわ」


七海と遼希を無視して、ヤンデルは昔話を始めた。むろん二人も無視しているため、聞いているのはカマキリだけだが。


ヤンデルがつけていたそれは、ヤンデルの祖母の形見であった。ヤンデルが大学に合格した時、祖母が合格祝いとしてプレゼントしてくれたのだと言う。


このアンクレットに不思議な力があるのを知ったのは、ほんの些細な出来事だった。


当時すでに無限細胞を作り出すことに成功していたヘンデルだったが、重大な欠点があった。


無限に増殖していく細胞に、肝心な身体がついていくことが出来なかったのである。


さらに無限細胞の寿命はたったの一月。それを過ぎると減数分裂を起こし、巨大化しても元の大きさに戻ってしまう。


ヘンデルに残された猶予はなかった。早く結果を出さなければ、大事な妹が組織によって何をされるか分からない。


崖っぷちのヘンデル。机に突っ伏すと、視界の隅にある物が入った。


妹がお守り代わりに持たせたアンクレット。それを強く握りしめ、己の無力さに涙を流した。


「クソッ」


何気なく投げつけたアンクレットは、無限細胞を培養しているシャーレに入った。金色に輝いていたアンクレットは、七色の光を発していた。


この偶然が、ヤンデルを助けることになる。


後日、培養していた無限細胞を調べると、一ヶ月を過ぎていたが減数分裂を起こしていなかった。


不思議に思ったヘンデルだったが、亡き祖母の言葉を思い出した。


『このアンクレットにはね、不思議な力があるの。先祖代々伝わる物なんだけど、傷口にこれを翳すとあっという間に治ってしまうんだよ』


幼い頃に騙られたアンクレットの秘密。所詮年寄りの作り話だろうと、特に気にもしなかったのだが。


「まさかこれが?」


一筋の光が見えた瞬間であった。


「……まさか、僕の出生の影にそんな秘密があったなんて」


信じられないといった口調で、カマキラはアンクレットをマジマジと見つめた。


「それでなに、リアル生物兵器の作るには世にも不思議なアンクレットの煮汁が必要ってわけ? 馬鹿馬鹿しい」


実は話をキチンと聞いていたようだ。少し前の七海ならば微塵も信じなかっただろう。


だが昨日この目でしかと魔法を見てしまったのだ。しかも隣にはリアル生物兵器、信じないことが信じられないだろう。


「お兄ちゃんはアンクレットのパワーを最大限に引き出せるにはどうすればいいのか研究に研究を重ねて、無限細胞を植え付けた実験体の身体に身につけることで、実験体の身体の保全と無限細胞の維持を成功させたの。

さすが私のお兄ちゃん。お兄ちゃんは集中すると周りが見えなくなるけど、そこがまた可愛いっていうか、チャームポイントっていうか、キャッ!」


「ナナちゃん、あの人なんだか気持ち悪いね」


「遼希さんって、実は腹黒いんですか?」


「ドが付く天然なだけよ。そこがまた厄介なんだがな」


「ちょっと! お兄ちゃんの話を聞いてよ!」


大好きなお兄ちゃん(ヘンデル)の魅力を語っているというのに、三人は和気あいあいとお喋りタイム。


ヤンデルのブラコン魂に火がついた。


「ちょっと! お兄ちゃんの話をちゃんと聞いてよ!」


「ヘンデルさんが凄いってことは良く分かったよ。だからカマキリさんに付いてるその破片を取ってくれないかな?」


おっとりと遼希が言う。ヤンデルの顔からは怒りが消えた。


「もう、分かればいいのよ。分かれば」


「あははは、単純だね~」


「七海さん……」


「天然だ……たぶん」


ドン引きの七海とカマキリを置いて、遼希とヤンデルはカマキリの身体によじ登る。


羽を拡げると、その付け根にキラリと光る金色の破片が目に止まった。


僅か数ミリの破片は羽の付け根にピッタリとくっいている。ヤンデルは引っ張ってみるが、取れる気配はない。


ちょっと貸してと遼希が見を乗り出す。破片を掴むと、容赦なく引き契る勢いで引っ張りだした。


「痛い痛い痛い! 遼希さんやめてぇえええ!」


「泣くな! カマキリでしょ!」


カマキリが泣いてはいけないという法律はない。個人的ルールを押し付けるな。


涙目で七海に助けを求めるが、当の本人はそっぽを向いて見て見ぬふり。もうすぐ第二話が終わると踏んで、手出しをするのを辞めたようだ。


哀れカマキリ。一時の我慢だ。


歯を噛み締めなんとか堪えた結果、破片はカマキリから外れた。自慢げに破片を翳す遼希。笑顔の裏に隠された黒さを知っているのは、七海とカマキリだけだろう。


カマキリは想像だにしない痛みを味わい失神していた。本当にリアル生物兵器なのだろうか?


数分後。七海達は屋上へと場所を移した。


「数ヶ月もすれば元の大きさに戻るはずよ」


ヤンデルは可愛いらしい笑みを向ける。カマキリは頭を下げて、七海と遼希に向き直る。


「ありがとうございます。僕が元に戻れるのも、七海さんと遼希さんのおかげです」


「これからどうするんだ。例の組織が追って来てるんじゃ?」


「ヤンデル博士の話ではアンクレットの破片に超小型GPSを仕込んでいたらしいので、なんとか逃げ切れるはずです」


破片を外したとはいえ、その間の位置情報は組織に漏れている。ここに居座り続けていては七海達に迷惑をかけることになる。


だからカマキリは早々に立ち去る準備をしていた。屋上に着たのもそのためだ。


「さようなら、カマキリさん」


「ヘンデル博士とヤンデル博士のことをお願いします」


「抜かりはない。じゃーな、カマキリ」


カマキリは羽を拡げる。高速に羽ばたく羽は浮力を生み、巨大な身体を空へと預ける。


カマキリは宙に浮くと、最大全速で太陽が輝く明後日の方向へ飛び立った。


「さてと、最終確認といくが本当にいいんだな」


ヤンデルの足首にはアンクレットが付けられていない。代わりに七海の手中に収められ太陽光を反射している。


ヤンデルは七海に大事なアンクレットを渡していた。祖母の形見でありリアル生物兵器の製造に必要不可欠なそれを。


「いいの。これが有る限りお兄ちゃんはしたくない実験をし続けなければならない。私のせいでお兄ちゃんを苦しめたくないの」


ヤンデルの表情はどことなく穏やかだった。紅く染まり始めた世界に踵を返して、七海は遼希から借りた携帯電話の画面を見つめる。


「ナナちゃん、約束は守らないと」


「分かってる。ところで個人的な質問だがいいか? ていうか答えろ」


せめて承諾を得てください。お願いします。


「なんでカマキリを選んだんだ? 昆虫より哺乳類の方が実験体としての効率が良いと思うが」


「嗚呼、それはですね」


ヤンデルは言う。


「高校生の時、数学の先生が『教室にニメートルのカマキリが出たら、おっかねぇなー』て言ったのが始まりなんです」







実話です。

(ぶん殴っていいですよね)(自己承諾は良くないよ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る