未来線を撃て

@raionusagi

第一話 未知過ぎる者との遭遇

これだけは言っておく


 

別に動物が嫌いなわけではないんだ


たださ


物には限度ってもんがあんだろ?







第一話


未知過ぎる者との遭遇


Fantasy episode







桜はちりぎわが美しい。誰かがそんなことを言っていたが、まさにその通りだろうと七海は桜を見上げながら思っていた。


北条七海(ホウジョウナナミ)十三才。今年中学二年生になったばかりの女子中学生である。


すらっと伸びた手足に白い肌。艶やかな黒髪はまるでシャンプーメーカーのコマーシャルに抜擢されそうなほど美しい。


健全な男子諸君なら、ぜひともお付き合い願いたい少女だろう。事実、七海はモテていた。そりゃあもう有り余るくらい。


が、それも最初だけ。なぜなら彼女は……。


超無気力&鬼畜少女だったのだ!


そんなこんなで、今日も掃除をサボっていた男子に天誅を喰らわせた七海は(黒板に顔面を叩きつけたらしい)帰り道の商店街をテクテク歩いていた。


潰れかけの商店街には活気がない。所々シャッターが閉まっており、すれ違う人は殆どが年配の方ばかりだ。


昔はそれなりに活気があった商店街だが、今はその面影すらも皆無に等しい。


七海は歩く。死にかけの街を無言で歩く。


商店街の侘しさなど意に介したそぶりも見せずに、七海は自宅に直行した。彼女にしてはすっかり見慣れた光景なのだ。


「ちょっとお嬢さん、待ってケロ」


……ケロ?


思わず足を止める。声がした方に視線をやると、そこには黒いフードに身を包んだ、いかにも魔法使いみたいな人物が立っていた。


いや、魔女だろう。後ろを向いているから性別は判断しづらいが、声のキーが高いから女性であることは間違いない。


「なんのようですか?」


感情を含めず、冷めた声で聞き返す。魔女はクルリとこちらに向き直すと、


「最近の若い子って、語尾にケロってつけるケロ?」


「さ よ う な ら」


七海は無視して逃げて行った。


「ま、待って! 私が悪かった、ほんのジョークなんだって!」


「ねるねるねるねでも食ってろ」


「練れば練れるほど色が変わって……て、今の子供は分からないって!」


早足で漫才をしている二人を、周囲の人達は冷めた瞳で見つめていた。


七海の背後にピッタリとくっつく謎の魔女。一定のペースで七海を追跡する。


流石の七海も気味悪く感じ、仕方なくその場で停止した。


「一体なんのようですか?」


ここで初めて魔女の顔を見た。


なんというか、想像したより若かった。熟女独特の大人オーラが醸し出されている。


魔女は人差し指を七海に向けると妖艶に微笑み、


「あなたには新作のネルネルを食べてもらおう」


「全力で失せな」


七海の逆鱗に触れた。その目には殺気が満ちている。


「だから冗談だって~、最近の子供はノリが悪くて嫌になるわ~」


「さっさと用件を言え、ババア」


「ババア!? あんた今、私のことババアって言ったわね!」


なんだか関わるのが面倒になってきた。不審者には今後一切近付かないようにしよう。無視無視無視。


自己完結して、七海は再び帰路についた。


が、魔女がそう簡単に諦めるはずもなく、制服の袖を掴んだままズリズリとひきづられていた。


ウザイ、非常にウザイぞ魔女。


「はぁ……聞けばいいんでしょ聞けば」


厄介な奴に絡まれてしまった。気分が落ち込む一方で、魔女は目を輝かせながら小躍りをしていた。


挙動不審も終わり、魔女は咳ばらいを一つすると真顔になって七海を直視した。


「地球に危機が迫っています。この危機を乗り切るには、あなたの力が必要なのです」


「どこの少年ジャ●プ連載漫画だ」


「地球を救うには、七ツのレインボーアクセサリーを集めなければなりません。お願いです、どうかあなたの力を……!」


魔女が視線を外した隙を狙って、七海はその場から立ち去っていた。


ピューと虚しく風が吹く。チラホラ見掛けた人影も、今は全く見当たらない。


「あんのクソガキャァアアア!」


魔女の叫びが乾いた空に溶けて消えた。


不審者(魔女)から無事逃げ切った七海は、すでに自宅へと到着していた。


(今日は厄日だな……寝よ)


全くその通りである。だが、厄日はまだ後数時間残っているわけでして。


(……あれ?)


鍵を開けようと鞄をあさっていたら、玄関の扉が僅かに開いていることに気が付いた。


両親は共働きでまだ帰ってくる時間ではない。泥棒が玄関を開けっ放しにするなど初歩的ミスを侵したとは考えにくい。


だとしたら、思い当たるふしは一つ。


「あれだけ言ってるのに……たく」


ドアノブに手をかけ引く。玄関にはスニーカーが一足。


靴を脱いでいると廊下の突き当たりからヒョコッと少年が顔を出した。


満面の笑みを浮かべて一言。


「お帰りなさい」


「遼希、また勝手に転がりこんで……」


「えへへへ」


飯田遼希(イイダハルキ)。七海の幼なじみで一つ年下の中学一年生。


中学生にしては低い背、それに比例するかのような精神年齢&童顔。つまりガキ。


小学生気分が抜けきれていない遼希がなぜ七海の家にいるのか? 答えは簡単、家族ぐるみの付き合いで何かあった時のために互いの合鍵を持っているだけ。


遼希の両親も共働きのため、こうやって七海の家に転がり込むことはよくあるのだ。毎回扉を開けっ放しにするが。


「あれ? ナナちゃん顔色悪いよ? 気分でも……キャンッ」


コケタ。何もない廊下でどうやって転ぶのだ。


「幼稚園児じゃないんだから、しっかりしなさいよ」


「えへへ、ごめんなさい」


へらっと笑う遼希。七海は頭を押さえてため息をついた。


このように七海と遼希は幼なじみというより、面倒見が良い姉と出来の悪い弟のような関係だ。


先に宣言する。この二人が恋に落ちることはない。決して。


やっとこさ立ち上がる遼希だったが、どこか落ち着きがなくソワソワしている。


観察力が鋭い七海はすぐに異変に感づき、遼希の身体を舐めるように頭のてっぺんから爪先まで視線を巡らせた。


服には所々に黒い点、水滴の後が残っている。髪も濡れて水滴が垂れているし、シャワーでも浴びたのだろうか?


答えを導き出すには材料が少なすぎる。しかしそこは幼なじみ、これらのキーワードを脳内検索すれば直ぐさま答えがヒットする。


「遼希、服とか濡れてるけど風呂掃除でもしてくれてた?」


あからさまに、遼希の肩が上下に揺れた。


「ちょ、ちょっと靴が泥んこになっちゃってさ、洗って乾かしてたんだ」


「へーそう、見た所靴は全然濡れてなさそうだけど」


「うぅ……ど、ドライヤーで乾かしたからかな?」


「早く乾かしてあげないと風邪ひいちゃうよ、拾ってきたペット」


「あ、いけない忘れるとこ……あぁ!」


七海の策略にまんまとハマった。


遼希はかなりの動物好きで、捨てられた子犬や子猫を飼えないと分かっていながらも、ついつい拾ってきてしまう癖があった。


だが遼希の母親は悲しいかな大の動物嫌い。とても自宅には連れ帰ることはできない。


なので二軒隣に住んでいる北条宅に毎度連れ込んできていた。いい迷惑である。


犬や猫ならまだいい、可愛いらしいからまだ許せる。七海も渋々といった様子だが、里親捜しを手伝っていた。


だが拾ってきたものがイグアナだったらどうだろう。シロヘビだったらどうだろう。ワニガメだったらどうだろう。


揚げ句の果てに、ビンに大量に入れられたワキグロサツマノミダマシなどという意味不明な名前の昆虫なんか持って帰ってきたら、我慢の限界に達するだろう。


「今度はなにを拾ってきたわけ? 里親候補はもういないけど」


「あの、えと、そのぅ……」


この口ごもり方は、普通の生き物ではないとみた。鞄を廊下に放り投げ、風呂場へと一目散に向かう。


「ま、待ってナナちゃん!」


「風呂に入れたってことは哺乳類? カピパラでも拾ってきたの」


「やだなー、カピパラは三年前に卒業したよ~」


「拾ってたんかい!?」


どうやら七海の知らないところでも色々拾っていたらしい。カピパラなんて何処で捨てられていたのだ。


小一時間説教してやりたいが、今は謎の生物の破棄が最重要課題。


脱衣所に着いた七海は、風呂場の扉を勢いよく開いた。


そこにいた生き物は……。


首から下が筋肉質の人間で、首から上が馬という逆ケンタウロスがシャワーを浴びていた。


(…………)


ゆっくりと、扉が閉められた。


「遼希、なにアレ?」


「なにって、馬じゃん」


「なるほど、UMAね」


あの生物をUMA(地球外生命体)と判断したようだ。


七海は勇気を振り絞り、もう一度扉を開けた。


化け物はクルリと此方に向きなおす。下が丸見えだ。


「こっち見んな!」


「駄目だよナナちゃん、大声だしたら怯えちゃうよ」


「遼希! あんな得体の知れないモノを何処から拾ってきたんだ!」


「何処って……友達のユウ君家の前を通ったら、庭にこの子がいたんだ」


「ユウ君のじゃねえか!」


「で、でも、ユウ君は動物嫌いだから馬なんて飼うはずないし……」


「どこをどう見たら馬に見えるんだよ……もぅ」


なんだか頭痛がしてきた。遼希の天然っぷりにはついていけない。


話をまとめると、動物嫌いのユウ君がUMAを飼うはずがないから庭に逃げ込んだと勝手に解釈した遼希が、これまた勝手にUMAを拾ってきた。


そして身体が泥だらけで可哀相だったから、七海の家のバスタブに入れたのだと遼希はざっと説明した。


バスタブにはUMA。白馬の逆ケンタウロス。誰がなんと言おうとアレは馬ではない、UMAだ。


「……とにかく、元いた場所に帰してきなさい」


「ッ! 駄目だよ!」


七海を見上げ、その身体にすがる。


七海は視線をそらし、遼希の身体をそっと剥がした。


「私も遼希も飼えないし、あんな気持ち悪いの引き取ってくれる人なんていないだろ?」


「え? 可愛いじゃん」


「眼科に行け。今すぐに」


ともかく、アレについての緊急ミーティングが居間で行われた。


テーブルにはお菓子とジュース。向かいにはなぜかスーツ姿のUMAにポッキーをあげている遼希。


「美味しい? ホワイティングバーロー」


ネーミングセンスがなさすぎる。それでは名探偵コ●ンの口癖だ。


ホワイティングバーローは遼希に懐いたようで、遼希の傍らにずっといる。


鳴きもしないし可愛いらしい仕草は見せないが、遼希もホワイティングバーローのことを大層気に入ったようだ。


仲良くポッキーを食べ合う一人と一匹は、なかなかどうして微笑ましい。


気持ち悪いと感じていたホワイティングバーローも、よく見れば結構可愛いかもしれない。


鳴きもしないし噛み付きもしない、この姿なら番犬にもなるしポッキーを食べてるからおそらく雑食。ドックフードでもいけるだろう。


ホワイティングバーローなら、あるいは……。


(……ないない、冷静を取り戻すんだ)


ズズッとジュースを一気飲み。有り得ないことだらけで思考が冷静を失っていたようだ。


「にしても、コイツは本当になんなんだか」


テーブルに肘をついて顎に手を置く。ポッキーを食べ終えたホワイティングバーローは身体を丸くして床に寝ていた。ごろ寝。


「だから馬だって、白馬の王子様」


「お願いだから少し黙ってろ」


このまま家に置いとくわけにはいかない。今は大人しくても、これからさきも大人しいとは限らない。


可哀相だが遼希のためにも保健所に送った方が良い。これが最善の方法。


「なあ遼希、やっぱりコイツは飼えないから保健所にーーー」


「見つけましたよツンデル!」


野生の欧米風不審者が飛び出してきた。


クネクネの茶髪にヨレヨレの白衣。他人の家に無言で侵入してきた不審者に、二人と一匹は視線を奪われた。


「遼希、110番」


「ラジャー」


「無駄だよ、妨害電波を出しておいたからね」


「何者だよお前は!」


不審者というより犯罪者である。


不審者の言う通り、携帯電話は圏外になっていた。家電は不審者の背後にある棚の上、助けを求めることはできない。


「誰だよお前。解答によっては……」


「私の名前はヘンデル。世界的な生物学者さ」


「「嘘つけ」」


見事にハモって即答した。第一、生物学者が妨害電波を出すなど聞いたことがない。


「十秒だけ待ってやる。その間に貴様とあの生物の詳細及び関連性、ついでになぜ鍵をかけていたのに私の家にいるのか説明しろ」


「ナナちゃん、そんなに沢山の質問に十秒で答えられるかな?」


「無理。わざとだ」


鬼畜である。これで一分以内に説明できなかったら、問答無用で殴り飛ばすつもりだ。


ヘンデルは口の右端を器用に吊り上げ、メガネを中指でクイッと持ち上げた。


「先程も申し上げた通り私は世界的な生物学者であるヘンデル教授であります。


このたびは日本政府からの依頼により、そちらにいる謎の生物の生態の解明を行うため日本にやって来ました。


その生物は私の名を三文字ほど取ってツンデルと名付けました。


普段は無愛想なんですが、心を開けば凄く懐いてくるんです。そうです、ツンデレとかけました。面白いでしょ?


ところが実験にツンデルが逃げ出してしまい、体内に埋め込んだGPSを使ってここにたどり着いたというわけです。


あ、鍵は勝手ながらピッキングさせてもらいました。日本のセキュリティーはユルユルですね。アハハハハ!」


ジャスト十秒。見事に早口で成し遂げた。


満足気に鼻を鳴らすヘンデル。すごーいと感嘆の声を漏らす遼希。さげずむような瞳で冷静に睨む七海。


「残念、0.3秒遅かったな」


「ちょっ、 それは許容範囲内でしょうが!」


「だ ま れ」


七海の鉄槌が、ヘンデルの身体を貫いた。不法侵入に対しての実刑を行いたいだけらしい。アーメン。


刑の執行中、遼希は何事もないようにホワイティングバーローもといツンデルと遊んでいた。割と図太い神経の持ち主だ。


顔の原形が分からないくらいボコボコにされたヘンデルは、まるで屍のように床に倒れこんでいた。


口から白いフワフワしたものが出ている。これは危険だ。


「勝手に逝くんじゃねーよ。まだお前の目的を聞いてないんだよ」


胸倉を掴み無理矢理立ち上がらせる。そう簡単には天国に逝かせてはくれない。


「あの生物を回収するつもりか?」


「そ……そう、れしゅ……」


七海の口元が緩んだ。


これで厄介者の処分ができる。手間が省けて大助かり。


「分かった、さっさと持ってけ」


「今回はご挨拶というだへで……また後日伺いまふ……」


ツンデルを入れる檻などが必要なのだ。そう言い残し、名刺を渡してヘンデルはおぼつかない足どりで帰って行った。


とにかく明日になればこの気持ち悪い生き物ともおさらば。安心して床につくことができる。


声には出さずとも、七海の表情からは安堵の色が見えていた。


だが、遼希の顔は強張っていた。


「ホワイティングバーロー連れてかれるの?」


「そうだよ。新種の生き物らしいからね、貴重な実験材料なんじゃない?」


七海の言葉に遼希は両手を強く握る。俯いて何かを考えていると、パッと顔を上げてツンデルに抱き着いた。


「ヤダ! ホワイティングバーローは連れていかせない!」


一度決めたことはなんがなんでも貫き通す。遼希の良くも悪い性格を熟知している七海は、頭をかかえながら深々とため息をついた。


「遼希、そんな化け物を庇ってどうするの? もしかしたら危険な存在かもしれないだろ」


「だって、連れてかれたら色んな実験をさせられちゃうんでしょ? そんなの可哀相だよ。残酷だよ。ホワイティングバーローが傷付くなんで嫌だ!」


瞳に涙を潤ませながら言う。


「ホワイティングバーローだって生きてるんだもん。どんな命も大切にしないと駄目だよ……」


遼希らしい解答に、七海は黙って口を開くことができない。


全ての命に重さも価値も大きさもない。平等で尊くて犯してはならないモノ。


例えそれが醜くくとも、厳守のルールを破ることは許されない。許されないはず。


だが人は平気に破る。大切なことを忘れた人間は、自らの利益のために命を奪い命を売り買う。


罪悪感などない。なぜなら忘れたしまったのだから、園児すら守っていることを……。


では七海やヘンデルも忘れてしまったのか? 違う、知っているのに目をつぶっているだけ。


元の場所に戻してこいと言う七海も、実験材料にしようとしているヘンデルも、キチンと分かっているからこそ残酷のようだがそうしているのだ。


無理に飼ってもいずれバレて別れが来る。情がわけば別れはつらい、それは互いに感じること。七海は二人(?)のことを思って、情が移る前にそう言った。


新種の生物の体内には世に知られていない細菌がある可能性がある。またその逆で、難病に効果がある抗体が発見されることもある。


他にも調べることで新たな発見があるかもしれない、ヘンデルはそのために生物学者となり数々の実績をたててきた。


矛盾した想い。だがその想いがなければ互いに傷をつけてしまう。


正解などないこの問いに七海が答えるのは難しくて、安易に答えることもできなくて、ただ遼希の頭に手を置いた。


「どんな理由があっても、飼い主はアイツ。私達にはこの子を飼う資格がないの」


「ナナちゃん……」


一筋の涙が頬を伝う。七海は意を決して言葉を続けた。


「だからーーー」


「ワタクシにお任せあれぇえええ!」


不審者二号が現れた。黒いフード姿の不審者は、ニィと七海に微笑みかける。


「貴様あの時の!」


「ナナちゃん、この人と知り合い?」


「そうなのよー。お姉さんとナナちゃんは同じ釜の飯を食った仲なのよ」


「嘘をつくな、口を開くな、さっさと消え失せろクソ野郎」


まさかの魔女の登場に怒りを現にする七海。さっきまで涙を流していた遼希は心を魔女にシフトしていた。切り替えの早さは狐に追われる野兎よりも素早い。


魔女はプクッと頬を膨らませ可愛さをアピールし、


「そんなに怒っちゃ、こじわが目立っちゃうぞっ」


「全力で立ち去れ」


どこから持ち出したのか、包丁を魔女に向けていた。やる気である、色んな意味で。


「冗談キツイよ~七海ちゃん」


「今度ちゃん付けしたら地獄を味わせてやる」


キラリと輝く切っ先が、魔女の目の前でちらついた。


「さっさと出て行け」


「わ、わかった。出て行く前に少し話を聞いて」


我慢の限界はすぐそこまで迫っている。すかさず察知した魔女は、汗だくで命ごいをしだした。


魔女の話なんか聞きたくもないが、遺言ぐらいなら聞いてやってもいいだろう。寛大な心を持った七海は、ひとまず包丁を降ろした。あくまで、ひとまず。


「で、話とはなんだ。くだらん戯れ事を口にした瞬間どうなるか分かっているな?」


「私の魔術でその生物を助けてあげるわっ」


「……遼希、セメントとドラム缶を用意して」


「東京湾に沈めるんだね。任せといて!」


「真面目な話だから! 戯れ事じゃないから! ていうか、さらりと酷いこと言うわね少年!」


おっとりしている遼希だが、仕事は丁寧で早い。すぐさまドラム缶と袋に入ったセメントを用意した。どこから持ってきたのだ。


(私、もしかして厄介な人間と関わっちゃった……?)


気付いた時にはすでに遅い。ぬかるみにはまってしまっては簡単には抜け出せない。


ナイスコンビネーションで魔女抹殺を目論む二人に、魔女はだらしくなく笑った。


「と、とにかく、この生物を任せてくれないかしら?」


「断る」


即答しやがった。


「あんたに借りを作るくらいなら変態生物学者に預けた方が一億万倍マシだ」


七海の中では、ヘンデル>>>魔女となっているようだ。人望がなさすぎる。まあ、不法侵入者などに人望があるとは思えないが。


魔女の背中を押して追い出さうとする七海。魔女は必死で抵抗するが、片手に凶器を携えている少女に本気で抵抗することは大変危険。


徐々に徐々にと玄関へ追いやっていると、制服の袖を遼希はクイクイと引っ張った。


動きを止めて顔だけ後ろを向く。


「ナナちゃん、任せてみようよ」


それは予期していない言葉。


「遼希?」


「このままだとホワイティングバーローは実験材料にされちゃうもん。この人も悪い人じゃないみたいだし、ね?」


確かに悪い人には見えない。怪しい人には見えるが。


腑に落ちないが遼希がそこまで言うなら仕方がない。イチかバチかコイツに任せてみるか。


「分かった。おいこら魔女、やるならさっさとやりやがれ」


とても人に頼む言い草ではないが、こちらがやってあげさせるので強い口調でもなんら問題はない。


魔女もようやく七海の性格を理解したので、無駄口をたたかず両手を祈るように組んで瞼を閉じた。


そして始まる、魔女の詠唱。


「空間の神よ、我が願いを聴き入れホワイティングバーローの空間移動を認めよ……」


魔女は叫んだ。


「ビビデ、バブィデ、ブー!」


「黙れ」


鼓膜を突き刺す大声と、大袈裟の身振り手振りと、明らかな魔法の呪文のパクリに、七海は私達をおちょくっているのだと判断して魔女の背後から飛び蹴りを喰らわした。


不意打ちに受け身をとる暇などなく、魔女は顔面から床に倒れた。そのまま七海は魔女の後頭部に足を乗せる。


「いい加減ふざけるのも大概にしろよオラァ。床でも味わってろテメェ」


とても物語の主人公とは思えぬ言動。良い子の皆は決して真似しないでね、暴行沙汰になっちゃうから。


「もう止めて! そういう行為は読者が見てない所でやらないと!」


遼希は七海を止めるためそう言うが、見てても見てなくてもそういう行為はしてはいけない。天然なのか腹黒いのか線引きはあやふやになってきた。


遼希の説得のおかげか、主人公としての威厳を保つためか、不満げに七海は足を退かした。小さく舌打ちをしながら。まだやりたりないのかコイツは。


魔女は鼻血を出しながら失神していた。頭上にはお星様とヒヨコがくるくると回っている。


「遼希に感謝するんだな」


吐き捨てるように呟いて、七海はふいにツンデルへと視線を向けた。


その光景に、呼吸の仕方を忘れた。


ツンデルの身体が半透明になっていたのだ。七海も遼希も言葉を失い、ただただ呆然と眺めるだけ。


ツンデルは徐々に薄くなっていき、背後にある襖がほぼ完全に透けて見える。


「ホワイティングバーロー!」


遼希の掛け声にツンデルは片耳をピクッと動かすと、遼希に向き直し喉を鳴らす。


「ニャー」


「「猫なのかよ!」」


初めて聞いた鳴き声は、まさかまさかの猫ちゃんで。それを合図にツンデルの身体は完全に消えた。


空間移動。魔女の言葉を思い出す。


ツンデルは空間移動し、どこか遠い場所に飛ばされた。おそらくGPSすら届かない深い深い山奥などに。


(これが魔法……。まさかこの世に本当にあったなんて)


幽霊や宇宙人などの存在を否定していた七海にとって、魔法などとても信じられないだろう。


それでも信じなくてはならない。この目で決定的な瞬間を目撃してしまったのだから。


ということはつまり魔女の行いは正しいもので、おちょくってなどいなく、むしろ真剣に考えていてくれたわけで、恩を仇で返してしまったわけでして。


「ナナちゃん、もしかして大変なことをしちゃったんじゃ……」


「大丈夫、魔女だから死にゃぁしないわよ」


全くもって大丈夫ではない。不老不死かもしれないが道徳的によろしくない。


「でもこれで実験体にされなくなったな」


「うん、でもちょっぴり寂しいかな」


数時間とはいえ、可愛がっていたペットがいなくなったのだ。里親に譲るのと違って自然に戻って行ったのもあってか、遼希の心は不安の渦で疼いていた。


ペットとの別れはつらい。幾度となく経験していても、慣れるということはない。


そんな時、七海はしょげる遼希に言ってやるのだ。


「泣くぐらいなら拾ってくるな」


優しさのカケラが微塵も感じないと思うだろう。しかし、


「辛くなるのは自分なんだから」


照れ隠しした精一杯の優しさなのだ。


「……うん、なるべく拾ってこない」


何度警告しても「なるべく」が「二度と」に変わったことがない。


遼希の問いに七海は小さく肩を竦めた。



さて、困ったのはヘンデルである。翌日ツンデルを回収しにきたら影も形もないのだから。


日本政府から預かった生き物を逃がしてしまっただけでも大失態なのに、消息を完全に絶たれたのである。


GPSも反応しない、七海も遼希も知らないの一点張り、目星などあるはずがない。


「一体どこに隠したんですか!」


「気がついたら急に居なくなったって言ってんだろ。な、遼希」


「うん、パッて消えちゃったんだ」


ヘンデルの追求もなんのその、のらりくらりとかわす二人。嘘はついていないのだから妙に固まることない。堂々とできる。


二人の態度に根負けしたヘンデルは、ガックリと肩を下ろして帰って行った。彼の周囲には黒い渦が漂っていた。


七海は小さいヘンデルの背中を静観していた。


だがまあ、あえて言葉にするならば……。







社会の窓が全開です。

(悪いことしちゃったね)(恨むなら魔女を恨め)

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