追憶の中の居心地

日剱命

記憶と記録

承認欲求とはなんだろうか。


森羅万象、全ての創造物に感情があるとするのなら

目の前にうっすらと見える富士の山にもあるのだろうか。

そんなくだらないことを考え、馬鹿げた考えだとふと笑いが止まらなくなった。


この国には、付喪神という神がいるのだと

文献は数多にも及ぶ数が遺されている。

“存在”する物が、時に愛され、時に呪いのために使われ、それが幾度となく多数の人の手に渡り、“大切”にされ続けると魂が宿るという。


愛と憎しみ、呪いと願い、言葉にするのは容易いが、感情自体を汲み取ることはできない。

どれほど通じ合う者同士でもすれ違いは必ず生じてしまう。

言葉として伝わる感情をぴたりと表す言葉は、真に一つもないのかもしれない。それを表すために、

人間は心の拠り所として何かに頼らざるを得ないのだろう。


昔から残る廃墟に幽霊が出る、とか

藁人形に釘を差して呪う、だとか

他人の噂話が好きな連中が言い始めたことがずっと残り、古くから信じられる言霊となり

願い、或いは呪いを具現化しているのかもしれない。


ファンタジーだの、SFだの、

最近やたらと騒がれる異世界転生系冒険譚なんて

僕は全く興味がないが、

“物”の生き様は大変興味深い。


僕の生き様も、いつしか僕のような“変なやつ”が好き好んで調べたくなるのかも、なんて思うと

自分に酔いしれたくもなるものだ。


今歴史に残る偉人たちも、自分のエゴと承認欲求のために生きていたのかもしれない。

僕はコートの左のポケットから、

昔千円札の肖像画だったらしい、

日本初の憲法を作った男の伝記を取り出し、

そっとその顔を撫でてみた。

本当にこの人が生きた時代は、僕の知るその記録と同じなのだろうか?

捏造はいくらでもできるのではないか。

そんなことを思いながらも、

偉人とされる人間たちの思考回路、生きた時代の背景を感じ取れる瞬間は脳内の細胞が活性化して、

まるで白灯が点滅するかのような気持ちのいいものだ。

その途端に僕はこの世でこの人物を知らない人間たちよりも、多くの時代を生きているかのような錯覚に陥るのだ。

まさに、悦に浸る、というやつだ。


駅から自宅までの道程には

歴史的価値のある建造物が幾つかあった。

家の裏には、精神衰弱の治療で執筆を始めた文豪の名前のついた公園がある。

そういえば、彼もお札の顔になっていたな、と

熟、自身の環境の不思議な繋がりに

再び笑みが込み上げてきた。

すぐ近くのコンビニでいつもと同じコーヒーと煙草を買って、マンションに帰る。

隣の住人は会ったことはないが、恐らく男性で朝の5時には家を出て行き、夜の10時頃に戻ってくる。

ダブルワークなのだろうか、僕の生活時間に重なることは無かった。


部屋に入るといつも通り、冷凍庫から作りおきの食事を取り出し、電子レンジに放り込み、6分にメモリを合わせてスタートボタンを押す。

待っている時間を有効活用するために、シャワーを浴びるのもいつも通りだ。


「いつも通り」が出来るのは幸せなことだと思う。

代わり映えのない生活は退屈だという人もいるのかもしれないが、代わり映えのある生活というのはトラブルに直面したり、イレギュラーな事象が起こり、精神的なストレスが蓄積されてしまう。

周りに言わせるとナイーブで繊細な人間なのだろう。

僕は感情を出すのは苦手だ。悔しいとか悲しいとか感情に出したところで心情は何も変わらない。落ち込んでいる顔を鏡で見るとさらにネガティブになってしまったりもする。だから僕はポーカーフェイスではないが、“無”であり続けてきた。


シャワーを浴び、着替えが終わったところで電子レンジの調理時間が終わった音がした。

食事をしながら窓の外を眺める。

いつも日向ぼっこをしている猫が2匹に増えていることを除けば、大体がいつもと変わり映えのない日常だった。

そういえば、裏の公園にも猫の墓があったな、この辺りは土地柄か昔から猫が集まるのだろうか。


ふと2匹の猫が寝そべりながらこちらに顔を向けているように見えた。

直線距離にして7メートルくらいか。

僕を視認しているとは考えづらい。

昔読んだ本に、猫の視力は健康的な人間と比べるとかなり悪いらしいという事が書いてあったなぁと思い出した。

実際にどの程度の視力なのか、

ハイテクになった現代の神器の1つ、パソコンを開き、検索エンジンに猫の視力と入力した。

生憎、僕はスマートフォンは持っているが、電話としてしか使ったことがないのだ。メッセージアプリは便利だと思うが、既読やらなんやら、人間の自由時間というものを何も考えていない機械の産物に拘束されるのは願い下げだった。家族が煩いので一応は入れてあるが、僕から連絡することも報告することも何もないので、父親の誕生日の日付で履歴は止まっていた。


どうやら猫の視力は0.1-0.2程度らしい。

それに加えて彼らは人間でいう色盲のようで、青と緑の色しか判別できないという。

そうなると、窓の外の彼らはやっぱり僕を視認してはいないのだろう。

新しい知識を得たことに満足気な表情を浮かべながらもう一度窓の外を見た。

さっきまで寝そべっていた彼らはピンと背筋を伸ばして、やはり僕を見ていた。まるで置物のように。


暖かい日差しは春の訪れを顕著に表していた。

心地よい陽気のせいか、眠りに誘われるかの如く、深く深く落ちて行った。


その人は僕を叩きつけた。

半狂乱に陥った彼は机の上の僕を力いっぱい床に叩きつけた。

不思議と痛いとか、尻もちをついたような重力の感覚は無かった。ただ、硬い音が響いていた。


床の上に倒れたまま、僕を叩きつけた彼をまじまじと見た。知らない人なのに、何故か懐かしいようなそんな空気を纏う人だった。

埃の匂いを感じた僕は辺りを見回した。

部屋の中は所狭しと積まれた本で溢れかえっていた。自分の知らない書体の本の山に鼓動が上がっていくのを感じた。整理整頓された本棚と、整頓されていない本の山はまるで違う人間が共に暮らしているのではないかという錯覚を感じさせるようだったが、目の前の彼を見る限り、不安定になると雑把な性格が出てくるのだと容易に想像はできた。


しばらくして、彼は僕を拾い上げ、机の上に置き

本の山の上に置いてあった外套を羽織って徐ろに外に出て行った。足取りはよろけていて、一歩一歩が心配になるほどに精神の脆さを表していた。


自分が置かれた机には丸まった紙が散らかり、インクのボトルが倒れ、流れた先には沢山の文字の森が広がっていた。


どのくらい時が経っただろうか、

僕の近くにまで広がった黒の海は乾きかけていた。

どこからか外で、

「いつまでいるんだ。」と怒鳴る声が聞こえた。

途端にバタバタと家の中を駆けているかのような足音と速さで彼は部屋に戻ってきた。

羽織っていた外套を取り敢えずなのか、本の山に放り投げ、彼は僕を握った。

僕は目が回るような感覚に陥りながらも、やはりしっかりと彼に握られていて、僕と彼が紡ぎ出す言葉は繊細な“神秘”そのものだった。

どれだけ時が経ったのかも、もう分からないくらいに、僕らは“それ”に熱中した。そして、熱中し続けた。


彼は額に汗を浮かべながらも、一切の容喙や障害をものともせず、一心不乱に僕を走らせた。僕は彼の導くままに紙の上を歩き、踊り、そして走った。

途中、キヨという女が何度か顔を見せ、心配そうに中を伺ってはそっと立ち去ることを繰り返していた。彼女は彼を理解しているのだろう。邪魔は決してしまいという意志の宿った、鋭く、また優しい眼で彼を見つめ、安心したかのようにそっと立ち去るのだった。


やがて彼は僕を置いた。

今まで書き連ねた紙の上の“神秘”を、得意げに読み返しながら彼はニヒルに笑った。

キヨが置いたのだろうか、部屋の入り口に盆に乗せられた菓子のような物が目に付く。

彼は脳味噌の栄養を全て使い切ったようで、盆の上の菓子を手掴みで2個、3個と口に放り込んだ。

荒い餅米の中に粒あんが見えるそれを僕は知っていた。おはぎを真逆にしたような菓子で、ほんのりと柔らかい甘さがすり減った脳を、セロトニンを分泌させて活性化させてくれる、気がするらしい。

頭を使うと得てして甘味が欲しくなるのは、彼も僕も同じだった。



ふと目が覚めると、猫はいなかった。

春の陽気だった昼間とは打って変わって、気温はかなり下がっていた。

あれは夢だったのだろうか、眠りから覚めて体温がだんだんと下がっていくのを感じながら夢現の心地で思考を巡らせた。


たしかに僕は彼を知っている、気がする。

喉元まで出掛かった答えはなかなか吐き出されてはくれなかった。


ふと、スマートフォンが光っているのに気付き、僕は嫌々ながらもそれを確認する。「口煩い母上」からのメッセージは12件だった。

くだらない、と思いながらも「口煩い母上」の連絡を無視すると口だけじゃなく「煩く」なるので、仕方なく開くのだ。

「ご飯ちゃんとたべてるの?」だの、

「顔見せなさい」だの、

「たまには電話しなさい」だの。

お願いだからもう放っておいてほしいと、思いつつも直接言える度胸はないのだ。

あのキヨのように慎ましい母上であったならどんなによかっただろうと、半ば諦めながら慣れないフリック入力というやつでメッセージの返事を書く。

僕がメッセージを入力するのにかなり時間をかけてしまうせいか、既読を知った「煩い」母上が連続でメッセージを入れてくる。

こんなにメッセージ入れられたら話なぞ噛み合うはずもないと呆れながらもフリック入力のガイドを見ながらゆっくりゆっくり言葉を綴る。

僕としては紙に書いたほうが早いので、毎月一通だけ手紙で近況報告をしてほしいくらいだった。


昨今、手紙を出すという文化は廃れていっているらしい。

腕に自信のある者たちが版画を彫り、挨拶や近況を認めるような、そんな年賀状が楽しみだった時代も、年賀状を送りつつも日付ぴったりに長文の新年のあいさつをメールで送ろうとして回線混雑で送れないもどかしさを味わったあの頃も、何も知らない若者が増えつつあるのだろうか。

はがきも手紙一通の切手代も値上がりをし、

郵便は土日に配達されなくなってしまったという、

なんとも残念な連鎖だ。

手紙や葉書は保管に困るだとか、本は部屋を圧迫するだとか、何でもかんでもデジタル化に頼られる時代というのは僕には居心地が悪かった。


何かを調べたい時に、ネット回線を繋いで検索エンジンに知りたいことを入力すれば、その事柄に関する文献や記事がいくらでも出てきてしまう。僕もたまには使うことは有るが、やはり紙の匂いのあの安らぎは味わうことができず、塩味のないたくあんを食べているような、なんとも味気のない世界に孤独を感じてしまう。


本の紙魚の対策をしなければとか、たまたま入った古書店でなんとも温かみのある、薄らカビの匂いの混じった空間に落ち着きを求めるような、そんなことを考える人間は今どのくらい居るのだろうか。

本の批評をし合うために、喫茶店に入り、本の虫の仲間たちと言葉を交わすことも無くなってきたなと、ジェラシーに近い悲壮感を感じながら、やはり僕は珈琲を飲みながら、自分の部屋でまた紙を捲る。



感情を汲み取るのは苦手だった。

対人の関係で感情というものは最も美しい表情を持っていながらも、時に醜く映る。

感じ方は人それぞれだ。受け取り方の違い、ジャンル分けされた性格をあたかも全て理解しているかのように相槌を打つ、そんな詰まらない時間が嫌いだ。


その点、本は違う。

僕は本があれば生きていけた。

僕は知っているが作者は僕を知らない。

誰かに読ませるための言の葉なのか、自分の承認欲求を満たすために綴った言の葉なのか、はたまた、誰かに見つけてほしいという心の悲鳴なのか。

僕が一冊の本から何かを汲み取ったとしても、それは否定されることも無ければ、態とらしく肯定されることも無いのだ。

ただただ、どんな気持ちで作者がこの一冊を書くために生きていたのか、その言の葉を一つ一つ、最初から最後の“。”までを丁寧に丁寧に読み取ることは、作者の人生観をほんの少しだけ共有できる大切な時間だ。

何度も何度も読み返し、味の出た一冊は格別な甘味だ。一人の作者、たった一冊の本を何度読もうが、毎度自分の心の調子次第で、汲み取るメッセージは変わっていく。最初はくだらないと見過ごした漢字だって、2度目は何と読むのかを調べるかもしれないし、3度目はその言葉選びをした作者のセンスに感嘆するかもしれない。



僕は現代文とか、「試験でよくある作者のこの時の心情を求めよ」という問題は頗る苦手だった。

そんなの読者の感じ方次第だ。採点をするのが作者ではないのに、出された答案に甲乙付けようとするというのは、作者への冒涜だと僕は思う。

僕だったらどんな考えでも正答だ、とする。

例え空白で提出されたとしても、それは読み取れなかった訳ではなく、そこに作者の読み取って欲しいというメッセージが無いと読者が理解したにすぎないのだから。


正直、僕は他人の人生を感じ取りたいという意図で“読者”を続けている。

夢の中で見た“彼”が半狂乱の中、汗を垂らし、お世辞にも楽しそうとは思えない表情で苦しみながらも綴った言の葉が確かにある。

どんな人間だってそうだ。僕だって今、物語と裏腹に孤独の中に苛まれ続ける心情を持ちながら、自分の物語を綴り続けている。


孤独を消すために僕は本にまた潜る。

文字が蠢き、そして犇めき合う。

僕はその渦に飛び込んでいく。

そして僕はまた、誰かの何かになるのだ。


彼は僕に言った。

嫌、僕はそう感じた、が正しいかもしれない。

自分の探求は何歳になって目指したとしても、その姿は美しいのだと。


僕の知る、彼は世の中で言う底辺のような人間だと思う。それでも、彼を慕う人は沢山いた。精神衰弱をしている中で講義をしたところ、皆は口を揃えてくだらないだとか、詰まらないと言ったという。

だが、彼を支えたのは“ホンモノ”だった。

自由を体現するかのように、津々浦々を散歩しては言葉を書き連ねた新選組の沖田総司と同じ病でこの世を去った詩人にもらったペンネームは、周りの評価を気にして精神的に疲弊しやすく、胃腸が弱い癖に、医者に止められようが甘い物を食べるのをやめなかったという“彼”にはぴったりだったし、同じくその詩人の弟子にあたる写実的な言葉選びを好む詩人は、彼に作家という道を見出した。その他にも枚挙に暇がない。


彼を孤独にさせまいと、揃って彼のエゴイズムを尊重しようとし続けた。幼少期から頭の良かった彼は、当時では珍しくロンドンに留学をしたり、アルバイトで教鞭を執ったりと、異質だったのだろう。

何度も親が代わり、家庭環境に落ち着きがない幼少期を過ごした人間に有りがちな承認欲求の強さと自己肯定感の低さは、彼の人生を語るには不可欠な要素であることは間違いない。

教鞭を執る度に、反響を気にし、逃げるように退職をする。


僕にはそんな彼の繊細さの中に燃え上がるエゴの塊のような負けん気の強い所が心地よかった。

人に認められることは居場所に繋がるのだと彼は僕に教えてくれた。


僕は彼にとって何代目かはわからないが、

彼はよく僕を散歩に連れ出した。

友人と歩く、大隈重信の建てた大学の近くでふと足を止めては、何かを記録しようと僕を出してくれた。


あぁ、そうだ。

僕は彼の“筆”だったんだ。

それは彼が彼たる必要な要素の1つで、僕がいなければ彼は彼じゃなくなってしまう道具であり、居場所でもあったんだ。


僕は彼の最期を見ていた。

僕のすぐ近くに赤い海ができていた。

彼の娘たちが彼を看取ろうとする光景を、

コマ送りで僕は見ていたんだ。

もっとこの人の人生を理解したいと切に願った。

もっと思考を感じたいと思った。


皮肉なことに今僕は批評家だ。

嫌いだから批評するわけじゃないし、好きだからこそ批評したりもする。僕の評価は誰に理解されなくてもいい。そんな見方があるんだと頭の片隅に置いてほしいだけだ。


僕はもう物語を綴ることはできないけれど、

僕という生き方を誰かがほんの少しだけ見ていてくれていたらいいなとも思う。

僕も孤独だった。

家族がいるから居場所があるかといえば、あるのかもしれないが、居心地のいいところを居場所というのならまた違う。


だから僕は本を読む。

誰かの人生に、思考に、ほんのちょっとでも触れられればそれでいい。

僕は僕の居場所を求めて本を読む。


彼の生誕百周年を記念して書かれた彼の人生に関する本を捲りながら、ふと手を止めた。


彼はやっぱりニヒルに笑いながら、

「いいよいいよ。もう泣いてもいいんだよ。」

そんなことを言うもんだから、

やっと僕は救われた気がした。

僕はずっと彼を待ってたのかもしれない。


彼が食べていた、僧の名前のつくあの餅を1つつまんで食べた。

甘い味が僕の脳を酔わせてくる。

「これが彼の人生だ」、そう僕が完結させるのも悪くないが、やっぱりそれは読者に任せることにしようだなんて、僕もなんだかそれっぽいだろう?

彼のようにニヒルに微笑んでみた。


本には魂が込められている、と思う。

何度刷られて、部数が増えても、作者の込めた思いは伝わろうが伝わるまいが変わらず込められていると思う。並べると魂のショーケースのようで壮観に感じるのは不思議なものだ。

もし本が喋ったら、煩いだろうな‥なんて思ったりもする。


窓の外を見る。

いつの間にか猫が戻ってきていた。

まるで自分は猫だと言っているかのような、自信過剰な満足気にすら見える顔で、僕を見つめる。


君は彼の猫の血縁なのかと尋ねても、ニャーとしか鳴かないだろう。残念ながら僕には猫の言葉も分かりはしないが、なんだか君もいたずらっぽく微笑んでいる気がするのは気のせいだろうか。


スマートフォンを手に取った。

「口煩い母上」に

「週末帰るよ」とだけ打ち込んで送信した。

ちょっとだけ自分に自信が持てた気がした。


僕は僕の物語しか紡げない。

でも、誰かの物語を少しだけ理解することはできるかもしれない。

僕は彼がしたように、

移りゆく時代に弱いながらも立ち向かっていきたいと思った。

時代に置き去りにされるのはごめんだ。

彼は今ですら時代を超越してくるのだから。


そう思いながら、

僕はちょっと遠くのコンビニに向けて歩き出す。

今晩は少し、夜風にあたりたい気分だ。


またスマートフォンを出し、出版社の電話番号を調べた。時間はかかったが、それすら愛おしかった。

「もしもし。電子書籍の批評欄の仕事、引き受けます。」

久しぶりの他人との電話で、声が裏返ってしまったが、構いやしなかった。

編集者はちょっと驚いたようで、間を取りながらも

喜んでくれた。


隣の部屋を開けようとしている男がいた。

僕はまるで校門に立っている教師のように、明るく挨拶をした。男はやっぱり驚いていたが、軽く会釈をして部屋の中へと消えていった。

なんとも清々しい気分だった。



マンションの入口に猫が座っていた。

「月が綺麗ですね」

夜風が冷たく染みる中、暖かい声が聴こえた気がした。




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