第2話 世界から君が消えた日

 翌日。俺は約束通り駅前の広場でメルを待っていた。昨日、パーティをクビになった事実は変わらないし、正直、気分はまだどん底に近い。でも、メルに会えると思えば不思議と足取りは軽かった。俺って単純だよな、本当に。


 待ち合わせの時間ぴったりに、メルは「ごっめーん!」といつもの元気な声を響かせながら、手を振って小走りでやってきた。


「イニサ! 待った?」

「いや、俺も今来たとこだって。……てか、なんか今日はやけにご機嫌だな、メル?」

「えへへ、だってイニサとクレープ食べれるんだもん! ずっと楽しみにしてたんだから!」


 そう言ってころころと笑うメルは昨日よりもずっと元気に見えた。やっぱりこいつの笑顔は太陽みたいだ。それを見ているだけで、俺の心の中に溜まっていたおりのようなものが、少しずつ溶けていくような気がする。


「ほら、早く行こ……って、あれ?」


 俺が目当てのクレープ屋台がある方向を指さそうとした、まさにその時だった。突然、目の前にいるメルの体が、ぐにゃり、とゆがんだ気がしたのだ。


「え……?」


 一瞬、強い日差しのせいで目がくらんだのかと思った。だが違う。メルの輪郭りんかくが、まるで真夏の道路に立つ陽炎かげろうのように不安定に揺らめき始める。彼女の表情が苦痛に歪み、大きな瞳が驚愕と恐怖に見開かれる。


「メ、メル!? どうしたんだ! 大丈夫か!?」


 何が起こっているのか理解できないまま、慌てて駆け寄ろうとした俺の目の前で信じられない悪夢のような光景が繰り広げられた。

 メルの体が、まるで受信状態の悪いテレビ映像みたいに激しく点滅し始める。形が崩れ、色が濁り、おぞましく混ざり合い、人ならざる「何か」へと急速に変貌していく。赤、黒、紫……見ているだけで吐き気を催すような不快な色が渦を巻き、空気がびりびりと震えるような、耳障りな異音が響き渡る。


「いや……あ……ぁ……イニ……サ……たす……け……て……」


 ノイズ混じりの悲鳴のような彼女の声がかろうじて聞こえた。俺はただ、目の前で起きている現実離れした出来事に金縛りにあったように動けなかった。

 なんだこれ、なんだよこれ! 魔法攻撃か? 誰かの呪いなのか? いや、こんな、こんな禍々まがまがしいものは……ダンジョンで遭遇するどんな凶悪なモンスターよりも異質で冒涜的だ!


「メルーーーーーッ!!」


 俺が喉を引き裂かんばかりに叫んだ瞬間、異形の「それ」は、まるで限界まで圧縮された闇が弾けるように、一際ひときわ強く、不気味な光を放った。

 そして―――次の瞬間、まるで幻だったかのように跡形もなく消え去っていた。


 後に残ったのは、何事かと遠巻きにざわめく広場の人々と、あまりの出来事に呼吸すら忘れ茫然ぼうぜんと立ち尽くす俺だけだった。


 何が起こったのかまったく理解できなかった。頭の中が真っ白になる。メルは? メルはどこに行ったんだ? さっきまで、確かにここにいたはずなのに。


「い、今……! 今、女の子が……! ここにいた女の子、見ませんでしたか! 茶色い髪の!」


 俺は近くにいたスマホをいじっていたカップルに震える声で必死に尋ねた。頼む、誰か見ていてくれ。あれが幻覚じゃなかったって証言してくれ!

 だが、返ってきたのは怪訝けげんそうな顔と、面倒くさそうな声だけだった。


「は? 女の子? 何言ってんだ、お兄さん」

「だって、今ここに……俺の連れが……! 光って、変な形になって……消えて……!」

「連れ? あんたさっきから一人でキョロキョロしてるだけじゃないか。大丈夫か? ちょっと疲れてんじゃないの? あんまり変なこと言ってると通報するよ?」


 嘘だ。そんなはずはない。だって、だって、メルは確かにここにいたんだ。俺は広場にいる他の人たちにも片っ端から尋ねて回った。


「女の子を見ませんでしたか?」「一緒にいた連れがいなくなったんです!」……と。


 だが、誰もが誰も口を揃えて「そんな子は見ていない」「君はずっと一人だった」「疲れてるなら休んだ方がいい」と言うばかり。まるで、俺が頭のおかしい奴みたいじゃないか。違う、違うんだ!


 まさか、と思って俺は震える手でスマホを取り出した。トークアプリを開き、彼女とのやり取りを確認しようとする。


 ……おかしい。昨日の夜の他愛ないやり取りのログがない。今日の待ち合わせの約束も綺麗さっぱり消えている。それどころか、メルとのトークルームそのものがどこにも見当たらない。まるで、最初からそんな友達など存在しなかったかのように。


 嫌な汗が背中を滝のように伝う。心臓が嫌な音を立てて脈打つ。震える指で自宅に電話をかける。頼む、姉ちゃんなら……姉ちゃんだけは、覚えているはずだ……!


『……もしもし? イニサ? どうしたのよそんなに慌てて。外じゃなかったの?』

「姉ちゃん! あのさ、メルのことなんだけど……!」

『……は? メル? ……誰よそれ。新しい友達?』


 電話口から聞こえてきたのは、姉であるシーラの心底不思議そうな、それでいて俺を気遣うような優しい声だった。


 全身から急速に血の気が引いていくのがわかった。頭を巨大なハンマーで殴りつけられたような強烈な衝撃。立っているのがやっとだった。


 メルが、消えた。


 俺の前からだけじゃない。この世界から、人々の記憶から、あらゆる記録から、まるで最初から存在しなかったみたいに、完全に。


 でも俺は覚えている。昨日の夕焼け空の下での他愛ない会話も、小指を絡めた約束も、今日の待ち合わせ場所での太陽みたいな笑顔も……そして、あのおぞましい変貌と消失の瞬間も……俺の記憶の中には鮮明にメルが生きている。


 俺だけが、メルを覚えている。ふざけるな。ふざけるなよッ! あんなことがあって、ただ消えてなくなりました、なんて、そんな理不尽、受け入れられるわけないだろうが!


 理由なんてわからない。誰がやったのかも、これからどうすればいいのかも、皆目見当もつかない。暗闇の中に、たった一人で放り出された気分だ。


 でも、たった一つだけ確かなことがある。俺の中で燃え上がるような強い感情。


【俺は、必ずメルを取り戻す】


 たとえこの先、世界中の誰からも理解されず、俺ただ一人になったとしても……絶対に俺がメルを、この世界に呼び戻してみせる。


 そう誓った。

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