第2話 異物たち②
土間に散った埃が、午後の光を受けて金色に舞っている。
フィオは仰向けに押し倒され、その上にコモリが馬乗りになっていた。
コモリの膝はがっちりとフィオの腰を捉え、片腕は喉元へ添えられている。
息を奪うには十分な体勢。
しかしフィオの表情は、窮地というよりむしろ、薄い困惑の色だった。
「……ねえ、ちょっと。
いきなり押し倒すなんて、もう少し段階を踏むやり方もあると思うんだけど?」
静かな抗議。どこか気まずさを帯びた声音。
「段階?」コモリは鼻で笑い、光の反射を受けた瞳が細く光る。
「要らん。逃げられでもしたら困る」
「ひどいな。まだ名乗ってすらいないのに」
わずかに身を起こそうとした瞬間、コモリの手が容赦無くフィオを地面へ戻す。
乾いた衝撃音が木壁に鈍く反響した。
「名乗りたければ勝手にしろ。
ただ、 “なぜ押さえつけられてるか” は理解してるはずだ。え?」
フィオは少し考えて、穏やかに頷いた。
「いや……まあ、心当たりくらいはね。
でもほら、せめて人としての礼儀というか……」
「人、か。
お前がその言葉を使うのがまず気に入らん」
「……何がそんなに気に障ったの?」
「この世界は、いつも静かに侵される。
だから俺は気配の無い異物から先に始末する。
──お前はこの世界の内側に属していない」
コモリの声に憎しみはなく、ただ職務を遂行する者の乾いた温度だけがあった。
「ああ、そう。そうか。なるほど。そういう基準か」
フィオは古い記憶を撫でるように目を細める。
「ずいぶんと久しぶりだよ、君みたいな人に出会うのは」
「知らねえ。懐かしむな。
理解したなら、大人しく——」
言葉の途中で、袖の陰から別の刃が滑り出た。
その動作はあまりにも自然で、まるで最初からそこにあったかのよう。
刃が落ち、音が遅れて響く。
衝撃が走り、衣服が裂け、肌にも線が刻まれる。
しかしその傷は呼吸ひとつの間にふつふつと塞がっていく。
まるで時間が逆再生したように、滑らかに。
「……なるほど。不死性か」
コモリの眉がわずかに引き攣れ、即座にフィオから距離を取る。
「痛いものは痛いんだけどね」
フィオは困ったように笑う。
「ほんと、容赦ない…」
「手加減する理由はない。
だが──抵抗する気はないのか?」
フィオが平然と立ち上がる様子をコモリは静かに観察する。
穿たれていたはずの喉にも、 視界を奪われたはずの瞳にも、傷の欠片すら残っていない。
「抵抗しないわけじゃないよ。でも──必要?」
そう言ってフィオは肩をすくめる。
「ははっ」
思わず苛立ちが混じってしまったコモリの笑い。
次いで刃が閃き、衝撃がフィオの胸を突き抜ける。
身体が後ろにしなる。揺れる。
……止まらない。
しなった身体がまるで糸で元の位置に引かれるように前に戻ってくる。
傷が治るというより、もはや最初から傷などなかった位置に体が置き直されたようで。
刃が再び振るわれる。
今度は崩れるようにフィオの姿勢が傾く──
だがそれも一瞬で元の形に吸い戻されるように整う。
距離を詰めた瞬間、フィオは腕を振った。
骨が、再生直後の異様な硬度を帯びて軋む。
刃でも武器でもない——ただの腕。
それなのに、振るわれた軌跡の空気が低く震える。
コモリが眉をわずかに跳ねさせ、身をひねって避ける。
「……殴りかかる動作じゃねぇ。
死体が勝手に倒れてくるみてぇだ」
「嫌なたとえだなあ」
また歩み寄る。
ゆっくり、静かに、止まらず。
コモリは低く吐息を漏らす。
「不死ってのは、死なねぇ強さじゃなく、死なねぇまま来ることが厄介だ」
崩れた壁、乱れた土間。
コモリ自身も気付かぬうちに戦闘へ集中し、周囲への注意が削がれていたのだろう──いつの間にか農場主の姿が消えている。
コモリは懐の札に触れ、短く念話を放つ。
『ミーシャ。農場主が行方不明。
曝露による影響は未知数。至急、収容に移れ』
『了解しました。そちらは?』
『交戦を続ける。対象は不死。
破壊を連続的に与えて抑え込む』
念話を切ると、コモリは重心を沈めた。
そこから休みなく武器を投じる。
懐からいくつもの短槍が生まれ、牽制のように放たれる。
次の瞬間には周囲の瓦礫が刃へと形を変え、動きを封じるための角度で飛ぶ。
さらには折れた巨大な梁が、圧殺を狙う質量として唸りを上げて落ちてきた。
「ねえ、こんなに投げ続けて疲れないの?
腕とかさ」
「問題ない。
それに、お前のようなもの相手に手を抜く方が疲れる」
「やだなあ、そういうプロ意識」
そんなやりとりに紛れ、鎖のように連なった金属がコモリの腕から滑り落ち、フィオの脚へ絡みつく。
「おっと」
フィオはそう言うや絡まれた脚ごと切り落とす。
絡んだ部分を捨てるのが一番早い、と判断して。
鎖だけが虚しく締まり、コモリの眉がわずかに跳ねる。
一撃の雨が止んだ。
風の音だけが土間に残り、粉塵が白く漂う。
その中央で、フィオだけが平然と立っていた。
「……そういえば、痛みを感じるってのは、嘘か?」
コモリはわずかに指先を震わせながら呟く。
「痛いよ! でもこれは合理性の問題」
フィオは両手を軽く上げたまま、やや気まずそうに話す。
その動作の流れで続く攻撃を読み、最小限の動きでさばく。
時にはわざと受け、即座に再生する。
裂け、砕け、そして水面のように戻る。
砕けた肉片が、まるで花弁を巻き戻すように収束していく。
フィオの不死性が、戦場の空気をじわりと支配していた。
フィオは苦笑した。
「今、面倒だなって思った?
…ぼくもそう思うよ」
フィオが口の端を歪める。その背後で——
◆
『……穢らわしい』
耳の奥で、ひどく低く艶のある声が震えた。
ハクレンの、フィオにしか届かない囁き。
『我が
この手で磨き上げた宝石に、泥を飛ばされたようだ』
「磨かれた覚えはないんだけど」
『黙れ。そなたは自覚が足りぬ!』
怒りを帯びてもなお声は濡れたように豊かで、
悠久の時を生きた魔女の余裕と、自尊と、理不尽な情が混じっている。
『……』
わずかに息を整えるように、ハクレンの扇が静かに揺れた。
『心配はしていないぞ。我が僕が凡俗に屈するはずもない。
だが腹は立つのだ。あの粗野な男の気配が、そなたの肌に触れるだけで』
フィオは肩をすくめる。
「そんなに嫌?」
『黙れ。我が感情に口を挟むな』
魔女の視線が、精神の奥からコモリを射抜く。
その声音に、嗜虐の笑みがひそみ始める。
『ふふん……粗野な人の子。
己が触れてよいものを見誤ったな』
怒りではなく、焼けつくような嫉妬でもない。
もっと、ずっと重いもの。
大切にしていた器に、他人の指紋がついたかのような不快。
ハクレンがコモリに向かって──その精神に触れようと指を伸ばす。
世界の裏側から冷たい風が吹き込むような感覚。
だが、その手は空をつかむように虚しく揺れた。
『……ふむ?』
「届かないの?」
『届かぬ。心の層が深すぎる。
守られているというより……"そもそもの在り方が異様"だ』
「そんなに変なんだ」
『変どころか──面白いほど不可解だ』
愉悦の色さえわずかに混じった声。
想定外を見つけることを、ハクレンはほんの少しだけ好む。
『これでは……助力はできぬ。そなた自身でなんとかせよ。
その代わり——』
そして急に、子供のように不満を爆発させる。
『腹立つ! 本っ当に腹が立つ!
あやつの存在感が鬱陶しい!
粗雑な猿め……! 無粋な獣が……!
我が
ハクレンの怒りが昂ぶった瞬間、
フィオの後頭部の奥で、氷をこすり合わせるような音が鳴った。
「いや、ぼくに言われても……。
集中できないから落ち着いてよ」
『我の怒りを理解せぬそなたも悪い!』
「ええ——っ」
『そなた、なぜ我の不快に共感しない!
大切にしているのだぞ? 我は、そなたを!』
「いや、その……」
フィオは途方に暮れた表情を浮かべる。
この魔女は一度こじれるとやたら面倒だ。
宥め方も毎度違う。
その困惑が顔に出た瞬間──コモリが鋭く目を動かす。
「……お前ぇ、誰かとしゃべってんな?」
フィオの呼吸が一瞬だけ止まる。
ハクレンは鼻で笑い、コモリへ冷たい嘲りを向けた。
『ほーう。観察力だけは上等だな、粗野の分際で!』
「挑発しないでってば!」
『……ん?』
「なに?」
『まて…なんだ、これは?』
「ハクレン?」
ハクレンは何か別のものに気を取られていた。
関心が向いているのは、この男ではない。もっと遠い、別の何か。
『──フィオ、しばらくの間留守にする』
「いやいやいや、このタイミングでそれはないだろ……!
そもそも君が留守にするってどういうことさ!
君は僕の中に取り憑いているはずだろ!?」
返事はなかった。
「……ちょ、待って。本当にどこかへ行った……?」
胸の奥に説明できない寒気が落ちてくる。
フィオの体温が一瞬だけ下がったように感じられた。
そのわずかな揺らぎを、コモリは逃さなかった。
「隙だらけだな。不死でも“今”は壊せそうだ」
識閾大戦 @shiyoudesu
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