識閾大戦
@shiyoudesu
第1話 異物たち①
どん、という銃声が静寂を裂く。
フィオの左胸が弾け、口から血の泡混じりの息音が漏れる。
さらに背後からの鉛玉が喉を穿ち、続く二発が彼の両の膝を弾け飛ばした。
軒先にいた老人が掠れた悲鳴をあげてひっくり返る。
ついさっきまで談笑していた相手が一瞬で血の華を咲かせたのだ。
フィオは老人に「落ち着け」と伝えようとするが、風穴の空いた喉では使い物にならない。
その時──
背後から猿じみた咆哮が迸った。
フィオは反射的に左手を伸ばし、首元に迫る刃を掴む。
指先を冷たさが刺す。骨に届かんばかりの鋭さだった。
ああもう、とフィオは舌打ちして指に力を込める。
刃の持ち主ごと引き寄せようとするが、ずしりと重い。
これはただの人間じゃない。
フィオがそう感じた刹那、相手は刃を手放した。
支えを失った刀がそのまま勢いよく壁へ飛ぶ。
木造の壁を紙のように裂き、ほんの一瞬の静寂の後、壁全体が軋みをあげながら崩落を始める。
同時に鋭い蹴りがフィオの脇腹を撃ち抜いた。
うめき声をあげ、砕けかけた膝とともに横転する。
背を地面に着けた瞬間、首を押さえつけられる。
「まずは一本」
低く、確信めいた声。
片手でフィオの喉を握り潰さんばかりに圧し掛かる男の、もう一方の手にナイフが握られている。
ナイフの先端が容赦なく──フィオの視界の半分を奪った。
次の瞬間、それは頭頂部へと滑り込み、裂く。
布を剥ぐように。肉と骨を。
◆惨劇に至る、わずかな前刻
ざわめきと土の匂い。
通りに並ぶのは、手作りの籠や陶器、古道具に乾物。
縁日のような喧騒はなく、どこかのんびりとした空気が流れていた。
「思ったより静かだなあ」
フィオは素焼きの器を手に取りながら呟く。
店の主人らしき老婆がニコリと笑い、「それはこの土地の土で焼いたものだよ」と誇らしげに語った。
「いい色ですね」
器の手触りを確かめながら、フィオはそう答える。
土の温もりが指先に馴染んだ。
「ふん……貧相な祭りよ」
背後から嘲るような声が降ってくる。
「こうも慎ましやかでは、祭りと呼ぶのも憚られよう」
ハクレンが長い髪を揺らしながら、品定めするように周囲を見渡していた。
「相変わらず、言い方がきついなあ」
「事実を述べたまでよ、
フィオは肩をすくめる。
ハクレンにとって、祭りとはもっと華やかで、もっと騒がしいものなのだろう。
だが——
「こういうのも、悪くないと思うけど」
風に乗って焙じ茶の香りが鼻をかすめる。
ふと横を見ると、露店の一角で茶葉が籠に詰められていた。
「……ハクレン、あれを試してみないか」
「あれとは?」
「あのお茶。香りがいい」
ハクレンは興味なさげに視線を向け、鼻を鳴らした。
「茶か……生半可なものなら飲むに値せぬが」
「まあ、試してみたらいいさ」
フィオが笑いながら店の前へ進むと、ハクレンも仕方なさそうについてくる。
茶葉を手に取るフィオを横目に、ハクレンは腕を組んでぼそりと呟いた。
「まったく、お前はこういうささやかなものを好むな」
「ささやか、か。……ハクレンは、あんまりこういうのは好きじゃない?」
「嫌いではないが、些か物足りぬな。どうせなら、もっと
「そういうのもいいけどね。こういう素朴なのも、なかなか悪くないよ」
「おまえは昔から、慎ましいものを選びたがる」
「そう?」
「そうだ」
ハクレンはわずかに目を細め、フィオの横顔をじっと見つめた。
その視線に気づいたフィオが「なに?」と首を傾げると、ハクレンはふっと目を逸らし、「別に」と鼻を鳴らす。
フィオは軽く肩をすくめると、店主に声をかけた。
「すみませーん、これを少し」
店主が紙袋に包んでくれるのを待ちながら、フィオはハクレンの横顔を盗み見る。
彼女はどこか退屈そうな顔をしていたが、目元の表情はやや和らいでいた。
こうして二人の旅は続いていく。
異国を巡り、食べ歩き、その土地の空気を味わう。
そして——どこへ行っても、同じように過ぎ去っていくのだ。
◆
風が吹き抜ける。
鼻先をかすめたのは、どこか香ばしく、しかし馴染みのない匂いだった。
フィオはふと顔を上げ、通りの先を見やる。
屋台が軒を連ねる一角、その向こうで、薄い煙がゆらゆらと立ち昇っていた。
「なんだろう、あれ」
「ふむ。妙な匂いがするな」
ハクレンが扇の端を口元に寄せ、細めた目で煙の先を見つめる。
二人は足を進めた。
近づくにつれ、鉄板の上でこんがりと焼かれる黄金色の塊が視界に入る。
「お兄さんも食べてくかい?」
屋台の店主が笑いながら、焼きたてのそれを差し出す。
フィオはひとつ手に取り、軽く割ってみた。
「……芋?」
口に軽く含んでみる。外はカリッと香ばしく、中はねっとりと甘い。
だが、見た目も食感も、知っているどの芋とも違う。
「これは?」
「この辺りの名産…候補ってところでね。最近採れるようになった新しい芋さ」
誇らしげに語る店主に、フィオは眉をひそめる。
「最近?」
「そうさ。ほんの数年前までは、こんなもん影も形もなかったんだがね……まあ、育ちがいいってのか、すぐに広まってな」
「へえ、随分と珍しい話ですね」
「珍しいかい? この土地じゃすっかり当たり前さね」
店主は大きな鉄ヘラを握り直し、次の芋を返す。
フィオとハクレンは視線を交わした。
——間違いない。
目当てのものだ。
この土地に根付き、人々が疑問すら抱かずに口にしている"異物"。
「もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
フィオが柔らかく笑いながら問う。
「いいとも、お客さん方が興味あるならね」
店主が笑うのを横目に、ハクレンはふっと扇を広げた。
「やれやれ、ようやく話が繋がったか……」
◆
遥か遠くで、店主と談笑するフィオを眺める二つの影。
「"殉断許可・壱号"を申請する」
コモリがそう呟く。その隣にいたミーシャは思わず目を見開いて、コモリの方を振り返った。
「……根拠を聞いても?」
「状況判断に基づく直感的決済」
「それ、勘って言うんです」
「長年の経験に裏打ちされた即応的判断」
「勘ですね」
「別に納得も理解も求めてねえよ」
コモリはフィオから視線を逸らさず、ミーシャの問いに淡々と告げる。
「俺たちが相手にしているのは、“この世ならざるもの”だ」
コモリから見て、あの黒髪の青年はまさにそれだった。
村に溶け込み、自然に振る舞う姿。
何の違和感もない。そこにいることが当然であるかのように。
「だが、それができること自体が異常だ」
この世界にいてはならない者が、まるで当然のように存在する。
それはこの世界の理そのものを歪める異能。
「ああいうのが一番ヤバい」
異物でありながら、この世界に溶け込んでしまう存在。
自らの異常性を認知させず静かに侵し進む何か。
「ここにいるのが当たり前って顔してやがる。
そんなもん許されていいはずがねぇ。俺が、殺す」
その目は、冷静さを保とうとしながらも、どこか熱を帯びていた。
どんなに僅かであろうと可能性がゼロでなければ勝ちを拾えるような、英傑と謳われる男。
そんな彼が異常と断定する青年について、ミーシャは未だ共感できる要素を見つけられていなかった。
しかし数多の"異物"を屠ってきた彼が、ここまで即断するのは初めてなのも確かだった。
ミーシャはコモリから視線を外し、やがてコモリと同じ方向を向き直る。
「私たちは未だ知覚・言語化できない存在を認めています。
コモリさん、あなたの直感もそのひとつ。
ゆえに私たちは覚悟を示し、また人の覚悟に報いる行動しなくてはなりません」
“殉断許可”
それはコモリという男にのみ許された一度きりの特権。
自身の死亡が確定的と彼が判断した状況下において、あらゆる"能力および道具"の使用を解禁する。
発動した時点で、この任務が命を賭けても終わらせるべき案件であることを意味していた。
「実行者の独自判断により当該申請は直ちに承認されます。
殉断許可の発動を記録。本件に付随する尻拭いは全て私たちが請け負います」
ミーシャがそう言い切ると、コモリは小さく口の端を歪めた
「感謝する」
コモリは音を立てずに歩き出した。その目に映るのは、ただひとり。
フィオの姿だけだった。
だが、フィオの背後に佇む長身の女の姿を——彼らは知らない。
未だ知ることすら、許されていなかった。
◆
農家への道中。
マルシェで手に入れた芋料理を手がかりに、フィオとハクレンはその芋を育てている農家を訪ねることになった。
「……案外、あっさり見つかったな」
フィオが手にした紙には、ある農家の名前と簡単な地図が書かれている。
マルシェの店主が親切に教えてくれたものだ。
「不審なまでに、な」
ハクレンは涼しい顔で言いながら扇を広げる。
「そもそも、この土地の者はこの芋を珍しがる素振りも見せぬ。
まるで元から存在していたかのように、当然のように口にしている」
「それが妙だってこと?」
「言葉を尽くすまでもあるまい」
フィオは肩をすくめながら、田畑の広がる農道を進んでいく。
やがて、道の先に農家が見えてきた。
そこはごく普通の田舎の家だった。
瓦屋根の母屋に、大きな納屋。
近くの畑では農作業をする人の姿がある。
「おや、客人かい?」
快活な声とともに、農家の主人らしき男が現れた。
年の頃は五十を過ぎたあたりだろうか。
フィオは軽く会釈をしながら言葉を選ぶ。
「すみません、マルシェでいただいた芋料理が美味しくて……どんな芋なのか、気になってしまって」
「おお、あれか!」
農家の主人は嬉しそうに笑った。
「うちで育ててる新しい芋さ。
いやあ、よく育つんだよ。掘っても掘っても減らないしな!」
「減らない?」
フィオが眉をひそめると、主人は笑いながら続けた。
「そうなんだよ。去年の秋、納屋の隅で変わった苗を見つけてな。
試しに植えてみたら……これがまあ、すぐに育つし、美味いしでな!」
「納屋の隅で?」
「おかしいかい?」
「いや……」
フィオは笑みを作るが、内心ではハクレンと同じ違和感を抱えていた。
(そんな都合のいい話があるか?)
「それでまあ、せっかくだからと村のみんなに分けたら、あっという間に広まってな。
今じゃすっかり名産品さ!」
「それは……すごいですね」
「だろう? いやあ、こうして美味いって言ってくれる人がいると嬉しいよ!」
主人は楽しげに語るが、その言葉の端々に異様なものが混ざっていた。
“掘っても掘っても減らない”
“納屋の隅で見つけた”
“不思議だけど、まあいいか”
(こんなに違和感があるのに、主人はまったく気にしていない……)
フィオが言葉を探していると、不意に——
どん。
銃声が響き、フィオの左胸が弾けた。
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