第29話 奪われるだけ

「妹が迷惑をかけた」


 そう言って、ファルコはメーロを床へ下ろしてくれた。いきなり登場した彼に驚きつつ、とりあえず胸元のリボンを結びなおす。

 状況を理解できずにいると、ジュリアが慌てて近寄ってきた。


「メーロさん、怖かったですよね……!」

「え? あ、はい、それはまあ……」


 怖かった、というより、なにが起きたのか理解できなかった。

 ただ分かるのは、もしファルコがこなかったら、あのまま自分はカテリーナにいいようにやられていただろう、ということだ。


 人間は平等じゃない。生まれた時から分かっていることだ。

 あのまま孤児院にいればメーロは娼館に売られていただろう。年上の女たちの何人かは、実際に娼館に売られたと聞く。

 彼女たちが今、どこでどんな暮らしをしているかは知らない。誰も教えてくれなかったし、知りたいとも思わなかった。


 きっと相手は、カテリーナ様みたいな綺麗な女の人じゃない。

 乱暴に、使い捨ての道具のように扱われて、心身ともにぼろぼろになっているのだろうか。


 孤児院には、わずかな食料しか与えられない状況でメーロにパンを分けてくれた者も、懲罰を受けた時に一緒に謝ってくれた者もいた。


 救われたのは、私だけ。

 私がたまたま、当たりのスキルを持っていたから。それを、イリス様が見つけてくれたから。


「メーロさん?」


 ジュリアに顔を覗き込まれ、大丈夫です、と首を横に振る。全ては未遂で終わったことだ。


「どうしてここに、ファルコお兄様がいるの!?」


 顔を真っ赤にし、カテリーナが叫ぶ。先程までの余裕そうな表情はどこかへ消えてしまっている。


 そっか。きっとファルコ様は、カテリーナ様より上の存在なんだ。


 王族たちの力関係なんて分からない。それでもカテリーナの様子を見れば、彼がカテリーナにとって逆らえない相手だということは分かる。

 当たり前のような顔で自分より下の人間を好き勝手にしようとするカテリーナは、上の人間には弱いのだろうから。


「それは俺の台詞だ。どうせまた、イリスに嫌がらせをしようとしたんだろうが……度が過ぎるぞ」

「お兄様には関係のないことよ。それとも、お兄様はあの子の肩を持つの? あんな子の?」

「下種な真似をするなと言っているだけだ」


 吐き捨てるように言うと、ファルコはカテリーナに背を向けた。興味がない、とはっきり示すような態度に、カテリーナが床を睨みつける。


 ……カテリーナ様も、苦しいのかな。


「それより、俺はお前に会いにきたんだ、メーロ」

「……えっ!?」


 カテリーナ様に引き続き、ファルコ様も?

 なんでこんなに、王子様も王女様も、私なんかに興味を持ってるの?


「お前、俺のところへくる気はないか?」

「はい?」

「軍人にならないか、と聞いている」

「軍人……ですか?」

「ああ」


 なるほど。どうやら、ファルコは軍人らしい。そう言われると、鍛え上げられた肉体にも納得がいく。


「お前のスキルは軍の役にも立つ。もちろん、今以上の待遇は約束するぞ」


 お兄様! と後ろでカテリーナが叫んだが、ファルコは視線すら向けない。


 身体に流れている血。生まれ持ったスキル。

 どちらも、自分の力ではどうにもならないものだ。どうにもならないことで、人としての価値が決められる。


 嫌な世界だ。


「……私の主人は、イリス様ですので。イリス様がそれを望むなら、軍人になります」

「どうしてそんなにイリスに執着する? あいつがそれほど条件のいい主人ではないことはもう分かっただろう?」


 声を荒げるわけでもなく、ファルコは冷静な声音で問うてきた。

 しかしその眼差しは鋭く、嘘や誤魔化しが通用しないことは一目で分かる。


「あいつも、スキル目当てでお前を雇ったんだろう」


 ファルコの言っていることは何も間違っていない。

 だけど。


「……たぶん、すごく単純な理由なんです」

「なんだ?」

「私は、イリス様がすごく好きなんだと思います」


 メーロの真面目な回答を聞いて、ファルコは豪快に笑った。あまりの豪快さにメーロが驚いていると、気に入った、と背中を乱暴に叩かれる。

 手加減はしたのだろうが、かなりの力強さだ。


「お前は賢くはなさそうだが、信頼はできそうだ。だからな、メーロ」


 いきなり近づいてきたかと思うと、ファルコはメーロの耳元で囁いた。


「強くなりたかったら、俺のところへこい。鍛えてやろう。弱者は一生、奪われるだけだぞ」


 ファルコは強引にカテリーナを連れて屋敷を出ていった。ファルコに腕を引かれたカテリーナは、まるで借りてきた猫のようだった。


「……いったい、何なの……」


 全身から力が抜ける。床に座り込んだメーロは、溜息を吐いて頭を抱えた。

 いろんなことがありすぎて、どう頭を整理すればいいのかも分からない。


「……弱者は奪われるだけ、か」


 納得はできない。けれど、その通りなのだろう。

 ファルコがこなければ、メーロはあのままカテリーナに人としての尊厳を奪われていた。

 そのことを知れば、イリスだって傷ついたかもしれない。


 そんなことになれば、イリスとの穏やかで平穏な暮らしはきっと変わってしまう。

 大切なものを奪われてしまう。


「メーロさん! イリス様が帰ってきましたよ」


 ジュリアの視線は窓の外へ向けられている。どうやらイリスが戻ってきたらしい。

 屋敷の扉が開いて、イリスが入ってくる。イリスの顔を見た瞬間、メーロは立ち上がって駆けた。


「イリス様!」

「わっ、メーロ、どうしたの!?」


 いきなり飛びついてきたメーロに困惑しつつも、イリスはそっとメーロの腰に手を回してくれた。


 イリス様も、いろんなものを奪われて生きてきたのかな。

 カテリーナ様に、いろんなものをとられたって言ってたもんね。


「……会いたかったんです」


 権力にもお金にも、たいして興味はない。イリス様と一緒に美味しい物を食べられたら、それだけで私は幸せ。

 だけどそれって、簡単なことじゃないんだ。


 強くなりたい。ううん、強くならなきゃ。

 この幸せを、誰にも奪わせないために。

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