第28話(カテリーナ視点)大嫌いなあの子

 物心がついた時から、わたくしには大嫌いな人がいる。

 血が繋がっていることなんて認めたくないけれど、正真正銘、わたくしの妹。


「……へえ。じゃあ今、あの子は屋敷にいないのね」


 メイドからの報告を聞き、椅子からゆっくりと立ち上がる。目で合図をするだけで、メイドは慌てて部屋の外へ出ていった。

 馬車を手配しに行ったのだろう。長年仕えてくれているメイドだ。いちいち命令しなくたって、カテリーナの要望を理解してくれる。


 イリスは朝からどこかへ出かけたという。どうせまた、ヒーロー気どりで困っている国民を助けにでも行ったのだろう。

 分かりやすい人気とりだ。彼女は国の中枢に身を置くことも、他国の王子や上流貴族の妻となることもできない。

 そんな彼女にできる唯一のこと。とても、王女がするようなことではない。


 それなのに昔からあの子は、いつも背筋を真っ直ぐに伸ばして言うのだ。


『困っている国民を助けるのは、王女として当たり前ですもの』


 なんて綺麗ごとを。

 下賤の女の血を引くくせに、高貴な人間のような顔をする。そんなあの子のことが、小さい頃から大嫌いだ。


 おとなしく自分が卑しい人間だと認めれば、カテリーナも慈悲深く接してやったのに。

 それなのにイリスはどれだけいじめても、大切なものを奪ってみても、カテリーナの前で泣くことはなかった。

 意志の強い瞳で睨み返しながら、口を閉じる。それがイリスの抵抗だ。


 舌打ちし、部屋を出る。そろそろ先程のメイドが、馬車を呼んできているだろうから。





 馬車に乗って向かうのは、イリスが暮らす屋敷だ。イリスを宮殿から追い出したのは、幼い頃のカテリーナである。


『あんな女と一緒の場所に住みたくないわ!』


 そう駄々をこねた。メイドを使って、何度もイリスに嫌がらせをした。

 真冬に冷水を浴びせ、真新しいドレスに泥をかけた。


 ごめんなさい。許して、お姉様。


 一度でもイリスがそう言っていたら、きっと今の関係は変わっていたはずだ。


「……本当、むかつく」


 身の程知らずに気高くあろうとする妹が、鬱陶しくて仕方がない。どれだけ嫌がらせをしても、きつい言葉を浴びせても、あの真っ直ぐな瞳を曇らせることはできなかった。


「でもきっと、今度は違うわ。分かるもの」


 あの子の大切な物は、今まで何度も奪ってきた。

 初めてできた友達。大事にしていたぬいぐるみ。母親の形見だった髪飾り。

 何を奪っても、イリスは泣かなかった。けれどきっと、今度こそ、あの子の泣き顔が見られる。


 ふふ、と笑みがこぼれてくるのをとめられず、カテリーナは馬車の中で笑い続けた。





「イリス様!?」


 屋敷の扉が開くなり、浮かれた声でメーロが叫んだ。しかしカテリーナの姿を見た瞬間、残念そうな顔をする。

 そしてその数秒後には、警戒し始めた。


 あの子に、わたくしの悪口を散々言われたんでしょうね。


「メーロ。わたくし、貴女に会いにきたの。あの子がいないから、落ち着いて話せるでしょう?」


 屋敷に入り、広間のソファーへ腰を下ろす。目が合ったメイドに、紅茶を、と命じた。

 もちろん、拒まれるはずがない。イリスに仕えているとはいえ、雇用主はイリスではないのだから。


 そう。この城にある物の中で、唯一、あの子の物はメーロだけ。


 とんでもないスキルを持っているこの少女は、イリスの従者だという。愛人として囲っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 だが、イリスが彼女を大切にしているのは明らかだ。


「メーロ」


 腕を引いて、強引にメーロをソファーに押し倒す。目を丸くしたメーロの手首は細くて、カテリーナでも簡単に抑え込むことができた。


 スキルはすごいけど、この子自体の力は弱いみたいね。

 それに、こういうことにも慣れてなさそうだわ。


「カテリーナ殿下! なにを……!」


 紅茶を運んできたメイドが、慌ててカップをテーブルに置く。鬱陶しい、と一瞬思ったけれど、利用してやることにした。


 いい証人になるわ。


「貴女はそこで見ていなさい。あとで、あの子にちゃんと伝えるために」


 微笑んで、カテリーナはそっとメーロの頬を撫でた。胸元のリボンを解けば、彼女の不健康なまでに白い肌が露になる。


「あ、あの……なにを……?」

「今から、貴女を抱くの」

「……はい?」


 意味が分からない、という顔でメーロは瞬きを繰り返す。


 貴族社会では、女が女を愛人とするのは一般的だ。カテリーナだってその経験はある。別に、それほど女が好きだというわけではないけれど。


 この子は別に、好みってわけじゃないわ。

 幼すぎるし、身体だって貧相。でも顔は可愛いし、なにより、あの子のお気に入りだもの。


 イリスがメーロへ向けている感情の種類までは分からない。だがなんにせよ、大切なものを汚されれば怒るだろう。あの子は、そういう子だ。


 取り乱すかしら? それとも今度こそ、泣いてもうやめてくれと言うのかしら?


「ま、待ってください、あの、私は……その、イリス様、このこと知らないですよね……?」

「待って、なんて貴女が言えると思うの? イリスだって言えないわよ」


 わたくしの物になって、なんて誘いじゃない。頼みでもない。

 これは命令なのだ。


 この子もイリスも奪われる側の人間で、わたくしは奪う側の人間。

 生まれた時から、そんなことは決まっているの。


「メーロ。今から、貴女はわたくしの物になるのよ」


 小さな唇を奪おうとした瞬間、ガタッ! と大きな音を立てて扉が開いた。


「……イリス? 貴女もそこで見てなさい、今からわたくしが……」

「いい加減にしろ、カテリーナ」


 地を這うような低い声。慌てて顔を上げると、そこに立っていたのはファルコだった。

 褐色の肌に深緑色の髪、鍛え上げられた肉体。二つの王家の血を引く兄。


 なんで? どうして、ファルコお兄様がここに?


 溜息を吐いたファルコが大股で近づいてくる。カテリーナに組み敷かれていたメーロを易々と救助し、荷物のように肩に背負った。


「お前が男なら、俺はお前をぶん殴っていたぞ」

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