第18話 夢物語

「……火事!?」


 騒ぎがどんどん大きくなっていき、街にいた人々が一斉に走り出す。

 人々の逃げる方向を見れば、なんとなく火元の位置は分かった。


 まずい。私も逃げないと……!


 走り出した瞬間、なぜかこの騒ぎの中、逆走している幼女にぶつかってしまった。尻もちをついた幼女に手を差し伸べると、うわあああん! と急に泣き出す。


「えっ!? 痛かった……!? いやでも、ぶつかってきたのはそっちで……」


 たぶん私に非はないと思うんだけど、やっぱり子供相手だと私が悪いのだろうか。


「怪我でもした? それなら、私が運んであげるから」


 イリス様と違って力には自信がないけれど、小さな女の子くらいなら持てると思う。それに、このまま放っておくのも、なんか後味が悪いし。


 そう思って伸ばしたメーロの手を、幼女は拒んだ。


「あたし、おうちにかえるの!」

「え?」


 立ち上がって、幼女が走り出す。なぜか放っておけなくて、メーロはその後を追いかけたのだった。





「ちょ、ちょっと待って! さすがにだめだって!」


 幼女が向かった先は、火元そのものだった。

 5階建ての古びた建物の1階部分が燃えていて、建物全体が煙に包まれている。既に周囲にはほとんど人がいない。


 それでも何人かが泣きそうな顔で建物から離れずにいるのは、幼女と同じように、この中に家族がいるからだろう。


 逃げ遅れた人はそれなりにいるらしく、窓から顔を出している人もいた。


「でも、ママが……!」


 建物の中に入ろうとする幼女の手を必死でとめる。どれだけ泣いて叫ばれても、この手を放すわけにはいかない。


 だってこの子が行ったところで、助けられるわけないし……!


 建物が古いせいか、かなり火の回りは早い。それに確か、煙を吸うと人は具合が悪くなる……と聞いたことがある。

 もしかしたら、この子の母親も室内で意識を失っているかもしれない。


「大丈夫だよ。きっとママ、もうすぐ出てくるから」


 何の根拠もない言葉を口にする。だが実際、この子が母親を助けられる可能性よりは、母親が自力で脱出してくる可能性の方がまだ高いはずだ。


「むりだよ! だってママ、いま、あんまりうごけないもん。だからあたしが、おつかいに行ったんだもん……」


 わあっ! と女の子は泣き出してしまった。

 孤児院にいた頃、幼い子の面倒を見る機会はそれなりにあった。だから、小さい子供は苦手じゃない。


 でも、こんなに泣く子は初めて……。


 孤児院にいた子供たちは、おそらく同年代の子供たちに比べて、ほとんど泣かない子ばかりだったのだと思う。

 泣いたところで誰も助けてはくれないし、場合によっては、うるさい、と殴られていたから。


 ……私も、小さい頃はよく殴られたんだっけ。


 はっきりとは思い出せないほど昔のことなのに、考えただけで身体が強張る。

 近頃は孤児院のことを思い出すことなんて、全然なかったのに。


「どうしよう……。ママ、いまね、お腹に赤ちゃんがいるの。それでね、パパはお仕事がいそがしいから、あたしがママを助けなきゃ、だってあたし、お姉ちゃんだから……」


 大粒の涙をこぼしながら、助けなきゃ、と何度も繰り返す。メーロの手から逃れようと必死に抵抗する彼女を見ていると、なんだか泣きたくなった。


 この子がこんな風に泣けるのはきっと、この子が愛されているから。

 きっとこの子が泣いた時、この子の両親は殴ったりしないんだろう。


 優しく頭を撫でて、泣かないでとそっと抱き締める。だから彼女は、こんな風に思いきり泣けるんだ。


 泣いたってお腹が減るだけだ、なんて、思ったことないんだろうな。


 このままだと、きっとこの子の母親は死ぬ。

 その後、この子はどうなるのだろう。父親と二人で暮らすのだろうか。

 母親を失った彼女は、こんな風に泣き続けられるだろうか。


「ねえ」


 声をかけると、幼女は涙でいっぱいになった綺麗な瞳でメーロを見つめた。


「貴女のお母さん、私が助けてあげる」

「本当!? おねえちゃん、ありがとう!!」


 曇りのない真っ直ぐな眼差しだ。この状況で、こんな風に他人を信じられる彼女が少し羨ましい。


「うん、本当。今の私、お腹いっぱいだから」


 建物の中にいる人間だけを集めて、一か所に……建物の外に集める。

 それができれば、彼女の母親だけでなく、建物内にいる全員を救うことができるだろう。


 頼まれてもいないのに人助けをするなんて、私も変わったな。

 でもまあ、きっと、イリス様だって喜んでくれるよね。

 お花なんかより、ずっと。


  ―――片付けプリーレ


 眩い光が建物全体を包み込む。燃え盛る炎よりも勢いのある光は、泣きたくなるくらい綺麗に見えた。


 そして光に運ばれて、建物内にいた人々が外へやってくる。

 歓喜と称賛の声に包まれながら、メーロはイリスと出会った日のことを思い出していた。


 困っている時に、都合よく誰かが現れて助けてくれる。

 そんなのは夢物語で、現実にはあり得ないと思っていた。


 でもあの日、イリス様が私の前に現れて、私を助けてくれた。


「……だからかな」


 夢物語もあるんだって、誰かに教えてあげたくなったのかもしれない。

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