第10話 「ありがとう」の嬉しさ

「申し訳ございません、メーロ様。……もう、米がなくなってしまいました」


 メーロが5杯目の米を食べ終わった時、村長は心底申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

 もちろん、村長はなにも悪くない。

 おかわりしてもいい、という言葉に甘え、大量に食べたメーロのせいである。


「だ、大丈夫です。私も、そろそろお腹いっぱいですし」


 本当はあと3杯はいけたけど、仕方ない。かなり残念ではあるけど。


「それより、そろそろ私もイリス様のところへ行こうかと……案内してもらえますか?」

「はい、もちろんですよ」





 広場へ向かうと、イリスの前に大量の人だかりができていた。

 話を聞いてもらおうと列に並んでいる者もいれば、王女を見て興奮している村人もいる。


 大勢に囲まれて大変だろうに、イリスは優雅な微笑みを浮かべていた。

 汚れた服は王女らしくないが、それ以外は完璧な王女である。


「メーロ!」


 いきなり名前を呼ばれ、ついびっくりしてしまう。


 こんなに人がいるのに、イリス様ってすぐ私に気づくんだ。


 メーロに駆け寄ってくると、イリスは心配そうな眼差しでメーロの顔を覗き込んだ。あまりにも整った顔が近くにきて、未だに少しどぎまぎしてしまう。


 イリス様って、結構距離が近いよね……。


「体調はどう? 体力を消耗するだけと聞いてはいても、目の前で倒れられると心配だわ」

「す、すいません。ご飯もいただいて、もう大丈夫です」

「そう? この子、やっぱりいっぱい食べたのよね?」


 イリスに問われ、村長は気持ちがいいほどの笑顔で答えた。


「はい! 5杯もお米を召し上がりました」


 晴れやかな村長の表情とは裏腹に、イリスの顔は曇っていく。そして呆れたように溜息を吐くと、ごめんなさいね、と口にした。


「この子、遠慮ってものを本当に知らないみたいなの。後で米を手配するわ」

「そんな! 滅相もありません。お二方にしていただいたことを考えれば、5杯分のお米などたいしたものではありませんから」

「……ありがとう」


 まったく、と呟いたイリスの眼差しは相変わらず優しい。


「メーロ、きなさい。みんな、貴女にもお礼を伝えたいそうよ」

「えっ?」


 顔を上げると、メーロ様! と村人たちに名前を呼ばれた。これほど大勢の人から様付けで呼ばれることなんて初めてだし、そもそも名前を呼ばれること自体に慣れていない。


「おいで」


 イリスに手を引かれ、広場中央へと向かう。四方八方から視線を向けられるのは、あまり居心地がいいものではない。

 それでもその視線に悪意がないことは明白で、なんだかそれが……ものすごく、照れくさい。


「メーロ様、ありがとうございます!」


 集団の中から、とてとて、と小さな歩幅で飛び出してきたのは幼い子どもだった。年齢は5歳くらいだろうか。


「ほんとに、ありがとうございます。たすかりました!」


 たどたどしい言葉で、それでも丁寧にお礼を伝えてくれる。その目はきらきらと輝いていて、見つめられただけで眩しくなった。


「この子の母親、毒で苦しんでいたらしいの。でもさっき薬草を飲んで、無事回復したのよ」


 メーロの耳元でイリスが囁く。幼女は深々と頭を下げ、メーロ様のおかげです! と大声で言った。


「貴女がいなかったら、この子の母親は助からなかったわ。わたくしだけだったら、どうにもならなかった」


 幼女がぎゅっとメーロの手を握り、ありがとうございます、と何度も繰り返す。まるで、何度伝えても足りない、と言っているみたいだ。


「私は、別に……」


 村人たちを助けると決めたのはイリス様で、私はただイリス様の命令に従っただけ。

 それが私の仕事で、そうすれば美味しいご飯が食べられるから。


 なのに。


 胸の奥がぎゅっと締めつけられるような、なんだか泣きたくなるようなこの気持ちはなんなのだろう。


「……ねえ、メーロ」


 目が合うと、イリスはくすっと笑った。


「ありがとうって言われるの、悪くない気分じゃない?」


 ああ、そうか。

 この気持ちは、ありがとう、と言われた嬉しさなんだ。


 生まれてからイリスに出会うまで、役に立たない無能扱いしかされてこなかった。ありがとう、なんて言われたことはなかった。


 だから私も、誰かに「ありがとう」と言われるようなことをしよう、なんて思ったこともなかった。


 でも、イリス様の言う通りかもしれない。


「……はい。なんだか、すっごく嬉しいです」


 しゃがみ込んで、幼女に目線を合わせる。きょとん、と首を傾げた幼女に向かって、私はとびきりの笑顔を浮かべた。


「こっちこそありがとう」

「……え? わたし、なにもしてないよ?」


 意味が分からない、と混乱した表情で幼女は首を傾げる。


「だって私に、ありがとうって言ってくれたから」


 メーロの説明を聞いても、幼女はやはり意味が分からないようだった。

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