第10話 閉ざされた心の奥に
「はあ、はあっ……こっちは……とりあえず安全か……!」
闇オークション会場から離れたラザリス郊外の廃屋。
窓のガラスは割れ、天井の梁はところどころ歪んでいるが、今のオタクミたちにとっては立派な避難場所だった。
「…………ちょっと、降ろしなさいよ」
お姫様抱っこのままのセラが、じと目で睨んでくる。
だが、彼女の腕には痛々しい擦り傷があり、服の肩口が破け、血がにじんでいた。
「いやぁ〜、まさかお姫様抱っこで逃げるとは思わなかったよ。お前、イベント発生率高いな」
不意に、オタクミの腰元から声が響いた。
鞘の中、帯刀状態のゴルドスである。
「うるせぇな……こっちは命がけなんだよ! ていうか、お前途中で変形してくれたら盾に使えたんじゃ……!」
『だって俺、今“抱えられ神”モード中だったし……いや、あれはあれで尊かったからセーフ』
「神ってなんだよもう……!」
セラがわずかに眉をひそめる。
「……それ、誰と喋ってんの?」
「あ、こいつ。鞘に宿ってる変態神・ゴルドス。痛武器にとっての付属ボイス付き特典みたいな存在」
『誰が付録だ!!』
「なんなのよ、その棒は……」
「俺の自己紹介がまだだったな」
オタクミは、軽く深呼吸してセラの前に立った。
「俺の名は、オタクミ・ルミナス!」
「……あんたたち、情報量が多いのよ」
セラは肩を落としながら、壁に寄りかかる。
「んで、君の名前は?」
「……セラ」
その言葉には、かすかに苦味がにじんでいた。
オタクミはそっと彼女に近づき、破れた服を見て表情をしかめる。
「その傷、手当てしよう」
「……自分でやるからいい。」
セラはそう言うと、ずるりと服を脱ぎ始めた。
白い肌に、うっすらと血の筋が走っている。
「えっ、ちょ、待って待って!! 」
「……何よ、急に騒いで」
「俺、言ってなかったか……中身、男なんだよ俺!!」
「…………えっ?」
ゴクリ。
沈黙。
その場に流れる、妙な空気。
「……はぁぁあああああああ!?!?!?!?!?」
「いやあの、誤解しないでほしいんだけど!? 転生の都合でこうなっただけで! 中身は漢の中の漢で!!」
「変態っ!!???」
セラの顔が真っ赤になり、スリッパ(どこから出した)で殴ろうとする。
「落ち着けぇぇぇぇぇ!! 推し以外には興味ねぇぇぇぇ!! ルミナス様しか見えてねぇぇぇぇ!!」
『尊みに性別は関係ないって、そういう意味じゃねえぞ!?』
⸻
どうにか落ち着きを取り戻し、セラも傷の手当てを終える。包帯を巻き終えた彼女は、視線を落としていた。
沈黙が落ち着いた頃、オタクミはあらためて訊ねた。
「なあ、セラ。……さっき、なんで“あんな危ない真似”をしたんだ?」
「……」
問いかけるオタクミに、セラは返事をしない。ただ、痛武器の装飾部分――アクリルチャームを指先で軽く弾いていた。
「さっきの話じゃ、“価値を見極めたい”ってのが動機だったんだろ? でも、それだけじゃ、あんな無茶はしない。お前、あのとき……この剣、守ったよな」
「……あれは」
セラは、口を閉じかけて、何かを飲み込むようにもう一度呼吸する。
そして、静かに話し始めた。
「私の生まれた村は、もう地図にはない。盗賊に襲われて焼かれて、家族は全員、……消えた。まだ小さかった私を拾ったのが、あのバスレオンだった」
「……!(異世界ものでよくあるやつだ!)」
「“食わせてやる”って言われて、それだけでついていった。そしたら、気づいたら“モノを盗む”以外の生き方がなくなってた。拒否すれば、見逃してくれてた恩人の家も……今度は燃やされるって言われて」
彼女の声は平坦で、乾いていた。
けれど、その目は、ずっと震えていた。
「……別に、同情してもらいたいわけじゃない。これが私の選んだ生き方だから。でも、あの剣だけは……」
セラは《タクミ・ブレイザー》を撫でるように見下ろした。
「何か大事なものが詰まってるって、思った。
これを笑ったり、壊したりすることだけは……私にも、できなかった」
「……」
「だから……オークションに出して価値を付けてもらおうと思った。でも値段がついて買われそうになった時、変な衝動が走った。“誰にも渡したくない”って」
その言葉に、オタクミの胸が強く締めつけられた。
(そうか。こいつ……こいつも、“尊み”を感じてたんだ)
「……お前、もう立派な“尊み属性”持ちだな」
「は? なにそれ」
「いいか、セラ。尊みってのは、“誰にも壊させたくない”って気持ちだ。たとえそれが他人から見たらくだらないものであっても、自分の中に価値があるって信じられるもの。それが――推しってやつだよ」
セラは、呆れたように視線を逸らす。
「……やっぱ、変なやつ」
「でも、悪くないだろ?」
「…………」
彼女は返事をしなかった。ただ、ほんの少しだけ頬が赤くなったように見えた。
その時、再び外で爆音が鳴り響いた。
「ッ、奴が来た!」
「早いな……!」
『そろそろ、決めなきゃな。戦うか、逃げるか。』
ゴルドスの声が静かに響いた。
オタクミは深く頷き、セラの前に跪いた。
「セラ。お前がこいつを感じたように、俺も信じてる。
「……」
「力を貸してくれないか。今は返せとは言わない。一時的でもいい。俺と一緒に、この剣で……お前の自由を、取り戻そう」
セラはしばらく黙っていた。
その沈黙が、重くも、澄んでいて――やがて。
「……一度だけ」
「!」
「一度だけ……あんたに預ける。
でも、勘違いしないで。これは、“借り”を返すだけ」
オタクミは、胸の奥でなにかがはじけたような感覚に包まれた。
「ありがとう、セラ」
ゴルドスが鞘の中から口笛を吹く。
『おぉ〜、これは完全に恋のBパート入ってんな』
「違うし!! 」
「……なに独り言で動揺してんの?」
「動揺してないし!! 尊さが過ぎてるだけだし!!!」
セラは呆れたように、そして――少しだけ、柔らかく笑った。
その笑顔は、今までのどの表情よりも自然で、
どこか、心がほどけるようなあたたかさがあった。
セラは《タクミ・ブレイザー》を、オタクミに丁寧に両手で返す。
刀身を握った瞬間、オタクミの中で熱が甦る。
推しの魔法少女――ミスティア・ルミナスのテーマが、脳内で流れ始める。
(いくぞ……! 尊みを守るために!)
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