第八話 -再会-
再会というのは、俺にとって不要なものだと思っていた。というよりも、既に諦めていた。だって、村一つが燃えたんだ。連れ去られた皆が生きているかもしれないなんて、持つだけ無駄な希望だ。
イゥヴェンスと出会った翌日、俺は彼に連れられて、彼とその仲間という人たちで研究を行っている研究室に足を運んだ。
「「「!!」」」
俺と、彼彼女らは硬直した。昨日出会ったコンセィデという男子生徒がそれぞれの紹介を、イゥヴェンスが俺の紹介を互いにするが、その声は殆ど俺の耳をすり抜けていった。だって、彼らは俺の幼馴染。島で幼少期を共に過ごした、エヴェルトとへレアだったのだ。
「シルヴァ……って……」
「いや、無ぇだろ……?」
「俺も驚いてる……」
俺たちの態度と紫色の目を見て何かを察したのか、コンセィデはやや強引にイゥヴェンスを連れて席を外した。
「そうか……少しは生き残ってたんだな……」
「ああ。俺をはじめ、子供は十数人。大人は七人だった。それでも、なんとか俺が島を出る前にはある程度復興してたよ。来年あたりには、島外との交易も再開するんじゃないかな」
「シルヴァはさ……どうして島を出たの?」
へレアは少し不安そうな顔をして、俺にそう訊く。
「大丈夫。復讐とかは考えてないんだ」
俺の言葉に、へレアは安心した様だった。
「ただ、俺たちみたいな人がもう奪われないようにするにはどうすればいいんだろうって、それを探して島を出たんだ。まぁ、実際は日銭を稼いだり、移住した町でのトラブルを解決するのに必死で、そのことに関してはまだ何も分からないんだけどね」
二人はなぜか、驚いたような顔を浮かべた。
「なに? どうかした?」
「……いや、なんつーかさ、お前って、そんな感じだったっけ……?」
「ね、私もなんていうか、違和感」
「もっとなんかこう……正直暗い感じだったろ?」
「……心外だな」
エヴェルトやへレアと過ごしていた時期は、確かに暗い雰囲気があったのは否めない。自分も世界も大嫌いだったからだ。
「ま多少、俺も目的を持って頑張れるくらいには成長したってことだよ」
「そうか……まぁ、あれから二年以上だもんな」
「男子三日合わざれば刮目して見よ。ってとこかな」
「へレアよくそんな古い言葉覚えてるな……」
「まぁね。皆よりテオフラストスと話すこと多かったし」
「魔法、好きだったもんね」
俺がそう言うと、またも二人は驚いた顔を見せる。
「お前が他人の事を覚えてるなんて……」
「いや、ごめんね? 私もそんなこと覚えてると思ってなかった……」
「は、はは……」
どれだけ自分の殻にこもっていたんだあの頃の俺は……! この反応から察するに、島に居たとき二人にめちゃくちゃ気を使わせていたぞ多分……。
「とにかく、お互い生きていて良かった!」
「お、おう」
「そうだね」
こうして、俺たち幼馴染三人は再会を果たした。この二年と少し、これほどうれしかったことは無い。なんだかんだ、俺は皆の事が大事だったんだ。
その夜、俺たち三人はその研究室で、俺に起きたこれまでのこと、二人に起こったこれまでの事を語り合った。
翌日、そのまま研究室で目を覚ました俺の鼻腔に、心地よい紅茶の香りが滑り込んできた。
「起きたかい?」
紅茶を淹れながら微笑ましそうにこちらを振り返ったのはコンセィデだった。
「ああ。それは?」
「あぁ、そこまで高い茶葉じゃないけれど、使い切らないともったいないだろう?」
どこか寂しそうな顔を浮かべながら、貰い物か何なのか、芳醇な香りのする紅茶を人数分淹れてくれていた。
「寝ちゃってたのか……」
すぐそばに目を落とすと、エヴェルトとへレアも、それぞれ仮眠用の寝具やソファに横になって眠っていた。
「最近は進展のないまま、若干徹夜続きだったから、疲弊していたんだろうね。しばらくは起こさないであげよう」
「そっか……」
二人の寝顔には、どこか安心が浮かんでいた。コンセィデは良い奴らしいけど、奴隷の身ということだから、これまで気の休まる時間はあまりなかったのだろう。
「ありがとう」
紅茶を注いだカップを机に並べながら、コンセィデは独り言のようにそう言った。
「何が……?」
「え? あぁ、口に出てたのか……。いやね、うちで教育を受けてから、二人はどうも、僕とは従者の立場を守って会話するようになったんだ。それが、二人が自分自身で居られない環境になってしまっているんじゃないかって、そう思っていてね」
つくづく、エヴェルトとへレアはいい主に恵まれたと思う。少し意味は違うかもしれないけど、怪我の功名というか、そんなやつだ。
「昨日話を聞く限りでは、二人は君に感謝している様子だったよ」
「そ、そうかな……」
「珍しいよ本当。テルミノスに定住するまで、少しの間だったけど港町の様子を見ていたんだ。そこじゃあ、奴隷はずっと奴隷のままみたいだった。希望も持てず、ただ仕打ちを受けるだけの、絶望に満ちた陰った目をよく覚えてる。それに引き換え、コンセィデのところじゃ、詳しくは聞かなかったけど、仕事さえこなせば自由身分をい買い戻せるんだろう?」
「ああ」
「すべてを失って奴隷になったのに、こんなにありがたいことはない。二人ともそう言ってたよ」
「そう……そうか……」
「少なくとも、君は立派な人って語り口だったね」
「ふふ」
「君がありがとうなんて言うなら、それは俺のセリフだよ。二人に良くしてくれて、本当にありがとう」
「僕は、いつか君たちデラン人も、アンセム・マクダフ人も、そしてセムド人も、人種なんて関係ない友達になりたいんだ」
あり得ない事だ。そう断じるのは簡単だろう。それでも、彼の目には確かに強い意志が宿っていた。
「笑うかい?」
「笑わないさ。じゃあ、抜け駆けみたいで二人には悪いけど、俺と君は今この瞬間から、対等な友達だ。よろしく」
少しクサイことを言ったかと思ったが、コンセィデは笑顔で握手を交わしてくれた。
「あぁ、そう。二人には友達になりたいって話、内緒で頼むよ」
「どうして?」
「いつか、自分の口から言いたいんだ。二人が自由身分を買い戻した時、改めて」
「そっか」
それからしばらく、コンセィデと二人の事を話しながら紅茶を楽しんでいたら、イゥヴェンスと彼が犬と呼ぶ少年がやってきたと同時、二人も起床し、イゥヴェンスが持ってきた朝食をみんなでとって、俺たちは研究を始める。
元素理論とは、万物の根源を成す不可欠な究極的要素である元素、この研究室では仮にエレメントと呼んでいるらしいが、それに関するあらゆる理論の事だ。現状、この研究室が掲げている元素は通常、魔法を学ぶ上で前提となる四大元素理論とは違い、五行と呼ばれるセムド人発の元素理論に、陰陽という考え方を融合させた全く新しい物だ。それの正しさは、セムド人由来の技術の中に魔力、即ちエーテルを活用する物があったことで、ひとまず魔法の分野に関してはクリアされたという。
続く課題はその陰陽五行理論を万物。つまりは自然物に対応させ、証明とすることだった。この研究の最終目標は、この陰陽五行理論という元素理論によって、セムドの遺物を構成する物質を解明すること。らしい。それにしてはひどく遠回りだとも思ったが、現状の理論で解明できていない物質を研究するには、元素理論から紐解く方が確実なのだという。
陰陽五行理論という仮説を自然物を通じて証明するために、何をするべきなのか、俺にはイマイチ明確な案が浮かばなかった。
例えば、物質を分解する魔法なんかを作ることが出来れば、ある程度の元素に近づくことは出来るのだろうが、分解の概念をどの程度にするのか、分解した物質の性質、状態をいかにして陰陽五行に対応させるべきか。考えるべきことは山ほどある。
俺が参加し始めたその日も、研究は大して進まず、あーでもないこうでもないと、議論を交わすだけに終わった。
数日の後。その夜。一応体裁として与えられたベッドと小さな机のある収容設備のような部屋で眠りにつこうとした。その時だった。
『汝、我を調伏せし者よ』
どこからか、声が聞こえる。古めかしいその口調は、まるでおとぎ話の登場人物のようだ。
「誰だ?」
『ここだ』
声色から敵意が無いことは分かるが、一向に姿が見えない。
『我は、汝の内に宿りし者』
「内に宿りし……?」
俺の脳裏によぎったのは、あのデカい蜘蛛、レクススパイダークイーンを殺した時、胸に飛び込んで来た黒い光だった。
『そうだ。我はあの時、汝の内に宿ったのだ』
「ということは、君は闇の精霊……なのか?」
『精霊という概念は人間が作り出したに過ぎぬ。我は意志を持つ存在。そう理解すべきだ』
「意思を持つ……幽霊というか、そんな感じなのか」
『左様。思念体という点では、霊魂と差異はない』
精霊は意志を持つ。それは、この学院に来てから学んだ。だが、ここまで流暢に会話ができるという話は聞いたことが無かった。通常の精霊ならば、意志疎通は行えても言葉ではなく、直接的な感情やイメージの共有だという。
『我もこの話し方は気に食わぬが、汝のような人間と対話をする場合、こういった縛りを設けなければならぬのだ』
「縛り?」
『左様。人語を介するとは、精霊にとって特異な権能と言える。之即ち精霊本来の対話と異なる手法を用いるという事。相応の対価を払うが道理。然りて人語を成す対価が口調の制限である』
「いろいろと面倒なんだな」
『左様』
「それで、俺が調伏したということは、君は俺に協力的であると見ていいのか?」
『左様。汝は我にとり、対等かつ主でもある』
「対等なのか? それ」
『我らにとって契約者は主となるが、同時に互いに利を与うる存在なのだ』
「君にとっての利って?」
『我らは人間無くしてはその存在を自然に溶かし、流転するのみ。存在を保つことが、我らにとっての利である』
「なるほどね」
精霊との対話。それは魔法における、無属性以外の属性魔法を行使するための第一歩だという。通常は人間から祭壇を作り、接触を試みることで、何かしらの反応を得るのが対話だ。ただし運が良ければ精霊側から接触を試みて来ることもあるらしい。俺の場合は後者にあたるのだろう。
「それで、君と契約した俺はどんな魔法を使えるようになるんだ?」
『汝が望むあらゆる魔法だ』
「望むあらゆる魔法……?」
もしかしたら俺は、とんでもない精霊と契約してしまったんじゃなかろうか……。通常人間が契約できる精霊は多くても二、三体が限界だ。それも、一つの属性を得意とする精霊を、だ。あらゆるということは、恐らく彼には何でもできるということだろう。つまり、彼と契約することで俺が支払う魔力は通常よりも大量の物になるはず……。
「俺が、支払う魔力の量は……?」
『不要だ。我の司る魔法は万物の持つ生命の力。汝ら人間が魔力と呼ぶそれを、水、土、大気、あらゆる自然から制し、御するのだ』
「それで、俺は何を被るんだ」
『汝が杞憂することは、何もない。ただ一つ言えることがあるのならば、汝が背負うは運命。他の追随を許さぬ程の過酷たる宿命を、汝は得る』
「それを俺が知ることは出来るのか?」
『否。何人も、其れを知り得ることは無い。運命を決める者は傲慢にも、その権能を自らの手で勝ち取った者。其処に至るは尋常ならざる力と意志を得し者。初めから運命に干渉し得るは原初の神々を置いて他に非ず』
「原初の神々……? それっていったい――」
それから、いくら語り掛けても精霊が応えることは無かった。
学院に転入してから数週間が経ち、研究は行き詰ったまま一月が経とうとしていた。季節は晩秋に差し掛かり、やや肌寒い風が吹いていた。
その日、二回生のみを集めた集会が開かれた。学院長ルディオ・ルディウス・インテレクトスは言う。
「来たる翌週。二回生の諸君には、学院では恒例の支援任務へと向かってもらう。支援任務について、知らぬ者も多いだろう。ひとつ説明をしておく。支援任務とは、学院と帝国騎士団の間で交わされている、ある種の職業体験のようなものだ。この学院で魔法を修めた者の多くは帝国騎士団に入団するか、そのまま研究者の道を歩む者が多い。どちらにせよ、自身の身、パーティーメンバーの身を守る手段が必要になる。これを受け、帝国騎士団には鉄火場での心得と技術を伝授してもらうこととなる。代わりに、我が学院からは優秀な生徒に騎士団への興味を持ってもらう機会として、この支援任務が企画された。具体的な内容は、騎士団の抱える様々な業務の内、人手が足りず手が回っていない案件への支援になる。その年によってさまざまな案件に向かうこととなり、難易度は上下するが、今年は騎士団長および皇帝陛下自らの緊急の案件として、ある町での魔物討伐にあたってもらうこととなった。町の名は――」
俺たちのうち、コンセィデとエヴェルト、へレアは予想していたのだろうか。その町の名を聞いた時、顔に汗を浮かべた。
「――メリディエス領、テルミノス」
一歩後ろの俺に顔は見えなかったが、前に居るイゥヴェンスが硬直したのがわかった。
「どうした。イゥヴェンス?」
「いや、まさかな。俺の杞憂だ……」
「そうか……」
深く訊くには、イゥヴェンスにとって俺はそれが許されるほどの立場にない。そう思った。
学院長は支援任務について班分けを行った後、出発の日時以降は各班の手段で町に出向き、騎士団と合流後任務にあたるというような話を続けていたが、俺と犬と呼ばれた彼以外の四人の耳には届いていない様だった。
集会が終わり、会堂のエントランスに班の表が張り出されていた。研究室が同じこともあってか、俺たち六人はひとまず同じ班だった。加えて、初めて見る名前があった。リベリ・インセクトゥム。同学年の女生徒だというが、どんな人物だろうか。
コンセィデと二人はなにか話があるとかで、コンセィデの自室に向かって行った。イゥヴェンスも調子が悪いようで、奴隷で犬の獣人の彼を連れて、すぐに自室に帰っていった。
「暇になっちゃったな……」
俺だけが知らない何かがあるようで、なんだかあまりいい気はしないが、とはいえ秘密にしているということは、それなりに事情があるはずだ。ずけずけと踏み込むのも違う気がする。ので、俺は暇つぶしがてら、帝都に来た本来の目的。商売の方を進めることにした。
島との取引きが先んじてできる為、どれだけ人気になっても俺が使っている小麦の品種は優先的に取引できること、パンと小麦の生産数と売り上げの実績をまとめた書類を持って、最も大きいと云われている商会に足を運んでみた。
「売り上げの実績は申し分ないですが、ブランドとするにはいかんせん品種の育成環境とそのパン生地の発酵という工程が独特ですね……帝都や主要な都市の若者は新しい物に敏感ですが、長く住んでいらっしゃる、所謂私共のお得意様方にウケるかどうかは大きな賭けですね……」
きっちりとしたタキシードに身を包み、高級そうなフレームのメガネをかけた営業担当者は言う。
「一時的なブームは多少見込めるでしょうが、大口の契約は難しいでしょうね」
「そうですか……」
「こちらに個人で店をお出しになるならば、利益の四割ほど頂く形にはなりますが、店舗と倉庫、それに伴う土地をお貸しできますが……」
「それは……どうなんです?」
「立場上あまり言わないほうがいいのですが、正直シルヴァ様の利益はあまり……」
「ですよね……」
「これは提案ですが、冒険者ギルドや酒場などと契約を結び、そちらのパンや麦を卸すというのはいかがでしょうか? 私共のパイプであれば、国営のギルドにもご提案できますよ」
「もちろん紹介手数料はかかりますよね?」
「えぇ。まぁ。ですが現状、シルヴァ様の抱える畑と直売店の売り上げがそれなりの黒字ですので、貯蓄の中から支払える範疇で構いませんよ」
大きな商会だけあって、事務的な仕事なのかと思ったら、案外柔軟に提案をしてくる。おそらくだが柔らかいパンという、もしかしたら生活に根付くかもしれない商品について、なんの唾もつけずに帝都で商売をさせるのは惜しいのだろう。
「わかりました。是非お願いします。畑の規模は帝都での売り上げ次第で広げていくので、麦の生産量が安定し次第、必要であれば新しい契約もこちらを頼らせていただきたいです」
「それはそれは! ありがとうございます。こちらからもよろしくお願い申し上げます!」
ひとまず、冒険者ギルドという国営機関に対してアクションを起こせたのは大きな収穫だ。ただし、油断はできない。ギルドや酒場への紹介手数料を安くしてくれたのは、一見小さいように見えて大きな借りだ。厄介なことに、この類の借りは金では返せない。この天秤商会は大手ではあるが、万が一の窮地にはこちらの事情を度外視して手を貸すことになるかもしれない。取り急ぎ、備えが必要だ。金も食料も、人手も。借りを返せる手数は多いに越したことは無い。
富と地位を手に入れれば、帝国の上層部に食い込むことが出来るかもしれない。一縷の望みをかけて、今できることを着実にするだけだ。
学院の研究室棟の間近にある裏門から帰り、教室棟を右手に見ながら寮に向かう中庭の道で、これからの事を考えながら歩いていた。
「うおっ……」
前に注意を払っていなかった俺も悪いが、突如として胸元に頭巾を被った頭が突き刺さった。
ぶつかって倒れ込んだ女生徒は、夢中になっていた本を抱えたまま、すぐそこに落ちたメガネを探していた。
「すまない。大丈夫だった?」
メガネを拾って渡すと、長い銀色というより白色に近いまつげをパタつかせながら、無限に奥に続いているような赤い瞳がこちらをぼんやり眺める。真面目そうな顔。というか無表情で見つめられると、少しばかり当惑する……。
「えっとぉ……どこかぶつけた? 手貸す?」
「……」
「……?」
「あぁ。転入生か。知らない顔だったからつい。学院外の人かと」
「知らない顔って……この学院に居る生徒全員の顔が分かるわけじゃないでしょ?」
「わかるよ」
「え」
「記憶してる。たしか、イゥヴェンス・テルミノスと一緒に居た?」
「う、うん」
「彼の家来なの?」
「そんな馬鹿な。俺は自由身分。ただの平民だよ」
「そう。私も」
「そうなんだ……」
てっきり王侯貴族ばかりが通う学校だと思っていたが、そうじゃない人も居るのか。
「君、名前は?」
「俺はシルヴァ。姓は無い」
「そう。覚えた。それじゃ」
女生徒は俺の名前を聞くと、それだけ言って立ち去ろうとした。
「ちょっと! 君の名前は!?」
「あぁ。忘れてた。私はリベリ。リベリ・インセクトゥム」
「君が……」
「明日から、よろしくね」
去り際に見せた顔は、口元が少し笑みを帯びていた気がした。風になびいた頭巾を押さえながら、やけに分厚いメガネをかけ直し、彼女は大図書館の方に歩いて行った。
「意外と、表情豊か……?」
残された俺は呑気にそんなことを呟いてみたが、彼女があの分厚いメガネで瞳を、頭巾で髪の毛を隠していることなど、明白だった。テオフラストスが身近にいた俺には分かる。彼女はきっと、セムド人とマクダフ人の混血だ。なぜ彼女が一人で居て、俺たちの班に一人だけ充てられたのか。それはつまり、獣人とデラン人が居る班だからだ。生徒が差別するからか、講師が差別するからかは分からない。しかし、どちらにせよ深く根付いた差別のせいで、この学院の規模でありながら、彼女は独りなのだろう。
さしたる会話もないまま翌日。学院が用意した大きな荷馬車に、旅路分の食料と野営の為の毛布とテントを積み込み、その荷に交じって俺たちが乗る。そうして予定通りの時間に、馬車は出立した。
帝都を発ってしばらくは、整備された街道を往く。揺れもそこそこに心地よく、荷馬車の硬さも敷き詰めたテントや毛布によって緩和され、徐々に眠気を誘い始めていた。冬を間近に控えた秋の空は時期には珍しく雲もなく、荷馬車を通り過ぎるすこし冷たい風が、むしろ心地良かった。
陽が沈みかけた頃。街道の装いが草をむしった砂利道のようになってきた辺りで、俺たちを乗せた馬車は止まった。
「今夜はここで野営だ。この先の山を越えればテルミノスはすぐだが、夜の道は危険だ。騎士団への合流期日にはまだ少しある。松明も惜しい」
馬車を操っていたイゥヴェンスが短くそう言うと、コンセィデをはじめ、俺たちは同意してテントを張る。
見た目とは裏腹に、やや重たい布で作られたテントを張るのには、少しばかり苦労したが、野営前にいい汗をかいたと思えば、別にどうということは無かった。
汗を乾かす冷ややかな夜風を受けながら、焚き木を探してくると、持ってきた干し肉と一般的な硬いパン。そしてエヴェルトが釣ってきたであろう魚を女子二人が塩で味付けし、樹皮を削いで尖らせた枝に刺して火起こしを待っていた。
「わぁ準備万端……」
「焚き木探すのに何十分かけんだシルヴァ」
「すぐ起こすよ」
火を起こそうと火打石と打ち金を取り出した瞬間、頭の中に声が響く。
『そんなもの使わずとも、火を起こすなど造作もないぞ』
どうすればいい?
『全ては汝の想像力次第だが、まず、空気が微細な物質の集合ととらえる。その中の一つ一つに、汝らの言う魔力やエーテルといった、エネルギーを送り込む。それだけで良い』
どういうことなんだ……? エネルギーを送り込んだって、その物質がエネルギーを蓄えて終わりじゃないか?
『汝に言っても分からぬだろうが、エネルギーとは、熱、力学、電気、光、化学、核と様々な形態があり、あらゆる形態が混在し、影響を及ぼし合いながら、一見安定しているように見える。という物だ。即ち、エーテルという形態の直接的なエネルギーを流し込んだ場合、安定は崩れ、新たな状態へと変動しようとする。此度の場合、空気という微細な物質の集合にエネルギーを与え、熱、電気、光、力学的運動を加速させることで、発火させる。という方法である』
何言ってるかわかんねぇえ!!
『よい。言ったとおりに想像してみよ』
まぁ、やってみるか……一応精霊の言うことだし、間違いってことは無いだろう。エネルギーを与えて、蓄えさせるんじゃなく、暴発させるようなイメージ……。
俺がイメージを浮かべながら手をかざすと、パチパチと弾けるような音が二、三度したかと思うと、焚き木は炎を上げ始めた。
「お、おい……いまの……」
「そうだよね……? シルヴァも習ってたの?」
何の話だろうか?
「なんだよそんなとぼけた顔しやがって。エーテル術だろ? いまの」
「そう……なのか?」
「そうだよ。呪文も言わずに火を放ったでしょう?」
「いや、火を放ったというか、勝手に発火したように見えたが……」
イゥヴェンスは当惑した様子でこちらを見ていたが、それ以上は何も言わなかった。コンセィデも少し驚いた様子だったが、二人という前例があったのだろう。特に何も言わなかった。
エヴェルトとへレアは嬉しそうだったが、これがエーテル術だとしたら、それを教える精霊っていったい……?
またもだんまりを決め込まれ、俺は自分でも困惑したまま飯を頬張った。
野営は意外にも平和に過ぎ、明け方まで交代で見張りを置いていたが、結局何かが現れることは無かった。恐らく、眼前に待ち構える山を越えた先、テルミノスまでの丘陵には魔物なんかが居るのだろう。
そんな予想を胸に、野営の設備を片付け、俺たちを乗せた馬車は砂利の街道を進む。徐々に厳しくなる傾斜にエヴェルトが馬の口をとって先導し、俺を含む全員が荷馬車を降りてそれを押して坂道を上がっていく。
峠を越えた眼前では、既に真昼を過ぎた太陽が丘陵に広がる森林の針葉樹を深碧に照らしていた。
魔物との邂逅をほのかに期待していた俺をよそに、荷馬車は坂道を結構な速度で下り、夕焼けが空を覆い尽くしたかという頃、俺たちはテルミノスへとたどり着いた。
テルミノスには、俺たちをはじめとした魔法学院の二回生らが集まりつつあった。合流した帝国騎士団の騎士たちから、町の中心の広場で待機するよう指示を受けそうしていると、やがて支援任務に参加する全ての二回生が揃った。
「魔法学院二回生の皆さん、よくぞ参られた! 御覧の通り、街から少し離れた森林は魔物の巣窟と化してしまった。どうか騎士団の皆さまと協力し、魔物を退けていただきたい! もちろん、我が衛兵たちにも協力を命じた。共にテルミノスを守っていただきたい! よろしく頼む!」
皆の前に出て深々と頭を下げたのは、数か月前俺に魔法学院行きを半ば強制したテルミノス伯、コニウラツィオ・テルミノスだった。意外にも、こういう場面では頭を下げることのできる人物だったらしい。
「帝都から遥々いらしたのだ。まずは、休息を取られるといい」
そう告げ、コニウラツィオ・テルミノスはその場を後にした。テルミノスの衛兵たちと帝国騎士団の騎士たちは広場に用意されたテーブルや椅子に並んだ酒と料理を楽しみ始めた。俺たち生徒には、その宴会じみた食事を共にすることは許されていなかった。
ひとまずイゥヴェンスに連れられて、俺たちはそこそこ良い待遇を受けつつ、宿をとることとなった。
明日はいよいよ支援任務初日だ。命を落とすことは無いだろうが、魔物が相手だ。気を引き締めなければ。そう思いつつ、俺は数分で眠りについた。
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