第七話 -暗殺家業Case1その2-

 論文の発表によって、ここ数日、ペクラトスに貸与された研究室の外に設置されている掲示板には、俺たちへの質問や意見が張られるようになった。もちろん、公表できる範囲での回答を張り出している。

 だが、俺は忘れていない。影の剣としての俺たちの命は、ペクラトスを暗殺することだ。どんな裏が在ろうと、レクス・ハフが同意した命令内容は絶対だ。あるいはペクラトスは、俺たちに見せないだけで本当に国家転覆を目論んでいるのかもしれない。本当の事なんて、俺には分からない。それでいい。俺は剣。帝国の武器であって、そこに個人の意思など必要ない。

 俺にとって大切なのはただ、もう誰にも、俺の宝を奪わせないということだけだ。その為なら、俺は誰であろうと、何であろうと排除する。俺たちの障害になるモンは全部だ。

 論文を発表してから二週間が経とうとしていた。

「祝賀会を兼ねて、俺の茶会に出ないか?」

 ある噂があった。ペクラトスは見込みある生徒を集めた意見交換会を兼ねた茶会を開いているという噂だ。チャンスだと思った。奴の本質が、その場の会話に出るかもしれない。

「そりゃ是非参加したいね。興味がある」

「おい奴隷。この研究室の代表は俺だ。そんなお遊びに顔を出しているほど、俺たちの研究は進んじゃいない」

 相変わらず、テルミノスは俺に突っかかって来る。しかし、コイツの言っていることも、あながち間違いじゃない。俺たちが掲げた研究の題は新解釈元素理論だ。つまり、エーテル学の正当性、セムド人の思想の正当性を証明する一助となる遺物の動力源がわかっただけでは所詮、新たな解釈である陰陽五行図が多少真実味を帯びた程度だ。元素理論の主題である根源的な物質の最小単位体の発見。その足掛かりにさえ程遠い。

「まぁまぁ、いいじゃない。ここのところ寝る間も惜しんで陰陽五行図と四大精霊の相関関係調べてたんだし、少しくらい休息を取ったってバチはあたらないと思うけど?」

「あ? ……あぁ……もう二週間も経ってたのか……」

「テルミノス君、日付感覚おかしくなってるよ……」

 俺やへレアは食事を買い付けに行ったり、仮眠を取ったりしていたが、ことテルミノスに至っては本当に日に十五分の休憩を三度取る程度だった。

「まぁ、そうだな。四大精霊については分類上そう呼ばれているだけで、精霊の個体による系統分けは大体終わったところだ。成果としてはまずまずだが、荒く分けても陰陽五行に対応していることは殆ど確からしいことも、情報は少ないが統計上証明されつつある。……いいだろう。その茶会とやら。参加して来い」

「君は?」

「俺は、寝る」

 そう言うと、ソファに移動し横になった途端、テルミノスはいびきをかき始めた。

「まったく、彼の集中力には驚かされる」

「そうですね」

「へレア。そこの毛布かけてやれ。風邪でもひかれたら敵わねぇ」

「うん」

 かくして、俺たちは翌日、ペクラトスの茶会とやらに顔を出すことになった。


 コンセィデが行った事前の情報収集によれば、参加者は皆手土産を持っていくらしい。近場の物であるが、焼き菓子と少し良い茶葉を用意して、俺たちは教師棟のペクラトスの私室へと向かっていた。

「さて、皆揃ったところで、はじめようか。定例の茶会を」

 俺たちを含めた十数名の生徒が着席すると、誕生席に座っていたペクラトスが茶会の開始の宣言をした。

 一時間ほどか、生徒たちは皆自身らの研究内容や過去の仮説などについて話し合っていた。その中の一人。美しい長髪を三つ編みに束ねた男がペクラトスに話しかけていた。

「時に先生。例えばそう、帝国の流布する歴史や神話が間違い、いや、カバーストーリーだったとして、それを暴くことは正しいだろうか?」

「ファスティディオム・テルミノス君だね。闇のクラスでは君に匹敵する優秀者はいない。質問への回答だが、正義か、という問いは、私には計りかねる。しかし、カバーストーリーの中には帝国の思惑が、真実にはそれを打ち砕くことのできる力がある。要するに、利用することは出来るだろうという話だ。良し悪しはあるだろうが、世を壊し、時代を動かす一つの方法だ。あぁ、皆にも言っておくが、くれぐれもここでの会話は内密にな」

 コンセィデはその話を聞いて、少し考え事をしている様だった。

「ではペクラトス。たとえば今の世で、最も根深く稚拙で醜い物が差別だとして、俺たちデラン人は、どうすればこの帝国でアンセム・マクダフ人に媚び諂わずに生きていける」

 俺は、あの目が嫌いだ。デラン人というだけで、この紫色の瞳を見るだけで、いったいどんな善人でも無意識であったとしても見下し、憐み、蔑む。この世はそうできている。その構造を変えるには、どうしたらいい?

「そうだな。俺もデラン人だ。エヴェルト。君もそうだろう。差別について、俺たちはそこいらのぼんやり生きているアンセム・マクダフ人より深く考えて生きることを強いられてきた。この学院は、差別なく門徒を募っているが、その実態は教職であってもデラン人や亜人を忌避する差別の温床だ。こんなことは始めて話すが、俺はいつの日か、この世から差別を無くしたい。その為には、先程の話にもつながるが、今の社会構造そのものを破壊する必要がある。支配者となるものはどんな形であれ、それに足る力を持つ者だ。デラン人が支配者に回ったところで、その力を行使するころには、今度はデラン人が他人種を差別し始めるだろう。富の格差はさておいても、差別という文化、いや人間の排他的な本質が変わらない限り、差別は無くなりはしない。だからせめて、俺たちだけは俺たち自身を誇るしかない。生き様を気高く保たなくてはならないんだ」

 掲げた理想を周りが潰さなければ、そういう生き方もできるんだろう。だが、現実はそうじゃない。人間は他人に対してひどく冷酷で、敵と見なせば徹底してすべてを奪う。理不尽なまでのその真理は、俺の中で揺るぐことは無いだろう。

 様々な学術的、あるいは個人的会話と茶を楽しみつくしたところで、陽が沈んだ。帝都の学院敷地内とはいえ、何者が現れるかわからない。生徒の大事を取って、茶会はお開きとなった。


 茶器食器を片付けながら、俺たちは生徒たちが全員立ち去るタイミングを待った。私室には、ペクラトスと俺たち三人だけだ。

「で、なんだ? 話があるんだろう? ハフ君」

「ええ」

「嫌に察しがいいな。ペクラトス」

「なに、テルミノス君の兄との話から、ハフ君の様子はどこか物思いに耽っている風だったからな」

「そうかよ」

 沈黙が覆い尽くすペクラトスの私室で、俺たちは短剣を忍ばせた懐に手を入れて立つ。

「先生。ます、あなたには感謝しています。研究の事。そのうえで、1つ訊かせてください」

「ああ」

「クインクェレーニアとは、どのような契約を?」

「なんだ。そんなとこまで知られているのか……」

「答えろ」

「契約ではなく利害の一致による一時的な共闘だ。言っただろう。差別を、この仕組みをぶち壊すには、帝国を滅ぼす以外にない」

「この国に住む人が憎いんですか」

「いいや? いや。憎くはない。憎くはないがしかし、彼らは愚かだ」

「?」

「いや。彼らではないな。人間は総じて愚かだ。それは切り離すことは出来ない。なればこそ、導き手が要るのだ」

「それがアンタか?」

「いいや? 私は駒に過ぎない。導くのは――神だ」

 オーディン神に代表されるアースの神々は、人間を作った。人間が愚かというのには賛成だ。だが、力ある神が作り出したにしては、あまりに粗末だ。

「愚かな人間しか作れなかった神なんかに、導かれてたまるか」

「わかっていないなエヴェルト。アース教の神々など、一種族に過ぎない」

「……どういうことです」

「あらゆる世界、あらゆる種族を創造した神がいる。その名はアウズフムラ。魂の力を研究するうち、セムド人が真に讃えていたのは自然をはじめとすこの世界ではない。その先に居る、創造主だ」

「それが、そのなんとかって神なのかよ」

「アウズフムラ。アース教では初めの巨人ユミルがその乳を飲み生長られたとされる、大牛の姿をした神。エーテルとはつまり、魂、もっと言えば命の力だ。生命の力はつまり、何かを生み出す力。彼らはその根源たるアウズフムラこそを信奉していたのだ」

「それで、その神様が私たちをいちいち相手してくれるっていう保証は?」

「ない。だがそれは問題ではない。大切なのは、導きを得る以前に、土台としてこの粗末な世を修復不可能になるまで破壊することだ」

「先生。僕は、あなたを尊敬しはじめていた。それが……それがどうして、国家転覆なんて……!」

「君には分からないさ。そっちの二人ならわかるだろう? 俺の……全てを阻まれてきた俺の憎しみが! どれだけ、他の追随を許さない頭脳や才能があろうと、結局、学会も帝国も、俺たちセムド人には何も与えてくれはしない! それどころか、全て奪い、利用し、死なない程度に飼いならそうとする! 許せるものか……っ!」

 躊躇うコンセィデを尻目に、俺は剣を抜く。

「エヴェルト。まってくれ……」

「いいや。コンセィデ。それは無理だ。俺はこいつを殺す」

「分からないのか! 主人として命じているんだ」

 制止を無視し、俺はペクラトスに歩み寄る。奴は息一つ乱さずに、こちらを見据えている。

「やるなら、一撃で頼む」

「ああ」

「こんなのって……こんなのってないだろ! どうして同じ苦しみを持つ君たちがこんな……」

 俺が構えた短剣の切っ先は、ペクラトスの喉元に狙いを定めている。あとは、俺が間合いを詰め、そのまま切り裂けば、終わる。この学生ごっこが。

「させない」

 そう呟いたコンセィデは、敵に向けるような暗殺の歩法で俺に接近し、そのまま短剣を奪い取った。

「なにしやがんだよ」

「だめだ。君がペクラトスを殺すことを、僕は許可しない」

「いいや違うぞハフ君。彼こそ、俺を殺すのにふさわしい。せめて、同族に殺されたい」

「あの、いいですか?」

 口を開いたのは、へレアだった。

「殺す必要、あります?」

「何言ってんだ。コイツは、コイツみたいなのが、勝手な理想で理不尽な暴力を振りまくんだ。島を焼いたクソ野郎どもと同じだ!」

「エヴェルト。この人とあの人たちは違うよ」

「違くなんかねぇ! 大層な事言っちゃいるが、結局は支配される側が嫌だから全部壊しますって、ガキのダダじゃねぇか! 俺はもう御免だ。あんな想い、もう誰にもっ!」

「エヴェルト。おねがい。私は、あなたが無抵抗な人を殺すところなんか、もう見たくない」

「!!」

 振り返れば、あの船の上で俺が殺した戦士の顔があった。いや、よく似たペクラトスだ。

「二人とももういい。父上からの指令は絶対だ。これは、僕がやらなきゃいけないことなんだ」

 コンセィデは俺から奪った短剣を握り直すと、ペクラトスと相対する。

「いいのか? それじゃあまるで、皇帝の犬だ」

「違うさ先生。これは僕の意志。僕の剣だ。この国に居る多くの罪なき民の為、その平和のために、僕があなたを殺す」

「それが、犠牲の上に危うい平和であってもか」

「だから破壊するというのは、この平和を作った犠牲と、先人に対する侮辱だ」

「そうか。そうだな。先人に敬意を。教えたのは俺だったか」

「これは、僕がやりたいからやることです」

「そうか」

「さようなら。先生」

 的確だった。コンセィデの一撃はいとも簡単にペクラトスの喉を裂き、絨毯が噴出した血の色に染められていく。

「帰ろう。二人とも」

 部屋を後にするコンセィデの瞳には、確かに何かを喪失したがらんどうが映っていた。


 翌日から数週間にわたって、コンセィデは寝込んだ。なめるように水を摂取しては、眠り、目が覚めれば何も入っていない胃液を口から吐き出す。そんな風に過ごしていた。

 一月が経とうとしていた。様子のおかしなコンセィデに対して、奴なりの心配なんだろうが、テルミノスは使えないヤツだとか、この程度だったかとか、そんなこととぶつくさと言っていた。

 やや元気はないものの、コンセィデと俺、そしてへレアは研究に復帰することになった。

 テルミノスを筆頭とした俺たちの研究は、行き詰っていた。陰陽五行図はおおよそ正しいらしかったが、精霊という存在自体の個性があり過ぎるのだ。属性への割り当ては、木の陰陽、火の陰陽、土の陰陽、金の陰陽、水の陰陽と、十の区分に分けられたのだが、例えば木の陰陽という一角をとっても木・光・闇の三つの要素のバランスによって、グラデーションが存在するのだ。これにより、大雑把な分類は出来るが、明確に精霊の属性を単一の言葉で表すには、微細であれその差異が多様過ぎる。

 ただし、元素理論研究に関しては、これは大きな成果と言えた。分類が分かれば、それを成す根幹が分かる。根幹がわかれば、それぞれの要素の詳細が分かる。それがわかれば、本当の元素理論を構築することが出来る。というように、道筋が生まれたのだ。

 行き詰っている理由はひとえに、俺たちの考える元素という概念が物質的過ぎる事なのだろうが、魔法に関する理論として、魔力。即ちエーテルという生命エネルギーを利用していた歴史が確認された以上、エーテル学により深い元素への手掛かりがあるはずだった。だが、俺たちはまだ学生であり、ペクラトスが死去したことで個人的に貸与されていた研究設備が使用できなくなったこと。そして、遺跡への遠征許可が下りない事が、より研究を行き詰らせていた。

 ろくな研究成果もないまま、更に数か月が経ち、俺たちは魔法学院において二回生になった。初任務の報酬は、奴隷の身からの解放の為の担保がほとんどを占め、手元には10オンス金貨一枚ほども残らなかった。だが、担保に回した金額を確かめた結果、影の剣としての命を全うしさえすれば、案外早く奴隷の身からの解放が見込めそうだった。


 学院長、ルディオ・ルディウス・インテレクトス。その人を目にするのはほとんど、年度末と年度初めに行われる集会のみだ。

「今年も、また新たな年が始まろうとしている。研究というものは、一朝一夕で結果が得られるものではない。しかし、積み重ねた少しの進捗がやがて大きな結果となって君たちを祝福するだろう。二回生以上の諸君は、より一層研鑽を積み、経験と知識によって、研究を進めてもらいたい。一回生の諸君。諸君らはこの学院に入って間もないが、この学院では機会は望む者すべてに与えられる。どのような身分、出自であったとしても、ここでは知恵と発見は制限されない。勝ち負けではないが、是非二回生以上の生徒に憧れることなく、それを越えんと邁進してほしい。私からは以上だ」

 存外にも短い挨拶の後、学院での生活における諸注意や、今年度から新たに就任した講師の紹介、その他の諸々の説明がなされ、生徒たちは解散していく。

 集会の後、俺たちはコンセィデの私室に呼び出された。

「父上からの指令だ。次の標的は、メリディエス領テルミノス伯、コニウラツィオ・テルミノス。僕らが知っているテルミノスの、父君だ」

「……そうか」

「ちょっと、そうかって……いったいどうして……?」

「今回の罪状は明白だ。魔物の使役による、帝国への反逆罪。知っての通り、魔物の調伏は法律で禁止されている。加えて、彼の私室から見つかったとされる書類には、不完全燃焼した羊皮紙だったが、筆記法を使った生贄による魔物の召喚術式が見つかっている。流石に言い逃れできるものではない」

「でも、状況証拠だけですよね……」

「誰かが魔物の召喚術式を忍び込ませたって? 何のために」

「それは……」

「あまり言いたくはないけれど、テルミノスは辺境の田舎町だよ。その領主を貶めても、大した成果にはならない。理性的に考えれば、単純にコニウラツィオ・テルミノスが魔物の調伏の為に研究した。もしありえたとしても、何者かから術式を得て魔物を召喚している。というのが自然だろう」

「……」

 あのテルミノスの親父だ。根っからの悪人とは思えない。へレアの気持ちはわかる。だが、証拠隠滅を図った痕跡さえある召喚術式が見つかったんだ。決定的だ。どこの誰にも、これを覆すことは出来ないだろう。

「それで? どういう名目で、俺たちはテルミノスへ向かうんだ?」

「それが、父上の書簡には機会は用意するとしか……」

「用意するってどういうことでしょう……?」

「さぁな。ただ、あの親父殿がそう言うには、つまりわかりやすいモンではあるだろうよ」

「僕もそう思う。とりあえず、二回生になったことだし、元素研究という隠れ蓑もある。ある程度自由に動けることだし、ひとまずはテルミノスの情報収集でもしながら、普通に学生生活を送っていればいいと思おうよ」

「そうさせてもらう」

「わかりました」

 翌日から、これまで通りの元素理論の研究を再開した。が、俺たちはテルミノスに対して、すこしよそよそしかったかもしれない。だからだろう。テルミノスは数日の後、新たに別の講師の支援で貸与された研究室に顔を出さなくなった。

 テルミノスが研究室に姿を見せなくなって一週間が経とうとしていた。俺たちの耳には、とある噂が入り込む。

「聞いたか?」

「なにを?」

「コンセィデ、お前は知ってるだろ?」

「もしかして、転入生の話かな……?」

「さすが」

「え、この学費の冗談みたいに高い学院に転入生!?」

「しかも元々は商人だったらしい。そいつが貴族に認められたうえに、その支援を受けて転入してくるって話だ」

「えぇ……す、すごい天才なのかも……」

「まぁ、ない話ではないね。ただ……」

 珍しくしかめっ面を浮かべて、コンセィデは思案していた。

「ただ?」

「その貴族っていうのが、テルミノスなんだ」

「!?」

 へレアはハトが豆鉄砲を食らったような顔をして硬直した。

「なんだ、コンセィデもそこまで知ってたのか」

「まぁね。噂話は結構重要な情報源になるから……」

 さすが、我らが主サマだ。耳が早く、おそらくこれを親父殿の言う機会なのかどうかを考えているのだろう。

「まぁ、機会はもう少しわかりやすいはずだよ。たぶん直接的に僕たちがテルミノスに遠征できるようなものだと予想してるんだけど……」

「俺も同感だ」

 それにしても、その転入生。ただの商人がテルミノスの奴の従者という立ち位置になるとはいえ、なぜ学院に転入なんか。テルミノスの親父が用意した? だとして何のために? いや、考え過ぎだな。単なるテルミノスへの監視だろう。兄貴と違って、アイツは優秀だが柔軟さに欠ける。

 テルミノスの兄貴。ファスティディオム・テルミノス。ペクラトスの茶会で見かけた奴には、底知れない何かを感じた。腹の底の見えなさと言うべきか、決定的に他人に見せない何かを抱えた奴の目だ。デレレ島で過ごした、シルヴァという幼馴染によく似た目をしていた。ああいう目をした奴は、それを照らし出せる誰かが傍に居て、暗い道に突き進むのを止めてやらないといけない。そういう、脆い希望を抱く少年のように澄んだ、しかしどこか影のある目。奴の兄貴のことは良く知らないが、ああいう手合は何をしでかすかわからない。特に一人でいる時だ。

 まぁ、奴の兄貴なんか俺には関係のないことだ。やるべきことは奴らの親父を殺すこと。それだけだ。深く考えるな。情を持つな。すべてはへレアの自由身分と、コンセィデの立場を守る為だ。その為なら、どんな殺しもやってやる。たとえコンセィデ自身に止められようとも。

 俺にとって大切なのは、もうこの二人だけなのだから。


 翌日、久方ぶりにテルミノスが研究室に現れた。

「どうしたよ。腹でも壊したか?」

「……」

「なんだよ……」

 久しぶりに顔を見せたと思ったら、テルミノスにはいつもの嫌味な態度や貴族たる気迫が無かった。

「テルミノス、どうかしたのかい?」

「あぁ。すまない。個人的なことだ」

「もし、話すことで少しでも楽になるなら、話してください」

「へレア……だったか。恥ずべき話だ。誰にも言わないと約束してくれ」

「めずらしいな。お前が俺たち奴隷にそんなこと」

「とてもいつも通りに振舞える自体じゃないのだ……」

「そ、そうかよ……」

 研究室のソファに座ると、いつもの横柄な座り方からして、二分の一ほどの大きさに見えるテルミノスは、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「実はな、今俺の一族の領地テルミノスでは、人攫いが起きているらしいんだ。それも、普通の比じゃない頻度でだ」

「それで、領地の危機にこんなところで研究してるのがもどかしいって話か?」

「いや。人攫いの原因とされた魔物は討伐されたらしい」

「じゃあどうして……?」

「いや、ここからは俺の予感というか、ただの思い込みだろうが、一介の魔物ごときが、衛兵の目をかいくぐって長期間、大勢の人を攫えるだろうか? とな」

「そりゃあ、まぁ確かに」

「報告では、ひどく端的に書かれていたが、魔物の出る森に数名の足跡があったらしい。もし、人の介入があった上で、討伐されたという魔物を利用することで起きていた人攫いなら、まだ解決には至っていないんじゃないだろうか……」

 テルミノスの考えは真っ当だ。人の痕跡があったということなら、間違いなく討伐された魔物となにかしらの繋がりがあると見ていいだろう。だが、その目的が分からない以上、魔物が討伐された後のことは、実際に何かが起きるまでは杞憂に過ぎない。

「俺は杞憂だと思うぜ。まぁ、警戒するに越したことは無いとも思うが」

「杞憂であってくれれば、いいんだがな」

「冬の休暇にでも、確かめに行ってみたらいいんじゃないか? 故郷なんだし」

「……それもそうだな。そうする。すまないが、冬の休暇は研究に協力できない。お前たちでできることだけやっていてくれると助かる」

「もし、何かあったら書簡でも寄こして俺たちを呼べよ。確かテルミノスは相当区内だろ。代表のお前に何かあったら、研究が進めずらくなる」

「……そうだな。礼を言う」

 俺はてっきり、発言に噛みついてくるものだと踏んでいたから、そのしおらしい返答に、すこし腹が立った。

 とにかく、テルミノスは冬期休暇に帰郷することが決まった。

 そして、その夜。

「転入生に会ったよ」

 寮の部屋に帰ってきたコンセィデは、俺にそう言った。

「どんな奴だった?」

「ん~……。なんというか、不思議な雰囲気があったよ。年は僕らとそう変わらないのに、目つきが嫌に大人びてたかな。何かを、諦めてるみたいな」

「へぇ……」

 そう言う目にはおぼえがあるが、まぁ他人の空似だろう。現にテルミノスの兄貴もそんな感じの雰囲気だったことだし。だが、万が一もある。念のため名前くらいは聞いておくか。

「で、なんて名だった?」

「あぁ名前は――」

 その名を聞いた俺は、言い様の無いざわめきを抱いて、若干の吐き気さえ催した。

「――シルヴァって言ってたよ」

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