第二話 -別の道-
殴られるような勢いで浴びせられた塩水に口と鼻をふさがれ、たまらず目を覚ました。耳に聞こえるのは、波の音。袖で塩水をふき取った目に見えるのは、甲板を航行と照らす太陽と、澄み渡った空。昨日見た軍船の上に、俺たちは居た。村の子供たちは、船内の檻に居るらしい。お前たちには見込みがある。なんてことを、船員の誰かが言ってきた。
少しして、その足音で誰が近づいて来たかわかった。鉄板がすれる音。フルアーマーの男。ノンファーチェスだ。
「目が覚めたか。相当強く殴られたようだな。ガキ共」
その言葉に牢屋の中を見ると、幼馴染のへレアが居た。しかし、もう一人の仲間、シルヴァの姿は無かった。
「ここはどこだ! シルヴァをどうした!?」
「そう焦るなよ。まずはこっちからお前たちに言わなきゃならんことがある」
「?」
「すまなかった。交渉において難色を示した場合、村を接収せよとの命令があった。もちろん、俺はそれを実行する気は無かった。しかし、部下の一人が俺の命令を無視しやがった。結果、お前たちの村を壊滅させてしまった。この通り。すまなかった」
ノンファーチェスは深々と頭を下げて見せる。しかしその姿が、余計に俺を激昂させた。
「部下の監督不行き届きで、長がすみませんでしただけじゃねぇだろうな」
「もちろん。ここに謝意を用意した」
そう言ってノンファーチェスは、五つほどの血で汚れたズタ袋を俺たちの眼前に置くと、一つ一つ蹴って中身を外へ転がした。
「村を襲った奴らの首だ」
苦悶に歪んだ表情の男の首が、それぞれ五つ転がっていた。
「これで、手打ちにしろとでも? こんなもんで!?」
「わめくなガキが。安心しろ。首謀者は生かしてある。お前らにくれてやるよ。好きにするといい」
「アンタが村を襲えと命令したんじゃねーんだな?」
「あぁ。我が祖に誓って、そんな命令は下していない」
「わかった。まず、謝罪をするのに檻の中ってのはどうなんだ?」
「はぁ、ガキはめんどくせぇな。ここは俺の船で、軍船。俺たちは皇帝陛下の所有物であり財産の一部だ。おめぇらの何人かは一人殺ってんだろ。即処刑されないだけありがたく思うって当たり前の節度をわきまえてねぇのか?」
「村1つ消されてわきまえろもくそもあるかよ」
「そうかい。まぁ、残念だがその檻から出すことは出来ない。代わりに、お前らの武器と襲撃の首謀者を放り込んでおいてやる。すきにしろ。これでも俺は忙しいんだ」
そう言うと、ノンファーチェスは大きなあくびをして船室へと戻っていった。
しばらくして、本当に武器と首謀者が放り込まれたのには驚いた。
「エヴェルト、やめよう? この人もうかなり痛めつけられてるよ」
「これはけじめだ。俺はやる。やりたくなけりゃ、隅で後向いてな」
俺はへレアの言葉を無視して、丸腰のまま放り込まれてきた、意識も朦朧としている首謀者の男に向かって剣を抜いた。いつも使っていたものと同じ、狩猟用の剣だ。
手入れは怠っていなかった。刃こぼれ一つ無い刀身は、男の左太ももを貫く。
「ぐあぁぁああっ!!」
男の上げる悲鳴が、村を包んだあれと重なって、俺は更に憤慨した。
「声を上げるなよ。そんな権利、お前にはねぇんだから。次は右だ」
男の顔面には恐怖よりも恨みが浮かんでいた。俺はそれを無視して、もう一度剣を突き立てる。
「ッッッッ!!!」
「へぇ、意外だな。やればできんじゃん」
「次、腕。いや。これで行くか」
男は目だけで抵抗の意志を見せながらも、死にたくない気持ちが優先されるのか、素直に腕を出す。
俺はその腕の前腕から先、中指と薬指の間に剣を突き立て、そのまま肘まで裂いた。
「ッッッ~~~!!!!」
「戦士ってのは強いんだな。じゃあ次、右腕ね」
「……てやる」
「あ? なんだってぇ??」
「クソガキが! 絶対殺してやるからなァ!!アァァァアアアアアアッッ!!」
聞き終わる前に右腕にも同じ処理をした。愉快な声を出して、血をまき散らしながらのたうち回る男を、上から踏みつける。
「痛そうだからもういいか。解放してやるよ」
「!? や、やめっ――」
俺は男の首を刎ねた。一瞬だけスッキリしたが、特に、村を失ったこと、これからの事がどうにかなったわけじゃない。それでも不思議と、穏やかな気持ちになった。
「へレア。もういいぞ。死体も回収されて海に放り投げられたよ」
「そう……。あの人、最後やめてって……」
「そう言う言葉を無視して、俺たちの村を焼き払い、皆を殺したんだ。同じことをされて当然だろ」
「そう……だよね……」
それから、大きな港に着くまで、俺とへレアはあまり会話をしなくなった。
アンセメルド大陸東。オリエンス領の商業都市クウィンプ。その裏通りの路地を進んだ奥に闇市がある。数々の臓器屋や人肉屋、魔物肉の店や骨董品店を横目に、最奥、奴隷市場へと向かった。
俺たちは、奴隷として売られる。村の子供たちは皆散り散りになって、好事家や変態に買われていくことだろう。俺とへレアは、特別扱いらしい。そんなことを、ウミリスと名乗った肥えた奴隷商とノンファーチェスが話していた。
牛舎にも似た建物の中には、いくつもの檻が並び、そして積まれている。なかには鎖で天井からつるされているものもある。
奴隷といえども商品。身だしなみを整えられ、病気の有無まで検査された。小汚い服を着るのだから、身だしなみもくそもない。そう思ったが、口にすれば折檻を受けることは目に見えている。
俺とへレアは部屋を充てがわれ、互いに割と住みよい環境で数日間を過ごすことになった。その間も、へレアが口を開くことは無かった。何かを考えては、独り言をぶつぶつと呪文のように唱えるばかりだ。精神的に、相当疲弊しているんだろう。わからなくはない。俺もそうだ。狩猟班に居たはずなのに、血は見慣れているのに、それなのに、あの男の恨みの籠った目が、毎晩夢に出る。
数日後、俺たちの部屋にウミリスに連れられた、背が高く身なりの良い男が訪れた。
「私の名はレクス・ハフ。このアンセメルド大陸の南。アクイロ領の領主を務める。ハフ家の当主である。買い取りの契約は済ませた。この愚息が、貴様らの主となる」
そう言うと、男の影から少年が顔を出し、そしてすぐにひっこめた。男は眼光を鋭くすると、ウミリスに目くばせをする。
ウミリスは紫色の液体を小瓶から調色皿のような小さな器に注ぐと、そこに針を持ち出して、俺たちの指先に深く差した。
「何すんだ!」
「奴隷紋を描くだけだ。魔法契約は魂に干渉する。肉体の一部を使わねばならない。指ごと切っても良かったが、コンセィデ様のご厚意だ。血だけで勘弁してやるんだ。ありがたく思え」
ウミリスは俺たちの指先を強く握り、血を絞り出す。血が混ざった紫色の液体は、黒く変色していく。
「さぁ、コンセィデ様。こちらに」
ウミリスは一本の筆を少年に手渡す。少年は何かメモ帳のようなものを見ながら、丁寧に、恐る恐る、俺とへレアの背中に文様を描く。
ヒリヒリと火傷のような痛みを感じるが、耐えられない程ではない。
「いまこの瞬間を持って、この愚息が貴様らの主だ。奴隷とは即ち所有者の財産。貴様らが勝手に死ぬことは許されない。もっとも。仮に死ぬようなことがあれば、それは全てこの愚息の不始末ということだがな。くれぐれも、我が家に使えるうちは死んでくれるなよ」
冷たい声色でそう言うと、レクス・ハフはしゃがみこみ、息子であるコンセィデに目を合わせる。
「いつまでも隠れ潜むな。跡取りであるお前が、この者たちを導く存在となって見せよ。これはお前への試練でもあるのだ」
「父上……ですがこの者達は……」
「デラン人だ。差別され、土地を追われた者たちだと聞く。不満か?」
「いえ……」
「同情など不要だ。デラン人だからではない。お前の味方は、お前しかいないからだ。非情になれ。これから先、我が家督を継ぐのだ。お前もそうならねばならない」
「はい……」
「自分の奴隷にまで無様を晒すような真似をするな。お前の魂が穢れる。ハフ家の長子たる者、気高くあらんと心得ろ。真なる王は民草を手足のごとく操り、国と時代を1つの生き物のように操る。お前もそうなるのだ」
「……はい」
レクス・ハフは立ち上がると、踵を返す。
「私は首都グウィフに用がある。貴様らは愚息の馬車に同乗しろ」
言い残すと、レクス・ハフは建物を出て重厚な黒い馬車に乗り込み、去っていった。自信なさげな息子、コンセィデに付いて、似たような馬車に乗り込むと、ほかの商品たちに見送られながら、俺たちはアクイロ領、ハフパトリエへと向かって歩みを進め始める。アンセメルド大陸の南半分を縦断する旅路だ。
商業都市クウィンプを出ると、整備された街道を往く。十字に別れた街道の南へと進んで行くと、山々を右手に眺めながら、風景は森林へと変わっていく。
石畳の街道が砂利道に変わったあたりで、ハフパトリエが商業取引の場としてあまり栄えていないことを予想しながら、それでもぽつりぽつりと点在する村に足を止め、宿泊を繰り返して旅は続く。
初めこそ置かれた状況に怒りさえ覚えていた俺だったが、アクイロ領に入ったあたりの村の宿場では、俺たちとコンセィデは割と打ち解け始めていた。
「それにしても、二人ともすごかったね」
「?」
「いや、野営の時さ、魔物を相手にしていたろう?」
「実際に見るのは初めてだったけど、まぁ。俺はもともと狩猟が得意だからな。得物の扱いには慣れてるし、へレアは魔法が使えるからな」
「それでも怖気ずに魔物と対峙できるのが、すごいんじゃないか」
「そうかな。そうかも」
この頃になると、へレアも以前の明るさをある程度取り戻していた。なにより、コンセィデの顔が良いこともあって、すこし浮ついている節もある。それくらい、故郷で起きたことを昔の話にできるようになってきたっていうことだ。
「僕はだめだな」
「急になんだよ」
「いや、魔物が現れたとき、脚が竦んで動けなかった」
「コンセィデは何が得意なの?」
「え?」
「たしかに、苦手を乗り越えることも大事だろうけど、別に戦うことだけが全てじゃないし、得意なことや好きなことがあったら、それを伸ばしていくのが、成長するってことなんじゃないかな?」
「そうかな……」
「あーめんどくせえな! うだうだ悩むなよ。俺の故郷にもさ、悩んでぐるぐる同じとこ回ってるような奴が居たんだよ。幼馴染で、俺たちはよくソイツを心配してた」
「それは……」
伏し目がちに伺うような視線で、コンセィデは気まずそうにした。
「ああ。死んでるかもな。でも、なんだかお前見てると思い出すよ。だから、たとえ死んでいたとしても、ソイツは俺たちの中で今も生きてる」
「その人ほど、きっと僕は悩むことさえ上手じゃないよ」
「似てるってだけで、あたしたちは少し救われる」
「ああ」
「そっか。なら、こんな性格の自分も、別にそれでいいのかもしれないね」
「悩むだけ悩んで、動き出せばいいさ。シルヴァってんだけどな。ソイツも、悩み切って、解決しなくても、最終的にそれを生かして畑仕事したりとか、新しいことを考えたりとかしてたぜ」
シルヴァ。俺は、アイツに何が出来たんだろう。アイツは気づいていた。大人たちが、島を出たいと言っている子供にしか教えないようにしていた秘密に。
俺たちデラン人は、生まれて数か月で親から引き離され、あの島に送られる。生活をする上で、両親や俺たち自身を周囲の攻撃から守るための帝国の政策らしい。
でも、生まれたばかりの子供に、そんなことは関係ない。子供には、肉親が必要だ。俺たちがその事実を知ったのは、十五歳を迎える年、つまり今年になってからだった。だから、受け止めることが出来た。あの時の村の皆こそが、俺たちの家族だと思うことが出来た。だが、シルヴァはどうだったんだろう。
いつからかは知らない。俺が鼻たらして棒を振り回してたずっと昔から、アイツにはどこか影があった。その頃から知っていたんだとしたら、相当な孤独を抱えていたはずだ。俺は、俺たちは、アイツにとって家族で居られたんだろうか。
ハフ家は先の皇帝が小王国を統一した際、帝国における法律を提案し、さまざまな取り決めに協力的に動くことで、王家の地位を損なわずに今日まで血を絶やさなかった、古くから続く由緒ある司法官の家系だ。
コンセィデには二人の姉が居り、既に裁判官としての地位を得ている。その二人は主に首都グウィフにおける中央高等裁判所の裁判官として任を受けている。当主レクス・ハフは帝国議会における王侯貴族院議長を務めており、同時に最高裁判所長官でもある。
コンセィデによれば、それが表の家督。コンセィデは肉体的適正から、裏の家督を継ぐことになっているという。
「そっちに関しては、屋敷に着いたら詳しく話すことになると思う。屋敷と言っても、古い城の内装を新しくして、外装はそのままだから、ぱっと見は城なんだけどね」
「嫌味かお前」
「ちがうよ!」
そんな会話をしつつ、俺たちはハフ国へとたどり着く。城壁に囲われたさほど大きくないその都市は、石畳に排水用の側溝がついた道が張り巡らされ、家々はレンガ造りの街並みが広がっていた。
そして、そんな街並みを馬車の窓から眺める俺たちを、人々が忌避や侮蔑、好奇の目で遠巻きに見る。
「みんな、デラン人が珍しいだけさ。嫌悪までは抱いていないはずだよ」
視線に気が付いたのか、カーテンを閉めながらコンセィデは気を使ってそう言った。だが、俺とへレアには分かる。この差別的な目が変わることは無い。デレレ島の外ではどこへ行っても、デラン人である限りこの差別から逃れることは出来ないということを深く自覚した。
屋敷に着くと、メイドたちが俺たちの服を剥き、湯浴みをさせ、体の隅々まで丁寧に拭かれ、襟付きの服を着せた。正直恥ずかしい気持ちもあったが、そんなことを考える暇もないほどあわただしかった。
着替えを済ませた俺たちは食事を摂り、割り当てられた自室でしばらく過ごした後、コンセィデの持つ部屋の1つに集められた。ここまで通された全ての部屋が、島では見たこともないような広さと豪華さだった。
通されたコンセィデの部屋には壁一面に分厚く大きな書物が収められた棚が並び、広い机の前に美しい彫が入った椅子が1つ。そのすぐ横に、髭を伸ばした白髪で細身の老人が居た。いかにも紳士的な見てくれをしている。
「皆さまの教育係を務めさせていただきます。コンセィデ様の執事。ローグでございます。以後よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします」
「……。あ、お願いします」
屋敷内の豪華さやローグさんの立ち居振る舞いに呆気に取られて、間の抜けた返事をしてしまった。
「まずは礼節からですかな……」
俺たちの着崩された正装を見て、ローグさんはやや顔をしかめた。
「奴隷紋はあるけど、僕からしたら年の近い仲間だ。丁重に扱ってくれ」
「かしこまりました。彼らの教育をする間、コンセィデ様にはこちらを」
そう言ってローグさんが持ち出したのは、部屋の天井についてしまうかというほど高く積み上げられた本の山だった。
「法律関係じゃないよね……?」
「もちろん左様でございます。こちらが帝国の刑法に関する物で、こちらが、民法に関する物でございます」
追加で同じかそれ以上の書物が机に乗せられた。
「ちょっと僕街に用事があったんだった」
「コンセィデ様。嘘はいただけません」
「本当だよ花屋の選定の手伝いと茶屋の倉庫の掃除をするって約束したんだ」
「それらは二週間前に終えてらっしゃいます」
「なんで知ってる……」
「執事、ですから」
深いため息を吐くと、コンセィデは椅子に座り、本を読みながら羊皮紙と自分の法律全書に細かな書き込みを始める。
「さて、お二方にはまず、テーブルマナーから」
そう言うと、ローグさんは俺たちを連れて使用人用の食堂へと向かった。
ローグさんは、初めの内は一つ一つのマナーや言葉遣いを丁寧に指導してくれたが、数日も経てば少しの間違いを細かく指摘し、それがどういう意味合いを持つ行動になってしまうかなどを耳にタコができるほど説教するようになった。
ある程度衣服の着こなしやテーブルマナー。言葉遣いなんかを習得すると、食事中、ローグさんはごく自然に言った。
「本日からお二方には国の成り立ちや創世神話に至るまで、あらゆる歴史を勉強していただきます。それと並行して、戦闘の訓練も始めてまいります。気を引き締めますようお願いしますね」
その日から、疲労の絶えない地獄みたいな日々が始まった。
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