想い

夏休みに入って1カ月。


新学期が始まるまで後2週間弱。



…蒼に最後に会ってから2週間強。


まだ2週間。たった2週間なのに、凄く長く感じた。1か月にも1年にも、今までで一番長く感じた。



何度か芹や晴貴からお誘いのメールが来たけれど、気分じゃなかったから全部断った。


あの日以来、外に出ていないし、ご飯も余り食べられない。



お腹は空いているのに胃まで入ってくれない。



親もそんな私を心配して、普段なら休みの日は家でくつろいでいたい人なのに『買い物行こ』などと話し掛けてくれる。


それもいろいろ理由をつけて断ってきたけれど、…やっぱりいつまでもくよくよしてたらダメだと自分でも分かってる。



自分がこんなに弱いなんて知らなかった。



もしかしたら蒼から電話が来るかも、と携帯をいつも充電して肌身離さず持っているなんて。蒼から電話が来た事なんて一度もないのに。



芹や晴貴からメールや電話が来る度にいちいち反応して、蒼からかもって期待して。


そんな自分を馬鹿だと思う。



自分から手放したくせに。







…――ピロピロ、


太陽も真上にあるというのにベッドの上に寝転んでいると、部屋中にメールを知らせる機械音が響いた。



(蒼からかもっ――…!)


私は急いで握りしめていた携帯を開く。



『こちら芹でぇす!今、あの噂の特大パフェに挑むところだよ!!今度二人で挑戦してみよーね!!』


――なんだ、芹か。



なんて失礼な事を無意識で思って、落胆する私。



可愛らしい絵文字付きの文の下にはパフェの写真が付いていた。



芹はここ数日、どうでもいいような事でもメールをしてくるようになっていた。


きっと心配してくれているのだと思う。



そんな芹に私は何も言ってない。



(…親友、なのにね)


私は謝罪の気持ちを込めて久し振りに芹のメールに返信をした。心配かけてごめんね、そういう意味も込めて。



『こちら藍でぇす!私、実はそのパフェ食べた事あるよ!さて、君に私の記録を超える事ができるかな』


すぐにメールが返ってくる。



『只今、記録更新中…』


その文の下には、またもパフェの写真が添付されている。



『全然減ってない(笑)むしろ頑張れって応援したくなるよ』


なんてくだらないメールのやり取りをずっとしていた。



日が暮れる頃には、あれ程病んでた気分が晴れ晴れとしていた。



やっぱり何だかんだ言って、芹の存在は私の中で大きいんだと思う。


未だ憎いという感情は全ては拭われていないけれど、今はそれ以上に傍で支えてくれている事の感謝でいっぱいだった。




次第に芹とのやり取りも落ち着いてきて、最後に送ったっきりもう30分返信が来てない。


さっき帰宅したと言ってたから多分今は晩御飯でも食べているんだろう。



1度ベッドの上で寝返りを打って、携帯を枕元に置いて、天井を意味もなく見上げる。



天井に貼られた幼い時に流行ったキャラクターのシールを見て、ふと思った。


お風呂、入ろうかな。



そうだ、お風呂に入って綺麗さっぱりしよう。そうすれば心ももっとさっぱりするかも。


思い立ったが吉日。ガバッとベッドから降りてお風呂場へと向かった。



頭の天辺から足の先まで、身体の隅々まで洗いまくってお風呂から出ると、昨日の分までゆっくりと長い時間を掛けてお風呂後のケアをした。



髪の毛までしっかり乾かすと自分の部屋へと戻る。



部屋へと入った瞬間、無意識にも携帯へと視線を向けると、それが点滅している事に気付いた。



あ、芹から返信来てる。


私はベッドに近付き携帯を取って、寝転びながらそれを開いた。



案の定、画面にはメール1件の文字が映し出されている。



ぽちっと決定キーを押すと、画面に表れた文字。



『今、家の前にいる』


家の前?



何の用だろ?



この時私は内容ばかりに意識がいって、文面が芹らしからぬ味気のないものだと気付かなかった。


それに気付いていれば、もう少し心の準備ができていたのかもしれないのに。



芹からだと思い込み、何気なくカーテンを開けた。



すると、もうすっかり暗くなった夜空の下、お向かいさんの塀に背を預けて私の部屋を見ている人影を確認した。


その途端私は自分の目を疑う事となる。




「え…、」


私の瞳に映ったのは、月明かりと傍にある電柱の光を浴びた愛しい人。



ばっちりと視線の絡み合ったその人は、真っ直ぐに私を見上げてる。



驚きすぎて固まってしまった私に、彼がポケットに突っ込んでいた両の手を抜いて一歩前に出たのが分かった。



どうして…?


その途端弾かれたように思考が働きだし、慌てて携帯の画面へと視線を走らせると、"notitle"の件名の上の送信者欄には、芹ではなく彼の名前があった。



同時に受信時間を確認すると、そのメールは私がお風呂に入ったすぐ後に来ていたようで、それから軽く1時間は経っている。



こんな暑いのに…私を待っていたの…?


2週間ぶりに見た蒼はちっとも変わってなくて。その愛しさに胸がチクンと鳴った。



どうして?


色んな疑問が頭を巡っていく。その答えを求めようと考える前に、…――指が勝手に彼の電話番号を押していた。




『…――はい』


「…そ、う……?」


もう二度と呼べないと思っていたその名を口にする。



あれ程もう泣かないと決めたのに、懐かしさに愛しさに涙が勝手に溢れ出てしまう。



『どう、して…?こんな事されたら私、…もう蒼の事忘れられないよ…』


震える声で、途切れ途切れになりながらも最後まで言い切った。



涙でぼやけた視線の先で、蒼が私を真っ直ぐと見つめたのが分かった。



『…――忘れるなよ』


…――視線が絡み合う中、私の耳元で蒼の切ない声が響いた。



「…蒼っ…!」


その瞬間、私の足は勝手に動き出していた。



頭では何も考えられてないのに、身体が動く。身体が、彼を求めていた。



階段を2段とばしで飛び降り、お母さんの「こんな時間にどこ行くの」なんて声も無視して、玄関へと走り出る。


靴を履くのももどかしくて、傍にあったサンダルを足に引っ掻けて外に出ると……家のすぐ前へと移動していた蒼に思いきり抱き付いた。



「わっ、」


蒼は急に抱き付いた私を支えきれず、二人揃ってその場に崩れるように倒れ込んだ。



蒼を跨ぐように乗った私は、涙を隠すように蒼の胸に顔を埋めた。



「…ふぇ、…蒼っ…」


蒼は上半身を起こし、そんな私をそっと抱き締め返してくれたんだ。



その腕の温もりに驚いて、私は顔を上げて蒼の顔をじっと見てしまった。



視線がぶつかる。それでも蒼はそらさなかった。


力強い瞳、…彼の瞳は、まるで何かを決心しているような、そんな意志を持っているかのように力強かった。



そんな彼の瞳から視線が逸らせられなくなった私に、小さく彼の口が開かれる。



「…藍」


「…っ…!」


初めて呼ばれた、私の名前。



蒼の心地良い私の大好きな声で囁かれたその名に、涙が途切れる事なく溢れ出てしまう。


そんな私の背中にまわっている蒼の腕が、心なしかぎゅっと私を抱き締めたような気がした。



どうして、どうしてこんなにも優しくするの…?


見上げた蒼の顔はとても真剣だった。



そして。



「俺、…しつこいって思われるかもしれないけど、








…――まだ藍の事好きだから」




「え……」




私の事が好きだと。


今、…そう言ったの…?



蒼が私の事を…?



「え、…え?」


吃驚し過ぎて涙が引っ込んでいくのを感じながらも、蒼の言葉が信じられなくて戸惑い気味に声を漏らした。



絶対今の私、間抜けな顔してる。



だって貴方の好きな人は芹でしょう?


そんな気持ちを込めて蒼を見つめるけれど、私を見つめる彼の瞳はとても冗談を言っているようには見えなかった。



もしかしたらさっきの言葉は私が生んだ幻聴だったのかもしれない。蒼がわざわざこんな所まで来てくれたから、勝手に都合の良い事を言わせたのかも。



うん、その線が強い。



まさか過ぎてそんな事を思い始めた時、再び蒼が口を開いた。



「お前が誰を好きでも……やっぱ俺、お前の事諦められないんだ」


――やっぱり幻聴なんかじゃない!



「え、何…え?」


「ん?」


現実だと理解したけれど、その言葉の意味が分からなくて戸惑う私に、蒼は優しい顔を向けてくれた。



蒼の言っている事が全然分からない。お前が誰を好きでも…?私が蒼を好きなの、知ってるでしょ?



「え、え、え、」


「どした?」


「私が好きなのって、…え?」


「え?」


「え?」


お互い間抜け面で見つめ合う事5秒。



蒼が少し顔を歪めて、嫌そうにその名を口にする。



「…小林、でしょ?」


「晴貴?」


え、何故ここで晴貴が出るの?



私の反応に蒼が「あれ?」と不思議そうに小首を傾げて一言「小林が好きなんじゃないの?」なんて。



「ええ?私が?何で?」


思わぬ言葉にきょとんとした私に、蒼が拗ねたように口を尖らせた。



「小林といる時お前楽しそうだし、…学校でもいつの間にか二人揃っていなくなること多いし」


少し突き出された薄い唇が小さく言葉を紡いでいく。



「それに…二人で帰ってたの、見た…」


だんだん俯いていった顔は、とうとう私から見えなくなってしまった。



「……」


何なのこのヒト。可愛いは女の子の特権なのに、狡い。



思わずきゅんと鳴った胸を両手で押さえれば、「どした?」なんて顔を下から覗いてくる。



このままじゃ心臓がもたないと、「それは晴貴は友達だから…」なんて顔を蒼から背けながら言えば、拗ねたような表情が戻ってきた。



「…この前、俺がお前に好きって言ったら辛そうな顔したじゃん」


「え、」


「まぁ…最初はお前から告ってきたんだし、それに負い目感じてて、俺をフれないのかな、って」


「待って、私好きって言われた事ないよ!」


「言ったじゃん、登校日の日。好きって」


「え、私、芹の事まだ好き?って聞いたんだけど…」


え、じゃあ、あの『好き』は…蒼が初めて言ったあの『好き』は、私に向けて言ったものだったの?



蒼は芹が好きなんじゃないの?



「…お前、たまに三澤の事出すけど何で?最初告ってきた時も何でか三澤の名前出したよな」


「それは、…蒼が芹の事好きだからでしょ?」


「何言ってんの」


「だって、私聞いたもん…。蒼が芹を好きって晴貴が蒼の友達に聞いたって言ってたもん…」


そう言ってやると、蒼は考えるように視線を上へとずらし、



「あ―、…分かった、多分アレだ…」


思い出したようにそう言ってこうべを垂らした。



その姿に「アレ?」と呟きながら、蒼の胸の辺りのシャツを掴むと、



「まぁ…ちょっと、立って話さない?」


この体勢はきつい…、と蒼が私の腕を遠慮気味に掴んで自分の服から離させた。



「え、あっ…ごめんっ!」


自分達の体勢を思い出した私は、慌てて蒼の上から退けて立ち上がった。



は、恥ずかしい…



「あ、赤くなった。可愛い」


か、か、か、か、可愛い、って…!蒼が…!



「や、やだ!」


本当は嬉しいのに照れ隠しにそう言って、余計に赤くなってしまった顔を隠すように俯けば、



「やっぱり俺が触れてたいから、手繋いでてもいい?」


突然握られた大きな手に驚いて顔をあげれば、そこには意地悪な笑みを浮かべた蒼。



初めて見るその表情はとても綺麗で思わず見とれてしまった。



「ア、アレって何…?」


はっと我に戻って見惚れていた事を悟られないように声を出せば、どもってしまう。



あぁ、私はなんて格好悪いのだろう…


恥ずかしくて。穴があれば入ってしまいたいくらいだ。



そんな私を見て微笑んだ蒼は、



「今から言う事全部本当だから」


ぎゅっと私の手を握ってくれた。



「でも、ちょっと話したくなかったりする」


「話したくないの…?」


「いやごめん違う、…話したくないっていうか…恥ずかしいから」


蒼でもそんな感情あるんだ、と驚けば、蒼は本当に恥ずかしそうに視線を下げた。



「え、何?」


そう言った私に蒼は再び視線を合わせて、でもやっぱり恥ずかしそう頬を赤らめると静かに話し始めた。



「…俺、」


「う、うん」


「…―― 一目惚れだったんだ、お前の事」


絡み合った視線の先で、耳まで真っ赤にした蒼が小さく微笑んだ。



「嘘…」


思わず出た声に、「嘘じゃない」と強く否定の言葉が返ってくる。



「1年の体育の時、合同だったでしょ?」


「うん…」


だから私は貴方の存在を知る事ができた。



「で、いつかの授業の時誰かが結構大きな怪我したの覚えてる?他の奴等は周りから見てただけなのに、お前は傍に寄って『頑張れ』って『もう少しで先生来るから』って励ましてた」


「……」


「それがお前を初めて見た時」


蒼はふっと笑うと、「もう、一目で惚れたよな」なんて甘い言葉を囁いた。



それが、それが本当なのなら、…――蒼は私よりも前から私の事を想っていてくれた事になる。


それもあの事故の時からならば、結構始めの方から私を好きでいてくれたと。



「それでまぁ、ずっとお前の事見てたんだ。て言うか、気付けば目が勝手に追ってたんだけど…」


じゃあ蒼が見ていたのは芹じゃなくて、…初めから私だったの?



自惚れなんかじゃなく、あの時…私が貴方を初めて見た時から貴方は私を想っていてくれたの?



「それを見た俺の友達が、俺が見てんのを三澤だと勘違いして騒ぎ出して…でも俺それ面倒臭かったから否定しなかったんだ」


蒼は申し訳なさそうに眉を少し下げたけれど、私は蒼の友達が芹だと勘違いした理由がよく分かる。



私と芹が並んでいれば、迷わず皆芹を見てるって思うよね。芹のが可愛い、ていうか美人だし。


…なんて、自分で言ってちょっとショックを受けてしまったけれど。



「まぁお前が可愛いって言うのは俺だけが知ってれば良いって思ってたから」


私の心境を知ってか知らいでか、蒼は突然そんな言葉を口にした。



「なっ…」


「ほら、そうやってすぐ赤くなるし?」


蒼は私の顔を見てふふんと意地悪く笑った。



もうどうしたの、この人。


今日はとっても意地悪で、だけどそんな蒼も素敵だと思ってしまう。



「蒼って、…そんなだったんだ?」


「そうだよ。俺って本当はこんななの」


私だけがこんなにも蒼の言葉に翻弄されるのは悔しいと思って言った私の反撃も、蒼はさらっとかわす。



しかも。



「好きな子は苛めたいタイプ、なんです」


だなんて、もうその意地悪な笑みは私をキュン死にさせたいとしか思えない。



「私、苛められた事ない…」


なんて拗ねて言えば、「可愛い」と繋がれた手が強く握られた。



「まぁ、最初は…照れてた。で、途中からはお前は小林が好きだとばかり思ってたから」


今まで私を苛めなかった理由を、蒼はそう言った。



あ…今思えば私、蒼に『好き』って言った事ない…か、も?告白の時ですら『好き』と言ってない気がするし。


自分的には物凄く言っていた気でいたんだけれど。



「…私、ずっと蒼だけが好きだよ?」


「……本当?」


「私が好きでもない男の人と付き合うとでも?」


「最初は好きだったとしても、心変わりしたのかもって……俺、全然そっけなかったし」


「うん、苛めたいタイプらしいのに、全然話し掛けられる事もないし…視線も合う事なかった」


「私ずっと蒼の事見てたのに」と私が少し拗ねたように言うと、蒼は顔を赤くして、



「…恥ずかしかったんだよっ」


本当に恥ずかしそうにそう言った。



「だって、お前可愛いし。目が合うとドキドキするし。…ずっと見てたら俺死んじゃうよ」


蒼は真っ赤になった顔を隠すように、片手の甲を口元へと寄せる。



手を繋がれているから必然的に私の手もそこへと引っ張られて……ふいにチュッと一瞬だけ指先に口付けをされた。



「そ、蒼っ…」


「もう何も言うなよっ」


照れ臭そうに逸らされた瞳。



その赤く染まる横顔に、今なら何でも許せそうな気がした。



けれど。



「…蒼、夏休み芹の家行かなかった?」


これだけは聞いておかなきゃいけない気がした。



今までで一番辛かったのは、紛れもなくこの時だったから。



そうだよ。私が好きだったなら、どうして芹の家に行ったのよ。私見てたんだから。


若干睨んでやるものの、蒼は焦りもせず至って冷静で、



「あー、あれは……航が勝手に作戦立てて、」


「航…え、知り合い?」


「あれ?知らなかった?」


「な、何を…?」


「俺ら従兄弟だよ」


私にとっての衝撃の事実さえも、蒼は笑って言った。



蒼と航君が従兄弟?嘘でしょ…まさか、そんな繋がりがあったなんて。知らないよ。



ならばもしかして、芹のおのろけ話の時教室から出て行ったのは、ただ単に従兄弟のおのろけ話を聞きたくなかったから?


ただそれだけの事だったの?



「で、航の作戦っていうのが、お前と俺を遊ばせてあげようっていう、まぁお節介なやつなんだけど」


「…うん」


「……まぁ、俺、休日とかにお前と遊んだ事ないし…遊びたいな、とか思ってた…んだ、よな」


話が途切れ途切れになるのは恥ずかしいからなのだと思う。何て可愛いの。



「そしたら三澤が『今日藍と遊ぶから来なよ、吃驚させたいから』って電話、航の携帯でしてきて…んでも、行くの躊躇ったんだけど」


「うん」


「…あいつ、小林が来るって聞いて」


「晴貴?」


「…だってあいつに何か、お前取られそうな気がしたんだもん…」


蒼は恥ずかしそうに俯くと、繋いだ手をぎゅっと握って少し私を引き寄せた。



元々近いのに余計に蒼との距離が縮んで、私の胸は高鳴りっぱなしだ。



芹が全部を知ってたのは悔しい気もするけれど、それよりも蒼が今日来てくれて、こんなにも嬉しい言葉をいっぱい言ってくれた事の方が何倍も重要で。


触れ合う程の距離に幸せを感じた。



蒼の気持ちがすんなりと受け入れられる。だって、蒼の新しい一面を見る事ができたし、抱き締めてくれた。今もずっと手を大きな温もりで包んでくれてる。そしてなにより、大切な言葉を恥ずかしそうにたくさん紡いでくれた。



ぎゅっと握っている手に力を込めると、更なる力で握り返される。


そんな些細な事に喜びを隠せない私に、



「小林とか三澤がさ、お前の事心配してて…電話めっちゃ来た。…お前ご飯食べてないんだって?」


蒼は心配そうな顔をして見つめてきた。



「…食べるよ」


「うん、ちゃんと食べろよ?」


だってもう今ならご飯3杯くらいは余裕で食べられそうだもの。



安心したようにほっと息を吐いた蒼に大丈夫だよと言うように微笑みながらふと思う。



どうして芹と晴貴は私がご飯を食べていないの知ってるの。


そしてその答えはすぐにお母さんだと気付く。何かと心配してくれていたお母さんの顔を思い浮かべて、あ、私って色んな人に心配ばかり掛けてる、なんて。



「後で皆にお礼言っとけよ」


「うん!」


皆心配掛けてごめんなさい。それから、…ありがとう。大事な人達に囲まれて育った事に感謝した。



芹だってずっと応援していてくれたのに、どうしてあんな事になってしまったんだろう。


自分だけが辛いと思ってた。芹だって辛かった筈なのに。あんな態度をされて大丈夫な筈ないのに。



ふとドーナツを届けに行った時の芹の笑顔を思い出した。


そうだ、今度一緒にドーナツ買いに行こう。その時は、本当の笑顔で彼女と笑うんだ。



二人で笑い合う姿を想像して、優しい笑みが漏れた。



「なぁ、俺ら…ずっとすれ違ってたんだな」


「うん…」


お互い勘違いをして。ずっと向き合っていたのに、それに気付かず勝手に辛いと思ってた。



私は蒼の後姿なんて見てなかったんだ。最初から…私が蒼を好きになった瞬間から、私達はずっと向き合ってた。



「今度は俺、ずっとお前だけを見る。…逸らしてたりしたら勿体ないもんな、こんなに可愛いんだから見なきゃ損だ」


胸が熱くなる。涙がまた溢れ出てきて止まらない。



「藍、…――もう一度俺と付き合ってください」


真剣なその表情に胸を打たれる。



「…はいっ…!」


そう頷けば、繋がれていた手が離され、あっと思った瞬間に私は蒼の香りに包まれていた。



抱き締められて、る…?


涙で蒼の顔がよく見えない。



「俺、もう離さないから」


「うんっ…!」


「俺の事好き?」


「好き!」


「もう一回言って?」


「大好き!」



「俺も……大好き」

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