あやかし堂と迷い家 ―上―

 少女と屋敷の中に魅了された二人が内部に入った直後。


 ――バタン!!


 大きな音がして洗脳が解けたように先に意識がハッキリしたアオイは隣でぼーっとしている紫音シオンの肩を揺さぶった。


「おい……しっかりしろ、犬っころ!」


 意識が混濁こんだくしたままの様子に、目の前にいる少女は袖で口元を隠して笑っている。

 アオイは扉の音を合図に意識が戻った。

 だが、紫音シオンは未だに目がうつろで反応がない。

 しかも巨大な階段に魅了されて意識していなかった周りを見回したアオイは目を丸くする。

 外側から点いた仄かな明かりは生き物のように宙を浮いていた。

 しかもいくつかは暗闇の中、ダンスでも踊っているようにクルクルと回っている。


「……そちらの方より、貴方様の方が上位のあやかしだと、記しているようですね。わたくしの術が良く効いております」

「そんなことは初めから知っている……。こんな呆けた姿は酒に飲んだくれているときだけにしろ。この駄犬だけんが!」

「――だ、れ……が……駄犬だけん……ダァァア!!」


 アオイの暴言で、ようやく術から解かれた紫音シオンは辺りを見回して、驚愕きょうがくしていた。

 二人が魅入られた淡い光はロウソクの灯火で、あやしい光を放っている。

 何かを口にしようとした途端に、白い光が辺り一面を包み込むと二人は腕で顔を覆った。


「上々ですね、"黒蝶コクチョウ"。一階の入居者だけでは少々、人手不足でしたから……」

「ええ、そうですね女将。一人は上位のあやかしでも引けを取りませんし、もう一人も上位の中では見劣りしますが、その能力は格別です」


 全貌が見えたと思ったのすら錯覚で、暗闇の中、二人分の声が鼓膜を震わせる。

 一人は先ほどの少女。もう一人も、"どこか"で聞き覚えのある声に、アオイは薄く目を開く。

 だが、視線の先にはだいたい身長百四十センチくらいの少女の姿しかない。

 あやしい光を放っていた蝋燭ろうそくも消え、屋敷に設置された暖かい光によって内部が見渡せた。

 その中で、違和感を覚えて視線を下に向けるアオイ双眸そうぼうに、口を動かす黒猫の姿が映る。

 ただ、普通の猫みたいに「にゃ〜」ならいい。

 耳に馴染む重低音のイケメンボイスが聞こえてきて、隣でまだ目元を隠す紫音シオンの襟首を掴み引っ張った。

 しかも、尻尾の先が"三本"に分かれている。


「おや? 見破られてしまいましたか。お二人とも、無事に屋敷に来られたようで何よりです」

「おい……紫音シオン。黒猫が喋ってる――って、猫叉ねこまたか……」

「――うっ……オイッ! 苦しいだろうが! 日本にいるんだから、猫叉ねこまたの一匹や二匹珍しくないだろ!!」


 思った以上に強く引っ張っていたらしく、苦しさに歪む顔で冷静になったアオイは、振り解かれる前に紫音シオンからパッと手を離して黒猫を凝視した。

 しばらくして手に持ったままだったカードへ視線を落とす。

 少しの間カードを睨みつけてから黒猫の前に投げつけた。

 カードは回転して速度が増したことで木の床に刺さると、黒猫は避けることなく前足をペロペロと舐め、代わりに少女の笑顔が消える。

 床へカードが刺さった直後、チカチカと屋敷内の明かりにも異変が起きた。


「女将さんは愛らしい少女の姿に見えるかもしれませんが……。怒らせてはならない方ですよ?」

「――わたくしの大切な"友人"を傷つけるとは……命を失う御覚悟あっての所業でしょうか?」

「うっ……。友人って――もしかしなくても、この屋敷のことか? いや、まさか……」


 女将と呼ばれる少女のすごむ声に、床から奇妙な音がし始めた。

 次の瞬間、アオイたちがいる床だけが波のようにうねりだし、二人ともに足を取られ尻餅をつく。

 とても良い音が響くと、屋敷中から「クスクス」と不気味な笑い声が聞こえてきた。


「いってぇ! オイ、これは絶対お前のせいだろう!」

「俺のせいじゃ……いや、床を傷つけたからか。すまない、まさか"屋敷"自体が、あやかしだとは思わなかった」

「――ふむふむ。『あの程度、痛みも感じないから許す』だそうです。その代わりに、傷つけた部分に口付けをするようにと申しておりますが?」


 不気味な笑い声はするのに元々姿が屋敷なのか、女将の代弁する言葉にアオイは口をパクパク動かすだけで、驚きのあまり声が出ない。

 当然、横で胡座をかく紫音シオンの顔はだらしのない笑顔に変わっていた。

 唇を噛むアオイは意を決したように床に刺さったカードを優しく引き抜いてこうべを垂れる。


「――素敵なレディに申し訳ないことをした……。許してほしい」


 一言添えてから縦に線の入った傷口に薄い唇を押し当てた。

 すると、地震でも起きたように屋敷全体が激しく揺れて、少女や黒猫まで姿勢を低くする。


「うっ……"ホタル"! 感情を、抑えてください……屋敷全体が、揺れています……!」


 少女の呼びかけに我を取り戻したのか、ピタリと揺れが止まった。

 そして、屋敷の奥から全域に再び『クスクス……』と不気味な声が響き渡り、呆れ顔の少女は代弁する。


「はぁ……『生きてきて――年。殿方は勿論もちろん、イケメンに口付けされたことなど皆無かいむ故に、乱心した』とのことでございます……。全く困ったものですね」

「そう、なのか……。それは、光栄の至り――」

「ぐへぇ……。お前のせいで、こっちは散々だぜ……。うっ……ぎもぢ、わるい……」


 揺れが去ったことで一気に腹部から波が押し寄せる紫音シオンは口を押えるが、いまにでも吐きそうな様子にバンッ! と勢い良く扉が開いて、一人だけ門の外まで放り出された。

 一瞬の出来事に、シーンと静まり返る屋敷の中で、少女が咳ばらいをする。


「何はともあれ、自己紹介もまだでした……。わたくしは、この屋敷――迷い家マヨヒガであるホタルの友人で、管理人をしている珊瑚サンゴと申します。あやかしでいうのなら、"座敷童ざしきわらし"。以後お見知りおき……」

「私は、猫魈ねこしょう黒蝶こくちょうです。普段は黒猫の姿をしていまして、迷えるあやかしの案内人として人の形をさせて頂くこともあります」


 すると黒猫の姿から執事の恰好をした、艶のある黒髪に黒い瞳の男へと変貌へんぼうしてみせた。

 しかも、猫叉ねこまたではなく猫魈ねこしょうだという。

 その姿は、やはり二人がカードを貰ったあやかしだった。

 この屋敷は人間や下位のあやかしには古びたアパートにしか見えず、人通りも少ない路地裏にあるとはいえ一人・・は道路であらぬモノをまき散らしている。


「……迷い家マヨヒガに、座敷童、猫魈ねこしょう……。どれも東洋のあやかしでは珍しいタイプだな。俺は西洋あやかしの代表でもあるヴァンピールで、和名として染井碧ソメイアオイを名乗っている。よろしく」


 名前から諸々もろもろ明らかになった少女こと珊瑚サンゴと握手を交わす中、バンバンとうるさくドアノッカーを叩く酔っ払いだった男は、その脚力で塀を乗り越え庭まで侵入したらしい。

 耳障りな音にため息をつく珊瑚サンゴ迷い家マヨヒガホタルに説得をしている。

 すると、タイミング良く開かれた扉によろける足取りで倒れこんだ紫音シオンは頭に生えた大きくモフモフした耳が垂れたまま、鋭い双眸そうぼうを向けた。


「このオレ様を、追い出すなんていい度胸だなァ! 顔面凶器のこいつに口付けされたくらいで、はしゃいでるんじゃねえ!」

「オイ……また同じことを繰り返すのか、犬っころ」

「そこの、吸血鬼! 犬っころとか言うなっ! 俺は、れっきとした人狼じんろう様だぞ! それでもって、松永紫音マツナガシオンだ! 覚えて――うおっ!?」


 しまらない恰好で犬の遠吠えと化している紫音シオンは耳の良さから話をすべて聞いていたようで吠える。

 哀れみと呆れの眼差しで見つめる三人は再びホタルによって外に放り出される様子を見つめていた。

 ただ、騒がしい屋敷内で一階にある個室の一つが開かれ、物珍しそうにアオイのことを見つめる眼差しに気がついて横を向くが、そこには誰もいない――。

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