第3話 教会に駆け込んで


 エルザとイチェイスは、生まれた頃から付き合いがある幼馴染である。


 広大な領土を納める侯爵家から開拓地の指導者として森村に派遣されたメヌエット子爵イチェイスの父親と、財務業務の為に派遣に同行したピアニー男爵エルザの父親


 夫に連れ添って主都から未開拓の森村にやってきた妻同士が仲良くなるのはごくごく自然な話で、一ヵ月違いで生まれた二人は幼い頃からとても仲が良かった。


 温厚で優しく冷静なイチェイスと、積極的かつ行動的で押しの強いエルザ。

 端から見ればエルザが主導権を握っているように見えるが、近しい者から見れば暴走癖のあるエルザをイチェイスが上手く制御していた。


 そして、お互いを見つめ合う眼差しには見てる側が赤面してしまうくらいの愛情が籠っている、と――誰もが思っていたはずだったのだが――



「一節前のイチェイスは、『僕の髪も愛してほしいから』ってこの銀の髪留めをくれる位、私の事を想ってくれて……一週間前までは凄く優しかったのに……!」


 エルザがハンカチで眼元を抑えながら嘆くのは、メヌエットに建てられた教会。

 館からあまり離れていないそこは、日々のお祈りや周囲に言えない悩みを持つ者達が貴族平民問わず出入りしている。


 エルザも週に一度、ここに日々街中を駆け巡るイチェイスの無事を祈りに来ている。

 だから神父に悩みを打ち明けたり、相談にのってもらったりする小部屋がある事を知っていた。


 そして今、このどうしようもない気持ちを吐き出せる場所はここしかない――と小部屋に駆け込んだのである。


 小部屋は格子窓がついた壁に仕切られ、互いに表情が見えない。

 そして神父が音を遮断する障壁を張るので、泣き叫んでも怒鳴っても外には一切声が響かない。


 だから愛する家族達や民達に見苦しい姿を晒す事無く、神父だけにただただ訴える事が出来る。

 神父も信用に関わるので民の秘密や悩みを周囲にバラす事はない。

 エルザは物心つく前から付き合いのある老神父に、恥ずかしげもなく荒れ狂う感情を吐き出す。


「神父様もご存じですよね!? 私達、子どもの頃からずっと結婚しようねって言いあってたの……! 主都の学校を卒業して戻ってきた時、親から『本当にイチェイス様と結婚したい?』と聞かれて『結婚したい!!』って言ったら、結婚する事になって……! 本当に、本当に幸せだったのに……!」


 化粧が落ちるのも厭わず、ハンカチがぐっしょり濡れる程眼元を抑え続けるエルザは神父の返答を待たずに言葉を続けた。


「ああ、神父様……! 今世って前世に劣るのでしょうか……!? イチェイスからのプレゼントも、デートも、愛の言葉も全て、全て無駄だったの……!? 無意味だったの……!?」


 平凡な女性にただ「前世で愛し合ったから」というだけで愛する夫を奪われた。

 

 『前世で大好きだった人がいる』という夫に対して『会ったら身を引くから』とやや強引に結婚に合意させた過去の自分に非がある事をエルザは理解している。


 しかし、こうもあっさり離縁を告げられるなんて。館から飛び出した自分を追いかけてもくれないなんて。


 愛していたならもう少し粘ってほしいというか、葛藤してほしい――いや、それがなかったという事は、夫は本当は自分の事など愛していなかったのだろうか――これまで贈りあった物や想い出を、宝石のように大切にしていたのは自分だけだったのか――考えれば考える程エルザは悲しみの沼に沈み、嗚咽を漏らす。


「……前世で深く愛し合った者達が次の世でも惹かれ合う、という話は歌劇や物語で美談として扱われますが……こうして被害者が出てしまうと、やはり罪深いものだと思い知らされますね……」


 エルザの嗚咽だけが響いていた狭い空間で、突如若い男の声が響く。

 いつも教会で教えを説いている年老いた神父と全く違う男の声に、エルザは動揺した。


「えっ、あっ……神父様……?」


 その時ようやくエルザは目元からハンカチを離した。

 相談者の匿名性を守る為に作られた小さな格子窓の向こうに、白い法衣が見える。

 常駐する老神父が着ている物に比べてずっと細やかな刺繍が施された、上質な法衣が。


「ああ、すみません。グレッグ神父は今、買い出しに出ていまして……その間、私が代わりに皆さんの話を聞いてるんです」


 本当はエルザが入って来た時に説明しようとしたのだが、エルザが怒涛の如く泣き出したので言うタイミングを逃していた――という事情は伏せて、若い男は言葉を続けた。


「私はクライスと言います。修行の為に各地を巡回しています」


 気心知れた老神父だと思って泣き叫んでいたら、実は見知らぬ男性だった――その事実にエルザの頭が一気に熱くなる。

 自分はこの街の領主の妻で、子爵夫人なのに。街外の人に恥を晒してしまった。


「わ、私は……エルザ、と申します。ごめんなさい、恥ずかしい姿を……」

「いいえ……愛する人から理不尽に離縁を告げられて平常心でいられる人なんていません。エルザさん……さぞかしお辛かったでしょう?」

「はい……一週間前、館を出る前に『エルザさえ良ければ、そろそろ子どもが欲しいな……』なんて、顔を赤らめながら言っていた人が、あんな冷たい態度を取るようになるなんて……前世の愛がこんな恐ろしいものだったなんて……」


 一週間前に子どもが欲しいと言った人が、女を連れ帰ってきて何の躊躇ちゅうちょもなく離婚したいと言ってきた事がエルザには信じられなかった。


「……本来、天に上がった魂は長い時をかけて穢れと記憶を洗い流します。前世の記憶を残したまま生まれ変わるなんて、本来あってはならない事……エルザさんが言うように、恐ろしい事なのです」

 

 歌劇や物語はその辺り細やかに配慮されている。

 不快感を持たれないように被害者が出て来ない、あるいは被害者側を悪人にする事で主役達に不快感を抱かせない勧善懲悪の話だからこそ多くの人達に好まれ、読み継がれるのだ。


 だが、現実にそんな細やかな配慮はない。

 家族がある日突然『前世で自分を苦しめた奴らに復讐したい』と犯罪行為に手を染めたり、あるいは親の片方が突然『前世で愛しあった人を探す!』と言い出して一家離散したり――実際に自分の身の回りで起きたら間違いなく災厄な胸糞話である。

 そして今、その胸糞話が見事にエルザの身に降りかかっている。


「クライスさん……私は、もうどうする事も出来ないのでしょうか……!? これでは、あまりにも……!!」


 イチェイスが待ち望んでいたジニーが現れた事で、本来ジニーがいるべき場所から追い出されるのは分かる。

 子どもの頃の些細な約束を忘れていた自分に非がある事も。


 しかし、あそこまで冷たく突き放されてしまうのは納得がいかない。


 これまでイチェイスを支えようと一生懸命女主人として務めてきた。

 そんな自分の今世の愛も、けして軽んじられるものではないはずなのに。


 再びエルザの嗚咽が響く。ハンカチが絞れそうな位涙で溢れた頃、クライスは再び呟いた。


「元気出してください。どうにかできるかもしれませんよ」

「ええ、そうですよね、どうにもできま……出来るかもしれない?」


 励ましの後に続いた意外な言葉に、エルザは顔をあげる。


「はい。『前世持ち』には三種類があるんです。その種類によっては、どうにかできるかもしれません」


 エルザからクライスの顔は見えない。ただ、その声は笑顔から発せられている事は何となく分かった。


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